前立腺がん治療日記

2016年12月23日(この1年間の病状総括)

 ごめんなさい。1年ぶりの投稿となりますが、それは、この1年間、病状の変化が殆どなかったからです。具体的に申しますと、3ケ月毎のPSA検査、半年毎のCT検査で、1月28日のPSA値が0.02(院内)、4月21日のPSA値が0.008未満、7月28日のPSA値が0.01未満(院内)、10月19日のPSA値が0.008未満となっています。CT検査はいずれも異状なしでした。
 ここで、疑問に思われるのはPSA値のばらつきがあることですが、これは病状の変化によるものではなく、どうも測定方法の違いからくるもののようです。院内でのPSA値の測定は採血後、数時間で結果が解りますが、精度にやや問題があるようです。もう一方の外部の検査機関に依頼するPSAタンデムと呼ばれる方法は、コンマ3桁まで測定可能で、現状では一番精度の高い検査方法のようです。ただ、結果が出るまで、3日間ほどの期間が掛ります。このようにPSA値は検査キットによる測定誤差があることはよく認識しておく必要があるようです。また、検査キットのメーカーによる違いもあるようです。
 次にCT検査も異状なしではありますが、10月19日の画像診断では、I病院の主治医から、リンパ節の腫瘍跡にボャーと霧がかかっているようなところがあるが、まあ、心配する必要はありませんからとちょっと気になる言い方をされました。先々週の重粒子病院のT医師にそのことを話してみますと、「リンパ節に放射線をあてるとそういうことも起こり得ます。画像診断というものはその程度のあいまいなものなのです。細胞の絶対的な生死までは解りませんよ。現状ではそんなもんです。あなたの場合はタキソテールが劇的の効果を上げた症例ですよ。」と言われました。

 次回はI病院の検査は年を明けて、1月の26日、院内でのPSA値の測定です。重粒子病院は半年後です。5年の治癒まで、あと1年の辛抱でしょうか。


2015年12月7日(PSA値、最低値に戻る。)

 4月9日0.015、7月29日0.03と倍々と上昇し始めたPSA値が、10月22日の測定値では0.008未満とまた最低値に戻りました。もちろん、CT検査でも異常なしとなっています。この現象をどう捉えればよいのか。I病院の主治医は測定誤差ではないのかと簡単に言われましたが、これでは釈然といたしません。
 12月7日の重粒子病院で、I医師に尋ねてみると、あなたの場合は症状の変化がなくなってから3年近く経過しているので、がん細胞は既に死滅していると考えられる、残っている正常な前立腺細胞もホルモン療法、化学療法や放射線療法などで、弱っており、その回復過程でPSA値が微上昇し、そしてまた、落ち着いた状態に戻ったという微妙な変化の一環ととらえてよいのではないかということでした。

 年が明けて、1月28日にPSA測定、そしてその3ケ月後にCT検査とまだ、まだ経過観察が続きます。5年という寛解の期間は長いですね。これは贅沢な悩みでしょうか。


2015年6月8日(PSA値上昇理由の納得)

 今日は半年ぶりの重粒子病院での診察です。4月9日の2年ぶりのPSA値上昇理由についてT医師に尋ねてみる。明快な説明でした。PSA値はがん細胞の再発、再燃だけでなく、前立腺の正常細胞の復活でも上昇する、私の場合はホルモン療法、重粒子線、放射線、抗がん剤で痛めつけられた前立腺が2年間程の無治療期間を得て、やっと正常細胞が回復してきたせいともいえる、これが他の腫瘍マーカーとの基本的な違いでもある。ただ、あなたのがん細胞は悪性度が高いので、残存していたものが再燃し始めたことも否定できない所が悩ましいところだ。PSA値0.3〜0.5ぐらい迄はじわじわと上昇してきても、CT画像上に問題がなければ、あまり気にする必要がないのでは。普通は2程度まで上昇しても大丈夫だが、あなたの場合は難しい。個人的(T医師)な意見であるが、CT画像上の異常がなければ、PSA値だけならば、経過観察だけで良いと思う、抗がん剤は副作用も大きいので、その投与は画像上に異常が出てからでも良いように思う。

 今回のPSA値の上昇は前立腺の正常な増殖作用によるものか、それともがんの再燃によるものなのか、今の段階では判別できないということでしたが、説明としては納得でした。患者として、現在の病状について、このように納得がゆく説明をしてくれるT医師の存在が本当にありがたく思う。 


2015年4月20日(寛解終わりか。PSA値上昇)

 久しぶりの掲載です。前回以降、平成26年6月30日、同年11月20日と検査結果は異状なしが継続していたのですが、本年4月9日の検査で、CT上の異常所見はありませんが、PSA値の方が0.015久しぶりに上昇に転じました。主治医は特に問題になる数値ではないと前置きをいれて、3ケ月先の7月23日にPSA値の再測定を行いましょうと言われる。今迄、2年5ケ月に渡り、PSAは最低値で推移してきたのが、ここにきて上昇に転ずる、あと2年程度で5年の寛解期間が終わり、治癒かもと甘い期待でいたのが崩れ去り、ややショックでした。抗がん剤による治療はあくまでも延命治療、タキソテールの投与も完治を目指す治療ではなく、再燃がんにおいて進行を一時的に抑えるだけの治療だということが改めて思い出されました。

 今回のPSA値の上昇はCT画像上の異常所見もなく、ごく微細なPSA値だけの上昇でもあり、これでもって再燃ときまったわけでもないので、あまり神経質に考えることもないが、ただ、これまでの私の病状の推移をみれば、PSA値がコンマ以下の小さい値でも、病状的にはかなり進行していた場合が多く、油断はできないと思っております。3ケ月後のPSA値の結果次第では、抗がん剤の再投与も覚悟しておいた方がよさそうです。

 まあ、人生は有限、まして齢77歳の喜寿を迎え、残された余命期間を考えれば、完治せずとも、がんと共存を目指した方が穏やかな老後が過ごせるような気がします。そう考えれば、精神的にも楽になれそうです。


2014年2月13日(検査継続、症状変化なし。寛解か?)

 治療日記しばらく中断しておりました。理由は病状の変化がないためです。前回以降の検査としては昨年10月24日、そして本年の2月6日でしたが、いずれも画像所見変化なし、PSA値は0.008未満という結果でした。

 ところで、私の病状としては1年以上にわたり、変化がない状態が続いているのですが、このような症状が落ち着いて安定していることを医学的には寛解というようです。ただ、寛解は必ずしも完治した状態ではなく、がんが再発する可能性もあり、この寛解状態が一応5年続けば「完治、治癒」と判断されます。一応と言うのは5年以上経過しても再発することがあるからです。しかし、再発のリスクは寛解状態より少ないため、完治した、治癒したと表現するようです。
 がん細胞は、リンパ節や血液の流れに乗って遠くの臓器などに転移し、活発に移動する性質を持っており、周囲の組織に広がってゆきます。検査などで発見されて手術などの治療の対象となるのはその一部で、その他の大部分のがん細胞は休眠している状態なのだそうです。このため、手術後に補助療法として、抗がん剤や放射線による治療を行い、再発や転移を抑えます。それでも、休眠中のがん細胞はあまり薬剤の効果が出ないため、その休眠中のがん細胞が目を覚まし再び増殖を始めた場合、がんの再発ということになります。これを発見、確認するために、5年間の経過観察期間を必要とするのですね。がんとはまことに厄介な病です。

 今日、H医師の診断日、この寛解について伺ってみると前立腺がんではこのような定義はないが、考え方としてはほぼ同じであると言われる。つまり、私の場合はあと4年間再発の有無を確認するための検査が必要だということなのでしょう。次回の検査は4ケ月後の6月30日となりました。


2013年8月5日(CT撮影継続、新たな転移病変は認められず。)

 5月10日と7月23日、2カ月間隔でCT撮影を行う。左外腸骨動脈領域リンパ節変化なし。その他、新たな病変は認められずという画像所見を頂く。PSA値も0.008未満と最低値で変化なし。貴方の場合はPSA値があまりあてにならないので、定期的にCT検査で見てゆくしかありませんね。今の所、よくコントロールされており、今後の検査は3ケ月毎にしましょう、というのが主治医の話でした。8月5日の重粒子病院のT医師も左外腸骨動脈領域リンパ節には未だ、がん細胞が休眠中の可能性も否定できないので、今後も継続して検査してゆく必要がある。ただ、PSA値が安定しているので、心配はいらないでしょう、気配があれば、化学療法を再開ということになるが、ということでした。まあ、今の所、薬の効果もあり、経過良好とみていいでしょうが、いわゆる治癒とか緩解とかは、まだ、まだ遠い先の話のようです。

 ところで、今月号の文芸春秋にがん治療に関する記事が掲載されていました。その中に、抗がん剤では固定がんは小さくなっても根治することは出来ない、その理由はがん細胞には「がん幹細胞」とその子供であるがん細胞があって、子供のがん細胞はものすごい速さで増殖するのに親玉であるがん幹細胞は普通はじっと眠っており、たまに目覚めるとその子供のがん細胞を生み、それが急速に増える、抗がん剤はもともと細胞の増殖に狙いをつけて開発されたものなので、子供であるがん細胞はやっつけることが出来ても、休眠中の親玉であるがん幹細胞を殺すことはできないからと言うのです。
 まあ、私の場合、今の所ですが、いい状態が続いているわけですが、原因は何かと主治医のH医師に聞いてみると「放射線の効果があったのではないか。」とのこと、とすればリンパ節転移した4ケ所の内、ただ1ケ所だけ放射線治療をおこなっていない左腋下部リンパ節はなぜ消えてしまったのでしょうか。これは、当然、化学療法のタキソテールの効果があったからです。つまり、今回のリンパ節多発転移の原発巣である左外腸骨動脈領域リンパ節がいわゆる「がん幹細胞」であり、その他の3ケ所のリンパ節はその子供のがん細胞と言うことになるのでしょうか。このように考えれば、今回最初に60グレイの放射線治療を受けた「がん幹細胞」である左外腸骨動脈領域リンパ節は既に死滅している可能性もあるわけです。
 まあ、これからの経過観察でこれが証明されることになりますが、せいぜい、希望劇観測で胸を膨らませていきたいと思っております。


2013年4月2日(PET/CTの撮影を行うが、左腸骨動脈領域リンパ節の疑念、完全解消には至らず。)

 まず、前回からの経過を説明しましょう。1月17日、10回目の点滴を受ける。前回から引き続きタキソテールの減量でもあり、白血球の減少のための造血剤の投与も止める。最低値1,500まで下がるが、その後、順調に回復する。3月4日、CT撮影、画像所見は前回と同じ。つまり、新たな転移巣は認められないものの、左腸骨動脈領域リンパ節の形状は変化なしというもの、H医師、PETで見れば解るかも、でも、内の病院ではPETが装備されていないので、タキソテールの点滴をしばらく中止して、その後の変化を見てみましょう、そして5月にCT検査を行うことでその日の診察は終わる。

 3月28日、重粒子病院での定期診察でT医師にPET撮影をお願いしてみる。PETでも完全には解らない、それでも良ければということで、当院のPET/CT検査を受けることになる。偶々、翌日に空きがあり、3月29日、撮影、4月1日にその結果の説明を受ける。

 その前にPETについて簡単に説明をしましょう。
PET検査の原理は「がん細胞は正常な細胞に比べて多くのブドウ糖を取り込む。」という性質を利用して、ブドウ糖フッ素というこく微量の放射線物質をくっつけた薬剤(FDG)を体内に注射する。するとがん細胞は正常な細胞より多くのFDGを取り込む。そこから放出される微量の放射線をPETカメラでとらえ、がん細胞の位置や大きさや進行の度合いを調べます。この場合、CTは体の組織やがんの細かい形態の情報を得るのに優れているので、これを利用し、PETとCTを一体になっている装置がPET/CT検査装置です。私の場合、左腸骨動脈領域リンパ節がここ1年間のCT画像がほとんど変化なく、化学療法による治療効果がよく解らないという問題があり、このPET/CT検査を行えば、まだ癌細胞が生存しているのか、あるいは治療により壊死したがん細胞が体に吸収されずにまだ残っているのかが解る筈なのです。
 検査はまず6時間の絶食から始まります。その後、病院でFDGの注射、そして、約1時間、ブドウ糖が全身によく行き渡らせるように待機室で安静、その後、検査用ベットでベルトで頭部と体を固定され、円形型の装置の中に送り込まれ、頭部から大腿部の全身を約30分かけて撮影します。その後、30分休んでから、今度は腹部の局所の撮影があり、この間、約10分、合計約2時間半、結構長く疲れました。重粒子病院とは別棟の建物で、待合室、待機室、検査室などがあり、綺麗でゆったりとしてとてもよい環境でした。
 
 さて、この結果は4月1日、T医師からPET/CT検査上は異常なし、ただし、左腸骨動脈領域リンパ節部分の画像は光っていないので、活動性の癌細胞は存在しないが、これでもってがん細胞がまったく存在しないとは言えないとうものでした。PET検査で、陽性だったら、がん細胞が残存しているとは言えますが、陰性の場合はまったくがん細胞がないとは断言できないということなのです。なんのことはない、これではこの検査を受ける前と実態は同じことではないのか。まあ、しばらくは時間をかけて、CT検査を定期的に受け、その結果で、今後の治療の是非を判断するということになるのか。
 まずは、左腸骨動脈領域リンパ節の部分に疑念が残るが、その他、全身に異常がないことが解っただけでも良しとしなければと思いました。

 最後に紹介しておきますが、今回の検査は健康保険の適用が出来ました。2012年4月の改定では FDG PET/CT検査の保険適用(がん関連の規定)について、次のようになっており、かなり、適用の幅が出来たようです。
 〇 早期胃がんを除く、すべての悪性腫瘍、悪性リンパ腫で、他の画像診断により病期診断、転移、再発診断ができない場合。



2012年11月20日(9回目の点滴終了、左腸骨動脈領域リンパ節は縮小せず。)

 11月1日、9回目の点滴終了、今回はタキソテールの投薬量を120mgから100mgに減量、副作用として、今までと同様、骨髄抑制による白血球の減少は見られたものの、減少量の値もやや改善し、胃腸障害などのその他の副作用もかなり軽減され、投薬量減量の効果ははっきり現れる。
 問題は多発転移したリンパ節腫大が消失したにもかかわらず、左腸骨動脈領域リンパ節(今回の多発性リンパ節転移の原発巣)の大きさがほとんど変化しないことである。では、何故、左腸骨動脈領域リンパ節は縮小しないのだろう。H医師の見解では、よっぽど悪性度の高い腫瘍なのか、それとも今までの治療で壊死した悪性細胞が身体に吸収されるのに時間が掛っているのかどちらかでしょう、これを確認するには手術しかありませんという。前者ならば、再度の放射線治療の検討が必要となるでしょうし、後者ならば、万々歳で、タキソテールの休薬期間をどうするかという嬉しい話につながることになるが、現状ではおいそれと手術もできないし、しばらくは現状の治療を継続することになるのだろうか。H医師は症状も落ち着いていることでもあり、タキソテールの減量投与でしばらく継続してみるか、それとも長期の休薬期間に入るのか貴方の希望次第だというような言い方をする。がんがリンパ節に多発転移したケースの標準的な化学療法も確立されていない現状では、まあ、医師と患者が相談して、治療を進めていくというのが実態なのでしょうか。
 とりあえず、次回の点滴を新年改めて、1月10日とし、CTによる画像検査も年が明けてからということになる。
 PSA値は0.01未満(11/1)院内測定値では最低値、ヘモクロビンも12.0(11/15、正常値13.5〜17.0)と改善する。

 11月22日、重粒子病院のT医師の意見も、残存する左腸骨動脈領域リンパ節は既に壊死している可能性の方が高いようだ、CT画像で経時的な変化を見てゆけば、いずれ解るはずとの見解であった。休薬についてもCT画像上、問題がなく、PSA値0.01未満が続けば、休んでもよいのではないかということであった。まあ、年明けのCT検査で見当がつくようなので、果報は寝て待ての心境ですか。


2012年8月4日(7回目の点滴終了、リンパ節腫大の縮小続くが。)

 7月12日、7回目の点滴終了、次回は9月6日と休薬期間が更に2週間伸びて8週間となる。今回の多発性リンパ節腫大の元になる左腸骨動脈領域リンパ節はさほどの変化はないが、その他の骨盤内、傍大動脈領域、縦隔、腋窩、鎖骨上窩、頸部リンパ節はほとんど腫大が認められないとの画像所見である。PSA値も0.03と劇的に下がる。
 現在の悩みとしては、ヘモグロビンの低下(7/28測定値10.1)であるが、これは抗がん剤の投与による骨髄抑制からくるものであり、抗がん剤の投与をやめない限り、改善は期待できないでしょう。もう一つ、今回のリンパ節多発転移の原発巣である左閉鎖外腸骨リンパ節がなかなか大幅な縮小が見られないことである。左足部のむくみが完全に取れないのがその証左であろうか。
 重粒子病院のT医師によれば、もう1回、放射線治療をしてみることも考えられるという、ただし、この場合は腸などの他の臓器へ影響を抑えるために精射のできる放射線器材によることが必要で、つまり、IMRTとか粒子線治療のことを言われたのでしょうが、I病院の3D−CRTではだめなのかなあ。まあ、これからの病態の推移にもよるが、同一部位に2回目の放射線治療はできないものと思っていたが、必ずしもそうでないことが分かったのは収穫でした。
 昨年の夏は、放射線治療で連日の病院通いでしたが、今年は比較的ゆったりと過ごせそうです。   
 タキソテールの投与による病状の推移を下記にまとめてみました。
                    


