更新履歴と周辺雑記

更新履歴を兼ねて、日記付け。完結していない作品については、ここに書いていきます。

2017年6月26日(月)
2000年代TVアニメ回顧 その5

続いては、『閃光のナイトレイド』('10)。何回か採り上げたことがある。

舞台は、雑多な人種や国籍、階層、さまざまな人々が入り乱れる混沌とした、だがエネルギー溢れる、1931年の魔都「上海」。

日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦を経て、中国大陸へと侵攻した日本陸軍。
その中に歴史上葬られた特殊スパイ組織“桜井機関”が存在した。覇権国家が群雄割拠する上海で、特殊な能力を持つ彼らは決して表舞台に出る事なく、様々な事件の裏で暗躍する。

そんな最中、とある陸軍の一部隊が忽然と姿を消す。それはやがて世界を揺るがす大事件への序章であった―。

松本淳監督が干されるきっかけになった作品。いやそれは冗談だが、これ以降ぱったり監督作を見なくなってしまったのは事実。

テレ東「アニメノチカラ」枠の第2弾。第1弾は『世紀末オカルト学院』、第3弾にして引導を渡してしまったのが『ソ・ラ・ノ・ヲ・ト』。伊藤智彦に神戸守と、今思えばぜいたくなラインナップではある。

1930年代の中国大陸を舞台にした超能力スパイアクション政治劇で女性のレギュラーは一人だけという、いわゆるアニメファンに受けそうな要素皆無の潔い作品であった。それでも抱き枕が発売されたのが泣ける。

本作で登場する超能力は、念動力、瞬間移動、千里眼といった古式ゆかしいもの。ところが、これらを用いたアクションが面白いのだ。『ジョジョ』に出てくるような奇想天外な能力を考え出さなくても、アイデア次第でこんなに見ごたえあるアクションが作れるのかという驚きがあった。

『ジョーカーゲーム』が受ける今なら、本作もいけると思うのだが。
松本監督ともども、再起を望む。



2017年6月22日(木)
2000年代TVアニメ回顧 その4

PERSONA -trinity soul-』('08)。

舞台は日本海に面した“綾凪市”。10年前に発生した“同時多発無気力症”による災害から復興を遂げた未来型新興都市である。高校生の神郷慎(カンザト シン/17歳)は、弟の洵(ジュン/14歳)と共に、長男で綾凪市の若き警察署長である諒(リョウ/28歳)と10年ぶりに再会する。

 その頃、綾凪市ではある怪奇事件に襲われていた。潜水艇の中から忽然と姿を消した乗組員。10年ぶりに世間を騒がせる無気力症。学生が無惨な姿となって殺されていく表裏反転死体事件。一連の事件に潜む組織を追う諒。そして事件に巻き込まれた事から、異形の姿をした“ペルソナ”を覚醒させる慎。
 兄弟達の運命の歯車が今回り始める―。
PS2の『ペルソナ3』を原作とするが、登場人物もストーリーも完全新作。
松本淳監督が注目されるきっかけになった作品。設定やストーリーの複雑さをさばき切れていない感はあるものの、ビジュアルの奇抜さと演出力で押し切った。粗製濫造気味の『PERSONA4』(ほら、岸誠二だし)とは一線を画する出来映えである。
ペルソナのデザインは、今は『ガンダムUC』のモビルスーツ作画で有名な玄馬宣彦だった。
6話の絵コンテでヤマカン氏が参加しているが、御本人は出来映えに不満らしい。今見たら、増井壮一(16話)や笹木信作(17話)も参加していた。



もうマーケットプレイスにしかないのか・・・。



いや、おもしろかったんでつい。神郷洵風の女子制服って。

2017年6月19日(月)
2000年代TVアニメ回顧 その3

第3弾は『RED GARDEN』('06)。

ニューヨーク。良家の子女らが通う学園のケイト、レイチェル、ローズ、クレア。親しい間柄では無く、ただのクラスメイトでしかないはずの少女たちは、朝から違和感を覚えていた。昨日の記憶が欠落していたのだ。突然告げられた、リーズの死により彼女たちの平穏な日々は崩れ去っていく。その日の暮れに、導かれるようにして四人は公園に集まった。そしてそこに現れた教育係と名乗る二人組に、驚愕の真実を告げられる……。
 公式サイトより、1話あらすじ

