天翔ける名探偵



 黄金時代のアメリカ・ミステリを読む楽しみのひとつに、事件の背景として描かれた大戦間アメリカの風俗や流行をみる興味がある。1926年、彗星のように現れたヴァン・ダインなども、現在では 「完全な時代の産物。今となっては、何故あんなに流行ったのかわからない」 といった手厳しい評価にさらされてはいるが、逆にいえば、それくらい当時の熱狂は凄かった、ということもできる。たとえてみれば、1997年の日本における京極夏彦と同じくらい、ヴァン・ダインは1920年代アメリカの流行 【トレンド】 だったのだ。  

 実際、ヴァン・ダイン作品には、当時未曾有の高度成長をとげ、大戦に疲弊したヨーロッパをしりめに世界一の繁栄に酔いしれていた 「バブル時代のアメリカ」 が色濃く反映されている。空前の投資ブーム (『ベンスン』 の被害者は株式仲買人)、ブロードウェイの名花 (『カナリヤ』)、アインシュタインを連想させる天才数学者 (『僧正』)、ツタンカーメン王墓発掘が巻き起したエジプト・ブーム (『カブト虫』) をはじめとして、百万長者の豪邸、映画スター、ギャングなど、最新の話題、時代の空気を巧みに取り込んだヴァン・ダイン作品は、そのいささか上滑りなセンセーショナリズムゆえに、同時代の読者の心を強烈につかんだのだろう。                   

 軽薄と酷評される探偵ヴァンスのいわゆる 「ペダントリー」 にしても、大戦間アメリカ知識階級のスノビズムの端的なあらわれとみれば納得がいく。外国語の乱用、なんにつけ蘊蓄を披露せずにはすまないところ、舶来品へのこだわりなど、つい先頃の本邦バブル時代を想起させて、おかしくもある。                   

 ヴァン・ダインの圧倒的な影響下に出発したエラリー・クイーンも、その初期作品ではブロードウェイの劇場、大百貨店、スタジアムなど、時代の風潮に棹さした舞台設定に腐心しているが、30年代アメリカ・パズラーの最前衛ともいうべきC・デイリー・キングのミステリもまた、毎回その舞台を華やかな最新流行の世界にとっている。 

 20世紀初頭は、さまざまな交通機関が飛躍的な発展をとげた時代でもあった。第1作 『海のオベリスト』 (32) で豪華客船、『鉄路のオベリスト』 (34) では、なんとプール車までついた大陸横断列車を殺人事件の背景に選んだキングは、第3作 『空のオベリスト』 (35) では、大陸横断旅客機をとりあげている。    

 毎回、各分野の学者が登場して議論を繰り広げるところも、「知」 がひとつのモードだった30年代らしい。本書で言及されるチャールズ・フォートは、人間の自然発火、念力移動といった、いわゆる超常現象の事例の収集と分類に生涯を捧げた怪人物。1931年には、その信奉者によってフォート学会まで結成されている。主著 『呪われたものの書』 は、かつての少年雑誌グラビア頁以来、連綿と続く超常現象物企画の永遠のネタ本。また、乗客の一人に激烈な説教で勢力をのばす、いかがわしい牧師が登場するが、これにはラジオを利用して多くの信者と巨額の資金を獲得、政界に進出したカフリン神父のような、同時代のモデルがいる。   

 それはさておき、話を飛行機に戻すと、アメリカでは1914年に飛行機による旅客輸送が始まっていたが、航空事業が本格化するのは、1926年の航空事業法により民間会社が次々に設立され、航空網が整備されるようになってから。当時の旅客機の定員は大型のものでも15人ほどだったようだ。ともあれ、飛行機による旅が一般化するにつれ、30年代には多くの航空ミステリが発表されることになる。                         

 有名な作品では、本書の前年にはクロフツ 『クロイドン発12時30分』、翌35年にクリスティー 『大空の死』 が、英仏海峡を渡る旅客機内の殺人を描き、クイーンも 『ハートの4』 (38)で、飛行機で新婚旅行に出発した映画俳優のカップルが殺害される事件を扱っている。                           

 未訳作品では、〈世界探偵小説全集〉 に 『おしゃべり雀の殺人』 が収録されているアメリカ作家ダーウィン・L・ティーレットが第1作 Murder in the Air (31) で、パリからロンドンへと向かう飛行機の中で、トイレに立った有名科学者がそのまま煙のように消失してしまう不可思議な事件を描いている。ティーレットは第2作 Death Fly High (31) でも、大西洋横断の飛行船内で起きた殺人を取り上げている。                   

 イギリスでは、20代で航空関係の雑誌を創刊、飛行機の設計にも手を染め、多方面の著作をものした早熟な天才クリストファー・セント・ジョン・スプリッグが、その専門知識をいかして、Death of an Airman (34) で航空機ミステリに取り組んでいる。飛行クラブのインストラクターがデモンストレーション飛行中にいきなりバランスを崩し、墜落死する。しかし、検死の結果、パイロットは墜落前に頭をピストルで撃ち抜かれていたことが判明する。墜落した小型機には同乗者はなく、飛行中に射殺することなど不可能なはずだった。            

 スプリッグは共産党に入党してマルクス主義に関する著述をしたりしながら、7冊の探偵小説を書き上げたが、1936年スペイン内乱が勃発すると、共和国側の義勇軍に参加、そのわずか3ヶ月後、戦闘中に命を落とした。享年30歳。あまりにも早すぎた死であった。

books】

  • S・S・ヴァン・ダイン 『ベンスン殺人事件』 『カナリヤ殺人事件』 『僧正殺人事件』 『カブト虫殺人事件』 (いずれも創元推理文庫)。ちなみに 「カブト虫」 の邦題は今時どうかと思う。原題はThe Scarab Murder Case。今なら 「スカラベ殺人事件」 で通用するはず。古代エジプトの聖なる虫 〈スカラベ〉 は、要するにフンコロガシのこと。カブトムシとは随分ちがう。
  • C・デイリー・キング 『鉄路のオベリスト』 (光文社 カッパノベルス、絶版)
  • 同 『空のオベリスト』 (国書刊行会 世界探偵小説全集21)
  • F・W・クロフツ 『クロイドン発12時30分』 (創元推理文庫)
  • アガサ・クリスティー 『大空の死』 (創元推理文庫)/『雲をつかむ死』 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
  • エラリー・クイーン 『ハートの4』 (創元推理文庫)
  • D・L・ティーレット 『おしゃべり雀の殺人』 (国書刊行会 世界探偵小説全集23)