東北楽天の本拠地コボスタ宮城が、来年から天然芝に張り替えるのだという。ダルビッシュがいち早く賞賛したのをはじめ各界から賛意が上がっているのだが、私はその理由がいまひとつ納得いかない。「人工芝が選手の身体に負担をかけ、選手寿命を縮めている」という言説にかねがね疑いを抱いているからである。
これを「人工芝悪玉論」と呼ぶことにする。人工芝のせいで故障したという個々の事例のことではなく、選手寿命を縮めている、という主張に限定する。
○ プロ野球選手の平均寿命の動向
まず、そもそも選手寿命の動向はどうなっているのか。日本人プロ野球選手の平均年齢の推移を調べたグラフがあった(中山悌一「日本人プロ野球選手の体格の推移(1950~2002)」『体力科學』53巻4号、2004年8月、445ページ。中山は元阪神タイガースコンディショニングコーチ。なお、外国人選手は除外している)。
厳密には平均寿命ではないが、高齢の選手が増えれば平均年齢は上がるのだから、常識的に考えて平均寿命とニアリーイコールのはずである。平均年齢が上がっているにもかかわらず平均寿命が減少するという事態があるとすれば、プロ入りする年齢が上がっている場合だが、これは別途調査する必要があろう。これについては今回は割愛する。

選手の平均年齢は順調に伸びている。80年代にいったん上げ止まりがある。子細に観ると若干低下しているが、統計誤差の範疇であろう。元の論文でも問題視していない。
2リーグ分裂直後の1950年と1951年はそれぞれ26.6歳と27.1歳と高い年齢を示したが、その後は若い新人選手が多数入団することにより平均年齢が急激に低下し1955年には22.7歳となった。1966年までは23歳前後の平均年齢であったが、1967年には平均年齢が24歳を越え、更に1974年には25歳代に達し、1993年までは25歳前後を推移していたが、1994年から徐々に高くなり、1997年に26歳代に達して2002年は26.1歳である。53年間の平均年齢は24.8歳であった。
80年代の停滞が人工芝の影響と取れなくもないが、90年代に入ると再び平均年齢が急上昇する。主要球場の人工芝化をグラフにプロットしてみた。
併せて、プロ野球選手のスポーツ医学及び手術に対する意識に影響を与えたと思われる、村田兆治と桑田真澄のトミー・ジョン手術の時期も表示した。

