更新履歴と周辺雑記

更新履歴を兼ねて、日記付け。完結していない作品については、ここに書いていきます。

2014年11月27日(木)
『虹色ほたる』再見

先日、藤津亮太氏の『虹色ほたる』講義を聴講した際、「この作品は小道具(携帯電話と髪留め)を活用し切れていないのではないか」という質問をしてみた。
すると会場の方から、「携帯電話は、お父さんの録音メッセージを消去しているから過去を克服した証として機能している」との指摘を頂いた。
え、あれ消去してるの?私は、メッセージを繰り返し聞き直している、すなわちお父さんの死をまだ吹っ切れていないという表現だと解釈していた。だから、作中で描かれたように携帯をただ落として紛失するのではなくて、意図的に手放す必要があるのではないかと思っていたのだ。
というわけで、改めて見直してみたのだが。





「消去しますか?」という案内が出て、Yes(消去)なら1、No(保存)なら3。携帯を操作する瞬間は映っていないのだが、指の位置からしてやっぱり3(保存)だろうこれは。
それにこのシーンは、お父さんとの思い出の場所を再び訪ねる(しかも事故現場を通って!)センチメンタルジャーニーの往路である。そこで思い出のメッセージを消すのは不自然だろう。帰りに、「これで思い出を精算できた」と消去するならまだわかるが。

というわけで、携帯についてはやはりメッセージを消去してはいない。つまりユウタは未だ過去にとらわれているわけだが、その後の携帯の扱いに関しては、観返してみて考えが変わった。

私は、過去を克服するためにはそれに向き合い乗り越える行為、すなわちメッセージを消去するか携帯を手放すことが必要だと思っていた。しかし本作の主張はおそらく、「つらい過去は、日々の生活を-楽しいこともイヤなこともあるだろうが-積み重ねていくことで自然に癒されていくのだ、またそうあるべきだ」というものなのだ。

だから過去を象徴する携帯は、落っことして失くしてしまってよいのである。

一方髪留めに関しては、完全に私の記憶違いであった。さえ子の髪留めは、死んだ兄からのプレゼントであり、これまた過去の象徴である。現代に帰って生き直そうと決意したさえ子は髪留めを外す。これは映画的に正しい演出なのだが、私はてっきり、さえ子が外した髪留めをユウタに渡しているのだと思い込んでいた。

どうやらタイムスリップ映画の定番描写-「なぜあなたがこれを!?」というやつ-が念頭にあったために、「『虹色ほたる』でそれをやらない不満」→「髪留めをユウタに渡せばいいのに」→「髪留めを渡したのに定番をやっていない」と誤変換して記憶していたらしい。

これが偽記憶症候群という奴か!
やはり確認なしでうかつな発言してはいかんなあと冷や汗をかいた次第。


2014年11月17日(月)
『廃市』('83)

スカパー!の日本映画専門チャンネルで。
大林宣彦監督の、『転校生』('82)、『時をかける少女』('83)を撮った後の作品。というより、『アイコ十六歳』('83)と『少年ケニヤ』('84)の間と言うべきか。
縦横に水路の走る水郷を舞台に、旧家の姉妹とその夫との複雑な愛憎模様を、卒業論文を書くために一夏滞在した主人公の目を通して描く。

作中では架空の町だが、撮影は福岡県柳川市で行われており、冒頭の献辞にも実名が出てくる。柳川と言えばアニメファンの多くは高畑・宮崎コンビのドキュメンタリー映画『柳川堀割物語』('87)で知る場所であろう(初めて知ったが、この映画165分もあるのね)。
言うまでもなく「運河の町」「日本のベニス」として有名な町であり、この映画にも名前を出して撮影協力している。ところが面白いことに、大林監督はこの町を「停滞の象徴」「死んだ町」「時間の止まった場所」として描写しているのだ。ご丁寧にも、主人公が町に入ると懐中時計が止まってしまう描写まである(もちろん、ラストで町を出ると再び動き出す)。
そもそも主人公がこの町での夏の出来事を思い出したのは、町が火事で焼失したという知らせを聞いたからである。だからタイトルを「廃市」という。