2012年4月28日(5回目の点滴終了、主治医の交替あり。)

 まず、順を追って経過を説明すると4回目の点滴が終わった時点(3月7日)での病態ですが、多発リンパ節移、全体として縮小傾向は変わらず、特に左鎖骨上窩リンパ節はほぼ確認できないまで縮小しており、その他の臓器、骨などへの転移も認めないと順調に推移しているコメントを頂いています。

 3月末で、H医師が退職、O医師が後を引き継いでくれることになりました。H医師にはH21年の4月から、3年間にわたりお世話になりました。この間、膀胱がんの手術あり、リンパ節多発転移のこともあり、色々と思い出深い先生でした。その実直な人柄に、ただ、ただ、感謝するばかりです。
 後を引き継いでくれるO先生、まだ若手のバリバリの感じ、早速、初めての診察で、まず、タキソテールの点滴は現状の4週間毎の間隔から、6週間または8週刊毎の間隔にしたいという。標準治療では3週間毎となっているが、副作用の程度、患者の病態、年齢などを考慮し、適宜の期間を決めて行くようだが、まあ、私の場合は完治を望むべくもないし、現状の病態で今後も継続してくれるものならば、休薬期間は長いほうがよい、かといって、薬効がなくなりがん細胞が大きくなるようでも困るので、とりあえず、6週間を選択する。これからのリンパ節の縮小傾向を見て、8週刊単位への移行も考えたいと思う。次に若先生、CT撮影が余りにも多すぎる、これでは放射線の過剰照射になってしまうという。CT撮影1回での放射線量は5〜30mSv程であり、成人の被爆放射線量が100mSvならば無害、200mSvを超えると10万人に1人ぐらい害が現れるという。私の場合、放射線治療も行っており、抗がん剤の点滴に伴うCT撮影も12月から4月まで、毎月1回やっており、かなりの量になると思われるが、これはあくまでも照射によって得られる医療上のメリットと放射線による害との見合いの問題であり、あまり気にする必要はなさそうだ。
 それよりも、最近、ヘモグロビンの量がかなり低下しており、このせいで、一寸身体を動かすと息が切れる。ヘモグロビンとは赤血球中の大部分を占め、酸素を体内の組織の運び、代わりに二酸化酸素を受け取って肺まで運んできて、放出し、再び酸素と結びついて各組織に運ぶという重要な働きを担っている。必要量のヘモグロビンが作られていない場合、酸素の運搬が十分行われないため、貧血状態となり、足りない酸素を補うため血液の循環が早くなり動悸を引き起こしたり、呼吸運動が盛んになって息切れをしたりします。私の場合は基準値13.5〜17.0に対して、ほぼ10.5程度、大体8を切ると輸血が必要となり、11を切ると何らかの医療行為が必要となると医学書には記載されている。私の主治医はだんだんと体が慣れていくよ、それとも鉄分の薬でも飲むかとあまり真剣に取り扱ってくれない。ちょっと体を動かすと息が切れる状態では何もできない。しかも、4月19日、5回目の点滴で、現在、骨髄抑制で白血球が1,600に低下、医師から厳重に人ごみに出掛けることを禁止されている。家の中でじーと閉じこもっていろというのか、明日からゴールデンウイークが始まるがどうにもならない状態だ。


2012年2月29日(多発転移のリンパ節腫大、縮小の方向に向う。)

 2月8日、3回目のタキソテールの点滴が終了、その後、前半の2週間は白血球の減少(5日目から減少、ピークは7日目、9日目に回復)と食欲不振などの体調不良があり、後半の2週間は比較的順調に推移というパターンである。つまり、前半の2週間はほぼ家の中でじーとしている、後半の2週間は外出などやや活動的に過ごすことになり、好きな野鳥の写真撮りも後半の2週間でということになる。ただ、全般として、体力低下著しく、駅の階段を上るのもフーフーと休みながらやっとの有様です。
 問題はこのような治療形態が何時まで続くかという事ですが、今日(2/29)の医師の診断では未だしばらく病状の推移を見なければ判断できないと言われる。ネットなどでの患者さんの例では、10回連続して点滴し、その後、10ケ月の休薬期間があり、早くこのような治療形態にならないか願望切なるものがあります。久しぶりのPSA値の測定では、2/13に0.344と1/11の0.674の半分に低下ているが、これが安定値にならなければ休薬療法は出来ないのでしょう。前述の例ではPSA値の低下後、安定期が半年続いてから休薬期に入り、その後、PSA値が徐徐に上昇、10ケ月後にタキソテール治療の再開というパターンです。私の場合は主治医がPSA値はあんまり信頼していないようで、リンパ節の縮小傾向をCTなどの画像を継続的に見て判断されるようだ。

 肝心な病態としては、4ケ所のリンパ節腫大(左外腸骨、傍大動脈、左鎖骨上、左腋下部)はそれぞれ差はあるが、全般として縮小傾向が見られ、両肺、肝臓、骨には明らかな転移は認められず、その他、新たな転移巣の出現も認めないという画像診断結果が出ており、先ずは一安心ということか。


2011年12月24日(抗がん剤タキソテールによる治療開始、結構つよい副作用だ。)

 12月7日、第1回目の点滴は外来の診察室のベッドの上で行う。最初は副作用対策としての胃薬と制吐薬を30分、それから約1時間かけて抗がん剤タキソテールの点滴、特に気分が悪くなることもなく、終わる。その後、放射線科で胸部から骨盤までの造影剤CTを撮る。そして、その5日後、12月12日採血の結果、白血球数2,700(正常値3,500〜8,500)とかなりの低下を見る。更に翌々日は1,100と危険な水準となり、感染防止のため、すぐ入院という羽目になる。
 ここで、抗がん剤の副作用について簡単に説明すると抗がん剤は分裂、増殖の早い細胞を攻撃するように開発されており、そのため、正常細胞の中でも、体の中の毛根細胞や血液細胞、粘膜など増殖が速い細胞がダメージを受けます。
 白血球の減少(骨髄抑制)は点滴を始めてから2〜3日から減り始め、7〜14日で最も低くなるようで、この期間を過ぎれば、血球数はまた正常値に戻ってゆくようです。ただ、白血球が減少すると感染にかかり易くなり、基準値2,000以下になるとその危険性が高くなるので、今回は感染予防としての緊急入院でした。12月14日から17日までの短期間入院で、治療といっても造血剤(ノイトロジン注100mg)の皮下注射ぐらいで、16日4,400、17日20,800と順調に数が増加し退院となった次第です。

 次に、点滴から丁度2週間目、脱毛が始まりました。別に痛くもかゆくもないのですが、頭髪をひっぱると5〜6本、がさっと抜けてくるのはかなりショッキングです。女性の場合は、精神的なダメージが大きそうですね。治療終了後、1ケ月〜3ケ月後ぐらいから髪の毛は生えてくるそうですが、それまでの間、帽子、バンダナにでも頼らなくては外出も出来ませんね。
 その他、私の場合、副作用としては、一過性の胃痛、便秘、それから点滴4〜5日目ぐらい、なんともいえない倦怠感と体調不良がありました。現在は脱毛以外に特に問題はなく、なんとか乗り切ってゆけるかなという感じです。2回目の点滴は年が明けて、1月11日の予定ですが、まあ、大丈夫と自分では思っておりますが。


2011年12月2日(放射線治療終了、抗がん剤投与決まる。)

 11月29日、左鎖骨上リンパ節に対する放射線治療は回数30回、総照射量54グレーで終わる。終の診断の際、2、3日前の朝日新聞に掲載されていた前立腺がんへの放射線治療を受けた患者の半数が根治に必要とされている放射線量(70グレー)を照射されていなかったことが大阪大学の調査でわかったとの記事について聞いてみる。A医師は貴方の場合は照射線量としては多いぐらいやっている。左鎖骨上リンパ節の癌腫瘍部にはピンポイントで66グレーも照射しているとの返答であった。総照射量としてはどうなのかの返答はなかった。また、11月22日測定のPSA値は0.442とかなりの上昇となっており、放射線の成果がPSA値上には反映されていないことにややガッカリする。

 12月2日に泌尿器科H医師の診断を受ける。私からの放射線の治療状況の説明がおわると、やや断定的に貴方のPSA値は病状との乖離があり、余りあてにならない。上がったり下がったりで傾向を見るだけの意味しかないようだ。今回のリンパ節への多発転移は他の臓器などへの転移も考えられるので、化学療法(抗がん剤)への切り替えを考えざるを得ない。ホルモン療法は効果が見られなくなった。抗がん剤(タキソテール)の投与は来週の7日から3週間のサイクルで行うことになる。
  外来で可能であるが、約1時間ほど、ベッド上で点滴注射となる。副作用としては、一般にアレルギー、脱毛、むくみ、吐き気などが考えられるが、投与10日目から白血球の低下がある場合は血液増加剤の投与など、入院も必要な時もある。タキソテールは抗がん剤としては概して副作用が少ないほうなので、あまり心配する必要はない。それから、併せて、7日に胸部から骨盤部までの造影剤CT撮影を行うので、いままでの放射線治療の効果と新たな転移巣がもしあればこれで解るでしょう。

 いやだいやだと避けていた抗がん剤治療がいよいよ始まる、副作用がすくないことを祈るばかりだ。


2011年10月28日(長い、長い放射線治療期間にややうんざり。)

 7月19日から開始した左骨盤神経周囲リンパ節への放射線治療は、8月29日に終わる。トータル30回、総照射量60グレー、引き続き、腹部傍大動脈リンパ節、その翌日から10月11日まで、29回、総照射量58グレー、これで終わりかと思ったら、次の転移先を予測してA医師が触診で左鎖骨上リンパ節に腫瘍によるふくらみを発見してくれ、その治療も即日開始、そして現在に至る。11月末ぐらいまでかかりそう。土日は休みであるが、7月からの長期戦にはほとほと疲れる。病院まで送り迎えをしてくれる家内にはただ、ただ申し訳ない次第である。左鎖骨リンパ節は上流(足部)から流れてくるリンパ節の最後の砦で、ここからは静脈に入り、心臓に戻り全身に広がるので、体内のリンパ節の内で最も重要なものだそうだ。あまり先々のことを心配してもどうにもならないが、リンパ節から流れ込んだがん細胞は心臓から血液を通じて全身に回ることになるので、次の転移先は骨か臓器になる筈だが、転移のメカニズムはかなり複雑で全身に流れたがん細胞が全部増殖して必ず転移巣になるとは限らないそうだ。リンパ節に転移してから何年も臓器などに転移巣が出来ない人もいるようだ。まあ、これから後はどうなるかは神様が決めてくれると思えばよい。
 ところで、現在、続けている化学療法(リュープリン3ケ月注射薬、プロセキソール内服薬)だが、来月上旬で切れるが、H医師は現在の投薬をそのまま続けるか、或いは一旦投薬を中止するか、患者自身で決めてくださいという。重粒子病院のT医師にも相談してみたが、いずれを選んでも正解はないようだ。現在の投薬がもうほとんど効かなくなっていることは今度のリンパ節への転移で明らかであり、中止することにより症状が急激の悪化することもなさう。現在の放射線治療が終わってから、その効果(PSA値、CT画像など)を見てから次の投与薬剤をきめてもよいのではないかということだ。抗がん剤は副作用も強く、軽々しく決められないのも解るので、しばらく現在の投薬を中止してみることにする。

 長いながい治療期間にうんざりとはいうものの、左鎖骨上リンパ節への転移を見つけてくれたのはA医師、治療も僅か10分程度で終わり、痛くもかゆくもない、しかも健康保険が適用されるこのような使い勝手のよい治療方法を勧めてくれたH医師、この病のスタートから5年間、適切な治療とアドバイスをしてくれたT医師、そして長い間支えてくれた家族に感謝の気持ちを忘れてはなるまい。贅沢にも長い治療期間にうんざりとはなんと言うわがまま、反省、反省であります。


2011年7月19日(放射線治療を開始する。)

 先ずは7月8日のI病院放射線科のA医師の診察から始めましょう。
 最初、肛門からの触診、前立腺部の再発に伴う治療ではないので、今更と言う感じだ。ここの通過儀礼なのかな。それから今までの治療経過についての長々の質問を受ける。聞く人の立場からすれば、かなり複雑な経過となっているようだ。要するに根治治療をする前から漏れて、リンパ節に潜んでいた微小ながん細胞が今頃になって顔を出してきたということになるのだろうか。
 A医師は当初、直腸に今回照射する放射線が4年前の重粒子線と重複するリスクがあると、治療を引き受けることをしぶる。最初に担当した重粒子線病院でやってもらったらという。重粒子線病院は重粒子線に特化した病院なので無理であり、また重粒子病院のT医師は若干の注意は必要だが放射線による治療域の設定は十分可能だとの話があったことを力説し、なんとか治療を引き受けてもらう。
 治療期間は通常、1ケ月程度かかるようだが、私の場合は今の所、わからないと言う。
 今後の予定は次の通り。
 7月12日  造影剤CT撮影とシェル(固定器具)の作成
        15日  治療計画の説明
  19日  照射開始

 7月15日 A医師による治療計画の説明であるが、まず、最初から「あまりよい話ではないが、12日撮影したCT画像では骨盤部のリンパ節への転移だけではなくて、腹部(傍大動脈付近)のリンパ節にも、ポツ、ポツとした2〜3箇所の転移があることが解った。」という。えっ、これでは当院での放射線が断られるのかと一瞬ギクッとするが、これは早とちりで、「これからの放射線治療は2段階に分けて、最初は骨盤部のリンパ節、1ケ月半程度、これが終わってから、次に腹部のリンパ節の転移部分の治療を行い、トータルで約3ケ月弱の治療期間となる。」ということであった。それにしてもかなり長い治療期間、外来での治療ではあるが毎日通院というのはチトつらいなあ。
 心配していた重粒子線治療との重複にかかる副作用の懸念については、照射が重ならないようにセットできたので、もう心配はいらない、このことは忘れてもらって結構ですと言われる。ありがたい話ではあるが、それでは初診のとき、うちの病院では出来ないので重粒子線病院でやってもらったらというあの話はどこへいったのでしょうか。変わり目の早さにただ驚くばかりです。

 A医師は「PSA値が低くても、その変動にはもっと注意をすべきであったね。」、転移がこんなに大きくなるまで、どうしていままで気が付かなかったのかといわんばかり。大分、前から左下腿部にむくみがあり、MRIを撮ってくれと何回か、H医師にお願いしたが、その都度、この程度のPSA値では撮っても写らないよと断られたことを思い出す。今更、このことを話してもと思い、黙っていたが、リンパ節に転移した場合、下腿部にむくみが出るといくつかのネット上の医療情報に記載されており、このことをH医師は知らなかったのかとも思う。私自身もこの件について、もう少し強く言うべきであったと反省するが、医師と患者との間の意思疎通の大切さを改めて痛感する。

 7月19日 放射線による第1回目の照射が始まる。当院の放射線治療器材は、3DーCRT 3次元原体照射治療といい、照射する器材が患者の周囲を複数方向から患部に向けて放射線を照射するもの、事前に治療計画用のCTを撮影し患部を最も効率よく治療できる方法をシュミュレーションし、放射線を当てる方法を決める、マジックで腹部の前側、左側、右側の位置に十字印でばっちりとマーキングされる。1回の照射にかかる時間は、入室から退室までが約10分位である。
 今日が照射の初日なので、一寸、緊張するが、実態は重粒子線病院での治療とほぼ同じ、事前に作成されたシェルで身体をベットに固定し、ライナックと称する照射器材がぐるぐると体の回りを廻って、放射線を患部に当てる。勿論、この間、痛くもかゆくもなく、あとで、放射線技師さんに聞いてみると今回は全部で7回照射したそうだ。ドイツのシーメンス社製の器材で、いかにも手作り風な重粒子線に比べ、こちらの方がメカニックらしい。

 これで治るならば、何も言うことはないのだが、治療期間がかなり長くなるのが欠点か、1回の照射線量を少なくして、回数を増やし、総線量を上げるやり方なので、これはこれで止むを得ないものなのでしょう。


2011年6月28日(がん、左骨盤部のリンパ節への転移が判明する。)