本作については、何度か採り上げたことがある。松尾衡監督が、映像作家として認知されるきっかけになった作品、と言ってよいのではないか。これ以前は、「『ローゼンメイデン』の人」だったのだから。「人形のような生の否定」という松尾のモチーフが、本作ですでに見られる。プレスコ方式とミュージカルへのこだわりもあり。1話の歌唱シーンの衝撃は記憶に新しい。
超常の力を得た少女達の過酷な運命・・・・・・と言うと、『まどか☆マギカ』の遠い御先祖と言えなくもない。今書きながら思いつきましたすみません。

まあ本作の場合、超常の力と言っても怪力とか跳躍力とか超人的な身体能力だけで、武器は金属バットだったりするのだが。
本作の見所は、性格も境遇も違う4人の少女が次第に絆を深めていく様子、そして控え目な性格のケイトが、リーダーとしての資質に目覚めていく過程にある。丁寧であくまでもさりげない描写に好感が持てる。
なお、続編の『デッドガールズ』もあさっての方向に振り切れていて、これはこれでよい。




2017年6月12日(月)
2000年代TVアニメ回顧 その2

第2弾は『シュヴァリエ 〜Le Chevalier D'Éon〜』('06)。

物語は、革命前夜のフランス。ルイ15世の臣下であった最愛の姉・リアが謎の死を遂げたことから始まる。弟・デオンはその真相を追うが、それは単なる殺人事件に留まらず、18世紀ヨーロッパ全土を震撼させる事態へと繋がってゆくのだ。同時に、いくつものキーワードが本作の謎を深める。

<王の詩篇>、<革命教団>、<詩人>、<ガーゴイル>、<四銃士>、<機密局>、そして<姉の魂の行方>……一つの謎が新たな謎と連鎖しながら、やがて、それは観る者を知られざる歴史の真実へと導いてゆく。果たして、姉を殺害した者とは誰なのか? その理由とは? 姉弟の絆を背に駆け抜けるデオンが最後に掴むものとは?

WOWOWでハイビジョン放送された作品で、それにふさわしい豪華絢爛な美術に、5.1チャンネルの音響で見ごたえ聞きごたえはかなりのもの。
実在した女装の騎士(!)デオンを主人公に、歴史の闇に迫る大河ロマン。三銃士をモチーフにしていながら様々にひねりが加えてある。オープニング映像にまで伏線が仕込んであったり、主要登場人物のあの人が後年、ある歴史上の人物になったり、周到に練り上げられた物語を堪能できる。

監督は古橋一浩。現在では『ガンダムUC』の人。私は本作で名前を覚えた。
キャラデザインは『KURAU』と同じ尾崎智美。瞳が小さい、いわゆるアニメっぽくない写実寄りの絵で、作品世界によく合っていた。その後あまり聞かないと思っていたのだが、今回改めて調べたら、キャラデザインよりもプロップデザインの仕事を多く手がけていて、最近は『屍者の帝国』にも参加していた。



2017年5月31日(水)
2000年代TVアニメ回顧 その1

平成の御代も終わりの近い今日この頃。すでに遙か昔のように思える2000年代をご記憶だろうか。

ふと思い立って、2000年代のTVアニメの中から、印象深い作品を回顧してみることにした。ぶっちゃけて言えば、BD化されそうにない作品ということである。
特に「TVアニメ」と言っているのは理由がある。OVAなら、名作傑作はもちろん、残念な作品であっても、マイナーOVAというくくりで語られる機会がある。しかし、実質的に深夜アニメがOVA化した2000年代以降、当たらなかったTVアニメはほとんど記憶されない。