人工芝化が終了して以降、逆に選手の平均年齢が上がっている。おそらくこれは見かけの相関であり、因果関係はないだろう。
しかし少なくとも、「人工芝が選手寿命を縮めている」という主張を疑ってみる理由にはなる。
○ 松井の事例
天然芝を推奨する根拠としてしばしば登場するのが、かの松井秀喜の事例である。松井は人工芝の東京ドームを嫌い、天然芝の多いメジャー移籍を選んだ。ではその松井はどうなったか。日本では故障知らずだった松井は、メジャーでスライディングキャッチに失敗して手首を骨折、連続出場記録が途切れ初めて長期離脱を経験した。そして晩年は慢性的な膝の故障に悩まされた。38歳での引退は、現代野球では特に長命な部類ではない。しかも最後の2年はほとんど働いていないのだ。
本当に「天然芝のおかげで選手寿命を長らえた」と言えるだろうか?「天然芝だったからこそ38歳までプレーできた」と主張することは可能だろう。そうかも知れない。だが、そうでないかも知れない。その証明は不可能だ。松井選手の事例から確かに言えるのは、「松井自身は天然芝を好んだ」というその一事だけだ。
○ 論文の分析
人工芝とスポーツ障害に関する学術論文を集めてみて初めて知った事実。プロ野球選手の故障と人工芝の関係を研究した論文は、管見の限り存在しないようなのだ。以下に主要な論文の報告を摘記する。これらは、飯島健太郎「グラウンドサーフェイスによるスポーツ障害と人工芝・天然芝」『芝草研究』第42巻第1号、2013年10月からの孫引きである。
土グラウンドと人工芝グラウンドとのグラウンドサーフェスの違いによって引き起こされる損傷の比較研究を行った結果、人工芝グラウンドでは下肢への損傷が有意に多く引き起こされ、特に膝関節外傷が多かった。
西村忍ほか「アメリカンフットボール競技中に発生した損傷に関する研究/大学生チームと社会人チームを比較して」『慶應義塾大学体育研究所紀要』第44巻第1号、2005年。
転倒時にグラウンドとの摩擦により起こる擦過傷や肘・膝関節から倒れたときに見られる滑液包炎などの報告が多い。
Arnheim, D. D. and Prentice, E. W., "Principles of Athletic Training 10th edition", Lippincott Williams & Wilkins, Philadelphia, PA, 2000ほか7件。
転倒時に頭部をグラウンドにぶつけたときに人工芝では天然芝グラウンドと比較してより重度の脳しんとうが引き起こされる。
Guskiewicz, M.K.,etc," Epidemiology of concussion in collegiate and high school football players", American Journal of Sports Medicine, 28, 2000.
ラグビーの靱帯損傷による怪我人数は脚関節捻挫と膝関節捻挫が大半であり、人工芝での練習時と天然芝の試合時に見られる特徴がある。
斎藤徹「早稲田大学ラグビー蹴球部2007年度活動報告」『スポーツ医・科学サポートシステムの概要と2007年度活動報告』2008年。
人工芝グラウンドは加速度を得ることができるためスピードが上がり、アメフトでは衝突時のインパクトが増大し、損傷の可能性も大きくなる。
Ichii, S. "Relation of running injuries to surfaces and shoes", Japanese Journal of Sports Science 5, 1987
ほか3件。ただし既出論文と重複あり。
大学アメフト選手を対象にした調査では、膝靱帯の損傷が人工芝で多い。
安部総一郎ほか「アメリカンフットボール試合時における外傷について/5年間の検討」『臨床スポーツ医学』第15巻第5号、1998年。
大学サッカー選手を対象にした調査では転倒時の上肢の外傷が人工芝で多い。
藤高紘平ほか「グラウンドサーフェイスの変化が大学サッカー選手のスポーツ障害に及ぼす影響/土グラウンドとロングパイル人工芝との比較」『日本臨床スポーツ医学会誌』第18巻第2号、2010年。
高校サッカー選手を対象にした調査では期間中に発生した第5中足骨疲労骨折の全てが人工芝で認められた。
斎田良知ほか「ユース年代サッカー選手における第5中足骨疲労骨折の発生状況」『日本整形外科スポーツ医学会雑誌』第29巻第4号、2009年。
このように、人工芝に起因する障害の報告は確かにある。しかしスライディングした際の擦過傷は、選手寿命に影響を与えるほどの重大な障害とは言いにくい。ひとつ個人的な経験を書くが、私の大学のラグビー用グラウンドは、最近人工芝に張り替えた。ラグビー部の学生に聞いてみたところ、土のグラウンドでは負傷すると雑菌が入って、蜂窩織(ほうかしき)炎になることがあったが、人工芝は清潔なので安心してプレーできるとのことだった。
また、転倒した際や衝突した際の障害が多い。サッカーやアメフト、ラグビーは、元々コンタクトプレーの多いスポーツであって野球とは比較しにくいであろう。
一方、天然芝と人工芝で目立った違いはないとする報告もある。
人工芝と天然芝を比較して、発生する損傷の割合や傾向には大きな差はない。
Nicholas, A. J., etc, A "Historical Perspective of Injuries in Professional Football: Twenty-six Years of Game-Related Events", JAMA, 19, 1988 ほか1件。
近年最新の人工芝と天然芝において障害の発生パターンはわずかに異なるものの、その発生率に差は見られない。
Ekstrand, J.,etc, "Risk of injury in elite football played ond artificial turf vesus natural grass: a prospective two-cohort study". Br J Sports Med. 40, 2006 ほか2件。
人工芝ピッチにおけるサッカーの試合が筋損傷に及ぼす影響に関する研究において、土よりも天然芝・人工芝で試合を行ったほうが筋損傷の程度は小さい。
吉村雅文ほか「人工芝ピッチにおけるサッカーの試合が筋損傷に及ぼす影響」『順天堂スポーツ健康科学研究』第1巻第3号、2010年。
最近のロングパイル人工芝は天然芝に近い特性を有する。
橋本賢太ほか「ロングパイル人工芝ピッチにおけるスポーツ障害と対策1/ハムストリングスの肉離れについて」『関西臨床スポーツ医・科学研究会誌』第18号、2008年ほか1件。
ロングパイル人工芝の過剰な衝撃吸収性能が選手に疲労感を与えている可能性がある。
布目寛幸ほか「ロングパイル人工芝の衝撃吸収性能」『シンポジウム:スポーツ・アンド・ヒューマンダイナミクス講演論文集』2010年11月。
最後の報告は、「人工芝でプレーすると疲れる」というのは思い込みではないか、という趣旨である。
障害の問題を離れても、天然芝というのはそんなにありがたがるものなのだろうか。ずっと昔どこかで読んだ話だが、「日本には噴水文化がない」という。欧州の大きな公園などに見られる壮麗豪華な噴水が日本にはないというのだ。そのエッセイによれば、欧州は水が貴重なので、惜しげもなく水を使用する噴水の設置が王侯貴族の証だった。それに対して、「湯水のごとく」という慣用句があるほど水の豊富な日本では、豪華な噴水を作る動機がなかったのだそうだ。
芝生についても同じことが言えるように思う。草野球のことを、英語ではSandlot Baseballと言う。放っておいたら草ぼうぼうになる国と、砂漠化する国との違いであろう。
なにしろ、鳥取砂丘ですら油断しているとこうなるのだ。先日たまたま観た『空から日本を見てみよう+』の画面より。

現在は、ボランティアが草むしりをして砂丘の景観を維持しているんだとか。
どだい、芝の美しさは、人間が四六時中手を入れることで実現されるものである。あれは人工美の極致であって、自然とは何の関係もない。天然芝を維持するためのコスト-予算はもちろんだが、水、肥料、農薬、電力、作業機械の燃料及び排気ガスその他を勘案すれば、環境負荷という意味では人工芝の方が自然に優しいのではあるまいか。
私自身は、天然芝に賛成でも反対でもない。選手自身が天然芝の方が良いというなら天然芝にすればよい。ただそれならそれを理由にすべきであって、真偽が定かでない「人工芝悪玉論」を理由にすべきではない。結果がどうあれ、誤った根拠に基づいた判断は誤った判断である。
|