実現しなかった企画

探偵クラブ篇


〈探偵クラブ〉で収録を考えながら、実現しなかったタイトルが2つある。

 1つは第2期で企画した水谷準集『空で唄う男』 の仮題で、「お・それ・みを」 「司馬家崩壊」 「胡桃園の青白き番人」 「恋人を食べる話」 「さらば青春」 など、ロマンティックな空想と黒いユーモアに彩られた戦前の短篇を中心に収録案を作成し、水谷氏に手紙でお伺いを立ててみたのだが、「旧作について、それを再び見ることを好ましく思いません」 との理由で、お断りのお葉書をいただいてしまった。氏は戦後のある時期から探偵小説界とは交わりを絶っておられたようだが、自作についても、あらためて世に出すことを良しと思われなかったらしい (アンソロジーへの収録は拒まれなかったようだ。また、その後、春陽文庫で 『殺人狂想曲』 が復刊された。昭和7年に同文庫で出ていたタイトルの復刊なので許可されたのか、それとも心境に変化があったのかはわからない)。水谷氏は先頃97歳で亡くなられたが、この作品集は今でも実現しておきたかったと思う1冊である。(追記。2002年4月、ちくま文庫から代表短篇を集めた 『水谷準集 お・それ・みを』 が刊行された)

 もう1つは3期で検討した久山秀子集。浅草の女スリ 〈隼〉 のシリーズで人気を集めた作家である。マッカレーの 〈地下鉄サム〉 をそのまま戴いた設定なのだが、キップのいい江戸っ子の女スリ 〈隼〉 のユーモアあふれる活躍は、いま読んでもほのぼのした良さがある。当時の少女スター、粟島すみ子主演で映画化もされたというから、当時の人気のほどがしのばれる。久山秀子は、実は男性作家のペンネームで、本名芳村升とも片山襄とも言われている。要するに正体不明。著作権者も当然不明なのである。従って、出版の許可を本人または著作権者から取ることが出来ないのだ。

 覆面作家ではあるが、戦前はまったく他の作家と交流がなかったわけでもなく、横須賀の海軍経理学校の教官だった、という話も残っている。労作 『日本推理小説辞典』 (東京堂出版) で 「本名芳村升」 としている中島河太郎氏にも手紙でお尋ねしてみたが、確かなことはわからないとのこと。こういう場合、救済処置というか、出版社として取るべき道がないわけではない。新聞広告等で著作権者に呼びかけ、ある一定期間、権利者探しに努めたことが事実として認定された上で、文化庁に印税を寄託して (だったかな。このへんはちょっと記憶が曖昧になっている。つまり本来なら支払うべき印税額を国に預けておいて、支払いの意志および能力があることを明らかにしておく、ということだ) 出版することが出来るというものだ。

文化庁の著作権課に電話で問い合わせてみたのだが、係の人は丁寧に応対してくれはしたものの、要するに、もし万が一、なにかトラブルが生じたときは、出版社が責任を取ってくれ、ということらしい。印税を寄託という手段は、実際にはほとんど実例がないとのこと。これまで各種の 《新青年》 アンソロジーへの作品収録にも反応がなかったわけだし、このまま出版してしまっても、まず問題はないだろうとは思ったが、著作権者の了解をえず本を出してしまうのには抵抗があった。で、結局、見送ってしまったのだが、いま思うと、もし著作権者なり本人 (存命の可能性だってないとはいえない) なりが名乗り出てくれたら、それはそれで、探偵小説史上の謎の1つが解明されるわけだし、好かったのではないか、という気もする。まあ、そこまで 〈隼〉 に執着していなかった、ということもあるのだが。(追記。2004年秋、論創社から 『久山秀子探偵小説傑作選』 が刊行された。その後の調査で著作権者にたどりつくことができたようだ)

第3期の企画で、やはり著作権者の所在が不明になっていた井上良夫の御遺族は、山前譲氏が乱歩邸で調べてきてくれた井上良夫宛書簡の宛先住所と、名古屋の電話帳からあたりをつけて、なんとかたどりつくことが出来た。翌年には没後50年に達し、著作権が消滅するのはわかっていたのだが、ご子息に連絡がついて、出版を喜んでいただくことができて、好かったと思っている。

(2001.5.13)