本格ミステリの現在

日本推理作家協会賞受賞に寄せて

                                     

 最初に山口雅也さんからお電話をいただいたのは、たしか96年の夏の終りのことでした。角川書店の 『野性時代』 休刊によって中絶した現代ミステリ作家論のシリーズを本にまとめる計画がある、興味があるなら国書刊行会でやらないか、というお話です。

 早速、社内で話をとりまとめた上で、編者の笠井潔さんに紹介されたのが、9月に開かれた鮎川哲也賞授与式のときのこと。すでに 『野性時代』 に掲載済みのエッセイが数本あり、実現はしませんでしたが、後半についても大まかなプランができていましたから、それをもとに全体の構成、執筆者等、おおよそのところがその場で決まりました。というようなわけで、本書に関しては編集担当者というより、未完に終った 『野性時代』 の企画を引き継いだもの、といったほうが適切だと思っています。そこで、ここでは本書の編集中に自分なりに感じたことを少しだけ述べておきます。

 正直に白状しますと、ぼく自身は必ずしも現代日本ミステリのけっして熱心な読者ではありません。好きな作家、関心のある作家はもちろんいるにしろ、次々現れる 「今年のベストはこれで決まり」 や 「諸氏絶賛の大型新人」 を追いかけるほどの熱意は持っていませんでした。一読者としてはともかく、仕事の面では、自分のフィールドはあくまで海外ミステリにあると考えていたわけです。

 にもかかわらず、今回の企画に関わらせてもらったのは、この10年ほど、日本の本格ミステリはひじょうに興味深い状況にある、という思いが、一方ではあったからです。戦後の欧米ミステリ・シーンを見渡してみても、これほど多様な、先鋭的な本格ミステリが集中的に出現した時期は他にありません。本書の帯に 「本格ルネッサンス」 と謳ったのも、そう誇張ではないと思っています。

 10年前、いわゆる 〈新本格〉 が登場したとき、一部の評者からは、なぜ今さら古めかしい 「探偵小説」 の枠組みをひっぱり出してこなくてはならないのか、という批判の声があがりました。ゲームとしてのミステリが、社会派によっていったん否定され (たかに見え)、また本格の側でも、「黄色い部屋」 を改装しようと様々な試みがなされてきたあとで、ことさらにまがいもののゴシック建築を再建しようとする、度しがたい時代錯誤 【アナクロニズム】 のように、彼らの目には映ったのでしょう。

 でも、違ったのですね。80年代末から始まった本格ムーヴメントの中心となった作家たちは、ミステリというジャンル自体にきわめて意識的な、謎を解くとは、物語を語るとはどういうことかを、あくまで 「本格」 の枠組みの中で考えていこうとする書き手でした。必然的に彼らの作品は 「ミステリについてのミステリ」、あるいは 「脱ミステリ」 「反ミステリ」 的色彩を濃くしていきます。その点では彼らはまさに、本格ミステリの完成と解体を自ら演じてみせた 「エラリー・クイーンの子供たち」 といっていいと思います。

 そしてこれは誤解されがちなことですが、社会的事件や風俗を描いたものだけが、時代を映し出しているわけではありません。セイヤーズのミステリが、大戦間英国のある種の空白感を色濃く反映していたように、一見浮世離れした孤島や館を舞台にした彼らのミステリにも、現代という時代の刻印がはっきりと銘打たれています。というよりも、今となっては、90年前後のあの時代が 「本格」 というかたちを選んだ、としか思えないような気さえしています。

 この10年の本格ミステリは、読者にミステリについて考えることを、(すくなくともぼくにとっては) 強烈に要請するものでした。批評の側からも、それに呼応するように、新しい書き手が登場しはじめたのは、ごく自然な現象といえるでしょう。この本では、その新しい書き手たちが、それぞれの視点から、それぞれの方法で、現代日本ミステリについて論じています。ぼく自身、次々に入稿する論考に 「最初の読者」 として目を通しながら、様々な発見があり、新たな問題点をみいだすことができました。

 ミステリをめぐる議論は、今後ますます盛んになっていくでしょう。ミステリについては、まだまだ語られるべき、論じられるべき問題がたくさん残っています。この本はひとつの出発点です。今回の受賞には、その象徴的な意味がこめられているものと受け止めています。どのような成果がそこから生まれるか、読者とともに (機会があれば本を作る側から) 楽しみに見守っていきたいと思っています。

(1998.10)

【note】

『創元推理18』 に、「ミステリ批評の新冒険」 として掲載されたものを改稿。同号は 『本格ミステリの現在』 の日本推理作家協会賞 (評論その他の部門) 受賞に際しての小特集で、編者の笠井潔氏、当時 『野性時代』 (角川書店) の編集者で、この企画の本来の担当者である池谷真吾氏の文章も収められています。本書の執筆陣の中心になったのは、創元推理評論賞受賞者を母体とした〈探偵小説研究会〉の人たちでした。その後の皆さんの活躍はご存知の通りです。