 晴天の霹靂とでもいいましょうか。左骨盤、外腸骨近くのリンパ節へのがん転移が明確となり、治療法としては、一応、放射線(通常のX−rey)の方向で現在進んでいる。
 事の始まりは、今年の4月頃から、左の下腿部にむくみがあり、かねてから、I病院のH医師に骨盤部のMRI撮影をお願いしていたのですが、この程度のPSA値では撮っても写らないよと軽くいなされていたところでした。ところが、6月29日、月1回のゴルフに出掛け、終わってからお風呂に入ろうとしたところ、左の下腿部、膝から一寸上の部分から足部まで、赤紫に腫れ上がっているのに気が付き、これは尋常ではないと思い、翌週、I病院の外科、血管外来を受診、エコー、CT撮影の結果、予想していた静脈瘤でもないし、静脈血栓でもなく、左骨盤近くのリンパ節が膨れ上がり、それが周囲の静脈やリンパ管を圧迫し、下肢のむくみを生じさせていたことが解る。また、この腫脹リンパ節は前立腺由来の可能性が大きいとの画像判定の専門医師からのコメントもあり、6月28日改めて骨盤部のMRI撮影を行い、がんの転移と診断されたもの。治療手段としては、抗がん剤の投与と放射線治療が考えられるが、今の所、放射線の治療がベターではないのか、ただし、放射線の場合は以前実施した重粒子線と放射を受けた部分が重複しないことが前提となるので、重粒子病院での照会が必要となる。早速、6月30日、重粒子病院T医師の診断を受ける、その結果、多少の配慮は必要だが放射線治療域の設定は可能であり、しかも、この段階では放射線を使っての治療の方が間違いがないでしょうとのコメントまで頂きました。ただ、放射線治療をどの範囲までやるのか、今回の腫脹リンパ節に限定するのか、或いは主要なリンパ節全部にまで範囲を広げるのかはドクターの考え方によるとの事であり、改めてリンパ節への転移は全身にがん細胞が廻っている可能性もあることを示唆したものであり、この病気の恐ろしさを自覚させられました。
 PSA値については2/16 0.254 5/19 0.175、6/23 0.254と半年間下がり続けて、最近、又上がり始めるという不定期なもので、原因はよく解らない。少なくとも、今回のリンパ節転移とは相関関係が薄く、H医師は貴方の場合はGS(グリソンスコア、がんの悪性度)が高いので、PSA値が低くても症状が進む可能性があるとの話で、PSA値もあまり当てにはならないようだ。


2011年2月28日(PSA値の低下、抗がん剤への切り替え延期となる。)

 PSA値0.254と若干の低下を見る。お陰さまで抗がん剤への切り替えの話もなく、現治療の継続となる。今回もかなりの上昇となるものと予想していたので、一瞬あっけにとられ「どうしたのでしょうか。」と聞いてみるとH医師は内服薬(女性ホルモン剤、プロセキソール)が未だ効いているのでしょうと軽く言われる。前回の測定日(11/24)から何か新しいことをやったのか考えてみる。娘が送ってくれた「びわ茶」か、あるいは12月から始めた「ヨガ教室」か、はたまた、台湾旅行で購入した北投石のブレスレットが効いたのか。どうせ、次回の検査までのぬか喜びだろうがとりあえず、一安心と言う所。
 昨年の膀胱がん手術後の再検査は超音波、膀胱鏡ともに異常無しであった。

 昨今、文春(1〜3月号)でにぎわった「抗がん剤は効かない」というテーマであるが、結局、これは結論の出ない論争で終わったようだが、ただ、固定がんにおいては「抗がん剤の延命効果はほとんどないが、がんの増悪を防ぐ、症状の悪化を抑えるなど、患者のQOLを維持するのに役立つことの意義は大きい。」ということは事実のようだ。つまり、抗がん剤といえば、つきものの「副作用」をどう見るかということである。私の場合、対象となる抗がん剤、タキソテールでも吐き気、嘔吐、脱毛、むくみ、貧血などの副作用がある。勿論、個人によって出方が異なるようだが、多少の軽重はあったとしても副作用は避けられないようだ。その意味からも、これといった副作用のない現在のホルモン療法を出来るだけ継続してもらいたいものだ。重粒子病院のT医師が「貴方の場合、現時点ではPSA値の絶対値そのものはそんなに高いものではないので未だ使用していないホルモン剤、あるいは最初の段階で使用したホルモン剤を再度使用してみることはこの段階として許容される選択でしょう。ただ、ホルモン剤の反応が悪くなってきているのは事実なのでPSA値がこれで下がる展開となるのかどうかはわからない。いまの段階ではあまり決め付けないほうがよい。タキソテールの副作用も個人差があるので、これからのPSA値の推移を見ながら使用の是非を判断してゆけばよいのでは。」と言われた。納得である。


2010年12月5日(PSA値大幅上昇で、化学療法への切り替え近し。)

 PSA値0.333と大幅に上昇、いささかぎよっとする数値だ。現在受けているホルモン療法から化学療法つまり、抗がん剤タキソテールへの切り替えは、PSA値が0.4以上になればというH医師の言にほぼ近い数値だ。タキソテールへの切り替えは病状の経過、PSA値の推移、患者の年齢、体力、希望などを総合的に考慮の上、使用の是非を決めるが、まだ一昨年認可されたばかりのタキソテールは具体的な使用法は確立していないとH医師は言う。私が見たネット情報では帝京大の堀江教授がタキソテール投与による延命効果について、次の5つの要因について述べている。
 @ 他臓器転移の有無
 A 疼痛の有無
 B 貧血(ヘモクロビン低下)の有無
 C 骨転移進行の有無
 D エストラサイトの投与の有無
これらの因子がない段階からタキソテールをスタートしたほうがより高い治療効果が期待出来るとの記述があり、私の現在の病状にも合致しているので、このことをH医師に聞いてみるとこれも一つの考え方であり、まだ確立されたものではないと言う。どの程度延命効果があるかどうかも今の段階ではわからないとなんともはっきりしない返事であった。結局、タキソテールの投与は次回のPSA値を見て判断しましようということになる。
 また、次回は膀胱腫瘍手術から6ケ月経過することになるので超音波検査と膀胱カメラを入れて再発の有無を確認してみると言われる。また尿道にカテーテルを入れられるかと思うとぞっとするが、嫌ともいえないので承知することになる。

 「がんは治すな、付き合うべし」とよく言われるが、付き合うのもなかなか大変な相手であるとつくづく思う。


2010年9月8日(術後障害は改善するも、PSA値は引き続き上昇する。)

 3ケ月目の診察、PSA値は0.149と前回より上昇幅は下がるけれどもかなりの上昇値となる。H医師は0.4台となれば、治療を変える必要が出てくるが、現状ではもう一寸様子を見ましょう、次は抗がん剤を使うことになる、外来で処置できるが、点滴注射後、10日位後から副作用が出てくるよといやな話を平然と言われる。
 前立腺がんでの抗がん剤治療は、いわばこの治療の最終段階と言ってもよいもの、これが効果がなくなれば、いわゆる「がん難民」となるわけだ。その意味では、出来るだけ、PSA値は今のままで抑えたいと思うが、中途半端な食事療法ではその効果もおぼつかないし、未だ未使用なホルモン剤への切り替えを試してみるなど、他に手段はないものか、身勝手な願望が出てくる。千葉大の鈴木先生の書いたもの『がんサポート2009年2月号」によれば、エストロゲン製剤(女性ホルモン剤)が効果がなくなった次の療法は、ステロイド(デキサメタゾン)で、これでも駄目になった場合はタキソテールという昨年認可された抗がん剤の単純療法となる、また最後の手段としてエストラサイト(抗がん剤とホルモン剤との合薬)との併用療法があると記載されているが、I病院の治療方針はどうなんだろう。ここら辺の話になると未だ標準治療が確立されていないので、その病院、その医師の考え方ということになるのだろうか。

 膀胱腫瘍手術後の排尿障害もほぼ解消、排尿時の違和感もなくなり、血尿も見られなくなった。本来の前立腺がんとの闘いがまた前面に出てきたわけだが、覚悟を決めてこれからの余生を送らねばとも思う日々である。


2010年6月11日(膀胱腫瘍切除術施行、低悪性度の腫瘍前病変と判明、PSA値の大幅な上昇)

 6月1日 腰椎麻酔下、経尿道的膀胱腫瘍切除術施行
 術後、H医師の話では、膀胱全体が赤く腫れており、特に尿道近くの部分が赤いぶつぶつが出て、腫れが大きく、多分、これが尿からの出血の原因ではないのか、重粒子線治療による晩期の後遺障害の可能性があるとのことであった。内視鏡での手術は、膀胱内、左の尿菅近くの小さな腫瘍(赤いぶつぶつの塊で盛り上がっている所)を電気メスで削り取る。切除標本は病理検査に廻され、事後(6/7)の結果では低悪性度の腫瘍前病変と判明、つまり前癌症状で未だがんにはなっていない腫れ物だ、ほっとするとともになんだ「泰山鳴動して鼠1匹」か、やれやれとした気分、こんなこともっと前に解らないのかなあと身勝手な言い分もしたくなる。
 手術そのものは、腰椎麻酔なので全く、苦痛はなく、うとうとと居眠りしている間に終わった感じである。この麻酔はなんと言おうか、腰から下の感覚は全くなくなるのは当然だが、今まで経験したことのない、何とも言えない異様な感覚であった。静寂とした何か冷たくない氷の世界に入ったような感覚かなあ。手術している所は目の前にカーテンがなされており、どのような手順で要領でなされているかは患者には全く不明であった。H医師の他、看護師が3名で、なかなか立派な手術室だ、自分の心臓音がスピーカーから流れているのがわかる。松任谷由実のBGMを聞いているうちに手術は終わる。この間、1時間だ。

 6月4日 膀胱を安静に保つ目的で、自然に尿を体外に誘導するために、膀胱カテーテル(管)を留置してあるが、これを抜去する日だ、はい、深呼吸をしてとH医師が言うまもなく、一気呵成に抜いてしまう、うまいものだ。しかし、問題はこれからだ、抜去後の排尿、その痛いこと、痛いこと。また、入院前からの頻尿と切迫性排尿がこの手術を契機に一段と症状が亢進、これは困る、実に困る。
 翌日(6月8日)退院となる。

 6月11日 入院期間中に採血したPSA値と術後の経過観察のため、外来で診察を受ける。PSA値0.109と平成18年10月の重粒子線治療後の最大値となる。H医師はこれは手術直後の採血によるものなので、やや異常値かもしれない、また、重粒子線治療では正常な前立腺部分が未だ残っているので、ある程度、事後にPSA値が上がるのは当然だ、最近の学会では0.4を越えた場合、危険となるようだと余り気にする様でもなく、今までの投薬を継続とする。
 併せて、過活動膀胱治療薬のベシケア錠を増量してもらう。今までの治療経過からすれば、かなり深刻となるようなPSA値の上昇だが、医師が落ち着いておれば、患者もあまり不安にならないことが身をもって体験する。


2010年5月12日(血尿あり、検査の結果「膀胱がん」の初期と判明)

 4月9日、入浴後の排尿で、出血があることに気がつく、排尿がほぼ終わったあと、うすいピンク色のものが数滴出る。その後も、特に夕方の排尿時に同様な症状が続く。痛くもかゆくもない全くの無症候性の血尿だ。さっそく、I病院H医師の診察を仰ぐ。大事はないと思うが、尿の通り道を一応検査してみましょうということになる。4月24日、腎臓、膀胱のエコー、30日膀胱カメラで検査を受ける。エコーは異常所見なし、膀胱カメラの方は約1.5mmほどの腫瘍を発見、(後で医師から見せてもらった画像では肌色をしたもやもやと盛り上がったところ。)まだ、初期段階だが、手術と病理検査のため、入院が必要との診断が出る。5月12日、細部の説明を医師に聞く、今回の入院は検査半分と手術半分という。検査は病理検査、がんの確定診断となる膀胱粘膜生検で腫瘍の悪性度判定にも必要なもの、手術は腰椎麻酔を行ってから膀胱鏡で腫瘍を観察しながらがんを電気メスで切除する、いわゆる内視鏡手術である。膀胱がんはどの程度膀胱壁に深く入り込んでいるかによって大きく分けると二つに分類される。一つは膀胱の上皮の粘膜下層までに止まっている表在性がんで、もう一つはそれより深く筋層以下に食い込んでいる浸潤性がんで、両者は治療方法も生存率も大きく異なるようだ。私の場合は幸いにも表在性がんで、内視鏡手術の適応の病態ではあるが、この位小さいがんなのに出血するのは珍しく、他に原因があるかもしれないがこれまでの検査では他に異常が出ていないとH医師、やや疑問符付きの内視鏡手術である。現在治療中の前立腺がんとの関係を聞いてみると全く関係がない、前立腺がんは膀胱がんとは性格が全く異なるものだと断言される。

 一難去って又一難という言葉があるが、今回の私の場合は未だ一難が去らない前に更に一難が追加されたようなもので、いささかがっくりとくる。入院は5月31日から10日間程度とのこと、術後膀胱を安静を保つ目的で、自然に尿を体外へ誘導するために、膀胱内にカテーテルを数日間、留置するそうだ。医学書では通常、手術は1時間ほど、入院は3〜4日必要と記載されており、それにくらべるとかなり入院期間が長すぎる気がする。患者の年齢を加味したのだろうか。H医師の説明を聞いた後、入院に伴う諸手続きを看護師から家内と共に聞いて帰る。手術を伴う入院は、浴衣とかT時帯とか準備がなかなか厄介だ。

(注)
 ここで、簡単に膀胱がんについて紹介すると、膀胱はおしっこを溜めたり出したりする袋状の臓器で、この膀胱の内側の表面を覆う粘膜は粘膜上皮、粘膜下層、筋層からなり、粘膜下層までに止まるがんが、「表在性」のがんで、筋層にがんが食い込むと「浸潤性」と呼ばれ、表在性はおとなしく大腸がんや胃がんなど、治りやすいがんに相当する。しかし、筋層に入り込んだ浸潤性のがんは難治性といわれ、肺がんに相当するそうだ。手術療法としては、表在性がんは経尿道膀胱腫瘍切除術つまり内視鏡によるがんの切除で身体的に負担のかからない手術ですむが、浸潤性がんは膀胱全摘除術、開腹手術で術後のQOLも格段に悪くなる。膀胱がんは60歳〜70歳代が好発年齢で、男性が女性の3倍ほど多いのが特徴、年間の罹患数は1万2千人ほどと推定され、それほど頻度の高いがんではないが、人口の高齢化に伴い日本でも増えつつあるがんだそうだ。
 


2010年3月22日(PSA値、再び上昇に転ずる。)

 3月19日、3ケ月毎のPSA値測定結果、0.036と前回よりほぼ2倍近くの上昇となる。I病院のH医師は、これだけではPSAが上昇傾向に転じたのかどうかは解らない、もう少しこれから先の数値を見なければねと言われる。
 私の方から、一昨年の4月のPSA値が0.036と今回測定したものと同じ値だったので、もし、PSA値の変動値がある一定の幅の範囲内で1〜2年継続したとするならば、間歇療法(※注)への移行は考えられないのか、現在の治療がこれから死ぬまで続くのかと聞いてみる。T医師いわく、貴方の前立腺がんはいわゆる低分子型(悪性)なので間歇療法の適用は考えられない、3ケ月毎の注射と飲み薬で、特に大きな副作用もなく、不自由のない生活を送っていけるのを幸運と考えなければ、いまの治療は今後もずっと続くと考えたほうがよいと一蹴される、私の考え方が甘いと言わんばかりでした。

 先月、重粒子病院での3ケ月診断で、T医師に同じことを聞いてみたら、現在のPSA値が安定したものなのか、もう少し先を見てからの判断となるが、間歇療法はただ止めるのではなく、治療の再開の条件をきちんと決めてから行うのがよい、一般論として言えば、正常な前立腺部はまだ残っているので、薬を止めたら、PSA値は当然、上がるでしょう、中止した時点のPSA値より、2.0上がったら再開する、貴方の場合はこれを1.0位にするのがよいのか、いずれにしても、間歇療法を行う場合は目的、治療再開の条件を決めてから行うのがよいと言われる。まあ、今回の再上昇でこの夢はまた何時になるのかわからなくなったが、PSA値の変動にあまり一喜一憂はしたくないものだ。


※(注)間歇療法とは。
  ホルモン療法(LH−RHアゴニスト剤と抗アンドロゲン剤を併用するMAB療法)において、PSA値の安定期は投薬を中止し、PSA値が再上昇し始めたら投薬を再開する、これを3〜9ケ月毎に投薬と中止を繰り返して、ホルモン療法が効かなくなるまでの期間を延長する治療法をいう。まだ、長期的な効果がはっきりと確認されておらず、どのような周期でこの療法を行うかなどの方法論が確立されていない。ただ、少なくとも中止期間は薬の副作用がなくなり、経費もかからないというメリットはある。


2009年12月25日(PSA値低下、食事療法効果あり。)

 12月25日、I病院での診察、PSA値0.017、前回より0.004の低下となる。これはH19.8.3以来のPSA値上昇が薬剤の交換直後を除き、始めて低下したことになる。改めて、食事療法が効果のあることを示したものと自分では実感する。H先生は前回の上昇も含め、微小の上下動であり、これでもって、これからの症状の方向性は判断できない、ある程度、中長期的な傾向を見てからと慎重である。食事療法について説明したが、反応はなし、いいとも悪いともなにも言わない。重粒子病院のT医師も明確なエビデンスがあるのか、食事療法が効果があれば医者は要らないよと否定的であった。どうも医師族は自分の専門分野以外の療法、特に民間療法的なものは認めがたい傾向にあるようだ。
 思えば、重粒子放射線の全治治療を受け、その8ケ月後にPSA再発となり、微上昇ではあるがずーと継続して上がり続けたPSA値が投与薬剤の変更なしに始めて下がったのだ。これ以外でPSA値が下がったのは投与薬剤を抗アンドロゲン剤のプロスタールから女性ホルモン剤のプロセキソールに換えた時点のみである。これを食事療法の効果と言わずしてなんの効果と言えばよいのか。現時点であまり過大に評価するのも危険かもしれないが、メタボ対策の意味も含めて、これからの食事療法の継続実施に意を強くした次第である。家内にも感謝、感謝である。また、追記しておくと血液検査の方も中性脂肪の数値を含め、すべての項目で改善の傾向が見られた。


