更新履歴と周辺雑記

更新履歴を兼ねて、日記付け。完結していない作品については、ここに書いていきます。

2014年7月23日(水)
今期のアニメなど

○ 『M3 ソノ黒キ鋼』
4月期の作品の中でもまた別格の影の薄さだった『M3』。何となく継続して観ていた(洗い物をしながら速回しで、だが)。 確かに死ぬほどつまらないが、本作をけなす観客は『花咲くいろは』にも批判的でなければ一貫性がないと思う。『M3』に感じる不快さは、『花咲くいろは』と同種のものだ。すなわち、登場人物全員が馬鹿でクズで下衆だということである。もう少し正確に言うと、話の出発点をマイナスに置くことによってほんのわずか更生するとその内実以上にプラスに見える、という方法論だ。
見え透いた手口である。


○ 『キャプテン・アース』
なぜ地球を守る超国家組織がこんなにビンボたらしいのか。
大地らは重要人物なんだから、身辺警護なり監視なり付けとけってのに。
『スタードライバー』は舞台が絶海の孤島で、さらに異次元で秘密結社とボランティアが戦闘する話だったから構造的に話が大きくならずに済んだのだが、本作の設定では同じ手法は採れない。
福田道生まで投入してこの有様。演出では越えられない壁は、確かにある。


○ 『白銀の意思アルジェヴォルン』
初登場時のヒロインが下品なセリフで主人公を罵る現象を、岡田麿里症候群と名付けるのはどうだろう。
タイトルが「意志」じゃなくて「意思」なのがまた腑抜けた感がある。


○ 『SAOⅡ』と『残響のテロル』
安心のクオリティ。それにしても、これと『スペース・ダンディ』を並行して作ってるのか渡辺監督は。『東のエデン』とどう差別化を図るかが課題か。


○ 『アオハライド』
監督の吉村愛は『銀魂』でレギュラー演出としてよく名を見かける。着実にキャリアを積んできた人らしい手堅い仕事で、安心して観ていられる。

○ 『月刊少女野崎くん』と『少年ハリウッド』
まったくノーマークだったのに、意外なほど面白いのがこの2本。特に『少年ハリウッド』。これは真剣に芸道もの、アイドルものとしての王道を歩む覚悟があると見た。
そういう話を、あのキャラデザインでやるというのも面白い。劇場版『ベルセルク』の恩田尚之のラインと思ったのだが、『BibleBlack』のキャラという評を見て深く納得した。確かに。


○ 『アルドノア・ゼロ』
『WHITE ALBUM2』もそうだったが、主人公が頭が切れて勘が鋭くて察しが良くて計画性があって行動力に優れると、何と話が面白くなることか。
2話で主人公がお姫様と出会うのはまあ定石通りだが、あのヒラヒラしたカッコのまま出くわすのだろうと思い込んでいた自分に、深く恥じ入った。戦闘シーンもよく考えられていて唸らされた。

ところで、本作に限らず軍事描写がおかしいというツッコミはよく見かけるのだが、端から見てるとどうにも居心地が悪い。

『フェイト/ゼロ』の原作を読んだときのこと。
F-15の登場シーンがツッコミどころだらけだった。
まず、自衛隊に110番通報は来ない。自衛隊への災害派遣要請権を持つのは県知事である。
訓練帰りの戦闘機は残燃料かつかつなので、ちょっとそこらに寄って来いなどというわけにはいかない。
戦闘空中哨戒(Combat Air Patrol:CAP)というミッションは確かにあるが、戦時中でもないのにそんな任務には就かない。燃料はタダではないのだ。
普段の訓練で実弾は積まないし、ましてミサイルのフル装備なんてしていない。
制空戦闘機であるF-15は高々度で戦うことを想定しているので、電波高度計がない。だから、夜間超低空偵察なんて危険なミッションはできない。第一そんな低高度まで下りたら航空法違反である。
専門の戦術偵察機でも、事前に侵入経路を入念に検討する。それもジェット機による偵察は航過して写真撮影してくるのである。

