あかね書房 〈少年少女世界推理文学全集〉

 1960〜70年代生まれのミステリ・ファンには、このシリーズが海外ミステリを読み始めるきっかけになった人が多いのではないだろうか。たいていの学校図書館に入っていたシリーズだし、作品選択もなかなかよく考えられていた。原則として1冊に長篇2作 (片方が短篇の場合もあるが) を収録しているので、相当大胆なアブリッジ (簡約化) を行なっている訳だが、アレンジの仕方が上手かったのか、ストーリーの面白さは失われていなかったように思う。

 もちろん、後に (大人向けの) 完訳本で読む前に、子供向けに書き直された不完全なテキストで真相を知ってしまうというマイナスの部分もあり、こうした児童書で海外の名作を読むことには功罪両面があるのだが、いまでも懐かしむ声が多数聞かれることからみても、ミステリ入門篇として優れたシリーズであったことは否定できないだろう。

 監修者には川端康成、中野好夫らの名前があるが、こうした企画のつねで、これはただ名前を貸しただけで (まだ 「探偵小説」 への偏見が残っていた時代、有名文学者の名前は親たちに安心感をあたえた)、実際の作品セレクト、訳者の手配などは、白木茂、福島正実、内田庶が中心になって進められた。

 収録作家は、ポオ、ドイル、ルブラン、スティーヴンスンの古典から、クイーン、カー、クリスティーなど本格派の名作、サスペンス物のアイリッシュ、ハードボイルド派のハメット、チャンドラー、冒険色の強いガードナーのレスター・リース物、チャータリスのセイント物まで、なかなかバランスの取れた構成になっている。アイリッシュがウールリッチ名義でも別にもう1巻を与えられ、重用されているのが目を引く。

 ビッグネームが並ぶ中で、 『のろわれた沼の秘密』 のフィリス・A・ホイットニーだけは、ご存じない方も多いだろう。本書は1961年度のエドガー賞最優秀ジュヴナイル賞を獲得した作品。全20巻の中で、この巻だけ当時の最新作、しかも、もともと児童向けに書かれた作品が収録されていたことになる。1940年代にデビューしたホイットニーは、60〜70年代にはアメリカで最も有名なロマンティック・サスペンス作家のひとりだった。児童物も30冊以上あり、1988年にはMWAのグランド・マスター賞 (功労賞) を受賞している。他の邦訳は、『失われた島』 (70) (角川文庫) と 『レインソング』 (84) (サンリオ・モダンロマンスリクエスト・シリーズ)。

 SF編が2冊入っているのは、今から見ると取ってつけたような感じがするが、これはSFの普及に全精力を傾けていた福島正実のアイディアだろう。このあと、あかね書房では、白木茂・福島正実の編集で 〈少年少女世界SF文学全集〉 全20巻を出し、多くの少年SFファンを育てることになる。

 翻訳者について少し触れておこう。ポオの久米元一は、戦前戦後を通じて活躍、児童向けのホームズやヴェルヌの翻訳、少年探偵物など多くの著作がある作家。ドイル、ホイットニーの白木茂は児童書の世界で多くの仕事を残した功労者、とくに60〜70年代には児童向け翻訳全集企画のほとんどにからんでいた。「シートン動物記」 (偕成社) などが印象深い。クイーン、ガードナー/ハメットの亀山竜樹はその弟子筋にあたる。しかし、彼らの行なったアブリッジ翻訳は、その後児童文学界を席巻した全訳主義によって排撃され、不遇な晩年を送ったという。 

 ミルン/ルルーの神宮輝夫はアーサー・ランサム全集で有名な児童文学者。ルブランの那須辰造は少年物の伝記やフランス物の翻訳で知られ、代表的な仕事に 〈ぞうさんババール〉 シリーズがある。チェスタートンの前川康男は童話作家。クリスティーの塩谷太郎は英独語をこなしたが、とくにドイツ物で有名で、『ハウフ童話全集』 などがある。スチーブンソンの飯島淳秀は 『チャタレイ夫人の恋人』 の訳もある英文学者だが、『アラビアン・ナイト』 など、児童書翻訳も手がけている。

 カー、クロフツ他を担当している内田庶(ちかし)は、早川書房の編集者から翻訳権業務へ転身、ユニ・エージェンシーを興した宮田昇のペン・ネーム。アイリッシュ、アシモフ/ベリヤーエフ他の福島正実は〈SFマガジン〉初代編集長として日本SF草創期に活躍、作家・翻訳者としても多くの仕事を残しているが、SFを日本に定着させるためにはまず年少の読者からと、児童物の企画にも力を入れていた。宮田昇(内田庶)は彼の友人であり、姻戚関係にもあった。高橋豊は奇人として知られた翻訳家、おそらくこれは福島か内田が紹介した仕事だろう。ミステリの翻訳には 『カックー線事件』 『喪服のランデヴー』 『暗い鏡の中に』 などがある。ながく大久保康雄の下訳者をつとめ、ナボコフ 『ロリータ』 は彼の仕事だといわれている。ウールリッチの常盤新平は後の直木賞作家、当時は早川書房の編集者で翻訳家としても活躍していた。

