○『未来のミライ』
藤津亮太氏のアニメを読む講座『未来のミライ』の回を聴講してきた。
印象的だったのが、細田作品における父性の不在の指摘。細田守の映画では、父親の存在が希薄である。『サマーウォーズ』では家を取り仕切っているのは祖母だし、『おおかみこどもの雨と雪』では、父親は早々に死んでしまう。『未来のミライ』の父親はほぼ役立たずとして描かれる。『バケモノの子』は、不在の裏返しとしての代理父の物語だった。
私は『おおかみこども』を観たとき、主人公・花の父親は写真で存在が示されるのに、母親についてはまったく触れられないのが引っかかっていた。今改めて考えると、「母性」というものを花一人が集中して体現するための工夫だったのだろう。
しかしそれは、「母親はロールモデルがいなくても務まる」、もっと言えば「女性は母親になるべく出来ている」という思想にほど近いものでもあろう。
女の子の雪の方が人間として生きる道を選ぶというこの作品の結末が、ジェンダー論の観点から批判されたのも、細田作品に通底する思想の保守性の根深さを感じ取っていたからかも知れない。
そう考えてくると、細田作品のもう一つの特徴であるケモナー趣味にも別の意味が感じられる。
ファーリー(Furry)という単語がある。アメリカにおけるいわゆるケモナーのことだが、近年は動物の着ぐるみを着てコスプレする人が増えている。ファーリーは人間である自分とは別の、犬や猫としての姿と名前とキャラクターを持つ。それをファー・ペルソナで「ファーソナ」と呼ぶ。
ファーリーの人々はオタクのうちでも差別されることが多かったが、偏見を是正するためのデータサイト「ファーサイエンス」が集めた統計によると、ファーリーには女性や子どもも多く、ファーリーに惹かれた動機は性欲と無関係だった。
最新のCNNの記事によると、ファーリーにはコミュニケーション障害やPTSDで苦しんでいた人々が多い。彼らの61.7パーセントは11歳から18歳までの間にイジメの被害者だったという。対人関係に障害があったり、心の傷を負った人にとって動物との触れ合いが癒しになることは広く知られた事実だが、ファーリーのコスプレもヒーリングの一つとして精神医学の面から注目されつつある。
以上、町山智浩『言霊USA XXL』より。
改めて思い返してみると、私は細田映画の中で手放しで好きなのは『時をかける少女』だけであって、そこには家族の絆も父の不在もケモナーも出てこないのであった。
『未来のミライ』も予告編だけでうんざりして、結局観ていない。私の中では、もう細田守を見限って良いと思っている。
○『アリスと蔵六』9巻
2年7ヶ月ぶりの最新刊。私は以前、8巻についてこう書いている。
最新の8巻は、アリスと蔵六二人にとてつもないジレンマを与えている。これをきれいに解決できたら、掛け値なしに世界のSF史上に残る傑作になるだろう。期待したい。
8巻で、紗名はキングとの戦いで死亡するが、やがて元通りの姿で帰ってくる。蔵六はこれまでと同じく彼女を家に迎え、正式に養女にならないかと提案する。紗名は喜びのあまり、蔵六の亡き妻クロエを生き返らせてやると言う。とっさに蔵六は紗名を叩き、紗名は家出してしまう・・・・・・。
ジレンマと言ったのは、生き返った紗名を家族として迎えられるのに(しかも蔵六は、紗名の遺体の確認までしているのだ!)、なぜクロエをよみがえらせてはダメなのか?である。
いやもちろん感覚的、お話的にダメなのはわかりきっているが、そこを論理で説明し、言葉で表現するのがSFの役目だろう。私が思いつく論法としては「死者を生き返らせたいという意思の介在」とか、「クロエを失ってから蔵六が過ごしてきた時間と人生の意義」くらいだが。
9巻では、とりあえずさらっと流してしまった感がある。作者にこの先、突き詰めて考えるつもりがあるのかどうか。もう少しがんばって欲しい。
○『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』
映画館で、偶然知人二人と遭遇。しかも、示し合わせたわけでもないのに三人並び席。や、お互いに中央やや後ろの「いい席」を取ろうとするのでたまたまそうなったのだが、映画以上の奇跡であった。
映画については、これが本来の姿か、と感心するとともに、これだけ重要なプロットを省略してもちゃんと一本の映画として成立していた前作に改めて感服した。
○冬コミ
またしても4連投の予感。死ねと言うのか。
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