タイトルについて
(探偵クラブ篇)


〈探偵クラブ〉 の場合は、基本的に収録作品の中から表題作を選べば好いわけだから、タイトルの付け方は比較的簡単だ。といっても、どの作品を選ぶかで、受ける印象はずいぶんと違ってくる。たとえば、三橋一夫の作品集で、

 『勇士カリガッチ博士』
 『島底』
 『鬼の末裔』

と3つ並べてみると、読者がそのタイトルから想像する内容は、かなり異なるものになるだろう。『島底』 だと、普通の文学作品のような印象を与えるかもしれないし、『鬼の末裔』 では、より怪奇色が強くなってくる。やはり、作家の個性、本のイメージにあうようなタイトルを選びたい。

 それからタイトルとしての坐りの良さ、みたいなものも結構重要だ。難しい漢字、難読または読み違いの多いものも避けたい。これは読者に対しての配慮、ということもあるが、書店からの注文のことを考えて、の条件でもある。書店からは、通常は 「注文短冊」 という用紙に、書名や冊数が記入されたものが、取次を経由して出版社に流れてくるわけだが、直接、電話で注文がくることも結構多い。そのとき、なんと読むのか、わかりにくいものはやはり好ましくない。

  それに、たとえば渡辺啓助集で、『偽眼のマドンナ』 を表題作に選んだとする。代表作のひとつだし、雰囲気もある好いタイトルだ。ただ、これは 「いれめのまどんな」 と読む。したがって、出版目録の索引などでは 「い」 の項に入る。もし誰かがこの本を探していて、「いれめ」 と読むことを知らずに 「ぎがん」 で探していたら、『偽眼のマドンナ』 にはたどりつくことができないかもしれない。できればそういう可能性は排除しておきたい。

 そうして考えていくと、たいていは自然に決まってくる。『瀬戸内海の惨劇』『奇蹟のボレロ』 『薫大将と匂の宮』のように、長篇が収録されているものは、もちろんそれで決まりだ。また、大坪砂男の『天狗』のように、作家の名前とつよく結びついた代表作がある場合も、迷わずこれを採った。『髯の美について』なんてのも、タイトルとしてはちょっと変わっていて面白いが、ことさらに奇をてらうことはない。(ちなみに、作品選択においても、あまり「珍しい」ということに、重きをおきすぎないようにしてる。現在、入手容易な本は当然チェックしなければならないが、過去に出ていた作品集との重複を気にしすぎると、落穂拾いのようなことになってくる。珍しいけど面白くない、では本末転倒だ)

 いくつか候補が残ったときは、あとはもう、自分の好みとか勘で決めていく。『聖悪魔』 か 『地獄横丁』 か、だったら、あまりどぎつくない 『聖悪魔』 で行こうとか、『地図にない島』 よりは 『火星の魔術師』 のほうが雰囲気があるかな、とか、『黒衣の聖母』 より 『虚像淫楽』 のほうがインパクトがある、といった調子だ。

 わりと迷ったのが甲賀三郎と三橋一夫。甲賀三郎集では、『誰が裁いたか』 『妖光殺人事件』 なども考えた。『羅馬の酒器』 にもちょっと惹かれるものがあったが、「羅馬 (ローマ)」 を 「ろば」 とか 「らば」 とか読んでしまう人がいそうだ。『誰が裁いたか』 でもよかったのだが、堅苦しい気がするし、印象も平凡だ。甲賀三郎は案外に 「軽い」 というのが、セレクトしているときの印象だったので、もうすこしモダン (?) なイメージのする 『緑色の犯罪』 にしてみたが、はたしてどうだったか。

 三橋一夫は 『勇士カリガッチ博士』 『招く不思議な木』 『ばおばぶの森の彼方』 の3つに絞り込んだ。三橋ファンタジーの独特な味を出したかったので、室町書房版の作品集で採用された 『腹話術師』 『鬼の末裔』 という路線ではなく行こうと思ったのだ。どれを採っても好いような気がした。こういうときは、人に聞いてみることにしている。候補のタイトルを紙に書いて、編集部や営業部の人間に聞いてまわる。作家についての先入観のないところで、どれが面白そうか、を選んでもらう。『勇士カリガッチ博士』 はそうして決めた。

 出たあとで、ちょっとした波紋 (というほどではないが) を呼んだのは、葛山二郎の 『股から覗く』 である。葛山二郎といえば 「赤いペンキを買った女」 だ。たぶん乱歩が激賞したからだろうが、これはもう昔から決まっていて、アンソロジーでもたいていこの作品が採られることになっていた。でも、これには少し不満があって、たしかに 「赤いペンキ」 は良く出来ているが、葛山二郎には他にももっと面白い作品がある。なにもこの作品ばかりを、判で押したように取り上げることはないんじゃないか、と前から思っていた (こういう思いが 〈探偵クラブ〉 という企画の出発点でもあるのだが)。

 で、そういう意味もこめて、表題作にはあえて 「赤いペンキ」 を避けて、「股から覗く」 を採ることにした。ちょっと風変わりで好いタイトルだと、自分では思っていた。ところが、本が出てから、あるとき営業部の女子社員からこう云われたのである。

「藤原さん、『股から覗く』 ってタイトル、変ですよ」

 未読の方のためにすこし説明しておくと、「股から覗く」 の主人公は、自分の股の間から景色を逆さに見ることに無上の悦びを感じる男で、このちょっと変わった癖のおかげで、殺人事件にまきこまれることになる。まあ、変態といえば変態だが、やってることは天橋立で有名な所謂 「股覗き」 というやつで、べつにたいした行為じゃない。ただ、何も知らずにこのタイトルだけを見ると、たしかに、「股」 から 「覗く」 か……なにやら怪しげな想像ができなくもない。それで、その営業の子が云うには、書店からの電話注文で、なんだか口ごもっている人がいた、というのだ。若い女性、アルバイトかなにかかもしれない、という。股から……か、口に出して云いにくいタイトルというのは、たしかにある (慣れてしまえば、なんてことはないのだが)。そんな、顔を赤らめるような内容の本じゃないのだけれど、注文したお客さんはいったいどう思われたのだろう*1

 でも、『股から覗く』 ぐらいで、うろたえてちゃいけない。前に担当した本で 『天使の恥部』 というのもあった。『蜘蛛女のキス』 のマヌエル・プイグの作品で、もちろんポルノなんかじゃなく (ちょっとエッチなところもないではないが)、まっとうな小説なのだが、考えてみると、「恥部」 は人前じゃ云いにくいよな。なんといっても 「恥ずかしい」 「部分」 だ、取り違えようがない。これもときどき電話の向こうで口ごもる人がいるらしい。でも、電話のこっち側は何も考えなくなってるから、全然平気だ。大きな声で、元気よく復唱する。「はい、『天使の恥部』、5冊ですね、番線をお願いします……」

*1 電車の中でこの本を読んでいて、前の座席のおばさんに 「すごくイヤな目」 で見られてしまった人もいるらしい。詳しくは喜国雅彦 『本棚探偵の回想』 (双葉社) 380-381頁を参照のこと。