カール・フリードリヒ・アウグスト・グローセ
『守護精霊―C* フォン G** 侯爵の手記より』 梗概 (1)

Carl Friedrich August Grosse, Der Genius. Aus den Papieren des Marquis C* von G**  

 亀井伸治


 カール・フリードリヒ・アウグスト・グローセは1768年マクデブルクで生まれ、1847年にコペンハーゲンに没した。ヴァルガス伯爵 Graf von Vargas など、幾つかの貴族の称号を僭称し、謎と変転の多い生涯を送った。フリードリヒ・シラーの 『見霊者、O**伯爵の回想録より』 Der Geisterseher. Aus den Memoires des Grafen von O**  (雑誌 「タリーア」 での連載1787-89. 出版 Leipzig, 1789) 以後、1790年代のドイツでは秘密結社を題材とする同種の小説が多数出版されたが、グローセの代表作 『守護精霊』 (Halle, 1791-95) は、それらの中では最良のもののひとつとされており、当時最も人気のあった作品でもある。また、ドイツ・ロマン主義の作家、特にルートヴィヒ・ティークとE・T・A・ホフマンに影響を与えたことが知られている。

 さらに、同時代の英国でも、すぐに二種類の翻訳が出てベストセラーとなった。すなわち、ジョウゼフ・トラップ訳の『守護精霊、あるいはドン・カルロス・デ・グランデスの謎めいた冒険』 The Genius, or the Mysterious Adventures of Don Carlos de Grandez (London, 1796) と、ピーター・ウィル訳の 『恐ろしい秘密、物語、四巻、グローセ侯爵のドイツ語作品から』 Horrid mysteries : a story ; in 4 vol. / from the german of the Marquis of Grosse (London, 1796) であるが、後者の方が広く読まれた。『恐ろしい秘密』 の人気は、ジェイン・オースティンの 『ノーサンガー僧院』 Northanger Abbey (執筆1798. 出版London, 1818) と、トマス・ラヴ・ピーコック の 『悪夢の僧院』 Nightmare Abbey (London, 1818) という二つの有名なゴシック・パロディで言及されていることからも窺える。

 なお、シラーの Der Geisterseher には、以下の二つの邦訳がある。『見靈者 フォン・O××伯爵の手記より』 (櫻井和市訳: 新關良三編 『シラー選集1 詩・小説』 冨山房, 1931, pp.333-486)、及び、フリードリヒ・シラー 『招霊妖術師 フォン・O**伯爵の手記より』 (石川 實訳, 世界幻想文学大系第17巻. 国書刊行会, 1980) である。

 この梗概は、ギュンター・ハルトマンが 『守護精霊』 に関する論文に付した作品要約 (1) を基に、オラフ・ラインケ、並びに、英訳 『恐ろしい秘密』 からのアン・ブレイスデル・トレイシーによるそれぞれの要約 (2) (3) を加え、テクスト(*)と照らし合わせながら作成された。

(1) Günter Hartmann, Karl Grosses ≫Genius≪. Eine Studie zum Menschenbild im Bundesroman des ausgehenden 18.Jahrhunderts. Köln, Moers, 1957, pp.175-191.
(2) O Lust, allen alles zu sein. Deutsche Modelektüre um 1800. Herausgegeben, mit Nachwort und Anmerkungen von Olaf Reincke. Leipzig, Philipp Reclam jun., 1978, pp.279-283.
(3) Ann Blaisdell Tracy, The Gothic Novel 1790-1830. Plot Summaries and Index to Motifs. Lexington, Kentucky, The University Press of Kentucky, 1981, pp.65-66.
(*) 『守護精霊』 のテクストは以下の校訂版を用いた。
Grosse, Carl, Der Genius. Aus den Papieren des Marquis C* von G**, mit einem Nachwort von Günter Dammann, Textredaktion von Hanne Witte, 1.Auflage. Frankfurt am Main, Zweitausendeins, 1982.