2009年10月15 日(PSA値、ほぼ横ばい、食事療法の効果か。)

 10月9日、I病院での診察、PSA値0.021、前回に比べ僅か0.002の微上昇、ほぼ横ばいと言っていい。ひとまずほっとするが、これは食事療法の効果が出たせいだろうか。四足動物の肉類は厳禁とし、たんぱく質は大豆食品、魚類で採る、塩分と甘いものは出来るだけ控え、野菜中心の食生活に心がけたつもりだが、アルコール類は夕食のビール350ml×1に抑えたものの、野菜ジュースは採ったり採らなかったりとかなり自分に甘い食事量療法なのだ。最初から厳しいやり方でやっても途中で挫折するよりはよいだろうと思ってやってきたわけだが、これからも続けてゆく価値は十分ありそうだ、いずれにせよ、この方法の効果はあと3ケ月後のPSA検査で判断できそうだ。

 H先生には、前回からの懸案である画像診断の必要性について聞いてみる。先生はこれぐらいのPSA値ならば画像検査の必要性はない、がんが存在したとしても画像としては写らないので、やる意味はないと明確に答えられる。また、これからの交替薬剤について、最後の手は出来るだけ残しておきたいので、今後の相手(がん細胞)の出方(PSA値)を見て、慎重に判断して行きたいと言われる。抗男性ホルモン剤で未だ使用していないオダインについて、使用の可能性について聞いてみると、候補の一つだが、あれは最近、肝臓に悪いとの話もあるよと言われる。前任のM医師とは異なり、出来るだけ延ばし延ばし薬剤を倹約しようとするH医師の考え方は千葉大の鈴木先生あたりと同じで、好感が持てる。


2009年8月20日(PSA値、また上昇が始まる。食事療法の開始。)

 7月17日、I病院での診察、PSA値0.019と前回より約5倍近い上昇となる。H医師は今の所、0.01レベルの値であるが、これが0.1桁レベルの上昇となれば、もっと強い薬を使うことになると言われる。
 8月20日、重粒子病院での診察、T医師は一寸変化が大きすぎるねとやや心配そうな顔、PSA値の絶対値として小さいがホルモン療法でこんなに大きく変化することは先ず無いなあと言われる。今よりもっと強い薬とはエストラサイト(女性ホルモン剤と抗がん剤の合薬)、次にステロイド、これで駄目ならば抗がん剤のタキソテールということになる筈だが、いずれも、かなり副作用があるといわれている薬剤だ、その意味では現在投与中の女性ホルモン剤は出来るだけ長く投与が望ましいわけだ。そのために個人として出来ることはなんだろうか。それは身体の免疫力を高めることしかないようだ。つい、この間、長女が買ってくれた「今あるがんが消えていく食事」(三愛病院研究所長、済陽医師著)によれば、前立腺がんでの食事療法の有効率は70〜80%で、再発を含む進行がんでも丁寧な食事療法を行えば、6〜7割が改善しているとデータ付きで紹介している。ただ、この食事療法は大量の野菜・果物の摂取、動物性の脂肪・たんぱく質の制限、塩分制限などでかなり厳しいもの、食事療法の一つで有名なゲルソン療法では、一日当たり3000mlの野菜ジュースを飲むことになる、私にはとても不可能な数字であるが、まあ、家内の協力を得て、できるだけのことはやってみようと思う。T医師にこのことを聞いてみると”うーん”これは科学的な根拠のある話なのか、理論的なエビデンスがあるのか、食事療法でがんが消えるならば医者はいらないことになるがとかなり懐疑的であった。

 まあ、お手本どおりの食事療法とは言いがたいかもしれないが、今日から極力、塩分、四足動物の肉などをひかえて、野菜主体の食事に切り替えてみようと思う。考えてみれば、これはメタボ対策でもあり、年配者の健康維持に必要なことではないか。


2009年5月21日(治療方針は変更なし。)

 4月24日、I病院で新任の医師による診断を受ける。まずは先日退職されたM医師の後任できたHです。よろしく、お願いいたしますとの挨拶を受ける。私もこちらこそよろしくお願いいたしますと型どおりの挨拶を交わす。
 それから、1週間前に測定したPSA値は、0.004、この数値ではこれからの動きの判断は出来ないので、治療方針は今までどおりで継続したいとリュープリンの3ケ月製剤の注射とプロセキソールの継続しての投与となる。排尿改善剤のベシケア錠についてもこの薬は止めると症状がすぐ元に戻るので、しばらくは付き合って服用した方がよいということで、これも継続して処方してもらう。てきぱきとした会話で反応も早く、いわゆる医師タイプの方のようだ。

 5月21日の重粒子病院でのT医師の診断でも、PSA値0.004は横ばいともいえる数値なので、今までの治療でよいでしょうといわれる。やや気がかりであった今はやりの新インフルエンザに対する免疫力の低下についても、ホルモン療法では特に免疫力を低下させることは無い、血液像も異常はないので、心配は要らないのではとの話であった。

 まあ、今の所、治療経過としては順当なので、特に気にすることはないのだが、根は心配性で気が小さい、このような状態が何時までつづくのか気がかりは消えないのだ。


2009年3月11日(リンパ節の腫れ、転移の疑い解消せず。)

 2月27日、先日撮影した左骨盤部リンパ節のMRI撮影結果をI病院に聞きに行く。M医師はリンパ節も縮小傾向にあり、ホルモン剤がよく効いているようだ、先ずはよかったですねという。やれやれ一安心と継続して服用するプロセキソール錠と併せて、頻尿、尿切迫感の改善のため、排尿障害改善剤ベシケア錠も処方してもらう。帰り際にM医師、私は3月一杯で退職する、公認は慶応の医局から別の医師が派遣される、新しい医師からまた違った目で診てもらうのもよいでしょうと言われる。何処に行かれるのですかと聞いてみると横浜で開業するという。長い間、お世話になり有難うございましたとお礼を言うが、突然の話でびっくりする。ここ3年余り、この病の初診から色々とお世話になった医師でもあり、残念な気持ちで一杯だ。ただ、横浜でのご成功を祈るのみ。

 3月11日、I病院でリンパ節を撮ったMRIフィルムをコピーしてもらい、重粒子病院の診察に出かける。T医師はこの左骨盤部のリンパ節の腫れを見て、若干縮小しているが、未だ転移の疑いは残る、これからのPSA値の推移をみて、再度MRI撮影してみる必要がある、それよりも一度CTで撮った方が良いかもしれないという。I病院のM医師の言葉で安心していたが、なかなかそうはいかないようだ。PSAの再発から転移まで8年、転移から癌死まで5年という平均値の話をしてみると、それはあくまでも間歇療法(注参照)でホルモン治療を行っている患者の話であり、貴方の場合はそこまで行く前のホルモン治療中にPSA値が上昇、もし、リンパ節に転移しているということになれば、後段の5年の話になってくる、あまり楽観はしない方がよいのでは、まあ、転移と決まったわけではないし、今の女性ホルモン剤の効果が1年なのか、それともずーと効果が持続するのかわからないし、今すぐどうのこうのという話ではないので、余り気をもむ必要も無いがといわれる。
 T医師は今回のリンパのフィルム、前回のリンパ腫れのフィルム、重粒子病院でのフィルムをライトボックスで比較しながら説明してくれる。なかなか思うようにはいかないのが癌治療かと思いつつも、T医師の説明は本当に良く解ると改めて感心する。

 注:ホルモン療法の間歇療法とは。
  ホルモン療法を長期間継続していくと、ホルモン剤の効果がなくなる時期がくる。遺伝子の変化が起きて癌が耐性を持つ、これ対して、ホルモン剤をずっと続けるのではなく、一旦中止して、PSA値が高くなったらホルモン治療を行い、下がったらまた休むという時間を稼ぐ治療方法をいうが、まだ、明確なエビデスはないようだ。


2009年1月31日(PSA値の劇的な低下)

 3ケ月毎のリュープリンの注射とホルモン剤の処方箋をもらいに行く、併せて、1週間前に測定したPSA値を聞く。驚く無かれ、PSA値か゛0.003未満という。未満とは測定できないほど、値が低いということだ、これは重粒子線治療を終えた3ケ月後に出た最低値と同じだ。
 M医師は女性ホルモン剤は当たりましたねという。こちらは一瞬言葉を失いましたが、謝意を表してから、気を取り直して、抗がん剤タキソテールの投与の必要性について聞いてみる。最近発行された「がんサポート2月号」によれば、タキソテールは再燃前立腺がんの治療薬として最後の手段として述べられており、千葉大では基本的対応として、抗アンドロゲン剤の種類の変更→エストロゲン製剤(女性ホルモン)→ステロイド(デキサメタゾン)→化学療法(タキソテール)となっています。また、北里大学て゜も抗アンドロゲン剤が効かなくなった場合、ステロイド→エストラサイト→最後にこれらとタキサン系の化学療法との併用になると言っています。しかも、これは一般論でしょうが、前立腺がんのPSA再発から転移までの中央値は8年、転移から癌死までの中央値は更に5年、実にPSA値が再燃してから死にいたるまで、13年と記載されています。私の場合はPSA再発からまだ1年半した経っていません。ならば、抗がん剤以外の手段があるうちはそれを使用すべきではないでしょうか。私はあと10年もいきられれば、御の字だと思っておりますと言って見る。
 これに対して、M医師は貴方の場合は症状とPSA値が必ずしも一致しないタイプ(つまり、PSA値がそれほど高くなっていないのに症状としては進んでいるの意)なので、一般論は当てはまらないこともあり得る、ただ、今回、PSA値が大きく下がったので、今の段階では使用する必要はありませんね、出来るだけ最後に持ってゆきたいと言われる。

 このように、女性ホルモン剤は劇的な効果があったわけですが、身体上、いろいろな副作用と思われるものが出てきている。PSA値の測定時の血液検査の結果では、中性脂肪が272と正常値の約2倍、これに反して、総タンパクは5.9、アルブミンは3.6と標準値をかなり下回る。女性ホルモンが栄養素のすべてを中性脂肪として身体に取り込んでいるせいだろうか。肉類の摂取を出来るだけ控えて、大豆中心の食生活に入る必要があるようだ。


2008年11月28日(PSA値初めての低下、左骨盤部リンパ節に腫れ)

 10月21日測定のPSA値とMRIの結果を聞きに行く、PSA値の方は0.047と昨年の8月以来の上昇が止まり、初めての低下となる。ただ、MRIの方は左骨盤部のリンパ節に腫れがみられるということで、一難去ってまた一難という感じだ。3ヶ月後に再度、MRI検査を行い、その結果で判断しようということになる。局所、つまり前立腺の部分はよくコントロールされており、異常所見はなしという。私の方からリンパ節の腫れはがんの転移と言えるのですかと聞いてみると、この程度のPSA値では転移の可能性としては低いと思うが、3ヶ月後に再度、MRI撮影をして、大きさをチェックしてみて、それからの判断になるという。もし、転移ということになれば、抗がん剤のタキソテールとステロイド剤を外来で点滴することになると言って、国立がんセンター中央病院で作成している「ドセタキセル(商品名タキソテール)による治療を受けられる方へ」という小冊子をくれる。副題に「お薬の紹介と副作用への対策」という題もついているもの。結構、副作用が強そうで心配だが、M医師は投与に積極的、リンパ節の腫れがセーフでも、現在投与されている薬の効果がなくなれば使うつもりの様だ。

 まあ、あまり先のことを心配しても、どうにもならないが、薬の副作用は中々きついもの、今服用中のプロセキソールという女性ホルモン剤、乳首が腫れ、触ると痛い、腹部もかなり膨らんできたような気もする。身体全体が女性化してきているのだろうか、ゴルフをしてもどうも今までの様に力がはいらない、前立腺がんに侵されているプロゴルファーの杉原プロもホルモン療法による治療を行っているようだが、この女性ホルモン剤だけは使っていないとか。
 抗がん剤タキソテールの投与については、これからの病状次第なのだろうが、よくよく自分が納得の上としたいものだ。


2008年10月31日(女性ホルモン剤プロセキソール錠に変更)

 10月21日測定のPSA値は0.065に上昇、たまりかねたのか、M医師は薬を換えましょう。合成女性ホルモン剤のプロセキソールです。でも、千葉大の鈴木先生は薬の交換はPSA値が0.3か0.4ぐらいになってからでよいと言ってしましたがと反論すると、M医師は千葉大は出来るだけ薬を延ばして使おうとするが、私としてはPSA値が未だ低いうちに効果的な治療方法をとりたい、もし、プロセキソールが効果が無い場合は最近認可された抗がん剤のタキソテールを使用しようと思っているという。確かに、ネット情報(がん患者のあきらめない診断室)では、「前立腺がんにタキソテールはどのタイミングで投与すべきかという問題に対して、ホルモン療法に抵抗性になったら、間髪をいれずタキソテールを開始すべきた。」と記載されていました。タキソテールの投与は、まだPSA値が比較的小さく、転移が確認されていないうちに投与したほうが効果が大きいということなのだ。

 ただ、タキソテールの使用は副作用の問題もあり、かつ私の今の状態で直ちに使用すべきなのか、まだ、未使用のホルモン剤(エストラサイト、オダイン)が無いわけではないのだ、ここら辺の疑問は来週の重粒子病院のT医師に是非、伺ってみたいと思う。


 11月8日、重粒子病院での診察日、T医師の説明は誠に明快、貴方の場合は再燃状態なので、もう完治はありません、これを前提にして考えれば、どちらの方法がより延命に効果的なのかということになる。これには正解はありません。千葉大のようにホルモン剤を細く長く使ってゆくやり方と一方でまだがん細胞が小さいうちに抗がん剤で叩いてしまうやり方、どちらにより延命効果があるのかは非常に難しい問題です。ただ、一般論になりますが、この病気はそんなに極端に病状が進行することはないので、もう少し、ゆったりと病状を見て行ってよいのかもしれません。3ヶ月1回のPSA値測定、1年単位で薬剤の変更という具合に、その意味ではPSA値を下げるということに拘っているのかもしれませんね。まあ、いずれにせよ、まずプロセキソールの結果が出てから判断して良いのではないでしょうか、という返事でした。
 来週に予定されているMRI画像検査についても、今の段階で撮影してもわからないのが普通ですが、ただ、時系列的に画像の細かい所まで、見てゆくというやり方もありますからと決して、他人の判断を否定しないところが、この方の人柄を見る思いでした。


2008年8月1日(PSA値の微上昇依然として続く。)

 7月25日に行ったPSA値とMRI検査の結果をI病院に聞きに行く。あわせて、6月24日に受診した千葉大での話もする。
 まずは、PSA値は0.047と相変わらず、微上昇が続いているが、幸い、MRIの結果はリンパ節も含めて、異常がないといわれる。
 M医師は薬を換えてみようかと言われたが、私が千葉大での話し(ホルモン剤の交替はPSA値が0.3か又は0.4ぐらいになってからでよい。)をするとそれではもう一寸様子を見ようということになり、現プロスタール錠の継続投与となる。ただ、気になるようなことを言われる、それは除睾術(精巣摘出術)のことも考えておいた方がよいという、つまり、睾丸を取ってしまう、いわゆる去勢術のことだ。まあ、現在、3ヶ月ごとに注射をしているLH−RHアゴニスト(リュープリン)と除睾術とはまったく同じ効果なので、ホルモンに抵抗性が出てきたこの段階で除睾術を行う意味はどこにあるのか。このことは、来週予定の重粒子病院のT医師に聞いてみるとにする。どうせ、今では、生殖能力もないので、いっそのこと、除睾術を行った方がすっきりするような気もするが。

 8月8日、重粒子病院での3ヶ月目の診断だ、今までの症状経過を説明、その後、まず、除睾術の是非について聞いてみる。T医師は除睾術の結果、一時的にPSA値が下がる人、まったく下がらない人など、様々のようです。ただ、除睾術は3ヶ月に1回のリュープリン注射の必要性もなくなり、その分、経費もかからなくなるというメリットもある、したがって、これは基本的に患者個人の選択で決めればよいことではないかという返事でした。まあ、あわてることはない、ゆっくりと考えて決めればよいことなのだ。また、T医師はホルモン剤の交換について、千葉大でのPSA値0.3又は0.4ぐらいになってからでよいのではという示唆については妥当な数値です、千葉大はホルモン療法については権威のある所なので、折に触れて、相談に行かれたらよいといわれる。
 ホルモン療法について標準的な治療法があるのか聞いてみると、前立腺がん患者は人によって前提となる病態が異なるので、治療法も様々であり、一概に言えないが、一般的には抗テストステロン剤が効かなくなった患者については、まず、女性ホルモン→ステロイド剤→抗がん剤の順番になるという話でした。また、いま世界中でホルモン抵抗性がんに対する研究が進んできているので、画期的な新薬の登場も大いに考えられると千葉大の鈴木教授と同じような話をされる。この方との診察はいつもわかりやすい説明と患者に希望の持てるような話をされる、まあ、かなり、気休め的な話であったとしても、患者としては気持ちが安らぐことになる。