最大の問題は、ここだ。

「中東の武器商人からF15戦闘機2機を購入する手筈を整えたのは、時計塔のコネクションによる成果だった。中古品のC型ではあるが、この際背に腹は代えられない。取り急ぎ日の丸を書き込んだ2機のF15は今夜中に築城基地に到着し、後は隙を見て差違部品を交換してJ型に化けさせることになる。
日本の自衛隊という組織は、とかく予算については針の筵に座らされているも同然であり、一機あたり一〇〇億円を上回る戦闘機を一度に二機も損失したという不祥事は、どうあっても隠滅したいところだろう。今後は、こちらで用意する代替機を餌にして交渉を進め、どうにかして証拠隠滅の片棒を担がせる方向に持っていくしかない」。
             3巻173ページ。


んなわけあるか。例えばF-15のエンジンはいくつかのモジュールからなり、それぞれシリアル番号が振られて管理されている。それ以前に、レーダーから消失(ロストコンタクトという)したらそれだけで大騒ぎだ。絶対バレる。
第一、死んだパイロットはどうするのか。

とまあ酷いものだったのだが、アニメ版では全然気にならなかった。なぜかと言えば、余計な説明をしなかったから。
この手の描写は、説明すればするほど馬脚が現れる。重要なのは勢いとバランスである。『アルドノア・ゼロ』や『SAOⅡ』のアクションは十分に及第点だ。

なお私が観ていて一番気になるのは、階級・年齢・職責・能力の釣り合いが取れていないことである。参考までに言うと、「准尉」は士官の最下級ではなくて下士官の最高位(国や時代によりけりではあるが)。


○ 『東京喰種』
描かれているのはものすごく深刻な事態のはずなのに、呆れるほど心に響いてこないのは一体なぜなのか。て言うか、ブラックジャックじゃあるまいし、何でそのへんに落ちてた死体から臓器移植してるのか。ドナーカードを持ってたのかあのグールは。


○ 『グラスリップ』
比べるのも気の毒だが、画的に派手なことは何一つ起きていないのに、全編にみなぎるこの不穏な気配はただ事ではない。
稀人の来訪で壊れていくコミュニティ、とは作劇の定番だが、本作の緊迫感はそれを「ニワトリの群れに鷹が紛れ込んだらどうなるか」というアナロジーで見せていることから来る。
まるで生態観察のような冷徹さ。ニワトリ増量で、『True Tears』の5倍面白いに違いない!


ついでだが、そろそろアニメのOP/EDにウユニ塩湖を使うの禁止












2014年7月15日(火)
ルーズヴェルト・ゲームの謎

ルーズヴェルト・ゲームとは、8対7で終わる野球の試合のことである。アメリカ大統領フランクリン・デラノ・ルーズヴェルト(以下FDR)が、もっとも面白い試合は8対7の試合だと言ったことからそう呼ばれる。
と、される。

近年プロ野球ニュースでもこの言葉を使い始めたのだが、私は怪しいと思っていた。なぜなら私は、もっとも面白いゲームは8対7ではなく6対5と記憶していたからだ。
一体どちらが正しいのか?そもそもFDRが言ったというのは本当なのか?FDRはアメリカ史上唯一大統領職を4期、計12年務めた人物で、第二次世界大戦のリーダーでもあるだけに逸話も多い。
ちょっと調べてみた。

Wikiには、『ルーズヴェルト・ゲーム』の項目は池井戸潤の小説タイトルとして立項されており、上記のエピソードは、FDRが全米野球記者協会の夕食会の招待を断る手紙に書いた、としている。出典は『ルーズヴェルト・ゲーム』の後書き。

研究者の鉄則は、何事もまず一次資料に当たるべし。
調べてみてわかったのは、まず Roosevelt Game という言葉は、英語には存在しないらしいということである。Roosevelt Game でググってみても、ヒットするのはドラマのタイトルとしてばかりだ。
Roosevelt と baseball で一番多くヒットしてくるのは、第2次世界大戦に際して、コミッショナーに対して戦争中でもペナントレースを続行してよいという許可を与えた手紙(Green Lightと呼ばれる)の件である。
やっぱりデマかと思い始めたら、ようやく件の手紙を紹介したサイトが見つかった。