【第一巻】 (1791年)

 冒頭でまず、作品の全体的主題が示される。すなわちそれは、若きカルロス・フォン・G侯爵の運命と 「人に見られることなく人類の大半を監視している、ある知られざる者たち」 との関係である。

 物語はカルロスが友人のS伯爵の所領に滞在しているところに始る。伯爵は、フランス軍に志願してジブラルタル包囲戦に参加した後、陸路でドイツに帰って来たばかりである。「親和的な魂」 を持った者同士としての二人の交際はしかし、伯爵の謎めいた態度によって掻き乱される。伯爵がカルロスに隠している秘密が彼を不快にさせるのだ。これに対する釈明として伯爵は、リスボンからマドリッドへの途上で遭遇した、秘密結社との接触に関わる 「恐るべき」 出来事を語る。――森を馬で抜けていた伯爵は、とある四阿に行き当たるが、そこには若い女性がおり、暗闇のせいで彼女が待っていた恋人と取り違えられる。伯爵が誤解を解こうとしている内に、仮面を付けた男たちによって二人は洞窟の隠れ家へと拉致される。そこで開かれた集会で、伯爵とフランツィスカという名のその女性は、秘密の規約を破った科で問責される。伯爵は自身の無罪を証明でき、沈黙の誓いを立てさせられて解放されるが、女性は彼の目の前で深い窖に突き落とされる――。フランツィスカという名を耳にしたカルロスは、ある辛い記憶を呼び覚まされる。翌朝疲れ切って目覚めた彼は、超感覚的な外観をした 「守護精霊」 アマーヌエルと出会う。アマーヌエルは結社の使者であり、カルロスはこの二年来その姿を目にしていなかったのだが、アマーヌエルによればいつも傍らにいたのだという。彼はカルロスに警告し、つねに結社が近くにあることを思い出させる。カルロスもまた何か恐ろしい体験に苦しめられているらしい。しかしそれがどの様なものなのかはまだ解らない。謎と恐怖は伯爵のその後の行動によって一層増大する。伯爵はカルロスを殺害するよう結社に強要され、まる二ヶ月の間姿を消すのだが、再び現れると、まるで何事もなかったかのように交友を続けるのだ。このように、主人公たちについての詳細を知る前に、読者は凝集された不安の世界へとその眼差しを向けさせられる。中心プロットは数十頁を過ぎ、伯爵が友に自身についてのことを 「一度すっかり」 物語って欲しいと頼むところからようやく開始される。

 カルロスはまず自身の高貴な出自について述べる。彼はスペインで最も古く富裕な貴族の家柄のひとつの出である。次いで彼は手短に幼年期と思春期について語る。彼がその頃の孤独感を 「夢想の場」 としてとりわけ記憶し、そこに後の自身の苦悩の下地を見ていることが強調される。最初の重要な体験としてはS…伯爵令嬢エルミーレとの恋愛がある。初め二人の関係は単なる感情の隠れんぼ以上のものではなく、なかなか実を結ばない。やがてカルロスは、ある修道院で彼を待つという知らせをエルミーレから受け取る。だが、忠実な従僕のアルフォンゾと馬でそこへ向かっていて夜の森で迷い、独りはぐれたカルロスは、一組の夫婦がその子供たちと幸せに暮らしている小屋へと辿り着く。その家族の父親であるヤーコプからカルロスは奇妙な話を聞く。――ヤーコプはある貴族の末子だった。父の死後、相続分を使い果たすと、彼はスペインの海外植民地の兵士になろうとした。旅立つ直前ヤーコプは一人の外国人と知り合い、秘密を打ち明けられる。その外国人はある発見された文書から、とある教会の墓碑銘を秘密結社の集会についての指示を含んだ知らせとして解読したと言い、更なる発見があればヤーコプに知らせると約束する――。 主人公たちと読者にはすでに結社との無気味な体験がある。ところがヤーコプは、いまは自分と密接な関係にあるという結社を否定的なものとは感じていないようだ。そしてカルロスもまたこの夜、ヤーコプの話の核である件の人物と知り合う。ヤーコプが語り終える前にひとりの大柄な老人が入ってきて自分がその外国人だと告げるのである。外国人は結社について話す代わりに、直ちにエルミーレの許へと向かうようにと緊急の忠告を与える。驚いたことに彼はカルロスのあらゆる個人的な事情に通暁している。彼の話からカルロスは、エルミーレが匿名の誰かからカルロスに気をつけるようにと警告されており、それが彼女の彼に対する消極的な態度の理由だったこと、そして、そうこうする内に彼の高い評判を聞いて妻になる決意をしたことなどを知る。別れ際に外国人は、約束の時にカルロスに再び小屋に来るようにと言う。

