更新履歴と周辺雑記

更新履歴を兼ねて、日記付け。完結していない作品については、ここに書いていきます。

2022年11月15日(火)
『すずめの戸締まり』

「集大成にして最高傑作」。
うたい文句はこれだが、新海誠49歳、もはや円熟の境地。楽しく、美しく、ズシリと重い衝撃が来て、さわやかに終わる。文句の付けようがない。
災いは悪意も憎悪もなく訪れる。命はかりそめであり、無意味にあっさりと奪われるが、それでも人は一日でも永らえたいと望み、この世に生きた証を残していく。人々の想いは神をも動かす。
世界は残酷で、人は優しくて、出会い、別れ、死してなお想いを残し、人生は続いていく。
そういう映画だ。

○蝶と死者
開巻、鈴芽が目を覚ますと、2匹の蝶が飛んでいる。
窓を開けて寝ていたというエクスキューズはあるものの、冷静に考えると結構不思議な図である。一説に、蝶は死者の魂であるという。あの場面は、鈴芽がまだ死者にとらわれていることを端的に示している。

○震災
新海監督は常に自作を反省し、新作にその成果を生かす。『君の名は。』は、その面白さとは別に、災害をなかったことにしていいのか、という批判も多かった。『天気の子』では、愛する人と世界の命運を天秤にかけ世界を破滅させたことに対し、自身を犠牲にしてもより多くを救うべきではないかという声があった(本当にそう言ってる人を目の前で見た)。ちなみに『天気の子』における世界の破滅は、緩やかに水没する東京というある種ヌルいものではあった。物語上そうせざるを得なかったろうが、選択に厳しさが足りないという批判もあり得たろう。
『すずめの戸締まり』は、それらの批判を律儀なほどにクリアしている。東京の破滅を救うために好きな人を犠牲にする。避けられなかった大震災を真正面から題材にする。そしてなおもその先を描いている。あれから10年を経て達した地点、である。
3月11日を境に真っ黒に塗りつぶされた絵日記が、問答無用の恐怖と説得力。これ、モデルがあるのだろうか。想像によるものだとしたら、恐るべきイマジネーションである。

○身体的接触
新海監督の映画は、身体の接触があまりない、ように思う。もともと初期新海映画(『ほしのこえ』~『秒速5センチメートル』)は人と人の断絶を描いていた。『星を追う子ども』は正直あまり覚えていないが、『君の名は。』は運命の恋人たちを描いていながら、触れあうことができないのがポイントだった。『天気の子』でも、クライマックスを除いては身体の接触は抑制的だったような印象がある(ラブホまで入ってるのに)。情熱あふれる『言の葉の庭』は例外として。
で、『すずめの戸締まり』はハグするシーンがとても多い。鈴芽は出会う人たちみんなと抱き合って絆を結ぶ。ラストのアレを含めて。長年新海映画を追いかけてきた観客としても、感慨深い。

○母の復権
これまでの新海映画で描かれなかったことがもう一つある。それは、「母の不在」である。もともと新海映画には親があまり出てこないが、特に母親の存在が希薄だ。『君の名は。』でも『天気の子』でも母親は死別しており、そのことは作中でさほど大きな役割を果たしてはいない。しかも『天気の子』では、母の形見が陽菜を縛る枷として描かれていた。陽菜たちを苛む旧世代の一部、だったのである。
その点、本作では、鈴芽が母の死を受け入れ先へ進む姿が話の幹になっており、さらにかつて幼い鈴芽が異界で見た光景、出会った人は何者だったのかが重要な伏線になっている。欲を言えば、母がいないことによる鈴芽の悩みを冒頭でもう少し描く必要があった気もするが、ささいなことだ。

○人生は続く
宣伝コピーの「行ってきます」は、愛する人を取り戻すための決戦に向かう言葉であると同時に、生家を離れ、新しい人生に向かうための決着の言葉でもあった。
故郷を旅立った人は、やがてどこかに根を下ろし、新たな家を築くだろう。だから映画は、「お帰りなさい」で締めくくられるのである。


○雑感いろいろ
ついに女の子が男子を救うことに。しかも年上の!

