更新履歴と周辺雑記

更新履歴を兼ねて、日記付け。完結していない作品については、ここに書いていきます。

2016年5月31日(火)
『ハイキュー!!』9話

最近『ハイキュー!!』を観ている。知人から、バレーボール場面の作画が凄いと聞いたので。観たら本当に凄かった。何でこれまでノーマークだったんだろう。
躍動する人体の正確さ。細かい仕草や試合中のポジショニング。時に描線を思い切り崩すケレン味。毎回が『ピンポン』の最終回のようだ。
レイアウトや美術や特殊効果でごまかさない(言葉は悪いが)、作画スタジオとしてのプロダクションIGの実力を改めて知らしめた作品と言えるだろう。

ところで作画の話はその筋の人にまかせるとして、9話「エースへのトス」が素晴らしい出来だった。
1期シリーズの前半は、低迷の続いていた烏野高校排球部に、主人公日向と影山をはじめ、メンバーがそろってくるエピソードが続く。9話は、エーススパイカー旭の復活を描いている。ある試合で徹底的なマークにあい、ことごとくスパイクをブロックされた旭は、自信を失ってチームから離れてしまった。
リベロ(守備専門のプレイヤー)の西谷は、ブロックされたボールをフォローしきれなかったことに責任を感じている。
日向らに誘われてこっそり練習風景を見に来た旭は、主将の澤村と出くわす。まだバレーを好きな気持ちがあるなら戻ってこい、と諭す沢村。



一方西谷は、部活を離れていた間ブロックフォローの練習を重ねていた。

 

西谷と旭の衝突のさなかに折れたモップ。前の話数で、初登場シーンの西谷はこれを見つめている。言うまでもないが、これが切れた絆を象徴している。



ひとり澤村の言葉を思い出す旭。



私が最初に、このエピソードは出来が違うと感じたのはここ。上の、澤村の絵とアングルが違う。ここは旭の回想なので、旭の主観として新規に描き起こしているのだ。テキトーに作っている作品なら、バンクで済ませてしまうシーンである。厳密に言えば別のバンクカットを用いているのかも知れないが、リアルタイムのカットと回想とを使い分けているところに演出家の細かい配慮を感じる。

そして始まった練習試合。旭のスパイクは、またしてもブロックに止められてしまう。だが西谷のフォローで、ボールはセッターへ。

 

旭はまた止められるかも知れない、という恐怖を振り払い、トスを要求する。

心底感心したのがこのシーン。エーススパイカーの復活をそれぞれに見届けるチームメイト、なのだが。







カメラは、誰よりも旭の復帰を待ち望んでいた西谷の表情を、映さないのである

観客は、西谷の、全身アザだらけにしてブロックフォローの練習をしていた努力を、旭が戻らないなら自分もコートに立ちたくないとまで言った心意気を、すでに知っている。
だからこの瞬間、西谷の表情を見せる必要はない。ただ想像すればいい。想像力は無限なのだから。

あるいは、アングルは原作通りなのかも知れないが、アニメ版の出来はアニメスタッフの功績に帰せられるべきものである。
絵コンテ・演出は石川真理子。IG作品のメインアニメーターとして長く見かける名だ。調べたら、『翠星のガルガンティア』で絵コンテデビューしていた。そう言えばあったね、そんな作品(遠い目で)。『セカンドシーズン』では助監督を務めており、本格的に演出を目指すらしい。
なおこの人の名を記憶していたのは、80年代に石川真理恵というAV女優がいたからだということは、本人には絶対秘密だ。


16.6.22追記 問題のカメラアングルは原作通りでした。

2016年5月17日(火)
『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』長井監督インタビュー

『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』については、言及したことがなかった。別に避けていたわけではなく、ちゃんと観ていたが何となく発言する機会がなかったのである。放映が終わったら2期があることが発表されたのでなおさらに。
が、先日『ガンダムエース』で長井龍雪監督と岡田麿里のインタビューを読んだので、気になったところを摘記。

