○ 『ヤマノススメ』 短いので何となく続けて観ているこの作品。
うん、確かにキャラは可愛い。
作画は丁寧。
レイアウトは正確。
美術は精緻。
それはわかる。で、根本的な疑問なのだが。
これ面白いか?
極論を承知で言うが、上にあげた作画や美術といった要素は、何かを表現するための手段に過ぎない。本作において、その表現したいものとは一体何なのか?
私にはさっぱりわからない。
以下は、それとは別に富士登山のエピソードなどでちょっと引っかかったポイント。
私自身は最後に登山をしてもう20年近く経つので知識の正確さには自信がないのだが、登山って一番体力に劣るメンバーが先頭を歩くのがセオリーじゃなかったっけ?後ろを歩くと落伍するから。
高山病で登頂を諦め、別行動を取ることは理にかなっている。が、もし私がリーダーだったら、自宅まで送り届けた上でご両親に事情を説明し、危険な目に遭わせたことを詫びるだろう。
登山は、命に関わる危険なスポーツである。中学生女子ばかりだとしても、パーティーを組むからにはリーダーが必要であり、リーダーはメンバーの安全に責任を負う。
中学生だからという理由でその辺が免責されるのかどうか、私の倫理観からはなんかピンと来ない。
それに谷川岳って、小学生に登れるような山だったっけ?「確実な記録のある遭難死者数が世界一多い山」なのだが。
○ 『魔弾の王と戦姫』
1話の水浴のシーンが妙に良かった。
サービスカットだろと言われりゃその通りなのだが、膝を折ってしゃがんだ姿勢を正面から描くとき、画面奥行き方向の腿の長さをうまく表現するのは難しい(と、思う。私自身は絵心ないので想像だが)。
特にこの立ち上がるカット。

カメラが地面すれすれでかつ画面にパースがついて奥に人物がいる、という地味に難しい構図(接地面を画面下端にしてうまくごまかしているが)でありつつ、肉体の量感、重心のブレなどをうまく表現している。
加えて、戦姫は裸を見られたくらいで「生娘のように」うろたえるわけにはいかない、という異質なメンタリティの表現にもなっている。
と思ったのだが、2話以降は例によって凡庸。
少女メイドなんて、『シャーリー』があれば十分だ。
○ 『四月は君の嘘』
アニメ表現における写実性などというものは、刺身のツマ程度のものである。よって、横顔のアップの時にメガネのつるが省略されても全然問題ない。
のだが、さすがにこのサイズでやられると違和感ありますな。

私の母がピアノの先生だったので、多少あの世界の知識があるのだが。プロの演奏家を目指す人たちというのは、「3歳の時から睡眠・食事・入浴以外はずっとピアノの前に座っている」というような人々である。それでも、プロとして喰っていけるのは一握りだ。
市民楽団程度なら、そりゃ楽しく弾ければいいだろう。しかし、「頂点に立たねば見えない風景」は厳然としてあるのだ。そこへたどり着いた人だけが、真の意味で楽しめる。そしてその道程は、血のにじむような修練の積み重ねだ。『ピンポン』が名作なのは、その残酷な真実をスルーせずに描ききったことによる。
正統あっての破調。
基本あってのアドリブだ。
思えば私が『Free!』を見限ったのもこの理由だった。
その辺、作者がどういう考えなのかまだ見えないので様子見だが。少年マガジン掲載作品だしなあ。
なお私は、フィクションにおける「幼なじみ」と、「天真爛漫と無神経の混同」が嫌いなのだが、本作は不幸にして両方該当する。1話冒頭の、ソフトボールが音楽室に飛び込むシーン、なんだか見せ方の段取りを間違えている。
ついでに、時折挟まれるギャグシーンがまったく面白くもおかしくもないのがつらい。
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