 ブックデザインも垢抜けていて、いま振り返ってみても優れたものであった。横尾忠則が装画を手がけた 『エジプト十字架の秘密』 のモダンなデザイン感覚、 『魔女のかくれ家』 の後藤一之の魔女の横顔が家の形になっている不気味な表紙絵はつよく印象に残っている。今回データを見て、和田誠原田維夫黒田征太郎も表紙や挿絵を描いていたことに、初めて気がついた。SF編では真鍋博が未来感覚あふれた装画を提供している。


  • 参考として完訳版のタイトルを青字で示した。
  • 翻訳者についての情報は、宮田昇 『戦後 「翻訳」 風雲録』 (本の雑誌社) を一部参考にした。『少年少女 昭和ミステリ美術館』 所収の内田庶エッセーには、本全集の編集サイドの苦心が綴られている。
  • 本シリーズはながく版を重ねたが、現在は絶版。あかね書房はいまも営業を続けているが、出版目録をみるかぎり、残念ながら、かつて何種類もの 〈少年少女〉 シリーズを出していた頃の勢いはないようだ。

少年少女 世界推理文学全集 あかね書房 1963〜1965
全20巻
監修=川端康成・中野好夫・阪本一郎 
ブックデザイン=沢田重隆・鈴木康行 
A5変型・函入

1 『モルグ街の怪事件』 ポオ 久米元一訳 後藤一之・林宏樹=絵 1963 
    こがね虫→「黄金虫」 (創元推理文庫 『ポオ小説全集4』 所収)
    モルグ街の怪事件→「モルグ街の殺人」 (『ポオ小説全集3』 所収)
    ぬすまれた手紙→「盗まれた手紙」 (『ポオ小説全集4』 所収)
    
黒ネコ→「黒猫」 (『ポオ小説全集4』 所収)
    
ちんばガエル→「跳び蛙」 (『ポオ小説全集4』 所収)
    
落し穴と振り子→「陥穽と振子」 (『ポオ小説全集3』 所収)
    
細長い箱の秘密→「長方形の箱」 (『ポオ小説全集4』 所収)

2 『シャーロック・ホームズの冒険』 ドイル 白木茂訳 横尾忠則=絵 1963
    バスカービルの魔の犬→『バスカヴィル家の犬』 ハヤカワ・ミステリ文庫/他
    
まだらのひも→「まだらの紐」 (『シャーロック・ホームズの冒険』 所収、ハヤカワ・ミステリ文庫/
     他)
    
赤毛クラブの秘密→「赤毛連盟」 (『冒険』 所収)

3 『赤い家の秘密/黄色いへやのなぞ』 ミルン/ルルー 神宮輝夫訳 三輪しげる=絵 1964
    赤い家の秘密 (ミルン)→『赤い館の秘密』 創元推理文庫
    
黄色いへやのなぞ (ルルー)→『黄色い部屋の謎』 創元推理文庫/集英社文庫/他

4 『アルセーヌ・ルパンの冒険』 ルブラン 那須辰造訳 和田誠=絵 1964
    奇岩城→『奇巌城』 創元推理文庫/他
    
水晶のせんの秘密→『水晶の栓』 創元推理文庫

5 『ふしぎな足音』 チェスタートン 前川康男訳 原田維夫=絵 1964
    青い十字架→「青い十字架」 (創元推理文庫 『ブラウン神父の童心』 所収)
    
ふしぎな足音→「奇妙な足音」 (『ブラウン神父の童心』 所収)
    
飛ぶ星→「飛ぶ星」 (『ブラウン神父の童心』 所収)
    
スマートさんの金魚→「飛び魚の歌」 (創元推理文庫 『ブラウン神父の秘密』 所収)
    
霧のなかに消えたグラス氏→「グラス氏の失踪」(創元推理文庫 『ブラウン神父の知恵』 所収)
    
古城のなぞ→「マーン城の喪主」 (『ブラウン神父の秘密』 所収)

6 『魔女のかくれ家/二つの腕輪』 カー 内田庶訳 後藤一之=絵 1964
    魔女のかくれ家→『魔女の隠れ家』 創元推理文庫
   
 二つの腕輪→『死者はよみがえる』 創元推理文庫

7 『ABC怪事件/恐怖の旅客機』 クリスティー 塩谷太郎訳 駒崎晶子=絵 1963
    ABC怪事件→『ABC殺人事件』 創元推理文庫/ハヤカワ・ミステリ文庫
    