-印象に残っているエピソードは?
長井 5話「赤い空の向こう」、7話「いさなとり」ですね。5話は初めての宇宙戦闘で、ベテランの大塚健さんに絵コンテとメカ作監を担当してもらい、宇宙空間での戦闘の描き方を教えてもらいました。7話はさらに戦艦が出てきて、西澤晋さん、寺岡巌さんに入ってもらいました。こちらも戦艦戦の描き方を見せてもらい、とても勉強になりまいた。印象に残ったというよりも、どちらも勉強させて頂いたエピソードですね。

確かに、7話の空間戦闘は凄かった。宇宙戦闘に限らず、本作は「戦わないガンダム」と言われていたらしいが、その分いざ戦う時のアクションシーンは凄まじい迫力だった。この頃、西澤晋の絵コンテ回がやたらと多かった記憶がある。本作のみならず、毎週1、2回はこの人の名前を見かけた。

(クーデリアの変化について)
長井 鉄華団と深く接したことはもちろん、フミタンの死が大きかったんだと思います。あれを乗り越えるには変わらざるを得ず、今まで理想だけだった行動に覚悟が生まれたと思います。そういう意味で、終盤は鉄華団のジャケットを着せたりもしました。
フミタンはストーリー運びのために後から作ったキャラなんですが、結果的に非常に大きな役割を果たしてくれましたね。

本作への不満は二つある。
ひとつは、三日月が主人公である限り、ドラマの行く先はオルガとの関係をいかに解消するかにならざるを得ない(決断を完全にオルガに委ねているという関係が健全なわけがない)、にもかかわらず、話がその方向に向かわないという点。
オルガとメリビットとの関係が消化不良な点も含めて、2期で解決してくれるといいのだが。ぶっちゃけて言えば、メリビットはオルガの筆下ろししてくれる役だと思っていた。

もうひとつは、フミタンの死という中盤のクライマックスがいま一つ盛り上がらない点。イベント自体に問題があるのではなく、その背景である、コロニーの暴動鎮圧にともなう流血の惨事という事件になんだか切迫感が感じられないのだ。理由はよくわからないのだが、画面の情報量とか密度感が足りないためかもしれない。

岡田のインタビューを読むと、「家族」というキーワードを必ずしも肯定的にとらえていない、という点に感心した。やたらと家族を連呼する作品て私嫌いなのだが、本作も確かに観ていて居心地が悪かった。

‐(前略)メカ演出で意識したことはありますか?
長井 やっぱりビームがないことによる見せ方ですね。その分、逆にこの縛りを生かして新しいことを試していこうと、今までの『ガンダム』とは違う見せ方をやってみました。斬るのでなく吹っ飛ばしたり、装甲が剥がれてフレームが剥き出しになったり。作画の方々には相当負担を掛けてしまいましたが、おかげさまで迫力のある絵になったと思います。後はなるべくギミックを見せるようにというところですね。
‐23話で、バルバトスが涙を流しているように見えるなど、メカの表情芝居には目を引かれました。ああいうのは絵コンテで指示しているのですか?
長井 メカの表情芝居はほぼ作画の方々のアイデアです。自分なんかより数段メカへの思い入れが深い方ばかりなので、細かい指示は必要ないというか。絵コンテからシーンを読み取って、見せたい表情というものを汲み取ってくれるんです。キマリストルーパーの変形時にパキンと紫色の光が飛び散るんですが、ああいうのも格好いい演出ですよね。メカに関しては本当に勉強になることばかりでした。

「長井龍雪監督インタビュー」『ガンダムエース』2016年6月号160ページ。強調は引用者による。

つい先日、縁あってまんだらけの『資料性博覧会09』パンフレットに寄稿させて頂いた。最近注目している演出家について書いたのだが、上のインタビューなんか読むと、アニメ作者の個性について語ることの難しさを痛感する。