2008年6月24日(千葉大学付属病院て゜鈴木教授の診察を受ける。)

 千葉大病院では前立腺腫瘍の診察は午後の専門外来ということなので、一寸遅めに午前中、外来での初診手続、そして泌尿器科に受診手続きに行ったところ、幸いにも鈴木先生はすぐに診察をしてくれました。千葉大付属病院泌尿器科診断教授といういかめしい肩書きにもかかわらず、未だ若くて、とてもハンサムで親切な医師でした。

 私から昨年8月以来、PSA値が微上昇とはいえ、連続上昇しているが、このまま現在の治療を続けてよいのでしょうかと聞いた所、「貴方の場合は未だPSA値が低いので、現在の治療を継続していくことです。転移が出てくるのはPSA値が10とか20とかになってからです。もし、オダインなどの他のホルモン剤に換えるとしても、PSA値が0.3か0.4ぐらいになってからでよいでしょう。ホルモン剤も百種類もあるわけではありませんので、そう簡単に取り替えるわけには行きません。当面はPSA値の推移を見ながら、定期的に画像検査を行うことで、病状の進行をウォッチしていくことです。
 なんか良い特効薬でも出てこないものでしょうかという厚かましい質問には、「貴方の場合はオダインなど、これから使用できる薬剤は4剤ほどあるが、1剤1年効果があるとして全部使い切るまでに後、4年かかることになります。この間に画期的な薬が開発される可能性は十分あるでしょう。この間の米国での学会でもかなり有望な薬の紹介がありました。まあ、日本で使えるようになるには未だかなりの期間はかかるとはおもいますが。」という返事でした。
 最後に現在、投与中の抗男性ホルモン剤の一時中止の件について伺ってみると、肯定も否定もなく、はっきりとした返事はなかった、現在、他の医師が治療中の患者にご自分の見解を押し付けることにはやはり、抵抗があるのだろうか、それとも、この病は個人的な要素が多いので、実際の診療を担当していない患者に断定的な治療法を言うのは難しいことなのかしれないと思いました。

 大体、事前に自分が予想していた医師の回答(診察)なので、安心したようなしないような気持ち、帰りは昔おなじみの千葉駅での魚介入り、トマトソースのスパゲティを食べる、2年ぶりの懐かしい味でした。

 


2008年6月6日(PSA値、微上昇続く。)

 がぶがぶと水を多量に飲んでPSA測定に備えた5月30日、今日その結果を聞きに行く。測定値は0.038と0.002の微上昇、昨年の8月からPSA値の上昇が続いている。一度として下がったことが無いのが気になる。M医師はほとんど変化がないので、ブロスタール錠は継続しましょうとのこと、多分、少しでも長くこの薬を使って、他のホルモン剤は出来るだけ使わないで取って置くという考え方なのでしょう。

 昨日、ネットの医療ニュースで5月に開かれた「米国臨床腫瘍学会」で、千葉大の鈴木先生が「初回MAB療法(*)施行後に再燃した進行性前立腺がんに対し、別種の抗男性ホルモン剤に交替することにより、約60%は再びホルモン剤に感受性を示し、生存期間を延長することができたという。」 このことを臨床経過に基づき、エビデンスとして発表されたもの。その中で、私が気になったことは、「抗男性ホルモン剤を一度中断し、PSA値の50%以上の低下を確認してから、別の種類の抗男性ホルモン剤に交換する。」という所、この部分をM医師に説明し、私の場合も一度、現在投薬中の抗男性ホルモン剤を中止してみてはどうかと提案してみた。
 M医師は貴方の場合は、GS(癌の悪性度)が極めて高く、しかもリンパ腺も腫れた(癌によるものかどうかは不明)ことか゜あるので、一時的でも投薬を中断することはすごく危険だという。そして、千葉大の鈴木先生は知っているので、一度、相談に伺ったらという。このままでは、生きている限り、ホルモン剤は使用続けなければならないことになる。現在の治療の妥当性について、一度、千葉大で診察してもらういい機会が出来たわけだ。
 最後に、M医師はそろそろ、前回のMRIから半年になるので、MRIを撮ってみたいという、私から骨シンチはどうしますかというと、今回は省略しようという、M医師はあくまでも、前立腺部での再燃を疑っているようだ。

 *(参考) MAB療法とは
  前立腺がんは精巣と副腎から分泌される男性ホルモンの影響で増殖する。精巣から分泌される男性ホルモンにはLH−RHアゴニスト(リュープリン、ゾラデックス)、もう一つ、副腎から分泌されるものは、抗男性ホルモン剤(ブロスタール、オダイン、カソデックスなど)で、両者相まって、がん細胞の増殖をブロックするというもの。
  手術、放射線のような全治治療の場合は、MAB療法の適用は原則としてないわけだが、私のような高リスク群は、放射線治療後、2年間のMAB療法が標準治療ということになっており、その治療の途中でPSA値が上昇、つまり再燃ということになってしまったわけです。
  


2008年5月16日(重粒子センター病院による3ヶ月目の診察、がんとの共存か。)

 まず、2月のI病院でのMRI、骨シンチ検査の結果が異常の無いこと、PSA値は4月になり、また、上昇し始めたことなど、これまでの経過を説明する。
 これに対し、T医師からは今までのPSA値の状況から見て、がん細胞が前立腺部に残存しているか、あるいは身体の何処かに遠隔転移しているかわからないが、がん細胞自体の存在は明らかであり、したがって、今後、全治的なことは期待できない。これから、長い期間にわたって、PSA値があがったり、あるいはさがったりの状態が続くことになり、検査の度に精神的なストレスが溜まることになる、この場合の精神面での付き合い方によく考えておく必要があるでしょうと言う。(東大病院の中川医師には達観した生き方を勧められたが、私にはとても無理、せめてがんとの共存について考えていかねばと思うのだが。)

 転移については、通常、PSA値が現在の50〜100倍位に上がらないと出現しませんが、貴方の場合、もともとPSA値が低くて、病態としとはかなり進んでいるタイプなので、PSA値がもっと低くても転移がありうるかもしれません。それでも、転移の心配はPSA値が1程度になってからでしょう。
 がん細胞も少なくとも5mmぐらいの大きさにならないと画像診断ではわかりません。したがって、これからもPSA値の推移を見て、定期的に画像検査をする必要があります。まあ、当分の間、ホルモン療法で行くことになるでしょうということでした。

 私から、未だがん細胞の小さいうちにタキソテールのような抗がん剤でたたくということは出来ないのでしょうかと質問すると、先生は考え方としてはあるが、抗がん剤は副作用も大きいので、今の貴方の身体状況でそのような選択をすることは一般的にはあり得ませんねという返事でした。

 T医師はこれからの病態、治療の推移、そして精神面の心配まできちんとわかりやすく、丁寧に説明してくれた。決して患者を上から見下ろすようなことはない、質問にも丁寧に答えてくれる、放射線医の中で前立腺がんについてはこの方の右に出る人はまずいないと私は思う。残念ながら、重粒子線で全治ということにはならなくなったが、こういう医師に診て貰えて本当に幸いでした。


2008年5月2日(PSA値、再び上昇)

 4月25日測定のPSA値を聞きに行く。あわせて、リュープリン3ヶ月製剤の注射をする。測定値は残念ながら、0.036とかなりの上昇となっている。M医師からは、今月、もう1回測定してみて、結果が変わらなければ、投薬を換えてみましょう、朝のPSA値測定の場合、身体の水分が減少しているので、測定値が高く出ることがあるので、この次はお昼近くに測定してみましょうということになる。
 現在のブロスタール錠の投与は昨年の9月22日からとなっているので、もう半年も経過してる。そろそろ効果が切れてくるころなのでしょう。その意味では順調といおうか、予定通りの病状の進行といっていいのだろう。これから、PSA値をにらみながら、ホルモン剤のとっかえ、ひっかえが始まるわけだ。

 昨日、近くの高円寺に藤を見に行ったら、境内の入口に掲げてある仏の言葉に「吾、生かされて、生くるなり。」とあり、身にしみました。


2008年2月22日(MRI、骨シンチともに異常所見なし。)

 自覚症状がまったく無いのに、異常はあるはずがいないと自分では確信していたが、2月6日に重粒子病院で3ヶ月検診を受けた際、T医師から貴方の病態はPSA値がそれほど反映されないタイプ(病期C、低分科型、GS9で、しかもPSA値がそんなに高値ではないが症状としては進行しているタイプ)であり、PSA値が低いからといって安心しないで、局所つまり前立腺部のMRI、それに全身の骨シンチは早めに撮った方が良いと言われていたので、一抹の不安はあった。結果はNo Remarkable(カルテの記載)、異常所見なしとのことであった。
 I病院のM医師もよかったねと喜んでくれたが、素直に喜べない私は、一つだけ聞いてみる。私の場合、転移の可能性が出てくるPSA値はどのくらいになるでしょうかと、これに対しての医師の返事は0.1以上になれば、かなりやばいことになるとの返事であった。がんは未だ小さいが、私の身体のどこかでうごめいているのですねと言うと前立腺部の何処かにいるねと言われる。

 まあ、あまり、先々のことを心配してもどうにもならないと分かってはいるが、次回5月のPSA値の測定が早くも気になるのは仕方が無いことでしょうか。


2008年2月1日(PSA値、落ち着く。)

 3ヶ月ぶりのPSA値の測定、結果は0.016と前回(10/25)に比べ、僅か0.001の上昇、I病院の主治医、M医師はブロスタールが効いているのでしょうという。
 昨年11月に江戸川病院での診察結果について話をする。M医師から向こうの先生から返事は頂いていると言われたが、あえて、現状以上の治療方法はないこと、人間いずれ寿命というものがあり、貴方もこれからの人生を達観して過ごしてくださいと言われたことをいう。これに対して、まあ、偉い先生ですからねとの一言でした。

 これからの治療方針はどうなるのかと聞くと、リュープリンの注射を継続しながら抗アンドロゲン(男性ホルモン)剤の方は逐次、変更してゆく、それでも、PSA値が上がる場合は睾丸の摘出術を行うこともあるが、まあ、今はブロスタール錠が効果があるので、この薬を続けていきましょう。それから、貴方の場合はPSAが比較的低くて、症状が進行しているタイプなので、前立腺周辺の状態を造影剤を入れたMRIで診てみましょうという、私が骨シンチはいいのですかというと、それじゃ、骨シンチもということになる。MRIは2/8、骨シンチは2/15に行うことになる。

 それにしても、素朴な疑問がわいてくる。MRIの結果が医師の懸念どおり、前立腺部に再発があったとしても、私の場合は、既に放射線治療が終了しているので、もう手術(放射線治療が先行した場合、癒着が起こりやすいため、次の手段としての手術は非常に難しい。)、再度の放射線治療はないというのに、何のためのMRI撮影かということなる、これも金取りの無駄な検査かという疑念がどうしても消えない。
 骨シンチは転移があるかどうか、確認のための検査なので、この必要性は納得できるのだが。


2007年11月8日(再燃と診断)

 11月2日、1週間前に測定したPSA値をI病院に聞きに行く。PSA値は0.015と極めて微量ながら、3回連続の上昇となる。これで、再燃(再発)かとM医師に聞いてみると、微量な上昇なので、あまり心配することはありませんよと直接の回答を避けたようだ。リュープリンの3ヶ月製剤を注射し、プロスタール3ヶ月分の処方をもらって帰る。

 11月7日、重粒子病院のT医師の診察、ホルモン療法継続中にPSA値が3回連続しての上昇なので、再燃とみてよい、ただ、前立腺内でのがん細胞の残存はないはず、前立腺以外の部位からの再燃とみる、今後の治療方針としてはしばらく経過観察を行い、PSA値を出来るだけ、今の水準を保つような投薬を行い、もし、それでも上昇が継続するようなら、定期的なCT画像などの検査から、転移部位の早期発見に努めるべきでしょう、必要なら当院で画像検査はやってもよいという。放射線の局所への再治療はリスクが高く、実施する意味は無い、江戸川病院ではセカンドオピニオンとして聞いてくるのは結構ですが、当院でのトモセラピーの治療はありませんよと念をおされる、また、ホルモン抵抗性前立腺がんの治療は中々厄介ですよと極めて明快な回答でした。

 11月8日、江戸川病院での初診(当初、1月28日の予約がキャンセル待ちで早まる。)、放射線治療医として有名な東大病院の中川医師である。診断は江戸川病院ではなく、すぐ隣接するメディカルプラザ江戸川という新しい施設で行う。中川医師はのっけから、えっ重粒子線治療を終わっているの、放射線治療の再治療はないよという、まあそういわず、これからの治療方針について教えてくださいというと、もう現状以上の治療方法はありませんよ、ホルモン剤が効かなくなれば抗がん剤を投与するぐらい、PSA値のこれからの推移も正直いってわからない、転移の時期も何処に出るかも不明、PSA値が上昇すれば、骨シンチを撮ってみるぐらいだなあ、人間はいずれ誰しも寿命というものがある、達観してこれからの生活を楽しんでくださいと、もう既に放射線治療を終わった再発患者は興味がないといわんばかりであった。これではがん難民が出るわけである。

 でも、中川先生の言われるとおり、人間誰しもがやがて死を迎える、まして私の場合、齢70歳、私の兄は68歳で亡くなっており、昔の人に比べれば十分長生きしたことになるわけだ。解らないことを悩んでも仕方が無い、達観してこれからの余生を送ればよいわけであるが、これはあくまでも理屈、できれば平均寿命ぐらいは生きたいと思うのはわがままだろうか。私は最後までがんに負けないという気力こそが、これから生きる勝敗の決め手になるような気がする。ホルモン療法、抗がん剤治療にしても、患者のPSA値、身体の状況を良く診て、最良の投薬手順、治療方法を考えてやるのが医師の使命というものでしょう。ネットをみても、東京医科歯科大の順次的療法(再燃して治療が効かなくなった場合、有効と考えられる投薬を順番に試みる療法)、ホルモン剤の間欠療法(PSA値がある測定値以下まで低下したら、ホルモン剤の投薬を一旦中止し、PSA値が亦再上昇してきたら再開するホルモン療法の延命治療法)などいろいろあるようだ。その意味では、中々難しいことではあるが、決して、現状の治療に甘んぜず、あきらめず、より最適な治療機関や医師選びが大事だと思う。


2007年9月26日(重粒子センター病院での診察)

 I病院の検査結果を携えて、重粒子病院に行く。あいにく医長のT医師は出張で不在、若いK医師の代理診察となる。重粒子線治療の時にお世話になった先生方の一人で、懐かしい。
 再燃かどうかの判断はPSA値が3回連続して上昇した場合に生化学的再燃とみなされるようだ。の場合は後1回、PSA値の測定が必要になる。ただ、上昇カーブが大きいので、再燃の可能性は高いでしょう、でも、通常PSA値が1になる迄はホルモン療法を継続して、様子を見ることになるので、今の時点で余り心配しても仕方が無い、しばらく様子をみるしかありませんとの話であった。また、同一部位に対する放射線治療の再放射はあり得ない、再放射による正常組織へのダメージが重複され回復できない大きな後遺障害が発症する、これは臨床的にも確認されていることなので、これを認める放射線医はいないでしょうという。

 最後に再燃となった場合、本院でその治療をしてくれるのか、放射線治療後、3カ月毎の診察をしておきながら、再発しても少なくともホルモン療法の継続も出来ないのかと質問する、帰り際、同行した家内から貴方の言い方がきつく、怒っているように聞こえるわよと言われる、私のがんの顔つきが悪い(悪性度が高い。)のも、このような自分の性格の反映かもと自嘲する、K医師の回答はここは重粒子線治療に特化した医療機関なので、合併症などが出ても対応できず、それで、再燃した場合の治療は基本的には出来ません、ただ必要な医療機関の紹介はいたしますとの返事であった。

 この前立腺がんという病は症状の展開が遅いので、余りあせっても仕方がないのだ、でも、このPSA値には振り回されるなあ。


2007年9月21日(PSA値の微上昇が続く。)

 9月4日に検査したPSA値を聞きに行く。0.012と前回よりも倍の上昇だ。I病院の主治医も「すこし心配ですね。紹介状を書くので、江戸川病院でのIMRTの可能性について話だけでも聞いてみてください。」とかなり命令口調で言われる。一応、二度目の放射線治療は無いはずだと話はしてみたが、江戸川病院のIMRTは前立腺がんに特化した精度の高い放射線治療で、しかも東大病院の中川恵一先生というこの道の権威のある医師がいるので話だけでもと重ねての説得であった。ところが、家に帰ってから江戸川病院に予約の電話をしてみると、なんとこの先生の診察は来年の1月28日まで空きがないという。とりあえず、放射線の再治療はないといわれることを承知の上、予約しておく。がん難民はまだまだ沢山いるようだ。

