更新履歴と周辺雑記

更新履歴を兼ねて、日記付け。完結していない作品については、ここに書いていきます。

2014年10月27日(月)
新作アニメなど雑感

○ 『ヤマノススメ』
短いので何となく続けて観ているこの作品。
うん、確かにキャラは可愛い。
作画は丁寧。
レイアウトは正確。
美術は精緻。

それはわかる。で、根本的な疑問なのだが。
これ面白いか?

極論を承知で言うが、上にあげた作画や美術といった要素は、何かを表現するための手段に過ぎない。本作において、その表現したいものとは一体何なのか?
私にはさっぱりわからない。

以下は、それとは別に富士登山のエピソードなどでちょっと引っかかったポイント。
私自身は最後に登山をしてもう20年近く経つので知識の正確さには自信がないのだが、登山って一番体力に劣るメンバーが先頭を歩くのがセオリーじゃなかったっけ?後ろを歩くと落伍するから。
高山病で登頂を諦め、別行動を取ることは理にかなっている。が、もし私がリーダーだったら、自宅まで送り届けた上でご両親に事情を説明し、危険な目に遭わせたことを詫びるだろう。
登山は、命に関わる危険なスポーツである。中学生女子ばかりだとしても、パーティーを組むからにはリーダーが必要であり、リーダーはメンバーの安全に責任を負う。
中学生だからという理由でその辺が免責されるのかどうか、私の倫理観からはなんかピンと来ない。
それに谷川岳って、小学生に登れるような山だったっけ?「確実な記録のある遭難死者数が世界一多い山」なのだが。


○ 『魔弾の王と戦姫』
1話の水浴のシーンが妙に良かった。
サービスカットだろと言われりゃその通りなのだが、膝を折ってしゃがんだ姿勢を正面から描くとき、画面奥行き方向の腿の長さをうまく表現するのは難しい(と、思う。私自身は絵心ないので想像だが)。
特にこの立ち上がるカット。

   

カメラが地面すれすれでかつ画面にパースがついて奥に人物がいる、という地味に難しい構図(接地面を画面下端にしてうまくごまかしているが)でありつつ、肉体の量感、重心のブレなどをうまく表現している。
加えて、戦姫は裸を見られたくらいで「生娘のように」うろたえるわけにはいかない、という異質なメンタリティの表現にもなっている。

と思ったのだが、2話以降は例によって凡庸。
少女メイドなんて、『シャーリー』があれば十分だ。


○ 『四月は君の嘘』
アニメ表現における写実性などというものは、刺身のツマ程度のものである。よって、横顔のアップの時にメガネのつるが省略されても全然問題ない。
のだが、さすがにこのサイズでやられると違和感ありますな。



私の母がピアノの先生だったので、多少あの世界の知識があるのだが。プロの演奏家を目指す人たちというのは、「3歳の時から睡眠・食事・入浴以外はずっとピアノの前に座っている」というような人々である。それでも、プロとして喰っていけるのは一握りだ。
市民楽団程度なら、そりゃ楽しく弾ければいいだろう。しかし、「頂点に立たねば見えない風景」は厳然としてあるのだ。そこへたどり着いた人だけが、真の意味で楽しめる。そしてその道程は、血のにじむような修練の積み重ねだ。『ピンポン』が名作なのは、その残酷な真実をスルーせずに描ききったことによる。
正統あっての破調。
基本あってのアドリブだ。
思えば私が『Free!』を見限ったのもこの理由だった。
その辺、作者がどういう考えなのかまだ見えないので様子見だが。少年マガジン掲載作品だしなあ。

なお私は、フィクションにおける「幼なじみ」と、「天真爛漫と無神経の混同」が嫌いなのだが、本作は不幸にして両方該当する。1話冒頭の、ソフトボールが音楽室に飛び込むシーン、なんだか見せ方の段取りを間違えている。
ついでに、時折挟まれるギャグシーンがまったく面白くもおかしくもないのがつらい。



2014年10月22日(水)
『甘城ブリリアントパーク』

『氷菓』。
『中二病でも恋がしたい!』。
『たまこまーけっと』。
『境界の彼方』。
『Free!』。

京都アニメーションの直近3年間(順不同)。率直に言って、大成功で左うちわで将来にわたって安泰とは言い難い。
そんな京アニが勝負に出た作品。それが、『甘城ブリリアントパーク』の第一印象だ。
京アニの偉いところはいくつもあると思うのだが、そのひとつは「ラノベのアニメ化に対して慎重」という点である。『ハルヒ』で一山当てた当事者だというのに。
念のため言うと、『中二病』『境界の彼方』はラノベのアニメ化と言うより原作公募に近いものであろう。