 翌日カルロスはようやく恋人の許に到着する。出会うや否やカルロスは、エルミーレに懇願されて彼女と結婚する。この素早い決断には、あの秘密の権力が二人の結び付きを妨害しようとしていると思われたことが大きく作用していた。しかし若いカップルの幸福は極めて短い。翌晩には愛妻の死が訪れる。結婚式直後から彼女は毒を盛られたらしい徴候を示していた。彼女はカルロスの腕の中で息絶える。カルロスはこれ以後、結社の手がかりを掴み、妻の死に対する結社への復讐に全力を注ぐことになる。ただしここでは、エルミーレの死に結社の手が働いていたのかどうかに関しては何も語られていない。しかもこの時点では、そうした疑問の重要性は悲劇に直面したカルロスから全く後退してしまう。というのも、彼はその存在自体が揺り動かされるからである。この大きな衝撃が和らぐまでには長い時間が必要となる。アルフォンゾの看護とさまざまな気散じによってカルロスはやっと回復する。

 そうした時期にカルロスは、彼の隣に地所を買って移ってきたドン・ペドロという若い貴人と知り合いになる。カルロスの体験を巡って二人の間に交わされる会話によれば、この新しい知人にあっては結社への参入が重要なようだ。ドン・ペドロは骨を折って結社を肯定的な光の下に示そうとし、カルロスに性急な判断を下さぬようにと戒めるのである。彼は、結社の構成員は本来、犯罪的な活動はしないし、もっと遠大な目標を目指していると述べ、しかもヤーコプの幸福を例に挙げる。会話の結果、不貞でしばしば不在の妻フランツィスカ――S伯爵の話の中の女性――のせいで憂鬱になっているドン・ペドロは、気分転換も兼ねて、カルロスの調査を手助けしようと申し出る。カルロスはあの外国人との約束に従ってヤーコプの小屋に行こうと決意する。小屋に到着した二人は、そこがすでに打ち捨てられているのを発見する。ドン・ペドロは馬で戻って行き、カルロスは独りそこに残る。夜の小屋での長い待機の後、カルロスを待ち受けていたらしい老外国人が姿を現し、カルロスを伴って結社の根城へと出発する。その組織と集会の描写は、当時のロッジの様子を反映した文学作品における表現の典型である。カルロスは結社の目的と原理を説かれる。――あらゆる専制からの漸次的な人類の解放。普遍的な幸福の推進。これらの目的の達成の為には、もし必要とあらば結社の象徴である 「短刀と毒杯」 の使用も辞さない。構成員は結社の活動に全身全霊を捧げるべく、いかなる私的な関係も放棄し結社の指示に盲目的に服従せねばならない――。結社の上位者との会話からは、カルロスがその性質の根本からして、構成員に科せられる義務を満たすにはどうも不向きだということが明らかだ。結社がエルミーレを殺したのではないと説明されても、彼には結社を忌避する感情が残ったままである。それでも彼は、未来が 「無限の幸福」 であるとの期待を与えられて、自身を結社に結び付ける誓いを立てる。儀式が執り行われ、列席者たちは仮装を脱いで正体を明かす。その中にはヤーコプとドン・ペドロもいる。結社との関係は、続いて準備された、女構成員ロザーリエとのエロティックな恋愛において一層強固なものたらしめられる。彼女と官能的な一夜を過したカルロスは、ロザーリエに無条件に忠実であるよう誓わせられる。この体験は、妻の死がもたらした喪失感をカルロスが克服するのを助ける。根城での滞在が終わろうとするとき、カルロスはヤーコプから一束の文書を受け取る。そこには、最終的にカルロスは自分から進んで結社の規律に従うようになるだろうという未来が記されていた。カルロスは、試練の時の開始と共に 「守護精霊がどこでも側についている」 であろうと告げられ、自身の領地に戻ることを許される。