『資料性博覧会』の話題が出たので、ついでに。
私が採りあげたのは、川面真也、安藤正臣、それに当サイトの読者にはもうおなじみの咲坂守の3人。特に咲坂は、アニメ作者としてこうした場に名前が出るのは初めてではないかと自負している。

川面は最新作『田中くんはいつもけだるげ』も快調な中、心配なのが安藤である。『最弱無敗の神装機竜』がどうにもこうにも、なんでまた今どき「シャルのいない『インフィニット・ストラトス』」みたいなものを作らなきゃならなかったのやら(言い訳してしまうが、原稿執筆は『神装機竜』の放映前)。無理やりに原稿の内容にこと寄せて書くと、「日常の隙間にのぞく闇」を描くことに長けた安藤には、最初から全開で非日常の異世界ファンタジーは向かなかったのかもしれない。

2016年5月16日(月)
『Re:ゼロから始める異世界生活』

久々にTVアニメの話。

まるでノーチェックだったのに、今期一番楽しく観ているのがこれ。異世界召喚ものにも、様々なアプローチがあるものだ。現在7話だが、ループものとの組み合わせと見せて、謎また謎の展開。毎回毎回の引きの見事さ。人体ざっくり、流血どっぷりの容赦ない描写。
それに能登麻美子の怪演。悪女と娼婦は女優の夢と言うが、最近こんなんばっかだなこの人。ほんの数年前にはロサ・ギガンティアとか演じてたというのに。演じている本人は楽しそうだが。声優界の世代交代が順調に進んでいるのであれば、それはそれでいいことだ。

演出家には、突然登場する人がときどきいる。私にとっては、『世紀末オカルト学院』の伊藤智彦がそうだった。実際には、伊藤は『時かけ』の演出を手掛けている実力者だったのだが。

本作監督の渡邉政治はこれまた初めて聞く名前だが、経歴を見たら『涼宮ハルヒ』で演出補佐、近年では『Wake Up, Girls!』を手がけた人だった。つまり、ヤマカンさんについて行った組だ。
京アニ出身者と言えば、『彼女と彼女の猫 -Everything Flows-』で監督デビューした坂本一也もそうだ。

私は以前、京アニは本腰入れて次世代の演出家育成に取り組んでいるのではないか、と書いたことがある。その時念頭に置いていたのは『Free!』監督の内田紘子、『境界の彼方』監督の石立太一らだった。現在はもちろん、『ユーフォニアム』で注目を集めた藤田春香が控えている。
そして京アニを離れた組でも、本作の渡邊に、いろんな意味で別格の高雄統子。京アニの思惑と関係なく、この演出家育成力は大したものである。

京アニ出身の演出家が、今後しばらくアニメ界のトレンドになるかも知れない。

2016年5月1日(日)
『劇場版 響け!ユーファニアム』

観てきた。劇場で、発作的にサントラも買ってきた。
音響の良さもさることながら、大画面で観て初めて気がついたこと。

祭りの夜の大吉山のシーンだが、久美子の目線で見るとき、常に夜空に2つ並んだ星が写るのである(画像はTVシリーズのもの)。これ以外の星は一切見えないのだ。









ラストカットでは、木の間越しにもちゃんと見えている徹底ぶり。



寄り添って輝く2つ星が何を意味するかは、言うまでもない。



どう見ても「事後」の絵です。




パンフレットから、スタッフ座談会における山田尚子のコメント。

-『響け!ユーファニアム』という作品を漢字一文字で表すなら何でしょうか?
「管(くだ)」!
(中略)
この作品の最初のアプローチは「呼吸」とか「息づかい」だったんです。それを表現できたと思うので「管」ですかね。体のなかにも管(気管)はあるし、人と人とをつなぐ「パイプ」としての役割もあるし。




蛇足だが、TVシリーズEDで前から気になっていたこと。
このネームプレート、若い人には何だかわからないんじゃない?



