探偵小説講義

A・B・コックス 真田啓介訳


 探偵小説 (detective story) の制作にあたって考慮さるべき重要なポイントが二つある。一つは探偵 (detective) であり、もう一つは物語 (story) である。犯罪者は少しも重要ではない。最後か、その前の節にくるまでに犯罪者が姿を現すことはめったにないのだから。
 さて、真に偉大な探偵の第一の特徴というのは、もちろん、その風貌がこの世の誰にも似ていないということである。平凡な風采の人間には、決して探偵になれる見込みはない。名探偵はまた、数多くの奇妙な習慣やくせを持っている。特に感情を表現する場合のやり方ときたら独特で、名探偵がふつうの方法で感情表現をすることはない。彼にはそれができないのだ。
 二、三年前のはやりのタイプというのは、鷹のような目とカミソリのような顔つきをした探偵、頭脳がすべてで肉体は無、眠っている間も探偵でしかいられない――こんなふうに見えたものだが、今ではすべてが変わってしまった。
 きょう日 【び】 作品を印刷に付してもらいたいと思ったら、作中探偵は、探偵以外のものに見えるようにしないと駄目である。彼はたいへん太ってどっしりしており、間の抜けた顔で、鱈 【たら】 のような鈍い目つきをしているべきだし、のっそりと、おだやかで、愛想のよい物腰であるべきだ。もちろん誰もが、彼が自分のことを探偵だなどと考えていることに大笑いするだろう。そしてこのことが、先に何が起こるかすっかりお見通しの読者にとても愉快な感じを抱かせるのだ。読者は優越感を味わうのである。読者は優越感を味わうのが好きなのだ。
 探偵がその中で遊び戯れる物語に関しては、ことはまったく単純である。まず初めに、殺人を考える。(場合によっては、多くの名を持つ高価な宝石の強盗でもよかろうが、生々しい殺人に及ぶものはない。) 次に、犯行は不可能だったという状況を案出する。犠牲者の周囲に、殺害の動機は十分だが犯行は可能でなかったという人間を何人か配置する。そして、先に進めばよい。
 書出しの数節は、例によって、生き生きとしたものでなければならない。たとえばこんな具合に――

 ブラッドフォードの工場主である大富豪、アルジャーノン・ディンウィッディ氏の厳格な顔には、この数日、それと不似合いな追いつめられた表情が見られたが、彼が書斎に鍵をかけて閉じこもり、鎧戸を注意深く閉ざし、鍵穴にハンカチを押し込み、通風管も厳重にふさいでしまうと、その表情はさらにきわだって見えた。
 「やれやれ、ここなら安心だ」 彼は安堵のため息をつきながら呟いた。
 次の瞬間、ドシンと音を立てて彼は床に崩れ落ちた。

 その後は一息入れて、落ち着いてディンウィッディ氏の家族の描写を続けることができる。ここで、誰もがかわいそうなディンウィッディ氏の死を望む理由をもっていることが示される。次いで所轄署の警部が登場し、やがてロンドン警視庁から人がやってくることになる。
 よく知られているように、このロンドン警視庁の人間というのは、あらゆる愚かさを一身に集めたような人物でなければならない。事件の捜査中、彼は考えられる限りの失策をしでかす。彼はまたたいへん怒りっぽく、ひどくうぬぼれていて、自分以外の人間のすることはすっかり馬鹿にしてかかる。もし彼がこうした人物でなかったら、作者創るところの探偵が結末において圧倒的な勝利を収めることはできなくなるし、それでは読者はひどく失望してしまう。読者を失望させてはいけない。
 さて、われらが探偵の登場する段になった。彼はなにげなく紹介されねばならず (近所で釣りをしていたり、干し草作りをしていたり、鳥の巣を観察していたり、といったことが都合よく起きる)、ちょっとした知り合いである被害者の友人に説得されて、しぶしぶながら事件に関与することになる。かくして作者はこの友人を、有能な探偵が自分の考えを明かすのを拒む際にいてもらわなくてはならない間抜けな人間として利用できることになったわけだ。
 他にもう二つ。探偵はほとんど常にアマチュアであるし、いつも決まって通常の姓と名の代わりに二つ重ねの姓をもっている。