水質汚染に悩んでいた柳川が、河川浄化計画に取り組んで運河を復活させたのが'78年。この映画はおそらく観光へのアピールをもくろんで撮影許可したものだと思うのだが、これでは逆効果だったのではなかろうか。

商売上の計算はさておいて、大林監督と言えば尾道、尾道と言えば坂と階段の町である。大林監督にとって平坦な水郷は、生命のダイナミズムに欠けた場所に見えた結果がこの映画だとすれば、これも立派な作家性の発露だと言えるだろう。
柳川市にとってはいい迷惑であるが。

2014年11月12日(水)
雑記

なんかここしばらく、自分内評価と世評とのあまりの隔絶っぷりに愕然とすることが多くて気力がわかなくなっていた。

最近観たものなど。

○ 『ホワイトタイガー ナチス極秘戦車 宿命の砲火』
WOWOWで鑑賞。
驚くべきことに劇場公開もしている。折からの戦車ブームに乗っかり、大本命『フューリー』の上陸前に一稼ぎしようと急遽公開されたロシア映画。

木下大サーカスのような大バカな邦題にもかかわらず、実は意外と真面目な映画である。
第二次大戦末期のロシア戦線に突如出現した一台の白いタイガーⅠ。神出鬼没のその戦車は圧倒的な戦闘力で、ソ連軍を蹂躙していく。
そのホワイトタイガーとの戦いで生死の境をさまよった主人公のソ連軍戦車兵は、蘇生したとき不思議な能力を得ていた。彼はその力で、ホワイトタイガーに立ち向かっていく。

http://white-tiger.ayapro.ne.jp/

この際だからネタバレしてしまうが、このタイガーは人類の歴史の影に脈々と生き続ける、「悪」そのものの具現なのである。死に触れたことでそれに対抗する力を得た主人公は、永遠に戦い続ける宿命を負うことになる。・・・・・・T-34で。

それはそれとして、T-34がうじゃうじゃ出てきてバッカンバッカン撃ちまくり、農家を踏みつぶし、そしてバカスカやられるので、ソ連戦車ファンは必見。


○  『Fate UBW』
いずれ使おうと思って死蔵していたネタ。
米amazonの劇場版『Fate UBW』レビュー
いわく、“Unlimited Blade Works, Limited storytelling”.
うまい。座布団一枚。

今回のTVシリーズは、あおきえい監督作品じゃないと知って興味が失せてしまっていたのだが、どうして、実際始まってみれば実に良いではないですか。
『UBW』と『HF』をそれぞれやると聞いて、「所詮ユーフォーは原作を一言一句変えずに作るしか能がないのさ」と斜に構えていた自分が恥ずかしい。

本作は、見た目はゴージャスなディーン劇場版に足りなかったもの-主として尺だが、決してそれだけではない-を見事に盛り込んでいる。言葉にしてみれば、文字媒体を映像に落とし込むに当たって必要な配慮や工夫の数々、ということになるのであろう(ディーン版のスタッフインタビューで、原作のセリフを抜き書きしたらそれだけでタウンページみたいになったというエピソードがあって、そんなことしてる時点で駄目だろうと思った)。

原作は本編→前日譚、アニメは前日譚→本編という順番なのも面白いところ。
ところで、『鬼作』を観ていたら原画・三浦貴博という名前があったんだが、これってやっぱり・・・?

どうでもいいことだが、本作の一番良い点は士郎くんの冬服が設定されたことであろう。いくら冬木市が温暖という設定でも、2月にあの服装はどうなのという問題が二次創作でよくネタになってた。


○ 『神撃のバハムート GENESIS』
さとうけいいち監督がこんなにハイアベレージな作家になるとは、予想もしていなかった。
恩田尚之のキャラデザインが、解剖学的正確さとアニメ的美麗さを両立していて実に見事。男性キャラにまで唇を描き込んでいるのが珍しい。
驚いたのが、5.1チャンネル音声で放送していること。不覚にも4話まで気付かなかったのだが、TVアニメとしては史上初なのではないか?

バックナンバー