 内服薬(抗アンドロゲン剤)の方はカソデックスを止めて、プロスタールに切り替えることになる。主治医が再度の放射線治療にこだわるのも、やがて時間の問題でホルモン療法が効果がなくなることを心配しているためなのだろう。
 本当にこの病はおかしなものだ、症状としては何も無く、今は食欲も十分、身体はすこぶる充実しているのに貴方はがんという病だといわれ、治療を強制される。何も知らなければ、今頃は快適な老後を過ごしていた筈だと思うが。
 人間は誰しも「生老病死」という宿命をもっている。これから先、どのような経過をたどるのか解らないが、せめて今を一生懸命生きることしかないと思う。


2007年8月17、29日(PSA値の微上昇、再燃か。)

 8月17日、I病院での診察、8月3日に行ったMRI及びPSAの結果を聞きに行く。今まで、ずっーと、0.003未満であったPSA値が0.006に上昇したという。ホルモン療法中のPSA値の上昇は(放射線治療にもかかわらず残存したと思われる)前立腺がんがホルモン治療に対して、抵抗性をもったことになり、治療としてはきわめて厄介なことになるようだ。主治医のM医師は江戸川区の病院での放射線の再治療を勧める。えっ、放射線治療は再治療が出来ないことになっている筈ですがというと、放射線の種類が異なるからいいのだという。
 一応、この場は上昇値が微量なので、もう1回、来月検査してから再燃(再発)かどうか判断することになるが、とうとう最も懸念していた事態がきたかと暗澹たる気分となる。MRIの方は「明らかな(がんの)残存は指摘できず。」との所見でした。

 8月29日、重粒子病院でのT医師の診察、I病院での検査結果を伝えると共に疑問に思うことを尋ねてみる。まず、PSA値0.006の意味についてはどうか、これについては「今まで続いてきた0.003未満と0.006とのPSA値の幅が不明なので、これだけでは再燃がどうかわからない」という。また、再度の放射線治療についてはあり得ませんと否定された。
 まずは、来月のPSA値の検査結果をみてから考えましょうということになる。いまさら、じたばたしても仕方がないことだが、PSAの数値待ちというのはきわめて精神衛生上よくない。

 帰ってから、ネットで調べてみると、内分泌療法(ホルモン療法)を施行していてPSA値が上昇した場合は再燃と呼ばれ、この場合は内分泌療法の種類の変更、つまりホルモン療法の組み合わせをいろいろ変える治療方法がとられるようだ。リュープリンをゾラデックスに換える、またはカソデックスを他の抗アンドロゲン剤に換えて効果を診る、それでもPSA値が上昇する場合はタキソールという抗がん剤による治療もあるようだ。しかし、いずれもやがて効果がなくなり、緩和治療の対象となるという厳しいものでした。また、再度の放射線治療があり得ないということは、根治線量で生き残った前立腺がんに対して再照射しても効果がないことからくるもののようだ。


2007年5月23日(重粒子線センター病院、3ヶ月目の診察とリンパ節の腫れ)

 真夏を思わせるような強い日差しの中、マイカーで重粒子センター病院に出かける。経過観察のための3ヶ月毎の診察です。
 その前にI病院での診察結果について説明しましょう。4/6PSA検査は0.003未満で前回と同じ。4/19MRI撮影、その結果M医師から股関節のリンパ腺が腫れているよといわれる。PSA値の変化がないので、心配は要らないと思うがといいながら、今月から中止する予定であったカソデックス(これは副腎から分泌される男性ホルモンを抑制する内服薬で、この他に精巣からのホルモンを抑えるリュウプリンという薬を注射をする。)は継続投与するという。そのことを踏まえての今日の重粒子病院での診察だ。
 まず、T医師はのっけから私が持参したMRIフィルムを見て、何でMRIを撮ったのかという、私は放射線治療終了後6ケ月経過したので、病態の確認ではないですかと返事する。何も私がMRIを希望したわけではない。T医師はふーんと言いながら、リンパ節の腫れについても「いろいろな理由でリンパは腫れることがあるが、何箇所もあるリンパ節のひとつが腫れたからといってそれをいちいち気にしていてはどうにもなりません、まあ、1.5cm以上にでもなれば精査することも必要でしょうが、貴方のはそんなに大きいものではありません。心配する必要はありません。カソデックスの継続投与は残念でしたね。」と重粒子線治療の結果については自信満々の様子でした。

 このような重粒子センター病院の自信は次のような前立腺がんの治療成績にも裏付けられているようだ。同病院のHPから一部を紹介すると
 現在の5週間の(重粒子線による)治療法での治療成績では、5年生化学的非再燃生存率は、全体で88.5%、低リスク群で89.7%、中リスク群で98.0%、高リスク群で85.1%である。生存率は全体で91.6%で、低リスクおよび中リスク群の中には前立腺がんによる死亡例は認めない。前立腺がんによる死亡のみをイベント発生とする原病生存率(Cause−specific survival)をエンドポイントとして予後因子を検討した結果、グリソンスコアと病期が有意な予後因子であった。しかし、当院の治療成績が他の治療法に大きく優るのはむしろ中リスク群と高リスク群においてである。病期C、グリソンスコア8以上といった高リスク群の原病生存率が94.8%、93.0%といった高い数値を示していることは特筆に値する。

 私の場合、高リスク群の典型といってもいいタイプなので、重粒子線治療でのこの治療成績に一安心するが、それでも100%ではないんだという一抹の不安もぬぐいきれなのはあまりにも欲のかきすぎか。


2007年2月21日(重粒子センター病院3ヶ月ぶりの診察とPSA値の推移)

 I病院でのPSAの測定値は11月8日が0.004、2月9日が0.003未満と順調に推移している。主治医のM医師は貴方のがんは必ずしも、PSAに反映されないタイプ(PSA値の割には、がん細胞のたちが悪いことか?)なので、現在の状態をMRIで確認した方が良い、重粒子病院でやらなければ当院でやりたいとの話しもあり、その件も含めて今日の重粒子病院での3ヶ月ぶりのT医師の診察となる。

 T医師の話では、今後の一番の問題として、来年の3月にホルモン療法を中止した場合、その後のPSA値の推移がどうなるかということだ、これは個人差もあるが、中止後、ある程度の期間を経てPSA値が再上昇する筈、貴方の場合は多分、0.1程度(人によっては1.0程度)に上昇し、それがそのまま安定すればよいが、もし2.0以上に上昇した場合は再発(燃)が疑われることになり、ホルモン療法を再開するなどの治療が必要となってくる。

 ホルモン療法の中止の時期については、I病院にレターをして調整しますよとのこと、今後の診察については3ヶ月毎に行うが、状況を見て4ヶ月にしてもよい、ホルモン療法中止後、安定した状態が続けば6ヶ月毎の診察となる。MRIについても今撮ってもあまり変化がない筈だが、やるとすれば前回撮影から6ヶ月経過する5月がよいのではと言いながらも、T医師としてはやる気はないようだ。

 いずれにせよ、今後の治療方針については、私の状態に応じて、T医師からI病院と調整をして進めてくれる由、M医師からはホルモン療法の中止の時期などについて何の言及もないので、その時期についてどう切り出すのか気にかかっていたので、ひとまず安心する。次回の診察は5月23日だ。




2006年11月22日(重粒子線治療後、初めてのMRI検査の結果)

 ひさしぶりに主治医のT医師に会う。MRI撮影を行った後に診断となる。画像上は、治療前とほとんど変化はないという、これは重粒子線治療直後の状態としては理想的(?)とも言える状態で、1年後位には少しは違ったものになるかもという、つまり、前立腺がんは重粒子線によってDNAがずたずたにされて、分裂増殖は出来なくなっているが、しぶとく生きているのがこのがん細胞の特徴だそうだ、したがって、がんとしての形態に変化がないということは成長が止まったことを意味するので、これが治療効果としては正常な状態となるわけだ。おそらく、前立腺がんは各種のがんの中でも最も寿命の長いがんだという。他のがんは重粒子線によって比較的容易に死滅してしまうので、かなりの割合で治療前に比べるばがんそのものが縮小する、たとえば肺がんや子宮がんの場合は100%近くが縮小するのだそうだ。(重粒子線の場合、これを奏効率と呼んでおり、腫瘍が50%以上縮小したものの割合をいう。前立腺の場合は11%とか、16%とかの数字である。) また、私のがんは顔つきがかなり悪い(ハイリスク群)ので、併用するホルモン療法は3年が目標となるが、最小限2年間は継続する必要があるという、内視鏡を使ってリンパ節の除去手術という方法もあるが、これでも再発の可能性は100%除去できないという。

 最後にお酒もゴルフも過度でなければOKとのお墨付けをもらう、これでやっと制約から解放される。帰りは家内が運転してくれたので、船橋駅前で食事をしながら久しぶりに生ビールで喉を潤す。長い間の協力を感謝する。


2006年10月10〜12日(退院、重粒子線治療を終わって。)

 10月11日(水)、20回目の最終の照射が終わる。照射内容としては前部からが5回、左部から6回、右部から9回である。私の場合、前立腺の右部での浸潤が大きいため、その分、右からの照射回数が多くなっている。副作用としては今のところ、若干の排尿障害があり、ハルナールを投与してもらっている程度だ。その意味では重粒子線治療のうたい文句である人に優しい治療を身をもって体験したことになるが、放射線の影響はもともと個人差が大きいので、すべての人に優しいかどうかは断言できません。ただ、前立腺がんについて言えば、重粒子線による治療はすでに実績として10年近い年月を経過しており、臨床的に治療法としては十分確立されたものになっており、その分、安全度は高いようだ。

 最終の治療後、主治医の退院時の面接がある。ここでは、退院後の生活上の留意点についての諸注意があった。いわく、自転車には乗るな、飲酒は少なくとも、1カ月後の再診までは禁酒、とにかく照射1カ月から3カ月ぐらいは全身の抵抗力が落ちているので、規則正しい生活で無理をしないようにとのことであった。
 最後に私の方から主治医に質問してみる。このがんは何時の時点で完治といえるのか。
 がんの完治の確認は難しい。特に前立腺がんの場合は5年、10年という長期のスパーンで見ていくことになる。まあ、5年、7年後の血液検査などで異常がなければ、一応完治といえるでしょう。重粒子線の場合、前立腺での再燃は400例のうち、2例しかないので、ここでの心配はまずいらないでしょう、、それより、問題は見えざる微小転移がん、これは重粒子でもどうにもならない。ホルモン療法で抑えてゆくしかない。病期Cの局所進行がんでは20〜30%の確率で微小がんの転移がありうる。ホルモン療法については間欠的に投与する考え方もあるが、最近の統計では放射線治療と併用で長期継続投与が生存率、再燃率からみて優位であるといわれている。放射線治療の終了後、2ないし3年は必要なようである。もっとも2、3年でホルモン療法が効かなくなる人もいるようだがと不安がらせるようなことを言う。

 自分では今回の重粒子線での治療で一山越えたような気分でいたが、そうは問屋はおろさないようだ。がんという病に完治という区切りを与えるのはなかなか難しいことを実感、まあ、今から5年先、10年先のことを気に病んでもしかたがない、その時はその時と割り切るしかありません。

 退院時、看護師さんたちが玄関まで見送ってくれる。施設的にもゆったりとしていて、食事もおいしく、毎日入浴も出来、そして親切な医師、看護師、放射線技師さん、とても居心地のよい病院でした。有難うございました。
 最後に放射線技師さんに無理をいって撮ってもらった重粒子治療室のデジカメ写真を添付します。
          

      重粒子医科学センター病院         放射線治療室(患者は筆者)
           


2006年10月3〜6日(重粒子線治療、入院第5週)

 だらだらとか細い流れ、小水の出が悪いので、ハルナール(排尿障害改善剤、1日1錠服用)を処方してもらう。さっそく、一錠飲むと尿の出がよくなる。ひさびさに勢いのある流れ、気持ちよし。

 前立腺の入院患者さんは元気な人が多い。栃木から来たKさんは土日、当センター病院から5Kも離れている稲毛海岸に歩いて行ってきたという。千葉駅にも歩いていったよといとも簡単に言う。
 Wさんも後遺症もなく、治療が終了し、今日(10月6日)元気な姿で退院する。私も前述の排尿の件を除けば、今とのころ、特に副作用は何もない。後2回の治療で終了となるが、重粒子線は人に優しい治療であることは間違いはないようだ。


2006年9月26〜29日(重粒子線治療、入院第4週)

 いよいよ治療も後半に入る。副作用の方は尿の出方が相変わらず悪いが未だ、我慢の範囲内か。主治医のT医師にこの程度の副作用で終わるのか聞いてみると、重粒子線の効果はじわじわと効いてくるので、来週が山場でしょうと言う。排尿困難についてはハルナールという前立腺肥大に使用する薬があるので、いつでも処方してあげますと言う。とりあえず、もう少し様子をみてからと断る。

 病院の方は入院患者が増え、病床は満杯の状態、医師に聞いてみると患者は半年待ちの状態という。看護婦は医師の間でも、ベットの調整が大変だという。私の場合は丁度、8月一杯、シンクロトロンの整備のため、休業状態で、新規の患者の受付は行っていなかった関係上、比較的病床が空いた9月に入院することが出来たわけだ。600億とかの巨額な経費を要するこのような施設を簡単に全国に展開するわけにいも行かないだろうが、一日も早く、もっと小型で健保適用が出来、軽易に治療できる施設の開発が望まれる。現在の1/3の規模のものは開発は終わっており、群馬大に現在普及型タイプの第1号を建設中のようだ。


2006年9月19〜22日(重粒子線治療、入院第3週)

 今日で前半10回目の治療が終わる。前方からの照射は前半で終わりとなる。後半の10回は左右からの照射のみとなる。これは直腸への影響を軽減させるためだそうだが、こちらとしては前方から照射では必須となる、いわゆるトンネル工事、ペニスから膀胱内への生理食塩水の注入が悩みの種であったが、ようやくこれから開放される。まあ、実感としては、4、5回目にもなると苦痛度も減り、慣れたころ終わりになりますよというK医師の言うとおりでした。

 昨日、新しい入室者あり、左の眼腫瘍で手術後の再発で、当センター病院を紹介された由、眼球を摘出しても、再発の可能性は五分五分と医師に言われたという、自分としては少しでも可能性があれば眼球を残す治療にかけてみたいということで、重粒子線治療を選択したとのこと、まだ、青年、明るく快活なだけに当人のショックはいかばかりかと思う。どうかこの炭素イオンがこのがんにうまく効果があればと祈らずには入られなかった。


2006年9月12〜15日(重粒子線治療、入院第2週)

 今週で6回目の放射線治療が終わる。副作用だろうか、小水が細くなり、終わるまでかなりの時間がかかる様になる。あと、残り14回、この程度の副作用で終わってくれればよいが、まあ、辛抱、辛抱だ。

 同室のW氏も同じ前立腺がん患者、市の検診でPSA値の異常から、発病がわかり、医師の紹介で重粒子線治療を受けることになったそうです。まだ、がんそのものが前立腺内に留まっている病態、グリソンスコアも6で、手術の適用も可能とも思われるが、重粒子線治療は人に優しいとのことで選択されたようです。


2006年9月6〜8日(重粒子線による治療開始、入院第1週)

 入院初日は、治療計画などについて医師3名と看護師から入念に説明を受け、明日からの放射線治療順番予定表を手渡される。治療は、1日1回で週4回(火から金)、全部で20回、5週間で終了、その内5回は前方からの照射で照射前に膀胱内に生理食塩水100mlを注入するもの、その他は左右からの照射で、総線量は63グレイとのことである。重粒子治療のHPでおなじみの豊田さんに比べると3グレイ少なくなっている。IMRTでは総線量79グレイとのことなので、重粒子線の場合はその24%減のより少ない放射線量で済むというわけである。これはX線の場合、がんに到達するまでに線量が低くなってしまうので、その分強めの線量が必要となるが、重粒子線の場合は体表面近くでは弱いのが、がんの近くで急速に高くなる性質をもっているので、その分線量が少なくて済むことからくるものだそうです。

 部屋は4人部屋だが、すでに入室している方が一人いるので私を入れて二人、4人満室の部屋もあるが空室もあり、概して余裕があるようだ。この病院の性格上、重症患者がいないせいか、ゆったりと落ち着いた感じで、医師も看護師も親切丁寧、ばたばたするところがないので助かる。とにかく、排尿、排便についての注意、注文がやたらに多い。これは重粒子線治療の性格から来ているもののようだ。治療前に直腸や膀胱に便、尿がたまっているとどうしても、その箇所が膨らむので、これに放射線がかかってしまう。1日30分の治療で入院の必要はなさそうにも思われるが、この排尿、排便の管理をきちんと行い、余計な部分に放射線がかかるのを避けるためにも、生活管理が出来る入院が必要となるわけだ。