 ダグデイル・クレインは、いつもの重々しい足取りで書斎にはいった。そのくだけた様子からして、映画館の控室とでも思っているようだった。
 「それじゃあ、ここが犯行現場というわけですね」 彼はずんぐりした大きな手をこすり合わせながら、騒々しい声で愛想よく言った。
 「その通り」 ピフキン警部がぴしゃりと言った。
 「ああ、そしてあれが死体ですね」
 「さよう」
 ダグデイル・クレインは、小さな魚のような目をねじれた死体に向けて、しばらくのあいだ興味なさそうに見つめていた。
 「警部さん、死体は調べられたと思いますが」
 「わしは死体を調べたりなぞせんわい」 警部は軽蔑のこもった口調で吐き捨てるように言った。
 ダグデイル・クレインは、警部の言葉をじっと考えているようだった。
 「調べないんですか」 がらがらした声でやっと彼は言った。「まあ、やり方は人によって違いますからね」
 彼は重々しく方ひざをついて被害者のポケットを調べ始めた。胸ポケットから、書き物に使われたことが明らかな一枚の便せんを引っぱり出した。それに文字が書かれていることはピフキン警部にもはっきり分かった。ダグデイル・クレインはそれを注意深く読んだ。すると左の耳たぶがかすかに動いたが、それが彼が示した唯一の感情の印だった。
 彼は便せんを警部の方に差し出した。
 「ご覧になりたいでしょう、警部さん」 彼はぜいぜい息をしながら快活に言った。「たぶん捜査の役に立つでしょう」
 「しろうとの助けなど借りん」 警部はかみつくようにわめいた。
 「お好きなように」 ダグデイル・クレインは便せんを折りたたんで手帳の間にしまった。彼の鈍い目はぼんやりとして焦点が合っていないようだった。「被害者は毒殺されたんです」 長い沈黙の後、愛想のよい調子で彼は言った。
 「馬鹿な」 警部が叫んだ。「彼はのどを切られたんだ」
 「でもそれなら、きっと何か跡が見つかるはずじゃありませんか」 クレインは弁解でもしているように小声で言った。
 「そんなことがあるものか」 ピフキン警部がどなった。彼は微妙なやり方でクレインがその場にいることを憤っているようだった。「安全カミソリでやったのさ。皮膚を傷つけない保証付きだ。わしは浴室でそのカミソリを見つけた。事態は明白だ」

 等々、といったことが、逆上した警部が劇的な逮捕をやってのけるまで続く。
 さて、短篇小説中の警部が行った逮捕が正しかったためしはない。それゆえ読者はすぐに、誰が犯罪を犯したにせよ、とにかく逮捕された人間がやったのではないことを知るのである。容疑者の範囲は一人狭められることになる。
 しかし、この時までにはダグデイル・クレインが多くの謎めいた行動を取り始めていて、探偵小説を読み慣れた読者には、彼が手がかりを追うのに熱中しているのが分かる。だがクレイン以外の人間の目には、依然として事件は解決不能のままであるように見える。どうすればこういう状況をつくれるのか。諸君、ご注意あれ、――筆者はいま探偵小説制作術の罪深い秘密を暴露しようとしているのだから。
 事件のしょっぱなにダグデイル・クレインは途方もない手がかりを発見したのだが、それについて読者は何ひとつ知らされなかったのだ
 おわかりかな。まったくもって簡単なことですな。
 この事件の場合、その手がかりはクレインがディンウィッディ氏の上着から見つけた紙切れだった。
 ダグデイル・クレインがウォッピングの船乗りを無事逮捕させ、その告白にやさしく耳を傾けた後で、例の間抜けの友人がクレインをわきに連れて来て、いったいどうしてわかったのか説明してくれるよう頼む。その結果、クレインはすぐにすべてをぶちまけ、本来の姿であるいかさま師ぶりを露呈して、彼もまた友人に劣らぬ大変な間抜けであることを証明し始めるのである。

 「この興味深い事件には、当初、私をたいそう困惑させた点がいくつかあった」 クレインは重々しく言った。「だが、早い時期に運よく貴重な手がかりに出くわした。ピフキン先生は不思議なことに見逃してしまったようだがね。被害者のポケットから見つけた手紙のことだよ。君に読んで聞かせよう。

 グリーン・ストリート147番地
                                         ウォッピング

 拝啓 ディンウィッディさん、――あんたは俺を破滅させた。だから、俺はあんたを殺してやる。ちょっとした贈り物にチョコレートを一箱送ってやるからな。        敬具
                                      アルフレッド・ブラウン

 「この手紙が事件の解明に大きな力となったことは、君にもすぐに見て取れるだろう」 ダグデイル・クレインは単調な声で言った。「私はディンウィッディの机からチョコレートの残りを発見して分析させた。どのチョコレートにも青酸が一オンスはいっていたよ。だから、誰にせよチョコレートを送った人間がディンウィッディによからぬ企みを抱いていたことは、私には明白だった。この手紙の内容をも考え合わせて、私は、たぶんこのアルフレッド・ブラウンが……」

 おやおや。さて、諸君も腰を落ち着けて探偵小説をお書きになるがよい。
                                           (2004.12.26掲載)


 A・B・コックス (アントニイ・バークリー) の創作講座パロディJugged Journalism (1925) の第3講 「探偵小説」 (The Detective Story) の翻訳です。「苦いアーモンド」 (第13講 残酷物語) に引きつづいてのご紹介。「鷹のような目とカミソリのような顔つきをした探偵」 は既に過去のものとなった、という認識は、『レイトン・コートの謎』 序文や 『ジャンピング・ジェニイ』 米国版に付されたシェリンガム紹介でも繰り返され、ロンドン警視庁の無能な警部という定型も、モーズビー首席警部によって見事に覆されることになるのは、バークリー・ファンならご存知のはず。「毒入りチョコレート」 の登場ににやりとされる読者も多いことでしょう。(F)

 書斎の死体INDEX