探偵クラブ




 この企画を思いつくもとになったものがいくつかある。本でいえば、まずは鮎川哲也氏が戦前のマイナー作家やその遺族を訪ねて行なったインタビューをまとめた探訪記 『幻の探偵作家を求めて』 と、そこで取り上げられた作家の実作を集めたアンソロジー 『あやつり裁判』 (いずれも晶文社)、権田萬治氏の 『日本探偵作家論』 (講談社文庫/現在は双葉文庫)、そして創元推理文庫 〈日本探偵小説全集〉 の、とりわけ 『名作集2』 である。

 戦前の探偵作家については、以前から 「新青年傑作選」 のような企画がいくつも出版されていて、重要な作家・作品はそれなりに読めるようになっていたし、乱歩をはじめ、小栗虫太郎、夢野久作のようなビッグ・ネームは、全集や選集が刊行されてその全貌がすでに明らかになっていた。

 しかし、アンソロジーで読めるのは、ごく一部の作品である。一作を読んでこの作家のものをもっと読みたいと思ったときには、古書店で高価な戦前の雑誌や書籍をあさるか、近代文学館のような専門図書館へ通うしかない。また、この種のアンソロジーは編者が限られていたこともあって、ある特定の作品が何度も繰り返し採られる傾向があった。たとえば葛山二郎なら 「赤いペンキを買った女」、大阪圭吉なら 「三狂人」 か 「とむらい機関車」 といった具合である。面白いのはそれ一作で、他は顧みるに値しない、というのなら仕方がない。しかし、どうもそうではないような気がする。それに、短篇をひとつ読んだだけでは、その作家の妙味が十分に理解されない場合も多い。ある程度、まとめて読むことで、新しい評価も出てくるのではないか。とそんなことを思っていたところに、アンソロジストとして 「定番の名作」 以外の埋もれた作品を数多く発掘してきた鮎川氏の 『幻の探偵作家を求めて』 が出て、やがて 『あやつり裁判』 が出た。このアンソロジーでは、大阪圭吉は 「あやつり裁判」、葛山二郎は 「霧の夜道」 が採られていて、どちらも新鮮な驚きと可能性を感じさせてくれた。また、創元推理文庫の 『名作集2』 は、従来のアンソロジーとは違って、1作家1作品にこだわらず、大阪圭吉の 「とむらい機関車」 「三狂人」 「寒の夜晴れ」 「三の字旅行会」 の4篇を一挙収録していた。どれも素晴らしい作品だが、続けて読むことで、いっそうこの作家の個性や面白さが際立っていた。

 権田氏の 『日本探偵作家論』 を本棚から引っ張り出してくる。これはずいぶん前に出た本だが、この本のすごいところは、乱歩や正史といったメジャー作家から、甲賀三郎、大下宇陀児のように戦前の人気作家で現在はほとんど読まれていない作家、大阪圭吉、葛山二郎、山本禾太郎など文字通りのマイナー作家まで、実際にその作品を丹念に通読して作家論を構築していることだ。何を当たり前のことを、と云われそうだが (実際、当たり前のことなのだが)、戦前のマイナー作家の作品の多くは雑誌に埋もれたままになっている。それを1篇ずつ拾い出して読んでいくのは、それだけで大変な作業なのだ (もちろん、その背後には推理小説専門誌 〈幻影城〉 を編集・発行していた島崎博氏の伝説的なコレクションの存在があったわけだが)。

それにある程度、戦前作家、とくにマイナー作家について書かれたもの (アンソロジーの解説など) を読んでいくと、江戸川乱歩の絶大な影響力というものを感じずにはいられなかった。乱歩は戦前から同時代の作家について様々な評を残していて、乱歩ならではの卓見も多いのだが、そこには彼自身の特異な好みや、当時の探偵文壇の状況と彼の置かれた立場も当然少なからず反映されている。それをそっくり鵜呑みにするのは、どだい無理がある。それなのに戦前の作家を語り、あるいは作品を選ぶとき、自分の目で見ようとせず、無批判に乱歩の評価軸にのっかっているものが、(乱歩への盲目的な追従か、それとも単なる手抜きなのか、はわからないが) きわめて多いように思ったのだ。

 その点で権田氏の論考は画期的なものであったし、鮎川氏のセレクションは新鮮だった。大事なのは自分で読んで、確かめることだ。『日本探偵作家論』 『幻の探偵作家を求めて』 で紹介された作品リストや、〈新青年〉 総目次などを手掛かりに、これはと思う作家の作品リストをつくり、駒場にある日本近代文学館や横浜の神奈川近代文学館に通い始めた。〈新青年〉 〈ぷろふいる〉 〈シュピオ〉 〈改造〉 といった戦前の雑誌を、人気のない閲覧室でめくりながら、一篇ずつ順番に読んでいく。必要なものはコピーをとる。まずは 『名作集2』 でその意外な 「新しさ」 に感動さえおぼえた大阪圭吉の作品を集中的に。

すると、昭和7年から12年頃までの短い期間に発表された20篇ほどの本格短篇は、どれも非常に高いレベルの作品であることがわかってくる。とくに昭和11年の 〈新青年〉 連続短篇 (「三狂人」 「白妖」 「あやつり裁判」 「銀座幽霊」 「動かぬ鯨群」 「寒の夜晴れ」 ――これだけの作を毎月書いていたのだ) は、初期作品集 『死の快走船』 (S11) の序で、乱歩が述べた 「怪奇・論理・意外の三要素のうち、論理のみに力点が置かれ、他の二つがなおざりにされている」 という不満に、見事に応えたものとなっている。(「起伏の少ない論理小説」 という評が、どれほど安直に繰り返されてきたことか!)