 翌日から放射線治療が開始、看護師に呼ばれた時点で排尿を済ませ、パンツを網製の特注品に着替える。地下2階まで降りて行き、そこから地下回廊を歩いて、隣接する巨大な重粒子棟の照射室に行く。待合室でスタンバイしてから、A、B、Cと三つの照射室のいずれかで治療を受ける。部屋に入ると三段の梯子を上り高いベットに横たわり、足部と腹部を特注の装具でしっかりと固定、天井と横壁に直径1mの巨大な円形のガントリー(放射線の発射部)があり、これにボーラス(個々の患者ごとに撮影したCT画像をもとに、がんの奥行きの形状に合わせて直方体のポリエチレンを削り取って作成したもの。)を取り付けて照射をおこなうのだ。前立腺の場合は前方と右、左と1日単位でそれぞれ交互に照射を受けることになる。治療の時間としては約30分程度だが、実際の放射線の照射は2〜3分程度とのこと、何の刺激もないので何時照射されたかはわからない。残りの時間はX線を使っての位置合わせのためのもの。ガントリーが固定されているので、ベットを移動させて位置の微調整を行う、ここら辺がIMRTのリニアックのようにアームを回転させて三次元的に照射するのとは異なり、重粒子線治療の機能上の制約と言ってもいいのかもしれない。まあ、このような話はともかくとして、これでがんが消滅するのであれば、まさしく理想的な治療法であり、言うことはありません。ただ、10回を過ぎると頻尿などの副作用が出てくることもあるそうで、このまま終わるとは思えないが、今ところ、特に問題はない。
 8日、2回目の治療で前処置(膀胱の大きさを一定にするため、事前に食塩水の注入を行うこと。)を行う、管を入れるときに若干の違和感があるが、総じて受忍の範囲内、事後の小用も痛くはない、注入する管がCTシュミレーション時にくらべるとかなり細いことによるようだ。

 今日(金曜日の夕方)から翌週の月曜日まで、外泊が許可され、家内が車で迎えにくるこにとなっている。関西などの遠くから治療を受けに来ている人に比べるとまさしくニアピンといってもいいほど近いところに居住していことの幸運を改めて感謝する。


2006年8月28、29日(重粒子センター病院での治療準備)

 まず、初日は固定具の作成です。重粒子線を当てる部位を固定するために型どりをすることです。患者が動くと照射部位がずれて、正常なところにも放射線が当たってしまい、その副作用が出てきますので、それを避けるために患者の照射部位を患者の体型に合わせて固定具を作ります。前立腺の場合は、足部と腹部の2カ所です。腹部の方は、45度以上に熱したプラスチックシートを患者の腹の上にかぶせ、4、5人で団扇で扇いで風を送り冷やして固めさせるという、なんとも原始的な方法によるものでした。また、パンツは網状の当院製ブリーフに履き替えさせられるのですが、看護師さんから、これから放射線治療を受けるときはこの特性パンツを必ず着用することになります、その際、ペニスは必ず下向きしてから履いてください、さもないと、ペニスの尿道が放射線にやられてしまいますよと懇切に説明してくれました。

 次の日は、放射線を当てる部位の位置決めのため、CTでシュミレーションをします。事前に、浣腸をして排便後に膀胱へ生理食塩水を注入することになります。このペニスの尿道に管を刺すことが今回の治療では最大の恐怖でしたが、実際、やってみるとそれほどでもない、やや異物感はあるが痛みというほどではなく、喉からの内視鏡よりは楽な感じでした。その後、CT室での位置決めの撮影で終了となりました。
 その後、5階の入院病棟のある部屋で、医師二人(辻医長、加藤医師)と看護師一人からインフォームドコンセントということで、小生の病態、重粒子線治療の必要性、効果、有害反応などについて丁寧な説明があり、納得の上、私と家内が同意書にサインすることになりました。特に、私の場合はがんが直腸の壁に接している可能性もあり、直腸への副作用のリスクはあるものの、それを怖がって治療をいい加減にはできません、これからCT映像で病態をよく見て、局所再発の可能性を如何にして減らして、その上で、安全性をどう見て行くかという作戦を立てることになる、まずは治療の根治があって、その上で副作用の軽減を図るのが基本との説明でした。結局、IMRTか重粒子線かの選択は再発可能性の限局と副作用の軽減のどちらに重点をおくかによって、違ってくるのかなあという印象で、改めて自分の選択に誤りがないことを確信した次第です。ハイリスク群におけるホルモン療法との併用期間についても、放射線治療後、2〜3年が一応の目途といえるが、最終的には患者自身の選択の問題なるという話でした。

 最後に、若い先生の方から入院期間中、お酒は厳禁となりますからという話があり、5週間の禁酒は厳しいなあと帰りの食事の際、家内から今のうちに好きなだけ飲んだらと言われ、さっそく、真昼から生ビールとなりました。


2006年8月18日(リュープリンの注射としこり)

 未だ、前回の注射によるしこりが残っているが、リュープリン3カ月製剤をしこり部分をはずして、注射する。しこりだらけになったら困りますと医師に言ったら、高橋君(息子のこと。)には悪いが他のメーカーの薬に変えないといけないかなあ、しこり自体は特にどうということはないが、ホルモン療法は放射線治療後もずっと続ける必要がありますからと言われる。永久に続ける必要がありそうな口ぶりでしたので、帰ってから調べて見ると、ステージ3の進行性前立腺がんでは20〜30%が既に画像では見えない微小な遠隔転移をきたしている可能性もあるので、ホルモン療法による全身療法は放射線治療終了後も、最低2年間は継続の必要があるようだ。
 それにしても、治療費の高いこと、リュープリン3カ月製剤、カソデックス60日分、血液検査料など合わせて、17,759点、その3割負担で53,280円の支払いとなる。

 放射線治療のこれからの日程について、医師に話すと現在の放射線治療は手術と同等の効果がありますので、頑張ってくださいと励ましの言葉を頂く。


2006年8月8日(前立腺がんは口減らしの生物学的プログラム?)

 前立腺がんは、不思議なことに40歳代以前ではほとんど発症することはないようです。これは、50歳過ぎになると加齢によりホルモンバランスが崩れ、男性ホルモンが優位になるためと言われています。加齢現象の研究者の中には、生殖年齢を過ぎると性ホルモンがその固体に不利に働くようになり、生物の体に仕組まれた口減らしのプログラムが実行されると考える人もいるようです。つまり、動物の世界のルールとして生殖年齢を過ぎたオスを積極的に死なせることにより、若いオスの生存率を高めさせるというのです。これでは前立腺がんに罹った人はもう生物として無用な存在の烙印を押されたようなもので、早く姥捨てならぬじじ捨て山に行けと言われているような気がして滅入ってしまいます。

 昨日(8/4)の日経新聞に東京工業大学の本川達雄氏による「異議あり、アンチエイジング」というインタビュー記事が載っていました。「アンチエイジング(抗老化、抗加齢)に違和感を覚えていると聞きますが。」という質問に対して、「じたばたしても始まらないというのが正直な気持ちです。諸行無行という言葉のようにあらゆるものに永遠はありません。無理をしないで流れに任せなさい。人間は50歳を過ぎると生殖能力が低下するのが普通です。いわば、保証期間が50歳の製品といってもよいでしょう。だから、じたばたせずにその後の人生を”おまけ”と捉えて、それを人間として意味のあることに振り向けたらいいのではないでしょうか。時間軸を若いときと同じようにしようとするから、ストレスがたまるのじゃないかなあ。」と言っています。

 ここら辺に生物学的プログラムに対処するヒントがありそうですが、無理をしないで流れに任せ、そして人間として意味のあることを探し出すことは、凡人にとってはなかなか難しいことを痛感しております。


2006年8月3日(重粒子線による治療の決定)

 今日、改めて造影剤を入れてのMRI、CT撮影を行う。その結果、他の部位に転移がないことが確認され、重粒子線による治療を行うことが最終的に決定した。治療予定としては、8月28日に固定具作成、つまり放射線を当てる部位の固定をするための型どり、その翌日はCTでのシミュレーション、そしてインフォームドコンセント、その後、9月6日から5週間の入院で重粒子線による治療を開始することになる。

 医師に今まで気に掛かっていたことを二、三質問してみる。
 まず、合併症(副作用)について、当初の診断では人工肛門の可能性が高いということでしたが、確率的にはどのようなものでしょうかと聞く、これに対しては、直腸に若干の出血がある程度済むでしょうと意外な返事、安心はするものの、それなら初診の時の話はどういうことなのか、善意に解釈すれば、今までのホルモン療法の結果、がんが縮小したからとでもいうことなのだろうか。

 次に、ネットによる医療相談では前立腺がんの放射線治療は、IMRTの方が重粒子線より有用性、安全性に勝るとの回答を貰ったがという質問については、それは重粒子線治療の実態をあまり知らない医師の発言でしょう、まだ、現状では余命年数5年とか、10年に区切ってのきちんとした比較資料が出来ていないこと、重粒子の方は全国に2ケ所しかなく、しかも、初期の頃はかなり合併症も出たこともあり、その当時の記憶による話をしているのではないか、現在は大幅に改善されており、重粒子線はその特性としてX線に比べ放射線量の分布のキレがよいので、がん辺境部の正常細胞への放射線も少なくてすむこと、特に貴方のように精嚢部にがんが浸潤している状態のものについては重粒子線による治療がベストであり、IMRTに比べて勝ることはあっても劣ることはありえないと断言できますよ、ただ、治療費のことを言われるとこれはまったく降参ですという。

 同行してきた家内も安心顔、帰りは何処で食事でもしましょうよという。人工肛門は心配の種であったようです。


2006年7月19日(放射線療法の選択に迷う。)

 今日は、これから1ケ月分のカソデックスの投薬と先月実施した血液検査の結果を聞きに病院に行く。結果はPSAが0.051と劇的に下がり、ホルモン療法の効果が如実に出る。その他の血液検査の結果も特に異常はない。前回、出現したリュープリンの注射によるしこりも小さくなり、まったく気にならない程度。

 ただ、今回、主治医に先週から気になっていたことを尋ねてみた。それはネットでエムスリー疾病相談サイト「Ask Doctots」という特定疾病についての相談コーナーが開設され、一千名の登録医が十万人強の会員(有料申込、月額350円)からの医療相談に回答する仕組みが6月下旬から実験的に開始されたことです。日経新聞に掲載されていたものを見て、試しに私もやってみました。
 質問は「放射線療法の選択について、私の前立腺がんの症状(データ明示)に鑑み、重粒子線とIMRTとどちらがベターか。」というもので、これに対する回答は「現時点では重粒子線よりもIMRTの方がベター」といういささかショッキングなものでした。理由は「重粒子線はがん細胞に対する効果も高いが、同じく正常組織に対するダメージ、特に神経細胞の後遺症が強いとされている。前立腺のような周囲に排尿、排泄のいった神経が豊富にある場所は、IMRTの方が良い。」というものでした。これに対して、再度、私の方からIMRTは今から申し込んでも、その治療時期は来年になってしまうこと、重粒子線病院の医師からも合併症の発症はIMRTでも、陽子線で同様ですよ、貴方のがんはがん細胞は悪性度が高いので、重粒子線での治療の方がメリットがありますよという医師からの話をしたところ、「貴方の結論が決まっているなら質問はナンセンス、ただ、日本で重粒子線の治療をしている放射線医で重粒子がIMRTより安全かつ有効と説明できる医師はいないでしょう。」とのかなり手厳しい再回答でした。
 この件について、主治医に聞いてみると、匿名医の回答かあと言いながら、この間の泌尿器科学会の重粒子線の実績についての説明では最近の治療効果、副作用はともに良い成果を挙げており、また、重粒子線の医師もIMRTのことは良く知っている筈、その上での治療方針だと思われるので、医師を信頼すればよいのではということでした。
 
 情報過多というのは、その情報を裁けない者にとってはかえって判断を迷わす結果になるのかなあと思いつつも、自分としては未だすっきりしないというのが本音でしょうか。


2006年6月23日(リュープリンの副作用)

 今日は一月に一回の再診日、前回リュープリンの3カ月製剤を注射したので、処方は内服のカソデックのみ、後は腎、肝機能とPSA検査のための採血でした。

 2日前からリュープリンの注射跡にしこりが出来たので、医師に見てもらう。これがそうか、私は始めてお目にかかるが、武田薬品の治験の対象になっています、様子をみましょう、もんだりしないでそのままの状態でそっとして置いてください、大事になることはありませんと言われる。どうも3カ月製剤になると注射量そのものは変わりなくとも、濃度が上がるようでそのためのようだ。状態によっては次回は1カ月製剤の注射を切り替えてもらうことになるのか。特に痛くもかゆくもなく、症状的にはなにもない。


2006年5月26日(リュープリン3ヶ月製剤の注射)

 今回から、リュープリンを3ヶ月製剤にしてもらう。値段は9万円と高額だが、1ヶ月製剤が5万円に比べれば、かなり割安となる。健保使用なのでその3割負担となるわけだが、年金生活者にはかなりつらいものがある。注射部位はへそ周りの腹の部分をその都度、場所を替えて打っているが、人によってはしこりができるようで、貴方の場合は異常はないが調査依頼書(薬剤会社からか?)にその旨回答して良いかと医師にきかれたので、異存は無いと答える。

 放射線治療の話も、IMRTか重粒子かの選択については、実施時期の早い方が良いのではとの返事、理由についての説明は無かったが自分の気分とも一致するので、ひとまず安心する。今のところ、服用のカソデックスも含めて、投薬による副作用らしきものは出ていないので、特に生活上の制約は何もしていない。海外旅行もゴルフもOKだ。


2006年5月25日(重粒子センター病院での再診)

 まずは、がんの悪性度について、紹介病院の判断とほぼ同じ結果ですという医師の話から始まる。ちらり、見えた書類からはグリソンスコア9と読み取れる。

 率直な質問で恐縮ですがと断りを入れてから、この重粒子線治療とIMRTとの違い、つまり重粒子線治療によるメリットは何でしょうかと聞いてみる。医師は一つは放射線の線量分布のキレが格段に重粒子の方が優れているので、それだけ副作用の及ぼす範囲が少なくてすむこと、次にがん細胞に与える破壊力が強いので、特に貴方のような悪性度の高いがんほど有効、もし微細ながん細胞の転移がないとすれば、放射部位についてほぼ100%の除去が可能だとのこと、ただ、事例的には重粒子線治療でなければ治療できないというものはごく限られたものになるとの説明であった。

 8月3日にMRI、CT撮影を行い、患部の細部を把握し、9月上旬に放射線治療を開始することになる。さらにIMRTにするか重粒子にするかの判断は9月になってからでよい、この病では直前のキャンセルは許されますよという、314万の高額な治療費を必要とするものなので、当然なこととも思われるが、とても良心的な説明だと思う。


2006年5月1日(重粒子センター病院での診察)

 まあ、サードオピニオンになるのでしょうか、重粒子医科学センター病院で辻医師が診察してくれました。

 予想していたよりもかなり深刻な内容でした。私の場合、前立腺がんが直腸の上に、帽子のようにかぶさっている状態なので、副作用の少なさが定評の重粒子線での治療でも、その重複部分を避けて、放射線の照射は難しいものがあるので、直腸への副作用は避けられない、ホルモン療法である程度、がんそのものが縮小したとしても、かなりの高リスクとして直腸の障害が発生し、人工肛門も十分ありうることを承知しておいてください、貴方のケースは数百人の内、数例あるかどうかのものです、この副作用の問題はIMRTでも、陽子線でも、どの放射線治療をやっても避けられないでしょう。
 治療後のQOL(生活に与える影響度)を考えれば、ホルモン療法だけという選択肢はないのかという私の質問に対しては、貴方のがんは悪性度が極めて高い(グリソンスコア5+5)ので、2〜3年後ホルモン療法が効かなくなる時点が来れば、予後はあっという間でしょう、放射線療法をはずした治療法の選択はありえませんと言われる。

 当センターでの治療としては、7月か8月までに検査などの治療準備、放射線治療そのものは9月の中旬ぐらいになり、約5週間の入院が必要との話でした。持参したプレパラート(生検によるがん細胞の標本)は神奈川の専門医で鑑定するので、その結果は5月25日の再診の際、解るとのことでした。グリソンスコアは医療機関、医師によりばらつきが多く、再評価が必要なようだ。

 医師の診察を重ねるごとにだんだんと悪い情報が多くなり、帰り道、家内はため息ばかり、でも、まだ放射線治療を受けられるだけありがたいと思わなくちゃと気を取り直す。


2006年4月28日(リュープリン2回目の注射)

 1カ月ぶりの主治医による診断、前回の検査でPSAが1.78まで下がり、肝機能にもまったく異常は認められない由、まずは一安心する。リュープリンは3カ月製剤にするかと言われたが、今後の相談のこともあり、とりあえず1カ月製剤にしてもらう。 

 放射線療法については、この間、学会で重粒子線の話があり、以前は放射線が強すぎて合併症もあったようだが、今は改善されて治療的にも効果があるようなので、重粒子線の治療は受けられた方が良いとのこと、ホルモン療法は効かなくなるとこについてもそれは治療を始めてから2年とか、3年とかになってから初めて出てくる話なので、今の段階で心配することではない、ホルモン療法だけで治療を長期間継続している人は沢山いますよと言われる。

 がんセンターでのセカンドオピニオンの話について、一通り説明するも、これについてはまったく言及なし、また、胸部、腹部のCT検査の必要性についてもそれは放射線治療を前提にしたものなので、必要と思えばそちらの医療機関でやってもらえばと、ガンセンターとは考え方にかなり温度差があるように感じられる。
 重粒子線医科学センターへの紹介状は快く書いてくれる。


2006年4月25日(千葉がんセンターでのセカンドオピニオン)