 → Baseball Prospectus

下が問題の手紙。



確かに、「全米野球記者協会の夕食会の招待を断る手紙」で、「8対7の試合が好きだ」という意味のことが書いてある。しかし全文読んでみると、なんだかニュアンスが違うのだ。

1937年1月25日

親愛なるドーソン様

残念ながら、米国野球記者協会ニューヨーク支部第14回定例夕食会は欠席します。しかしその場にいなくとも、私の気持ちは皆さんとともにあります。野球のみならずフットボール、ボクシング、陸上競技、ゴルフ、テニス、冬にはウィンタースポーツなどなど、参加したり観戦したりすることで人々に身体的、精神的、道徳的に利益をもたらすスポーツ記者の皆さんとともに。

高度に発達したフェアプレイの精神と、異なるスポーツの記事で我々を魅了する能力を有する記者諸君は、アメリカ人の特性たる良きスポーツマンシップに大きく寄与するものです。

こと野球に関して言えば、私は払った金の元を取りたがる類のファンです。1対0で終わるような投手戦の真価を理解しています。しかし告白させてもらえば、もっと大量点を叩き出すようなゲーム‐打者が球場の果てまでかっ飛ばし、野手が奪い合い、人々がベースを走り回るようなゲームが好きです。簡単に言えば、私の考えでは最高のゲームとは、8対7で決着する合計15点以上の得点を、ファンに保証するようなゲームです。

夕食会が、良きスポーツマンシップに値する成功を収めることを祈ります。

                                               敬具

ニューヨークタイムス社 ジェームス・P・ドーソン様


この「最高のゲーム」の game は、「(野球の)試合」ではなく、「競技」と訳すべきではあるまいか。つまり遠回しに、「野球はあまり点が入らないから面白くない。だから今後は招待してくれなくてもいいよ」と言っているのだ。リンク先のサイトは、「招待を断るための無理難題だ」と言っている。ついでに言うと、scramble はアメフトの用語である。
野球というスポーツにおいて、1試合に入る得点は平均すればせいぜい4点前後である。だから5点取るか、相手を3点以下に抑えれば勝つ可能性が高い。8対7という得点はかなりのレアケースで、双方投手陣が崩壊した末の完全な乱打戦である。それが野球の醍醐味とは、普通は思わないだろう。

野球に限らず、FDRという人物はスポーツ全般にあまり興味がなかったらしい。

(グロトン校での)スポーツの成績も、今ではどこでもやっていない課目‐ハイ・キックと呼ばれた男性的でない課目で一度優勝したことがあり、卒業の年に野球チームのマネージャーをしていただけで、大した成績ではなかった。
   ジョン・ガンサー『回想のローズヴェルト』清水俊二訳、早川書房、1968年、226ページ。


あのマッチョ大国のリーダーにしては珍しいことである。
そんなわけで、わかったことは2つ。

○ 「ルーズヴェルト・ゲーム」という言葉自体は、池井戸潤の造語である可能性が高い。
○ FDRが「8対7の試合が好き」と言ったのは事実だが、野球を愛し、その魅力を十分に理解した上での言葉とは考えにくい。

したがって、あまりありがたがる必要はなさそうである。少なくとも私は、こんな言葉使いたいとは思わない。

2014年7月9日(水)
悲劇の発動機「誉」 天才設計者中川良一の苦闘』

「誉(ほまれ)」とは、太平洋戦争中に中島飛行機が開発した航空機用エンジンの名である。
大馬力の割に小型軽量で、航空機用として画期的と評価されその性能に驚喜した海軍は誉の名を与えた。しかし実戦に投入された誉は不具合を多発し、搭載機の可動率を極めて低下させた。従来、その原因は無理な小型化のためとばかり伝えられ、具体的に機械として何がダメだったのかはあまり語られずにきた。
本書は、技術史研究で定評のある著者が初めて誉の設計者である中川良一のインタビューに成功し、その実情を機構的な部分から中島飛行機という会社の特色にまで踏み込んで解き明かしたものである。
本書によれば、誉の欠陥は以下のような点だった。