 昭和12年の 「坑鬼」 などは、堂々たる本格中篇でありながら、その特異な動機は、後の 〈社会派〉 を先取りするような先見性さえ有している。また、一作一作が炭坑、造船所、燈台、デパート、鉄道、裁判所、雪国、港町、避暑地など、それぞれ違った背景を選んでいて、しかもそれがしっかりと書きこまれていることにも驚いた。初期作の青山喬介はホームズ型の名探偵だが、やがて作を重ねるに従って、探偵役も現場に居合わせた鉄道技師や炭坑技師、水産試験所所長、学校教師、警察医など、より自然な設定がなされるようになる。事件が起きるまでの導入部にも、さまざまな工夫が凝らされている。現代のミステリ作家で、これだけの用意をして短篇に取り組んでいる者が、はたしてどれだけいるだろうか。そして何よりこんなに面白い、質の高い作品がなぜいままで埋もれてきたのだろう、という素朴な疑問を感じずにはいられなかった。

 たちまち目次案が出来上がった。葛山二郎――これも面白い。法廷記録形式で書かれた 「赤いペンキを買った女」 の印象が強かったが、独特の粘り気のあるリズムをもった文体は、読む始めると癖になった。〈変格〉 風の 「股から覗く」、SFミステリの 「影を聴く瞳」、ユーモラスな花堂弁護士物……アマチュア作家のため作品数は少ないが、十分に一冊になる。グロテスクな犯罪を好んで描いた渡辺啓助の、意外や瑞々しいロマンティシズムに胸を打たれたり、『船富家の惨劇』 の蒼井雄のもう1つの長篇 『瀬戸内海の惨劇』 の畳み掛けるような導入部のスリルを堪能したり、新しい発見がいくつもあった。

 プランが固まってきたところで企画書にまとめて提出する。とりあえず5冊。いま、手元の資料をみると、このときのラインナップは、大阪圭吉 「とむらい機関車」/葛山二郎 「股から覗く」/渡辺啓助 「聖悪魔」/水谷準 「空で唄う男」/蒼井雄 「瀬戸内海の惨劇」 となっている。このうち水谷準集は、企画書が通ったあとで三橋一夫集に差し替えた。ひとつは所謂 「探偵小説」 でないものも入れようと考えたのである。〈まぼろし部落〉 シリーズなどのユーモア・ファンタジー作家、三橋一夫氏の作品は、かつて春陽文庫 『ふしぎなふしぎな物語』 4巻にまとめられていたが、既に古書店でも見かけないくらいの入手難になっていた。水谷準集については、第2期であらためて実現しようとしたのだが、氏の了承を得られなかったことは既に別の場所で書いた。企画が通ったのは1991年4月。その前に 〈クライム・ブックス〉 のシリーズがあり、その流れで続けて出していく、ということだったように思う。92年5月に刊行を開始しているから、準備に1年かかったことになる。

 企画が正式に通ったところで、初めて著者あるいは著作権者との交渉に入る。著作権台帳という分厚い名簿が刊行されていて、戦前から現在に至る著作家、故人の場合はその著作権継承者の連絡先がわかるようになっているのだが、もちろん、そこに掲載されていない作家も多い。掲載されていても古い情報で、現在では役に立たないこともしばしばである。とくに今回のようにマイナー作家中心の場合には、載っていないほうが多いと見て間違いない。戦後も活躍を続けた渡辺啓助氏と、戦後作家で昭和30年代に人気作家だった三橋一夫氏の連絡先はすぐにわかった。大阪圭吉、葛山二郎、蒼井雄の著作権者については、『幻の探偵作家』 で遺族にインタビューを行なった鮎川哲也氏に手紙を書き、企画の趣旨を説明して教えていただくことにした。すると早速鮎川氏から電話があり、快く連絡先を教えていただいただけでなく、一度鎌倉に話をしにきませんか、というお誘いまで受けてしまった。日取りを決めて鎌倉駅前の喫茶店でお目にかかって、シリーズの内容見本に載せる文章と、大阪圭吉集の解説をお願いした。戦前の探偵作家のこと、海外クラシックの話など、楽しい数時間があっという間にすぎた。〈探偵クラブ〉 はいってみれば鮎川氏が続けてきた戦前作家発掘から生まれた企画である。その鮎川氏に喜んでいただけたのは、素直に嬉しかった。〈世界探偵小説全集〉 の企画を真剣に考え始めたのも、このときの話がたぶん出発点になっている。