それでもその中には、決して傑作とは言えないがただ忘れられてしまうのは惜しい作品がいくつもある。
順不同で、思いつくままに挙げていってみよう。

まず1回目は、『KURAU Phantom Memory』('04)。

Bonesの初期作品であり、入江泰浩の初監督作品。私としては、川澄綾子の代表作の一つだと思っている。

西暦2100年。
宇宙に進出した人類は、月面に都市を建設し、更なる外宇宙進出を計画していた。
天箕博士が原子衝突実験を行っていた最中、突如実験装置から放たれた二つの光が、見学をしていた博士の娘クラウ(12歳)に衝突する。
やがてクラウは意識を回復したが、その身体には「リナクス」なる存在が宿っていた。
「この体には、もうひとつのリナクスがいる。私はそれを、守らなければならない」と、クラウ=リナクスは語る。
もうひとつのリナクスを、彼女は「対」と呼んだ。
―それから10年後、クラウとして成長した彼女はエージェント(公認の法執行代行者。賞金稼ぎみたいなもの)として生計を立てていた。そんなある日、クラウの中から一人の少女「クリスマス」が現れる。
リナクスは未知の莫大なエネルギー源とみなされるため、クラウとクリスマスは追われる身となる。


ショートカットのキリッとしたクラウと、フェミニンな美少女クリスマスの主人公コンビ。いまだったらもっと百合百合しい描写になると思うのだが、幸いにもこの時代は節度があった。主人公が22歳という設定も、結構新鮮だった。
リナクスをめぐる人間模様が抑制の効いた演出で渋く、丁寧に描かれる。ド直球のSFである反面、車輪がなくて空を飛ぶエアカーとかむしろ懐かしいビジュアルでもあった。
S.E.N.Sの手がけたエンディングとともに、結末の構造的美しさが素晴らしい。




ところで、私の観測範囲に『メッセージ』を観た人がいないのはどうしたことか。
これは本当に凄い映画だ。どのくらい凄いかというと、『正解するカド』の20億倍くらい(当社調べ)。ラストで号泣してしまって困った。
たまたま同じ日に『BLAME!』をハシゴしたのだが、『メッセージ』が強烈すぎてほとんど覚えていない。比べるのも気の毒ながら、映画としての格が違いすぎる。予算のことではないよ。風格とか気品という意味だ。
必見!

2017年5月23日(火)
10GAUGE

近年まれに見る大豊作の今期のアニメ。
高山文彦がシリーズ構成してるわ、監督としては高山に負けず劣らず寡作の増井壮一が現代劇を手がけているわ、あおきえいは相変わらず快調だわで、いくら時間があっても足りない。
なかでも、最大の驚きは『月がきれい』。何が驚きかって、岸誠二監督作品なのに面白いという点だ。中学生の初々しくももどかしい恋愛模様を、毎回身もだえしながら観ている。

私は岸誠二作品が嫌いだった。1本たりとも、どころか1分1秒たりとも面白いと思ったことがない。もうDNAレベルで趣味に合わないと思っていたのだが、どうしたことか、本作は素晴らしい。
予告編観て、これは好きなタイプの作品かも知れないと直感したのが正解だった。

ところで、今期のアニメを観ていると、エンドクレジットにやたらと出てくるのが10GAUGEという社名(訂正。大文字だった)。
http://10gauge.org/?page_id=15

こんな具合だ。
『正解するカド』OP
『サクラクエスト』ED
『サクラダリセット』OP
(ただでさえ紛らわしいのに、こんなところで張り合わんでも)
『有頂天家族2』OP
『僕のヒーローアカデミア2』アバンタイトル
『ID-0』公式HP

調べてみたら、元々WEBデザインやPV、CMを多く手がけてきた会社らしい。
確かにいずれのOP、EDもとてもセンスいいのだが、この人気ぶりは何だろう。本編作っている方のスタジオでは手が回らないのだろうか?
なんにせよ、業界にはいろんな仕事があるもんだという話。

