ドイル傑作選

北原尚彦・西崎憲編 翔泳社

                                  

 ドイルの傑作集を作ろうという話を、西崎憲さんと最初にしたのは、だいぶ以前のことだ。ホームズ物については、何度も繰り返し新訳が行なわれていたし、周辺書の類も際限なく出ているのに、それ以外の作品は意外に読まれていないのではないか、というのが発端だったように思う。それは確かにホームズ探偵譚は素晴らしいけれど、19世紀末から今世紀初頭にかけて、雑誌読物界のスーパースターであったドイルには、怪奇物・心霊物・東洋奇譚・歴史物・冒険小説・医学奇譚・ユーモア小説・発明譚・海賊物、忘れちゃいけないボクシング物と、実に様々なジャンルにまたがる面白い短篇が、まだまだ残されている。それがほとんど顧みられていないのは勿体ないじゃないか。

 ドイルのことなら北原尚彦さんだ、ということで、とりあえず三人で集まって、まずはジャンルにとらわれず、いま読んでも面白い、紹介するに足る作品をピックアップしてみよう、というところから始まったのが、途中、自分が勤めていた社を辞めてフリーランスになったこともあって、企画をまとめるのに思いの外、時間がかかってしまった。結局、翔泳社で出版が決まり、当初全3巻の構想を2巻本にまとめなおして、具体的な収録作品の選定に移った。

 ホームズ以外とはいっても、やはり営業的なことも考慮して、第1巻には、なぜかいままで未紹介のままだったドイル自身による 「まだらの紐」 戯曲版 (他の短篇の登場人物を取り込んだりして、オリジナルな面白さがある) を中心に、ホームズ外伝ともいうべきミステリー作品を中心に据え、グラン・ギニョール風の残酷譚やサイコ物の走りともいうべき作品、それに痛快無比なボクシング小説を収録。第2巻には、怪奇と恐怖を主題にした物語、チャレンジャー物2篇をふくむSF、心霊主義や神秘思想への関心をうかがわせる作品をおさめることになった。

 一部、新潮文庫や創元推理文庫でも読める作品もあえて収録したのは、ひとつには未収録作品にこだわるあまり、落穂拾い的セレクションにはしたくない、ドイル短篇のエッセンスをこの機会に集めておきたかったこと、もうひとつは、たとえば延原謙の訳は悪くはないけれど、なんといっても40年も前の日本語であり、新訳を出す意味は十分にあると判断したことがある。

カバーの装画は、以前 〈探偵クラブ〉 で素晴らしい絵を毎回提供してもらった山田章博さん (『人魚變生』 以来のファンなのだ) に依頼。本文中には、北原さんのコレクションから、「ストランド」 などの初出誌の雰囲気あふれる挿絵を採録することができた。とくに 「大空の恐怖」 の見開きに描かれた、飛行機を襲う不定形の怪物は圧巻である。

 ここに収められた作品はジャンルこそ様々だが、次に何が起こるのか、という興味で読者をぐいぐい引っぱっていくストーリーテリングの冴えは一貫している。それに電気椅子、潜水艦の脅威、超高空飛行、降霊会、エジプト学、植民地や極地の怪異と、新奇な話題を次々に物語に取り込んでいく旺盛な好奇心は、その時代のトピックの見本市を見るかのようだ。関心を持った物を片っ端からたいらげ、消化していく、物語作家としての健啖家ぶりは、やはりただものではない。

  個々の作品については、是非実際にお読みいただきたいが、個人的にとりわけ印象に残った作品をあげておくと、古典的な 〈死のお告げ〉 譚に一応合理的 (?) な説明をつけながら、それによって一層不気味な暗合が浮かび上がる 「深き淵より 【デ・プロフンディス】」、ローマ時代の遺跡を訪れた若夫婦がその夜不思議な夢をみる──古代と現在が一瞬のうちに交錯する 「ヴェールの向こう」、男たちを不可解な破滅へ追いやる魔性の女をえがいて、マッケン 「パンの大神」 を思わせる 「ジョン・バリントン・カウルズ」 といったところか。いずれもドイルの巧みな語り口が堪能できるだけでなく、どこか、おそろしくモダンなところがある。

 それから鉱山町の懸賞ボクシング試合をえがいて、シンプルな話ながらめっぽう面白い 「クロックスリーの王者」。地球を一個のウニに見立てて、その内臓を突ついてやろうというチャレンジャー物 「地球の悲鳴」 はバカSFの極致。よくこんな莫迦莫迦しいことを考えついたものだ。電気椅子処刑をとりあげた 「ロス・アミゴスの大失策」 などにも垣間見える、豪快なほら話的ユーモアのセンスは、ドイルを語るときに忘れてはならないと思う。

 総じてこれらの作品の方が、探偵小説という枠組みと、ホームズというキャラクターに物語を規定された感のあるホームズ譚よりも、自在なストーリー展開と豊富なアイディアが、はっきりと見てとれるのではないか。ドイル短篇の多彩な魅力を味わっていただければと思う。

 当初の計画では、怪奇ミステリ長篇 『クルンバーの謎』、海賊シャーキーや勇将ジェラールの冒険譚も候補にあがっていた。歴史物・ユーモア物にもまだ面白い作品が残っている。紙幅の事情もあって最終的に割愛せざるを得なかったが、またの機会があれば 『ラッフルズ・ホー行状記』 など、戦前の改造社 〈ドイル全集〉 以後、翻訳の機会がない作品もあわせて、続篇を考えてみたいと思っている。

books】

ドイル傑作選』 全2巻 北原尚彦・西崎憲編 翔泳社 


note】

古典SF研究会の会誌 《未来趣味》 に寄稿したものを改稿。