ふいに思い立って、『いばらの王』を観返した。『コンテイジョン』『復活の日』の次くらいに、今観ると怖い映画。
私はこの映画大好きなのだが、その面白さ、完成度の高さとは裏腹に、公開当時から「なぜ今これを映画化?」という疑問がぬぐえず、興行的には惨敗した。2010年公開で、作中時間が2015年という点も感慨深い。
今回初めてBDの映像特典まで観たのだが、片山一良監督インタビューでインタビュアーを務めているのが、氷川竜介氏だった。
その氷川氏が指摘しているのが、「映画のファーストカットが、自由の女神の頭」。つまり、「いばらの冠」だという点。

片山監督によれば、ニューヨークのシーンは三角形のモチーフを意図的に多用しており、いばらのトゲを連想させるようになっている。


またクリスマス前日という設定なので、バスの側面に聖書の文句が掲示されている。

ローマの信徒への手紙6章23節
罪の支払う報酬は死である。しかし神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスにおける永遠のいのちである。
これも物語の行く末を暗示する文言で、「このニューヨークのシーンのおかげで、格調高い映画になっている」(氷川氏)。
思えば、カスミとシズクの身体に刻まれた傷痕もいばらの形である(わかりやすい聖痕!)。

そしてラストカット、歩み去るカスミたちが進む道も、いばらをかたどっている。

ファーストカットでは冠=環だったいばらが、ここでは線となっており、苦難の道ではあってもどこかへ通じているという希望を示して、映画は終わる。
何度でも言うが、今こそ再評価されて欲しい傑作である。
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