細すぎるクランクピン。
表面処理不良によるケルメット軸受けの焼損。
大量生産に向けて冷却フィンの製法を変更したことに起因する冷却不良。
大きすぎるリッター当たり馬力(誉:55.8、ライトR350BD:45 P&WダブルワスプR2800:43.5)。
多すぎるシリンダー内径(10種類)。ロールスロイス、ブリストル、P&W、ライト、BMWなど欧米メーカーは1から2種類に統一し、部品の共通化、標準化を図っている。
高すぎる回転数(毎分3000)。欧米メーカーは2600から2800。英マーリンのみは3000だが液冷で長い伝統があり、また減速比0.42の減速機と組み合わせることで大口径プロペラを効率よく回せる。誉はファルマン式減速装置のため、構造上減速比を0.5以下にできない。結果的に、機体側に無理を強いる。

中島飛行機のエンジンの生産は、1930年代前半が2機種であったが、日米開戦直前の昭和15年には4機種7型式、18年には5機種6型式にもなっている。
欧米のエンジンメーカーと比べて、事業規模がさほど大きいわけではないメーカーでありながら、これほどさまざまなエンジンを短期間に、同時開発や並行生産していた例はきわめてめずらしい。そのも、水冷と空冷があり、前者はV型、W型、倒立V型、倒立W型、後者は単列星型の5、7、9気筒、複列星型は14、18気筒、さらには4列36気筒まである。
「寿」(13年間)や「栄」(7年間)を除いては、その生産期間はきわめて短くて数年程度である。そのうえ生産台数も少なく、数十台から数百台が多くて、数千台クラス以上は4種類しかない。この中には、外国情報に基づき、中島知久平が直接的に指示や命令を下して試作されたエンジンも含まれていて、単に思いつき的な次元で実施されたものまである。
中島飛行機が手がけたエンジンの数は異常に多い。中島飛行機の関根技師長は、雑誌『航空情報』(1952年7月号)に寄稿した「中島飛行機発動機20年史」のなかの「試作の反省」とする項で「列型、星型を通算すると、成功率は実に6/23という低率となっている」と記している。

すでに紹介したように、欧米の主要エンジンメーカーは、素性がよくて将来性のある一つの機種に集中してじっくりと取り組む。改良も積み重ねて故障も少なくし、洗練させて技術を成熟させていき、かつ確実にパワーアップを行って、最終的にはスタート時点の倍以上の馬力になることも少なくない。中島飛行機に、そうしたエンジンは一台もない。

   前間孝則『悲劇の発動機「誉」 天才設計者中川良一の苦闘』草思社、2007年、264ページ。

ひとことで言えば、中島飛行機は最新技術を無定見に採り入れるばかりで、ひとつの技術を腰を据えて熟成させるということがなかった。
零戦の後継機・烈風は当初誉を搭載したところ目標の性能が出せず、三菱製の新型エンジンに交換したところ高性能を発揮した。最初から三菱製にしていれば、と悔やむ声が多々聞かれるが、量産に入れば誉同様に性能低下しただろうと冷めた意見もあった。しかし本書の指摘する誉の欠陥を見てくると、案外三菱製なら本当にうまくいったかもしれないという気がしてきた。

物の面では我々は量に敗れたと云うが、努力の面に於て我々は量ではなく質に敗れたのである。近代文明国はすべて個人を要素とする組織の改善によって飛躍を遂げた。技術の進歩と其の実行の発揮も亦組織の良否によって大きく左右されるのである。
組織活動の基本要素は個人の自由意思と良識とに基づく責任観念の確立である。
残酷な迄に奮闘努力した技術者の業績が実行の面では支離滅裂となり、不合理な膨張が技術の劣化をもたらした素因は此の点の欠如にある。
工業技術と云うものは、特にエンジンのような総合的な高度のものは育つのにひまのかかるものである。日本の航空工業は未熟のまま無理やりふくらませられてしまった。それが所詮アメリカに対抗出来なかったのは当然であり、無謀な拡張は逆に基礎の崩壊をまねいたのである。(中略)しかし発動機技術にたずさわった人々の心の中に苦しくはあっても伸びゆくものの希望をこめていたあの時代の夢が、たとえ一人よがりの後味の悪さのいくらかを残しているにしても、断ち難いあこがれの糸をつなぎ止めているのである。