恐怖の旅客機→『大空の死』 創元推理文庫/『雲をつかむ死』 ハヤカワ・ミステリ文庫

8 『エジプト十字架の秘密/十四のピストルのなぞ』 クイーン 亀山竜樹=訳 横尾忠則=絵 
  1964
    エジプト十字架の秘密→『エジプト十字架の謎』 創元推理文庫/ハヤカワ・ミステリ文庫
    
十四のピストルのなぞ→『靴に棲む老婆』 創元推理文庫/ハヤカワ・ミステリ文庫

9 『恐怖の黒いカーテン/アリスが消えた』 アイリッシュ 福島正実訳 原田維夫=絵 1963
    恐怖の黒いカーテン→『黒いカーテン』 創元推理文庫
    
アリスが消えた→「消えた花嫁」 (創元推理文庫 『死の第三ラウンド』 所収)

10 『学園の名探偵/スパイの秘密』 ヒルトン/モーム  高橋豊訳 駒崎晶子=絵 1964
    学園の名探偵 (ヒルトン)→『学校の殺人』 創元推理文庫
    
スパイの秘密 (モーム)→『アシェンデン』 ちくま文庫/『秘密諜報部員』 創元推理文庫

11 『のろわれた沼の秘密』 ホイットニー 白木茂訳 三輪しげる=絵  1964
    原題 Mystery of the Haunted Pool (1960)

12 『マギル卿さいごの旅/チェーン・ミステリー』 クロフツ 内田庶訳 沢田重隆=絵 1965
    マギル卿さいごの旅→『マギル卿最後の旅』 創元推理文庫
    
チェーン・ミステリー→『フレンチ警部とチェインの謎』 創元推理文庫

13 『エジプト王ののろい/スコッチ・テリアのなぞ』 バンダイン 伊藤富造訳 黒田征太郎=絵
   1964
    エジプト王ののろい→『カブト虫殺人事件』 創元推理文庫
    
スコッチ・テリアのなぞ→『ケンネル殺人事件』 創元推理文庫

14 『あかつきの怪人/暗黒街捜査官』 チャータリス/チャンドラー 福島正実訳 灘本唯人=絵
   1964
    あかつきの怪人 (チャータリス)→『聖者対警視庁』 日本出版協同・絶版
    
暗黒街捜査官 (チャンドラー)→「ヌーン街で拾ったもの」 (創元推理文庫 『雨の殺人者』 所収)

15 『X線カメラのなぞ/マルタの鷹』 ガードナー/ハメット 亀山竜樹訳 山下勇三=絵 1965
    X線カメラのなぞ (ガードナー)→「レスター・リースのX線カメラ」 (《別冊宝石》 113号所載・
     絶版)
    
マルタの鷹 (ハメット)→『マルタの鷹』 創元推理文庫/ハヤカワ・ミステリ文庫

16 『非常階段/シンデレラとギャング』 ウールリッチ 常盤新平訳 木村輝年=絵 1965
    非常階段→「非常階段」 (ハヤカワ・ミステリ 『私が死んだ夜』所収)
    シンデレラとギャング→「シンデレラとギャング」 (集英社文庫 『ホテル探偵ストライカー』 所収)

17 『名探偵シャーロック・ホームズ』 ドイル 白木茂訳 つだこう=絵 1965
    青いルビー →「青いガーネット」 (『シャーロック・ホームズの冒険』 所収、ハヤカワ・ミステリ文
     庫/他)
    
口のまがった男→「唇のねじれた男」 (『冒険』 所収)
    
恐怖のオレンジの種→「五つのオレンジの種」 (『冒険』 所収)
    
消えた名馬 「しろがね号」→「シルヴァー・ブレイズ号事件」 (『回想のシャーロック・ホームズ』
      所収)
    
秘密書類事件→「海軍条約文書」 (『回想』 所収)
    
六つのナポレオン像→「六つのナポレオンの胸像」 (『シャーロック・ホームズの復活』 所収)

18 『ジキル博士とハイド氏/自殺クラブ』 スチーブンソン 飯島淳秀訳 伊坂芳太良=絵 1965
    ジキル博士とハイド氏→『ジーキル博士とハイド氏』 岩波文庫/他
    自殺クラブ→『自殺クラブ』 福武文庫/他

19 『人工頭脳の怪/ノバ爆発の恐怖』〈SF編〉 シオドマク/ハインライン 内田庶訳 松下勲=
   絵 1965
    人工頭脳の怪 (シオドマク)→『ドノヴァンの脳髄』 ハヤカワSFシリーズ・絶版
    ノバ爆発の恐怖 (ハインライン) →「深淵」 (ハヤカワ文庫SF 『ハインライン傑作集1/失われた
      遺産』 所収)

20 『暗黒星雲/生きている首』〈SF編〉 アシモフ/ベリヤーエフ 福島正実訳 真鍋博=絵
   1965
    暗黒星雲 (アシモフ) →『暗黒星雲のかなたに』 創元推理文庫
    
生きている首 (ベリヤーエフ) →『ドウエル教授の首』 創元推理文庫