テプラという便利なものができる前は、こうしてテープにアルファベットを打ち出す道具があってですね・・・・・・。

と思ったら、まだ現役で売ってた!

 ダイモ販売株式会社

 ダイモテープが人気再沸騰中

そうですかダイモテープと言うんですか。30年目にして初めて知った。

2016年4月5日(火)
『心が叫びたがってるんだ。』BD発売記念

BDで観返してすばらしさを再確認したので、一筆。
光と影の使い方の巧みさは『アニメスタイル』008号で詳しく解説されているので、ここでは別の観点から。
拓実と菜月の夜の会話シーン。
菜月は、中学時代から秘めてきた想いを拓実に伝えようとする。このとき、二人は手前の柱に区切られた同じ空間にいる。



しかし拓実は菜月の真意に気づかず、菜月の言葉は彼に届かない。背景の一方通行の表示が、それを強調する。



拓実は一人歩を進め、菜月と二人収まっていた空間から出てしまう。その前景には、巨大な進入禁止のマークが。



なお私は最初から菜月派だったので、あの展開も至極自然に受け止めた。
初めて拓実の家にお呼ばれして、微妙に気合いの入った装いとか。



クライマックス直前、決意みなぎるこの凛々しい表情。





大樹の行くぞ、との呼びかけに「おう!」と答える漢らしさも素晴らしい。


BD-BOXブックレットの長井龍雪×岡田麿里×田中将賀対談より、面白かった部分を抜粋。太字は引用者による。

岡田 過去にやった作品もそうだったけど、この三人で組むときは「リアルっぽく見えるんだけど、大事にするのはそこじゃない」というか、本当にリアルなことからは微妙にズラして作ろうって暗黙のルールがあって。
田中 今回ほど「リアルっぽさ」の「っぽさ」という言葉を痛感したことはないね。ウソなのに、ウソっぽく見えない映像のマジックがある。「それは無理だろう」という違和感を生まないようにして、でも曖昧にするために言葉で説明をするわけでもないんだよね。説明しちゃうとかえってそこが目立っちゃうから、何も言わないで別の方向に観客の目を向けさせる。そこが長井さんはすごいなと思った。

岡田 (前略)でもあれ(引用者注:順が最後に観客席の後ろから登場して歌い出すシーン)、監督だって、絶対100パーは計算してないよね?
長井 それはそうだよ。「ここまで積み上げてきたけど、最後の一歩は積みきれない」みたいな気持ちでいる時に、あの曲が上がってきたので、本当にありがたかった。曲が来るまでコンテが描けなかったから、なかなかどうなるかがわからないところもあったんだけど、曲が来てみたらダーっと描けたんだよね。自分の中では「これならいけるかも」って思ったから、田中さんに「どう?」って聞いたんだけど、でもその時の田中さんの反応はすごく悪かったよ(笑)。
田中 そこは監督じゃないから、ミュージカルシーンを音のないコンテの状態で想像するのは難しかったですよ。そこで自分に「これはきっといいものだ」って希望的観測を与えるのも不健康な気がして、その時は正直に「よく分かんない」って言ったんだよね。音楽と合わせるまでは、引き込まれるような何かが足りない気がしていた。それが何なのかわからなくて、自分のせいじゃないか、もっとキャラとか作画で何かできたんじゃないか、みたいな気持ちになってたんですよ。
(中略)
だけど音を入れたラストシーンを見た時の爽やかさといったら、想像を超えていた。作業的にはその先が絶望的な状況だったんで「もう無理だ、終わらない」くらいに思っていたんだけど、あれを見て「ああ、これなら頑張って戦える。これのためにも頑張ろう」って思えたんだよ。


演出家とアニメーターの感性というか、職責の違いが興味深い。逆に演出家がタイムシートを見たら、同じように感じるのかも。

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