微妙にフェチなところも健在で、女子高生の靴下で踏まれたい向きにもおすすめ。業の深いことである。

歴代新海映画は、パンフレットの出来が良くて読みごたえがあるのだが、今回はちょっと。インタビューは浅いし、制作にまつわる記事がないし、スタッフリストは字が小さすぎて全く読めない。まあムックを買えってことかも知れんが。入場特典の『新海誠本』の方が重厚で、資料としても貴重。

演出に下田正美、井上鋭の名がある。どういう伝手なのか、どの辺を担当したのか、興味がある。

ところで、三脚椅子の草太君を見ていて連想したこと。小学生の頃、三本脚の動く鍋が大活躍する童話だか児童文学だかを読んだ記憶があるんだが、何だったろう?

2022年9月6日(火)
『リコリス・リコイル』10話

私は本作の1話を観たとき、『ガンスリンガー・ガール』プラス抜け忍ものと書いた。

ここに至って、『ダークナイト』の様相を呈してきた。『ダークナイト』は、バットマンとジョーカーは一見正義と悪の対極にあるように見えて、法の埒外で暴力を行使するという一点において実は同じものだと鋭く指摘した。しかもバットマンは個人経営の自警団だが、リコリスは国家機関という設定だ。もちろん、法で裁けぬ悪を断つ物語は娯楽作品としてあって良いが、あくまでそれはダークヒーローである。法治国家が、超法規的に悪を討つなどということがあっていいわけがない。

言っちゃなんだが、たかが美少女バトル深夜アニメが正面からこういうテーマに挑んだことが感慨深い。
もっとも、リコリスの気色悪さを告発するのが同じ法の枠外にいる真島だという点(例えばジャーナリズムではなく)に、現代にっぽんの重苦しさというか逼塞した空気を感じないでもない。
…と思ったが、元祖『ダークナイト』もそうだった。まあいいか。
あとは、命じられるままに人を殺めてきたリコリスの悔恨が描かれれば完璧なのだが。(たまたまイーストウッドの『許されざる者』を観直したので)

ついでに今さら気がついたのだが、タイトルの『Lycoris Recoil』って、LとRが対になってて千束とたきなを象徴してるんだな。オープニングの、左右反転した構図で階段を上る2人の画からも明らかだ。

2022年8月7日(日)
雑記

最近観ているもの。

○『光と水のダフネ』
AT-Xで全話放送したので観た。控えめに言って、箸にも棒にもかからぬ凡作。何でこんなもん観たのかというと、企画協力に高山文彦の名があるというただ一事による。
実はずっと昔に、レンタルで観ようとしたことがあるのだが、あまりのつまんなさにすぐ挫折した。今回はもののついでなので我慢できた(それでも洗い物しながら早回しだったが)。

見どころは唯一、高山自身が脚本にクレジットされている15、16話。高山作品の神髄は、省略と集中。とにかくおよそ無駄というものがなく、必要な情報を最低限の手間で伝えていくのでポンポン話が進む。
うろ覚えだが、誰かが(京田知己監督だったろうか?)高山の脚本は映像化するにあたっての「正解」が最初から決まっていると言っていた。そのため、高山脚本を絵コンテに起こすのは、答え合わせのような作業になるのだそうだ。
こんなくっそつまらん作品ですら、高山の筆が入るとそれなりに見られるものになるのが驚異。


○『MADLAX』
これもAT-Xで全話一挙放送してくれたので、久しぶりに通して観た。以前よりもよく理解できたと思う。例えば、本当に最後の最後のラストカットが、マーガレットの力で世界が変容したことを示している。
一方で、気になることもある。タイトルのMADLAXの意味は?どうやら、私欲で本の力を使おうとする者を阻む役割を指しているらしい。したがって、作中のマドラックス以前にも先代マドラックスがいたという設定のようだが、ではマドラックスとはどういう意味なのか。ノワールに比べると単語の印象が薄い。言葉に重要な意味を持たせている作品として、それではまずいのではないか。
それに、冷静に考えるとヴァネッサとエリノアの扱いはあれでいいのか?という疑問も浮かぶ。とはいえ、やはりこのまま忘れ去られるのは惜しい作品である。


○ 最近のAT-Xがイカレている件
90年代名作OVA特集と銘打って、
『マップス』
『マーズ』
『1982おたくのビデオ』
『ムネモシュネの娘たち』
『おいら宇宙の探鉱夫』
『敵は海賊』
『太陽の船ソル・ビアンカ』
『ARMITAGE Ⅲ』
その他を次々に放送。オールドファンは狂喜乱舞だが、『ムネモシュネの娘たち』とか、そもそも名作とか言う以前に知ってる人いるのか。私も、一度観たけれどほとんど覚えていない。真面目な話、能登麻美子のキャリア上、結構重要な作品ではないかと思うが。