2017年5月13日(日)
『サエカノ♭』5話

インド版『巨人の星』こと『スーラジ ザ・ライジングスター』('12)のその後の展開とか調べてたらずいぶん間が空いてしまったが、今日は久々にリアルタイムのアニメの話。

今期はここしばらくなかった大豊作で、かろうじてついて行ってる。その中でも、亀井幹太監督待望の新作『冴えない彼女の育て方♭』第5話が素晴らしかった。いや黒ストお仕置きの件ではなく。

シナリオのリテイク&ルートの追加により、順調にゲーム制作の進行も遅れる中、
英梨々の原画作業にも遅れが目立ち始める。
かけた時間がクオリティに反映されてこないと指摘する詩羽。
それでも英梨々は最後に予想通りのものをきちんとあげてくると信じる倫也。

そんな中、英梨々は那須高原の別荘に籠り、
一人原画作業に没頭するのだが・・・。
(公式サイトより)

詩羽先輩は、「英梨々は予想通りのものをあげてくる」と言う倫也に対して、それは信頼ではなく「期待のなさ」にすぎない、と怒りを見せる。倫也にはその言葉が理解できない。
英梨々を心配しつつ、通学途中の倫也と恵。

ステルス性は高くとも敏感な恵には、問題の所在が解っている。だから二人の会話はかみ合わない。
それを示すのがこれ。



文字通りの平行線だ。そして倫也がある決定的な一言を口にした瞬間、恵は先に行ってしまう。



平行しつつ同じ方向に進んでいた二人の間が、横線で区切られる。



振り返り、戻ってくる恵だが。



依然、二人の間に境界がある。背景にも注目。倫也の背後は川と遠方の住宅で開けているが、恵の背後はすぐそばのブロック塀、樹木、そして標識の柱で埋め尽くされ、倫也の前に立ちふさがっている。
そして、倫也目線での恵の正面カット。



身長差があるので本来は見下ろしたアングルになるはずが、背景の道路が傾斜しているので消失点が上の方に誘導され、倫也に与える印象を強調した圧迫感のある画になっている。

『進撃の巨人』の急展開も激しいアクションも良いが、こうした一見何気ない会話シーンにちりばめられた工夫の数々が、息詰まる緊張を生む。これぞプロの仕事だ。

また終盤、英梨々が幻影を見ながら筆を走らせるシーンも、創作者の苦悩と快楽と狂気をにじませて、鳥肌が立つほど秀逸。
偶然だろうが、今期は『エロマンガ先生』といい『Re:CREATORS』といい、創作者の業をテーマにした作品が目につく。

2017年4月24日(月)
『難民村の郵便配達夫』

凄いものを観たので報告しておく。
表題作は、先日のNHK-BS『BS世界のドキュメンタリー』で放送した作品。フィンランド・ブルガリア合作、2016年。

舞台になるのは、トルコと国境を接するブルガリアの小さな村。
早朝、初老の男が国境のフェンス沿いを歩いている。双眼鏡で茂みの中を見ると、いくつか人影が見える。男は携帯電話を取りだし、どこかに電話をかける。「もしもし、国境警察ですか。トルコからの難民がいます・・・」。

本作にナレーションはなく、テロップも必要最小限しか出ない。1時間足らずの長さだが、緑あふれる美しい風景、老いた村人たちの陰影ある表情を豊かに捉えた映像は、番組と言うより映画と呼ぶにふさわしい趣がある。

男はどうやら、自主的に国境の見回りをしているらしい。村の人々との会話から、次第に様子がわかってくる。男の名はイヴァン・フランスゾフ。彼の村はゴリアム・デルヴェント村という。村と墓地の間に国境線ができてしまったため、共産主義時代は墓参りに行くのにパスポートが必要だった。
村は過疎と高齢化で消滅の危機にある。何しろ村長選挙をするにも、選挙人名簿に名がある有権者が38人しかいないというのだ。平たく言えば限界集落である。村の中は廃墟だらけで、廃校の一室には難民がたき火をした跡がある。
トルコを経由してシリアから逃れてきた難民は、毎日のように村を通過していく。村の老婆は、靴のない難民に靴下を分けてやったり、子供たちに水を飲ませてやった体験を語る。