奈辺に理由があったのかは想像するほかないが、「他社との差別化を図る」が大きな理由であることは間違いあるまい。そんな京アニが、ラノベ原作を選んだ。その場合漏れなく付いてくるのが、原作イラストである。
京アニは、キャラクターデザインを誰が手がけたかに関係なく、「京アニのデザイン」としか言いようのない統一感のあるキャラデザインを採用する傾向がある。これは他のスタジオにはあまりみられない、珍しい手法である。

これが京アニのブランド化に一役買っていたことは疑いないが、『甘城ブリリアントパーク』では、京アニブランド確立後はほぼ初めて、原作イラストに沿ったキャラデザインを採用することになる(補足するが、『フルメタルパニック!TSR』は京アニブランド確立前だし、『日常』はギャグ作品なので例外と言うことで)。

今のところ、武本康弘のテンポ抜群緩急自在の演出と相まって、挑戦は成功している。さらなる飛躍を期待したい。
音楽が光宗信吉というのもびっくり。



ところで、『Gレコ』を観ていて、バレエをモチーフにしたアニメが何かあったなあと感じていたのだが、思い出した。
『プリンセスチュチュ』だ。

2014年10月14日(火)
雑記

 『グラスリップ』
良い作品だった。
なんか結構誤解されてるような気がするのだが、主人公・透子が見る「未来のかけら」というのは、別に予知能力とかではない
青春時代に普遍的な、将来への漠然とした不安や期待や孤独の象徴なのだ。だから、透子の母もかつて見たと言っている。
したがって、それは物語の動因にはならない。わかりやすく言うと、例えば「友達が事故に遭う未来を見て阻止しようとドタバタ」などという展開は採用されない。こんなこと、1話を観れば一目瞭然だと思うのだが。

物語の典型に、「異郷来訪譚」というのがある。
小さな閉じた共同体が、外部から異物を迎えたことで変化していくことを主題とする物語である。本作はまさにこのパターンに則っている。難しいことを言っているようだが、マンガやアニメの多くが転校生がやってくる場面から始まるのは、このバリエーションである。
穏やかだった透子たち5人のグループを象徴しているのが、5羽の鶏である。5人の関係は、駆を迎えたことでさざ波が立ってゆく。5人は最終的に、2つのカップルと透子とに再編成される。

透子がスケッチのモチーフにしている鶏のジョナサンが、透子自身の投影だ。最終話で言及されたように、他の鶏が哲学者の名を持つのに対し、ジョナサンだけが冒険家の名を持つ。これはもちろん『かもめのジョナサン』からの引用である。ジョナサン(=透子)は飛べない鳥だが、鷹(=駆)と交流することで空を垣間見るのである。

○ 『Gのレコンギスタ』
本編の方はまだ始まったばかりでよく解らないが、エンディングの祝祭感というか多幸感が圧倒的。
それにしても、富野監督ってこんなにカメラを動かす人だったろうか。3段ズームとかびっくりした。

○ 『残響のテロル』
VONはアイスランド語で「希望」の意だそうだが、Voice of Nobodyの略だとばかり思ってた。ダブルミーニングなんだろうけど。

○ 『惡の華』
原作読了。なるほど、アニメ版で全編を彩って不穏な気配を与えていた通奏低音は、蠅の羽音だったんだ。
成人した仲村さんのあまりの美貌に陶然。

○ 『スペース☆ダンディ』
言わずにいられないトリビア。24話に登場するルメット星人は、たぶん裁判映画の古典『十二人の怒れる男』の監督シドニー・ルメットから。
エンディングが『遊星からの物体X』のテーマみたいだと思ったら、曲名が「All“the thing”i am・・・・・・worried」。“The thing”というのは『物体X』の原題。

○ 『SAOⅡ』
おお、「マザーズ・ロザリオ」編をやるのか。個人的に、原作で一番好きなエピソード。社会派SFとしても評価されるべき作品だと思うのだが。結構深刻なテーマを扱うので難しいだろうけれど、がんばってほしい。


○ 『ふた部!』
ぼっしぃ原作のエロアニメ。主題歌「ふたなりなりに」が俺的に2014年ベストアニソンに認定。
とある朝ー目がー覚めーたらー私にもー生えていたー。
夢にまでー見たーそれなりのなーにーがー

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