 カルロスの次の時期はフランツィスカとの関係によって占められる。ロザーリエの存在は彼の意識の中ではもう遥か後方にある。愛妻エルミーレとの思い出に浸る喜びの時はフランツィスカとの出会いへと引き継がれる。カルロスはドン・ペドロと親密な交流を続けようとするが、ドン・ペドロは体面上の妻に対すると同様の冷淡な態度で彼に接する。彼はフランツィスカがカルロスに惚れてしまったと伝える。このことは間もなく彼女自身の口からもカルロスに告げられる。つねに監視されているという感情と、あらゆるものの上に結社の手を見てしまう傾向により、この夫婦との関係に制約の必要を覚えながらもカルロスは、ドン・ペドロの不在中に駆け落ちしようと決めるまでにフランツィスカと親しくなって行く。計画の実行はしかし、彼女が見たところ強引に連れ去られ、その姿を突如消してしまうことによって妨げられる。カルロスは絶望しかける。さらに彼がすべての疑いをドン・ペドロの上に振り向け、「友情の仮面の下に」 欺かれているのではと感じることが加わる。

 これらの体験に代わって彼を新しい考えで満たすのは結社の文書の研究である。続く彼の家族への訪問は短い。なぜなら、カルロスは因襲に縛られた自分の家族の生活に肯定的なものを見出すことができないからである。彼は文書の研究に立ち返るが、その平穏も程なくして新たな事件によって破られる。まずカルロスは窓ガラスの上にエルミーレの署名を見つける。そしてある晩、死んだはずのエルミーレが帰って来るのである。厚いヴェールで身を隠した女性が彼を訪ねてきた時、彼はその女性がフランツィスカではと思うが、それがエルミーレと判明し驚愕する。結社に脅かされているという感情は二人に逃亡を決意させる。この時カルロスの前に初めて 「守護精霊」 アマーヌエルが現れる。アマーヌエルはカルロスに警告を与えるが、その出現も彼らの計画を止めることができない。カルロスは妻の熱意に負けて闇夜に城館を後にする。逃亡はしかしすぐに終わる。彼らの馬車は城館からそう遠くないところで覆面をした数人の者たちに襲撃され、エルミーレがピストルの銃撃を受けて死ぬからである。

 ―― 第一巻のカルロスの物語は、聴き手たるS伯爵が差し迫った用事の為に出かけなくてはならなかったが故に、カルロス自身がその大部分を書き記したものなのだが、ここで終わる。第一巻の終わりで読者は、帰ってきた伯爵が、どうやらヤーコプであるらしい一人の男と知り合うのを読むことになる。



【第二巻】 (1792年)

 カルロスは妻の死を確信できるまで数日間その遺骸を見張る。彼にとってはいまやエルミーネを本当に失ったということ以上に確かなことはない。この体験が再び喚起した動揺の中で、しかし彼は、自身が結社の弄びものとなっているとはっきり認識して抑え難い怒りにとらわれる。カルロスは報復の決意を新たにする。だが、カルロスがそれを実行に移そうとする前に、フランツィスカとの事件以来姿を見せていなかった隣人のドン・ペドロが帰って来る。彼は、色々な口実を設けてはカルロスの結社に対する態度を探り出そうとする。カルロスはドン・ペドロへの友誼と結社の測り知れない意図への服従を装う。二人の会話は、自分の周囲に対するカルロスの不信がいかに高まっているかを、そして、――とりわけドン・ペドロについてはっきりしていることだが――、いかに結社の働きが目に見えて人間同士の交際に不実をもたらしているかを伝える。

