先日、藤津亮太氏の『虹色ほたる』講義を聴講した際、「この作品は小道具(携帯電話と髪留め)を活用し切れていないのではないか」という質問をしてみた。
すると会場の方から、「携帯電話は、お父さんの録音メッセージを消去しているから過去を克服した証として機能している」との指摘を頂いた。
え、あれ消去してるの?私は、メッセージを繰り返し聞き直している、すなわちお父さんの死をまだ吹っ切れていないという表現だと解釈していた。だから、作中で描かれたように携帯をただ落として紛失するのではなくて、意図的に手放す必要があるのではないかと思っていたのだ。
というわけで、改めて見直してみたのだが。
「消去しますか?」という案内が出て、Yes(消去)なら1、No(保存)なら3。携帯を操作する瞬間は映っていないのだが、指の位置からしてやっぱり3(保存)だろうこれは。
それにこのシーンは、お父さんとの思い出の場所を再び訪ねる(しかも事故現場を通って!)センチメンタルジャーニーの往路である。そこで思い出のメッセージを消すのは不自然だろう。帰りに、「これで思い出を精算できた」と消去するならまだわかるが。
というわけで、携帯についてはやはりメッセージを消去してはいない。つまりユウタは未だ過去にとらわれているわけだが、その後の携帯の扱いに関しては、観返してみて考えが変わった。
私は、過去を克服するためにはそれに向き合い乗り越える行為、すなわちメッセージを消去するか携帯を手放すことが必要だと思っていた。しかし本作の主張はおそらく、「つらい過去は、日々の生活を-楽しいこともイヤなこともあるだろうが-積み重ねていくことで自然に癒されていくのだ、またそうあるべきだ」というものなのだ。
だから過去を象徴する携帯は、落っことして失くしてしまってよいのである。
一方髪留めに関しては、完全に私の記憶違いであった。さえ子の髪留めは、死んだ兄からのプレゼントであり、これまた過去の象徴である。現代に帰って生き直そうと決意したさえ子は髪留めを外す。これは映画的に正しい演出なのだが、私はてっきり、さえ子が外した髪留めをユウタに渡しているのだと思い込んでいた。
どうやらタイムスリップ映画の定番描写-「なぜあなたがこれを!?」というやつ-が念頭にあったために、「『虹色ほたる』でそれをやらない不満」→「髪留めをユウタに渡せばいいのに」→「髪留めを渡したのに定番をやっていない」と誤変換して記憶していたらしい。
これが偽記憶症候群という奴か!
やはり確認なしでうかつな発言してはいかんなあと冷や汗をかいた次第。
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