イヴァンは、この村で郵便配達夫をしている。テレビのニュースは、欧州各地で起きる難民にまつわる軋轢を報じている。イヴァンはそれらニュースと、村を通過していく難民の様子を考え合わせ、難民に村に定住してもらい、仕事を与えて税金を納めさせ、村を復興させたいと考えるようになる。彼は次回の村長選挙に出馬することを決め、隣人たちの家を順番に訪れては考えを説いていく。
村人の反応は様々だ。難民と称する人々は出稼ぎに来ているだけだと言う人もいれば、治安が悪化すると言う人もいる。それでも、イヴァンに賛同してくれる人もいる。
対立候補もいる。ハラチェフという蓬髪の男は、共産主義者を自認し、共産政権時代に戻せば事態は好転すると訴える。それでもなぜかイヴァンとは仲が良い。
現職の女性村長ヴェサは、一人だけ執務室にパソコンを置いてインターネットを楽しみ、執務中も大音量でオーディオを聞いている。イヴァンが郵便物を届けても、対応もしない。イヴァンらの会話からすると、政治家としては何もしない人物らしい。
イヴァンは一人で選挙活動をし、ポスターを貼って回る。ハラチェフもポスターを貼り、ついでにイヴァンのポスターをはがして回る(いくらブルガリアでも公職選挙法違反だと思うが)。

やがて選挙の日。開票の結果、イヴァンは健闘したが現職の勝利だった。失意のイヴァンはハラチェフとともに、難民を首都ソフィアまで送り届けて小遣い稼ぎをする。2組の母子を無事にソフィア側のブローカーに引き渡して村に帰ってくるが、やがてテレビでニュースが流れる。
トラックの荷台に70名もの難民が詰め込まれて窒息死しているのが発見されたというのだ。声もなくテレビを見つめるイヴァン。

ラストシーン。イヴァンは今日も、国境沿いを歩いている。
双眼鏡を目に当てると、茂みの中を動く人影が見える。イヴァンは携帯電話を取りだして話し始める。
「もしもし、国境警察ですか。ゴリアム村のイヴァンです。今日は難民はいません。一人も見ておりません・・・」。

本作は原題を、「The Good Postman」と言う。村人はしばしば、イヴァンを「善良な人」と評する。善良な人は、圧倒的に理不尽な現実に直面してただ立ちすくむしかない。
ヨーロッパの現在というにとどまらず、この残酷な世界で良心を持ち続けることの意義と困難を描く名作。今週再放送があるので、未見の方はぜひ。

2017年4月17日(月)
WBC

またしても古い話だが、書いておく。

小久保監督率いる日本代表は、前回同様準決勝で果てた。下馬評の低さを思えば、よくぞここまでと思う。
だがあの準決勝は、現在のMLBがNPBに対して与える評価が全て実証されてしまった試合だった。
すなわち、日本人の投手は一流で、メジャーの打者とも互角に渡り合えるが、打者は非力でメジャーの投手の投げる「動く球」を打てない。そして内野手は天然芝上の守備が下手、というものである。
それも、よりによってNPB史上最高の二塁手である菊池涼介がエラーをするという念の入りよう。

もちろん、現在のメジャーは守備力をエラーだけで判断したりはしないということは承知しているが、印象が悪かったことは否めない。

改めて、イチローと松井秀喜の偉大さが忍ばれる。その松井でさえ、開幕から数ヶ月はGround King(ゴロ王)と揶揄されたのだ。イチローはキャンプ期間だけでメジャーの投手のタイミングに慣れたらしいが。