 カルロスは翌晩、信頼する執事のアントーニオに自身の所領の全権限を委ねると馬で出立する。これはいかにも恐怖小説に相応しい雰囲気の描写と形式の中で行われる。荒れ狂う自然があからさまに、あらゆるものがカルロスに対し陰謀を企んでいるように思われることを表現する。

 カルロスは、結社を追跡し妻の殺害者を探すという計画を隠して徒に色々な場所を訪ね回る。やがて彼は一人の未亡人が住んでいる城館に到着する。すぐにそこで彼が感じた第一印象は、不信の徒となった彼に用心をさせることになる。荘園の管理をしている一人の美青年が唯一のお相手であるところのその夫人を、カルロスはほどなく、その魂が自分のものと極めて似かよった 「夢想家」 であると知る。両者の性質の近さは、二人を世界の彼方の領域の探求へと向かわせる。カルロスは別世界の法則を知ることで 「過去の宿命を現在から切り離し」 たいと考えたからである。しかし、彼がそうした領域の現実を人間の想像力に限定する一方で、女主人は、すでに数ヶ月間にわたってほとんど毎夜繰り返し彼女の上に起きている幽霊現象によって、その実在のしるしを得たと信じている。彼女はその現象を亡くなった夫の霊によるものと見做しているのだった。カルロスはある夜、慎重に武装して、夫人の部屋で幽霊を待ち受ける。彼はその現象から夫人を解放したいと思ったのである。幽霊は十二時ちょうどに現れるが、激しい闘いの後カルロスによって殺される。死者の顔から仮面を剥がしてみると、それはすでに何日も前から旅に出ていたはずの夫人のお相手であることがわかる。この青年と女城主の間に親密な関係があったことは、城館に到着した瞬間からカルロスにはすでに明らかなことであった。青年の死はたちまちカルロスに対する夫人の態度に変化をもたらす。カルロスは、夫の死後、曲がりなりにも彼女の慰めとなり得ていた者を彼女から奪ってしまったからである。彼は図らずも彼女に悲しみを与えてしまったのではあったが、彼女は彼に城館から去るように頼む。

 夫人の城館を後にしたカルロスは間もなく、ある狩猟会に出会う。その会に参加している一人の知人を通じて彼もまたそこに入会し、しばらくそこで過ごす。グローセはここで、この集団の個々の会員についての詳しい描写に頁を費やしているが、その中でもV伯爵は、その人柄などによってカルロスと最も親しくなる。ある大公が催した祝祭でカルロスは、彼に朗らかで愉快な世界の見方を提示する三つの仮面劇を観る。これらの劇は彼に強い印象を与える。カルロスはV伯爵に自身の運命を語った後で、伯爵の忠告に従い、どこかに休息地を見つけて身を隠し、そこで再び幸せを得る努力をするべく、会に別れを告げる。