2022年7月6日(水)
番組改編期

始まる作品と終わる作品からひとつずつ。

○『リコリス・リコイル』
『SAO』シリーズのキャラクターデザインで有名な足立慎吾の初監督作品ということで、お手並み拝見的な態度で観ていたのだが、予告編から想像していたのとは全然違う、なかなか興味深い作品に仕上がっている。
主人公・千束の天然とアクションのキレのバランスもいい感じ。
一言で言えば、『ガンスリンガー・ガール』+抜け忍ものだ。政府が暴力を超法規的に行使することの気色悪さを、サイボーグ少女に仮託して描いていたのが『ガンスリンガー・ガール』だったが(よく誤解されているが、この作品は、戦闘少女を愛でる凡百の作品ではない)、『リコリス・リコイル』は、作中人物がその気色悪さを自覚している点でさらに一歩進んでいる。1話でわずかに明かされたこの世界の謎と合わせて、どう解決していくのか。

思えば、『SPY×FAMILY』も面白さとは裏腹の倫理的な問題を抱えた作品だった。特に問題は母役のヨルで、「散々人を殺した殺し屋が本当の家族を手に入れて幸せに暮らしました」などという結末を、この作品世界は許容しないはずだ。古橋一浩監督はその辺よく分かっている人だと思うのだが、果たしてどうするのか。

しかし、これと『Engage Kiss』を同時並行で作っているA-1 Pictures凄えな。


○ 『BIRDIE WING -Golf Girls' Story-』
今年最大の大穴。私はゴルフというものにいかなる関心もないしもちろん経験も知識もなく、ルールすらろくに知らないほどだが、それでもこの作品は面白い。
本作の特徴のひとつは女子高生の部活動ゴルフと並行して、違法ギャンブルとしてプレーされる地下ゴルフの世界を描いたことである。地下ゴルフというものがどこまでリアリティのある設定なのか私には分かりかねるが、本当に地下の大空洞に建設された自在に変形するコース!という豪快な絵面で、そういう些細な疑問を吹っ飛ばしてしまった。
その上で、一番陰影深い人物がローズ・アレオンである。ローズは、地下ゴルフ界の大物で、自身も元ゴルファー。ローズは時にイヴを助け、時に挑発し、やがて敵としてグリーンに立つ。実はローズはイヴと同じ師からゴルフの手ほどきを受けた、イヴの兄弟弟子だったことが明かされる。すなわち彼女は地下の闇に身を堕とした、イヴのあり得た姿である。イヴは命がけの勝負に勝ち、自由を手に入れ、陽の下に出ていく。
死を待ちながらイヴを見送るローズの胸に去来したのは何だったのか。嫉妬、憎悪、羨望、それとも期待だったのか他の何かなのか、明かされることはない。

……という重すぎる段取りを踏んで、イヴは宿命的に出会った心の友(と書いてライバルと読む)天鷲葵とプレーするために日本に向かい、数々の女子高生ゴルファーと戦うことになる!
シーズン2の制作も決まったそうで慶賀に堪えない。

蛇足ながら、古谷徹と池田秀一が共演しているのが感慨深い。
さらについでだが、広瀬香美ってまだ現役だったのか!

2022年7月5日(火)
ブルガリアン・ヴォイス

『NHK BSプレミアム 驚異の歌声』(2011年放送の再放送)で視聴。ブルガリアン・ヴォイスというのは、ブルガリア民謡そのものではなく、フィリップ・クーテフという作曲家がブルガリア民謡を土台として1970年代に創作した音楽なんだそうだ。これを伝統音楽と言ってよいのか?という議論はブルガリア本国でもあったらしい。

ともあれ、「笛が鳴る」という有名な曲とその歌詞。

 

ああそうか、同じ村の中だと近親婚になるからな-などとのんきなことを考えていたのだが、ブルガリアン・ヴォイスが日本に紹介されたばかりの1987年に発売されたCDを持っているのを思い出して、歌詞カードを調べてみた。
そうしたら。



なるほど、そういうことか!
今は放送禁止用語だろうから仕方ないが、ポリティカル・コレクトが進むと、取りこぼされるものがあるという好例だな。

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