戦後初の本格的怪奇小説叢書。フランス・ロシア・ドイツの3巻を除いて、平井呈一が実質的な編者といってもいい。翻訳者としても中心的役割を果たしている。5・9・10・11が
〈世界大ロマン全集〉の江戸川乱歩編 『怪奇小説傑作集T・U』 とあわせて、創元推理文庫版 『怪奇小説傑作集』全5巻に再編されたのをはじめ、多くのタイトルはのちに創元推理文庫に再録され、〈怪奇と冒険〉部門(帆船マーク)の中核となった。
1956年に〈世界大ロマン全集〉の1巻として出た、ブラム・ストーカー(平井呈一訳)『魔人ドラキュラ』(本書の初訳。抄訳版)が評判を呼び、翌年の『怪奇小説傑作集T・U』
も好評だったことから、出てきた企画ではないかと思われるが、営業的にはかなり苦戦したらしい。とくに後のほうの配本は部数が落ちこみ、のちに東京創元社の経営が悪化したこともあって、相当数がゾッキにも流れた、という証言も残っている。当時は、こうした正統派の欧米怪奇小説を受け入れる土壌は無きに等しく、「怪奇」や「恐怖」というだけで、いかがわしい目で見られるような時代であった。
1958年8月に刊行開始となったこの全集の読者に、その年、大学を出て就職したばかりの紀田順一郎と、当時まだ中学生の荒俣宏がいた。紀田は千葉に閑居していた平井呈一に会いに行き、のちに『怪獣図鑑』で有名になる大伴昌司、現在は脚本家(大林宣彦作品など)として知られる桂千穂とともに、同人誌《The Horror》を1964年に創刊している。やがて紀田は本格的アンソロジー 『怪奇幻想の文学』全4巻(新人物往来社、のち7巻に増補)を編集、さらに荒俣宏と共同編集で、わが国初の専門誌 《幻想と怪奇》を創刊、《世界幻想文学大系》《ドラキュラ叢書》(国書刊行会)を読書界に送り出す。荒俣は月刊ペン社ではファンタジー系の《妖精文庫》を編集する、という怪奇幻想文学出版の大きな流れが出来ていく。現在、怪奇幻想文学系の企画を手がけている編集者の多くは、彼らの企画した本や雑誌を読んで育ってきた世代である。そういう意味でこの全集は、戦後怪奇幻想文学出版史の原点といってもいい企画なのである。
なお、『幻想文学大事典』 (国書刊行会)には、巻末付録として、怪奇幻想文学アンソロジーと全集企画の収録作品リストを掲載している。年代順に配列され、怪奇幻想文学の翻訳史が一覧できる仕組みになっているので、ぜひこちらもご覧いただきたい。
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