 カルロスが新たな滞在地として選んだのはマドリッドである。彼はこの都市に潜んでさらなる試練の時を避けようと望んでいる。しかし、賭博師たちと付き合うようになり賭事で現金をすっかり擂ってしまった彼は、負債を払う為に総ての所持品を売却し、ほとんど乞食同然に徒歩で故郷へと戻ることになる。その途中でカルロスは、完全に自然の懐に抱かれるようにして暮らしているひとりの隠者のところに至る。彼の許でカルロスはかなり長い間その流浪を中断する。素朴な勤労生活の幸福を知った彼は、ずっとそこに留まりたいと願う。この滞在は小説全体における彼の最も重要な経験のひとつである。彼はいまや、全く一般的なひとりの、人々に欺かれた者として、また、世界に幻滅した者としてある。賢明なる隠者は、世界体験におけるカルロスの苦悩の源を外的事象の中に見るのではなく、彼の人間的特質こそがその究極的な原因であることを強調する。彼はカルロスに、いまの状態を乗り越え、世界に対する彼の態度を根本から変更して別の人間性に至るための道を原理と実践の両面から教示しようとする。だがしかし、カルロスは自身の性質からしてどうしてもその道を行くことができない。そこで隠者は、カルロスに社会へ戻るようにと言う。社会とは、人が情熱、復讐心そして自負心から自由になることができて初めて、それ無しで人がやって行けるものなのだと隠者は説明する。老賢者が死んだ時、カルロスはその言葉の真実を悟る。なぜなら、彼は間もなく自身の孤独な状態に飽きるからである。こうして彼は、その牧歌的な場所から 「これからの宿命の多くを予感しつつ」 去る。

 カルロスが、意識的に見窄らしい乞食のリュート弾きの格好をしたままで彼の城館に着き、その使用人によって見知らぬ者として追い払われるのは、それから間もなくのことである。生まれ故郷の都市の近くへと戻り、彼の家族と従僕のアルフォンゾによって再認されてようやく彼は以前の境遇に戻る。執事のアントーニオがカルロスの不在の間も主人への忠節を守り抜き、結社のいかなる勧誘にもなびかなかったことも明らかになる。そんなある夜、ドン・ぺドロらと晩餐を共にしていると突然フランツィスカが戻って来る。そしてフランツィスカは、今度はカルロスの一友人と懇意になったように見え、ドン・ペドロはまたいなくなる。一方カルロスは、再会したV伯爵の説得によって、しっかりとした知識を習得するべくトレドの大学を訪ね、さらにその後伯爵の口利きで、宮廷である大臣に仕える就職口を得る。だが、色々な社会的関係を含むこの公的生活は、カルロスには否定的な要素が多いように思われた。これに、友情で結ばれた人間たちの小さなサークルでの生活が対置される。サークル内の個々の人物描写においては、とりわけフォン・B氏とS…i 伯爵が、カルロスに類似した人となりと境遇によって彼から無際限の肯定的評価を受けることが語られる。

 トレドでカルロスが親しくしているこの社交サークルは、あの結社に対抗する結束を人々の間に生み出す。しかしどの計画もほとんど実行するまでには至らない、と言うのも、カルロスがその手から逃れ得たと信じた結社の力が彼らの上に再び働くからである。やがて、カルロスは大臣のところでの職務のため公使としてパリに赴く。彼はいくらその地での仕事が忙しくとも、都市の遊興に耽る時間を見つけるのであった。読者はどんなにカルロスが、とりわけ仮面舞踏会を好んでいるかを読むことになろう。トレドで妨害されたサークルがこのパリでも再び結集し、もう一度以前の計画を果たそうと試みる。その遂行はしかし、またここでも頓挫する。恋愛問題と家族の緊急の問題が絶えずカルロスの仲間たちの結束をぐらつかせるのである。どうやらこの不成功も結社の巧みな術策によるものらしい。なぜなら、突然姿を現したアマーヌエルとヤーコプが、結社がパリにもいることを告げるからである。

 度々仕事で失敗を犯し大臣との関係が悪化したカルロスは、ほどなくして免職となり宮廷から退く。彼は旅に出ることにする。一人の従僕を連れて彼はスペインとスイスの国境に着く。辺鄙な場所で宿泊地を探している内にカルロスは一軒の農家を見つける。そこで彼は――そして読者は――ひじょうに驚くのだが、殺害されたはずのエルミーレに出会う。

(2) につづく

                                     (2008.5.8掲載)

亀井伸治氏は中央大学教授。専門は18世紀ドイツのゴシック小説。『ドイツのゴシック小説』 (彩流社) は、これまで専ら英文学サイドから語られてきたドイツのゴシックに光を当てる本格的研究。グローセの本作にも頁が割かれている。

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