 県がんセンターで放射線治療部長、幡野医師から説明を受ける。まず、ベットで丁寧に触診を受ける。小声でこれは大分ひどいなあとつぶやく声が聞こえる。
 セカンドオピニオンの位置付けが未だはっきりしないということで、貴方は当センターで治療を受けたいのか、それとも単なるセカンドオピニオンとしての意見を聞きたいのかとの質問を受ける。こちらとしては未だどうするか決めかねているので、IMRTは重粒子線に比べて治療成績はどうなのか尋ねる。これには当センターとして治療実績は未だ4年しか経っていないので、簡単に比較は出来ないが、病期T3の治療実績としては未だ再発者は出ていないという。副作用としても一時的に頻尿になる程度だという。
 
 病状の説明としては丁寧にMRI画像でがんが精嚢腺を浸潤しており、直腸を取り巻いている状態で病期としてはT3bNxMo、予後分類としては不良(5〜10年生存率50%)、治療法の選択肢として手術は原則不適応、放射線治療として対外照射によるIMRTとホルモン療法との併用放射線治療としてはこれ以外に重粒子線と陽子線の治療があるがいずれも高額な医療費を必要とするとほぼ予想どおりの回答であった。ただ、意外であったのは放射線治療を適応とするには胸部と腹部のCT撮影が必要であり、これがないとリンパ腺転移が不明で放射線治療の適否が判断できないといわれた。これがNxの意味である。今治療を受けている病院ではCT撮影はまったくなされていないのだ。

 IMRTを行うにしても、11月からとなり、それまではホルモン療法を継続することになる。しかも、これから初診、CT撮影となるので、放射線治療の順番が回ってくるのは12月以降になるかもという。ホルモン療法開始から放射線治療に入るまでの期間的な問題があるのではないかという質問に対してはPSAの上昇がない限り、がんそのものは成長していないので、6カ月以上経過していても心配はないという。それでも、12月というとこれから半年以上にもなる。私の神経としてはとても、それまでは待っていることは出来ない感じだ。とりあえず、IMRTの利用については放射線医学総合研究所の重粒子線での治療がもっと速く出来ないか、実施時期を確認してからとする。

 全体としては、さすががん専門医療機関のプロらしい説明であり、納得するところが多い。それにしても、放射線治療に対する一般医療機関の意見にはばらつきあり、患者が主体的に動かない限り、何も進まないように思うのは私だけだろうか。


2006年4月19日(セカンドオピニオンの選択に当って)

 セカンドオピニオンとして、4月26日、千葉がんセンターで放射線医療部長さんが会ってくれることになりました。当センターを選択した理由は、進行したT3(C)の病期では放射線治療が第一選択になるという意見が多いからです。しかも、外科治療と放射線治療との治療成績は大規模な解析の結果、現在では「両者の治療成績は同じである。」というのが共通見解となっているようです。(京都大学医学部付属病院HP)

 今まで、前立腺がんに関する様々なHPを見てきましたが、一番参考になったのが、娘から紹介されひげの父さんのプライベイトワールド(http://www2.odn.ne.jp/~cap87090/)です。師でもない方が色々勉強されてこの様な素晴らしいHPを作り上げたことに本当に敬意を表します。私自身も色々と啓蒙されることが多く感謝する次第です。

 このHPを見て自分の病態を正確に知り、それに最も適した治療方法を選択することの大切さを認識しました。私の場合、病期Cの浸潤がんでしかもGC10というハイリスク状態にあるわけです。このカテゴリーでの本命治療は放射線の外部照射のようです。数年前までは完治が困難といわれていましたが、放射線技術の進歩もあって、かなりの確率で完治も望めるまでになったきたようです。仮に全摘手術の可能性があるとしても、手術による侵襲の大きさとその後の副作用、しかも病期Cのハイリスク状態では術後の放射線治療の併用が必須とのことであれば、最初から手術を避け、放射線治療とホルモン療法の併用治療が最適ではないでしょうか。ただ、全摘手術、放射線療法いずれにしてもホルモン療法の併用は必須で、ハイリスク群では長期(2〜3年)併用が必要なようです。

 放射線治療医療機関の選択としては、3箇所あります。いずれも、幸いなことに千葉県内にあります。
(1) 重粒子線がん治療 放射線医学総合研究所
(2) 強度変調放射線治療(IMTR) 千葉県がんセンター
(3) 陽子線がん治療 国立がんセンター東病院

 夫々の治療の特性、治療開始の時期、治療期間、それから医療費などについて、セカンドオピニオンの医師によく伺ってきたいと思っております。特に、陽子線治療、重粒子線治療は設備に巨額な費用を要するため、高度先進医療として前者が288万円、後者が314万円の患者負担となり、健保が適用外という問題もあります。まあ、命にかかわることなので、無理をしても効果のある方を選択するのが普通でしょうが、治療成績が同じであれば、あえて高いものを選択する必要もないと思います


2006年4月7日(リュープリンの注射開始)

 今日は3週間ぶりの医師の診断日、まず、お身体の調子はどうですかとの質問に特に問題はありませんと答える。今日は注射と採血をしますよ、お腹を出してください。医師はにゃりと笑いながら、これは武田薬品の製品ですよという。採血は肝臓の検査とPSAの測定に必要なためです、何か質問があったらどうぞといわれ、前述の疑問をぶつける。
 まず、私の場合のグリソンスコアは幾つですかとの問いに10との返事、えっ、すると最もたちの悪いものですかと聞くとそうですよといとも簡単に答える。これには3回目のショックでした。治療方針の決定の際、MRI撮影に時間が掛かるようだとの看護師の話に早い方が良いなあと医師が言った意味が今になってよく解ります。これは典型的な局所進行がんなのです。

 ちなみにグリソンスコアとは、がんの悪性度を示す指標で高分化腺がん(おとなしいもの。)2〜4、低分化腺がん(きわめて性質の悪いもの。)8〜10、中分化腺がん(その中間)5〜7に分類される。床病期、グリソンスコア、PSA値の三者の組み合わせでがんの低、中、高のリスクに分けられ、もちろん、私の場合は高リスク群ということになる。

 次に手術療法の適用については、病期Cにおける生存期間としては臨床統計的に保存療法と手術療法とで、まったく相違が認められないという結論になっているおり、わざわざ侵襲の多い手術の選択はありませんといわれる。
 放射線療法については、それはいいことですよ、PSA値の下がり具合を見て、時期としてはリュープリンの1カ月製剤で3カ月の注射が終わり、3カ月製剤に切り替える夏ごろが良いでしょうとのことでした。
 最後にセカンドオピニオンについては、がんは難しい病ですので、出来るだけ沢山の医師の意見を聞いたほうが良いでしょう、好きなときに紹介状を書いてあげますので、いつでも言ってくださいと好意的な返事であった。


2006年4月6日(ホルモン療法への疑問)

 ホルモン療法を開始してから、3週間経過する。いよいよ、明日からリュープリンの注射だ。3週間の間、自分なりにもインターネットのHP、市販の図書で前立腺がんにおけるホルモン療法について調べたところ、素朴な疑問がわいてきた。明日は久しぶりに医師の診断日なので聞いてみたいと思う。

 1 病期Cにおける治療方法としては次の方法が考えられる。
  (1) ホルモン療法で浸潤している周辺組織から、がんが前立腺内に縮小した
  時点で前立腺摘出術を行う。
  (2) ホルモン療法で自分の寿命の尽きるまでがんと付き合ってゆく。
  (3) ホルモン療法と放射線療法の組み合わせで行く。

 私の場合、ホルモン療法で行くと治療方針で示されていますが、(1)の適用はないのでしょうか。或いは(3)に至る可能性はどうでしょうか。というのは、ホルモン療法だけでは3〜5年後には約半数以上、がんに耐性が出来、再燃(再発)となってしまい、治療に苦慮するのが現状と聞くからです。
 しかも、ホルモン療法で4〜6カ月経過後、放射線療法を始めるのが標準で、放射線治療機関によっては約6カ月前に申し込みが必要となっているからです

 2 セカンドオピニオンとして、千葉県がんセンターの医師から意見を伺いたいと思いますが。(3月31日付けの日経に「セカンドオピニオン外来、県立病院で導入、主治医以外から意見を聞く」の記事あり。)

 3 GS(グリーソンスコア)はどの数値になるのか。


2006年3月17日(主治医による治療方針の決定)

 RI検査、MRI撮影を終了し、今日はいよいよ主治医による治療方針の決定です。律儀な息子はすでに待合室で待っていました。呼び出しがあり、家内も含めて3人で診察室に入る。主治医からはRI検査は特に異常はなく、リンパ、骨には転移は認められませんといいながら、MRIフィルムをライトボックスに挟みながら、MRI画像ではがんは前立腺皮膜を超えて拡がって隣接する精嚢にも浸潤していますよと指差しながら説明する。つまり、病期としては4段階のうち、3段階のCであること、治療方針としてはホルモン療法を行い、手術の適応はないということでした。これはゴールデンスタンダードで貴方の病期ではこれか゛最も適したものですよとダメ押しされる。不満そうな顔がでていたのでしょうか。

 ちなみにがんの病変の進行の度合を表す指標としては、次のような病期分類(ステージ)がされ、このステージに沿って治療計画が立てられるとのことです。
  ステージA  前立腺肥大症などの手術、検査で偶然に発見されたもの。
  ステージB  前立腺内に限局しているがん
  ステージC  前立腺周囲に広がっているが、まだ転移のないもの。
  ステージD  リンパ節、或いは骨などに遠隔転移のがん

 治療としてはホルモン療法、前立腺全摘出術、放射線療法が主なもので、どの方法を採るかはがんの進展度で違うようです。手術療法は根治療法として前立腺内にがんが限局している場合(A、B段階)に適用が考えられるようです。ホルモン療法は前立腺治療の主体をなすもので、いずれの段階でも使用されますが、特にC、Dがこの療法の基本となるようです。
 自分としては手術療法でがん細胞を完全に除去することを期待していたわけですが、自分の病期がこれを許さないということが解り、2回目のショックでした。なぜなら、前立腺がんの予後にこの治療方法が関係するからです。全体として前立腺がんは進行が遅く、5年生存率は夫々、前立腺内に限局されている場合は70〜90%、前立腺周囲に広がっている場合は50〜70%、骨や肺などに転移している場合は20〜30%といわれています。(国立がんセンターHPから H14.12)

 まあ、物は考えよう、勤めを3月一杯で退職と決めていたところに、この事件です。これはあたかも残された人生を無駄にせず、精一杯生きなさいという神の啓示かもしれません。家内も最初は落ち込んでいましたが、4月からの予定をいろいろ考えているようで、これから忙しくなるねと気を取り直していました。退職後の夫と24時間過ごさなければならないうっとうしさが消え去り、これから残された人生を如何に過ごすかという前向きの考え方に変わっていったようです。


2006年3月8日(生検結果、がん告知)

 かなり不安な反面、大丈夫だろうとの楽観が入り混じったような気持ちで今日の診断日を迎える。息子はすでに待合室で待っていた。世間話をしているうちに時間が経ち、そろそろ呼び出しが来る頃に息子から実は先生から知らせかあり、お父さんはがんだと知らされたという、このがんは進行が遅くて、余命年数も10年程あるので心配することはないよと精一杯の慰めを言われたが、こちらはいささかショックでした。
 
 呼び出しがあり、診察室に入る。家内も息子も一緒に入ってきたので、いいのかなと思いましたが、先生が息子と挨拶を交わし、ああかまいませんよということで一緒に話を聞くことになる。「6本の生検針のうち、前立腺左側の3本は全部がんで、右側の1本は半分、半分で、他の2本はなんともありませんでしたよ。」
「これだけでは今後の治療方針は立てられませんので、RI撮影とMRI検査が必要となります。RI撮影というのはリンパや骨にがんが転移していないか調べるためのものです。手術の有無についてもこれらの検査をしてから決めることになります。MRIは今込んでいるから4月位になるかなあ、でも、早い方が良いなあ、看護師さん、何とか早く出来ないか、一寸聞いてみてくれませんか。」看護師が電話をし、割り込みで翌日のRI検査、来週15日のMRI撮影となり、17日に医師の治療方針決定の診断を受けることになる。

 息子に感謝する。でも、未だ自分がこんな大それた病にかかっているとの実感はない。今日、処方された薬、1カ月分はプロスタール錠といい、がんの促進因子である男性ホルモンを弱めることに効能がある由。前立腺がんの治療にはホルモン療法(内分泌療法)、前立腺摘出術や放射線療法などがあるようだが、どの療法を採るかはがんの進行度で違ってくるようです。
 前立腺がんは男性ホルモンを食して成長するのだそうです。男性ホルモンの発生を阻害(抗アンドロゲン剤)したり、または合成女性ホルモン剤を入れて男性ホルモンを抑制する治療法なんて誰か考え付いたものでしょう、面白いですね。


2006年2月20日(生検のための入院)

 昨日から入院、初日は特に何もすることもなく、病院食のみを食べて終わる。

 2日目の朝、10時に医者が来て左手の甲の静脈に針を刺す。点滴はいわゆる電解質輸液で水分の補充、それと鎮静剤の皮下注射をする。11時に看護師から呼び出しがあり、処置室に点滴管をぶら下げながら行く。いよいよ生検の始まり、医師から、丁度人間ドックでの直腸検査のときのようにベットの上で、膝を抱えて、尻を医師の方に向けて自身は壁側を向く。行きますよと医師がぷすりと肛門に指をいれる。前立腺付近を触っているようだが、痛いですかと聞かれる。痛くありませんよと答える。

 次に何か金具のようなものを入れてきた。多分、これが超音波ガイド付のブローグ(内視鏡の管と同じようなもの。)で前立腺の左右に夫々、3箇所ずつ、計6箇所針を刺して細胞を採取するのだ。丁度、ホチキスで物をとめるようなカチッという何ともいえない音と痛みが走る。痛いですかと医師が聞く、結構痛いですねと返事をする。3カ所終わりました。あと、3カ所なのでがんばってというがこれはなかなかつらい。やっと終了、医師がそそくさと部屋を出て行った後、看護師が一人で部屋に戻れますかと聞かれるが、まさか戻れないともいえず、大丈夫と返事をして点滴瓶を吊るした台を引きずりながら部屋に戻る。
 この検査は患者が壁に向いているので、医師が何をどうやっているかまったくわからず、自分の感覚以外に知る由もない。胃カメラでの内視鏡検査とは大違いです。

 この後、看護師が点滴薬の交換に来る。抗生剤を入れましたよといって帰るが、どのような抗生剤なのか興味もあり、点滴の袋を見てみてるとこれは何ということか、名前が高橋章と別名になっている。こんな大病院で、しかも、入院時に名前とバーコードを刻印した腕輪までもさせておきながら、人違いとはどういうことだ。幸い、誤注入した薬も系統は違うが同じ抗生剤なので、特に何事もなかったが。

 これでは医療過誤はなくならない筈だ。いくら制度を整えても、最新の機器を導入しても、それを使用する人の意識が、心構えが伴っていなければ何もならないことの証左でしょう。


2006年2月18日(前書き-------異常の発見、健診でのPSA値)

 平成17年9月、ニュージーランド旅行に行ったときのことです。
 ニュージーランドの国内はバスで回ります。大体2時間で小便休憩となりますが、向こうのトイレは、いわゆる金隠しがなく、昔の日本の駅のトイレにあったような連れションスタイルです。
 このスタイルのトイレでは隣の方のしょんべんの流れの強さ、所要時間の長さはすぐわかります。小生のしょんべんは人の2倍時間がかかり、しかもキレが悪い、今までこれも老化現象なのでこんなものかなと思っていたのですが、自分よりも年配の方にも劣ることに気がつき、これはおかしいと思い、12月のドックで前立腺がんの腫瘍マーカー(PSA)検査をしてもらい、初めて異常が発見されたというわけです。

  今まで、例年、受けていた病院での人間ドックでは、PSAは既定の検査として組み込まれており、その値も、1.0以下なので、まったく気にも留めていませんでした。ところが、平成15年から職場が変わったため、異なる医療機関でのPSA検査はオプションになっていたのに気が付かず、15年と16年がブランク、それが旅行の切っ掛けで17年12月のドックで2年ぶりにオプションとして追加してもらったのが、ことの発端です。値は8.6でした。1ケ月後の再検で10.7です。正常値は4未満、4〜10がグレーゾーン、4.1以上が異常値として精密検査が必要となります。

 早速、ドックの医師から確定診断の出来る医療機関への紹介状を書いてもらいました。前立腺がんの確定診断には、超音波診断装置のガイドの下に細い針を直腸から前立腺に刺し、前立腺の組織を採集して、詳しく顕微鏡で調べます。これで前立腺がんの存在するかどうかの確定診断となるわけです。

 とにかく、この病気は一種の老化現象、50歳を過ぎたら誰でもPSA検査は毎年、受けるべきです。通常の日帰り健診ではオプションになっているので、要注意です。このがんの恐ろしいのはPSA以外に初期症状を検知する方法がないということです。排尿障害などの自覚症状が出てからでは、かなり症状として進んでおり、その後の治療、予後への影響は大きくなるようです。このPSA検査は腫瘍マーカーとして陽性率は80〜90%ときわめて高く、有用性が高いといわれています。





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