点差こそ1点だが、アメリカ戦は惜敗ではなく完敗だった。
野球は点取りゲームであり、点を取らなければ勝てない。私の見る限り、日本打線に点を取れる気配は全くなかった。菊池のラッキーホームラン以外は単打が3本だけというのではどうしようもない。
勝負の綾は、識者の皆さんが様々に論じているが、私の思うに勝負は1回の裏に決した。先頭の山田が死球で出た後、続く菊池が「セオリー通り」バントで送った場面である。
バントをすればするほど得点は減る、というのはもはや常識だ。
プレッシャーのかかる大事な国際試合、先頭打者にぶつけてピンチを招き、いかにメジャーの投手でも動揺は免れないだろう。かさにかかって攻め立てるべきではなかったか。
「スモールボールを免罪符にした、十年一日のスクールボーイの野球」。私の目には、アメリカ投手陣はそう見抜いて、日本打線を完全に呑んでかかっていたように見えた。
大谷翔平の欠場は誠に残念だった。もちろん大谷がいれば勝てたなどと言うつもりはない。今の大谷のバッティングがメジャーの投手に通用したかどうか、見ておきたかったのだ。

正直、日本打線とアメリカ投手陣の間には点差以上に力の差を感じた。そこから日本が取り組むべきことが見える。これまでは「技術力」を武器にしたが、これからは「パワー」を優先し、そこに技術力を加えていくべきではないか。過去3大会とは比較にならないほど他国の本気度が上がる中、使用球、ボークの規定、天然芝の屋外球場など野球を取り巻く環境を“世界基準”に変える必要があると思わされた。
                     「宮本慎也の目」『Number』924号、17年4月13日、21ページ。

石田雄太氏は統一球の見直しを訴えている(同43ページ)が、それだけではとても足りない。メジャーの投手の投げる球を日常的に見て、打てる選手を、それも大量に育てる必要がある。とすると答えは一つだ。日本人選手を組織的にメジャーに送り込むのである。高校・大学の段階からメジャーを目指す選手を支援してやればよろしい。かわりに日本球界も、外国人枠などとケチくさいことを言わずに世界各国からバンバン受け入れればよい。豊浦彰太郎氏が言うように、代表監督も外国から招聘すればよい
サッカーでもラグビーでもやっていることだ。もはや門戸を閉ざしている場合ではない。

外国のチームを見ていて特に印象的だったのは、イスラエルチームの躍進、それにオランダ代表のバレンティンの活躍だ。現役バリバリのメジャーリーガーらをキャプテンとして引っ張り、チームをベスト4まで押し上げた(余談だが、アンチル諸島出身の選手の国家的・民族的アイデンティティがどの辺にあるのか興味深いところ)。私も永年スワローズファンをやっているが、バレンティンという選手にキャプテンの資質があるなどと思ったことはついぞなかった。立場が人を作るとはこういうことかと感心していたのだが、ふと嫌なことを考えてしまった。
まったくの想像なのだが、バレンティンという選手は、元々こういう選手だったのではないか。日本の環境では、そうした本来の能力を発揮できずにいたのではないか。もちろん言葉の壁はあるだろうが、仮に現横浜監督のラミレスや元近鉄のローズのような、流暢に日本語を操れる選手がいたとして、プロ野球チームでキャプテンを任せられるということがあるだろうか。日本球界の閉鎖性を考えると、私には望み薄に思える。

締めくくりにあたって、西川美和監督のエッセイから引用。WBCについて書かれた幾多の文章の中でも、とりわけ感動的なものである。

この底抜けに面白い野球というスポーツを、遠い、よく知らない国の人々と、戦術も体格も全く違う力比べをするのが楽しい。WBCなんて世界的に見れば注目された大会じゃないですよ、などと皮肉も言われるが、だとすればますます、野球の面白さを味わえる国に生まれた幸せを噛みしめる。ああ、もっとずっと観ていたいけれど、また次は四年後。世界の野球人の皆さん、楽しい春をありがとう。
                            西川美和「野球の国に生まれた幸せを。」65ページ。

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