    同401ページ。『航空技術の全貌』より孫引き

呆れたことに、中川はこんな証言をしている。

「こんなことはどこにも出ていなかったし、僕たちも今までしゃべらなかったことだが」と前置きして中川は次のような驚くべき事実をあげた。
「開戦の一カ月前まで、われわれのエンジン工場にアメリカのカーチス・ライト社の技術者がきていて、生産に関して指導をしていた。中島ではどんな種類のエンジンを何台生産できるか、どの程度の技術力なのか、彼らはすべて知っていた。なにしろ機械の並べ方まで教えていったのだからね」

同379ページ。

開戦のひと月前に、当の敵国に技術指導を受けていた!そりゃ勝てんわ。

「技術的に最高であることを行うにはいつも最高の方針でなくてもよいが、方針に責任をもつものは、何が技術的に正しいかを知らなくては、決して正しい決定を下すことはできない」

(ビル・ガンストン『航空ピストンエンジン』)ノースアメリカン社長“ダッチ”キンデルバーガーの言葉。ブリストル社の技術者フェデンが自宅の暖炉の上に掲げていた座右の銘。



 

2014年7月1日(火)
『ガンダムUC』の世評など

を見ていて、ちょっとばかり考えたこと。

○ 二つの器
フル・フロンタルは自らを器だと称する。スペースノイドの無念と怒りで満たされる器だと。
それに対するバナージも、器とみなす評を眼にした。
バナージとフロンタルの対立が作品の基軸であること、エピソードごとに父親に該当する大人とバナージの交流が描写されることは事実だが、バナージも器であるとまでいうのはちょっと言いすぎではないかと思う。

理由は3つ。
1つ目は、人間は他人と交わることで互いに影響し変化していくものだということ。「人は変われるかもしれない」というのは、ファーストガンダム以来のテーマである。ましてバナージはまだ16才の子供なのだ。
2つ目。父親役の人々も、バナージに影響を受けて変わっていくということ。特にダグザとジンネマンは顕著だ。
3つ目。これが一番肝心だが、たとえ器でも、注がれた中身の理非曲直はバナージ自身が判断しているということ。自ら積極的に虚無であろうとするフロンタルとは、その点で決定的に違う。

余談だが、そのデンで行くとアンジェロは悪い父親に似合いの不出来な息子といったところか。

○ 『ジ・オリジン』
いちいちリンクは張らないが、『ガンダムUC』完結の直後に『ジ・オリジン 青い瞳のキャスバル』の予告編が上映されてがっかりしたとの感想を読んだ。
『ガンダムUC』は宇宙世紀100年の呪いに決着をつけた話なのに、よりによってそのあとすぐ、ファーストガンダムのリブートを予告するとは、作品の送り手は『ガンダムUC』のテーマを内心ではまるで信じていないのではないか-という趣旨だった。

考えすぎだ。自覚はしているようだが、送り手と一口に言っても様々な位相がある。ちょっと考えただけでも、原作者、制作、製作、興業。『ジ・オリジン』の予告編をくっつけることを誰が提案したのかなんて分かりはしない。何より、『ガンダムUC』のパッケージ版には予告編は収録されていない。『ジ・オリジン』と『ガンダムUC』はスタッフも別だし、少なくとも制作側の意向ではないだろう。

ついでだが、マクガフィンという言葉の使い方を間違えてはいないか。いや、ラプラスの箱がマクガフィンであることは事実だが、「ラプラスの箱の中身は何でもかまわない」というのは誤りだ。なぜなら箱の正体は、『ガンダムUC』の物語とテーマに密接に関わっている。
箱の中身が何でもいいというのは、それこそ「モビルスーツがカッコよくバトルするとこ以外は興味がない」という人間のものの見方である。まあそれはそれで一つの見識だが、私は貧しい見方だと思うな。

○ ミネバの変化
以前同人誌原稿で指摘したことだが、ミネバは「マスコミに関連するもの」を避け、表層的な言葉しか発せない人物だった。
それがカメラの前に身をさらし、多くの人々の心に届く言葉を語ることが、物語の結末となった。
こういう遠大にして繊細な伏線の張り方には感服する。

ついでに、過去の『ガンダムUC』関連記事をまとめました

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