更新履歴と周辺雑記

更新履歴を兼ねて、日記付け。完結していない作品については、ここに書いていきます。

2014年6月26日(木)
『ガンダムUC』まとめ

これまで、『機動戦士ガンダムUC』について書いた記事をまとめました

ついでに、以前同人誌に寄稿した記事を読み直してみたら我ながら良いこと書いてる。

2014年6月25日(水)
最近の映画から

○ 『プリズナーズ』
画面内のあらゆる情報が伏線となって、バシッとはまっていくミステリ映画の傑作。
しかしここで触れたいのは、模倣犯の役で登場するデヴィッド・ダストマルチャンという役者である。
美形ではあるのだが、炯々たる眼光とちょっと心配になるほどの肌の白さで、見るからにただ者ではない雰囲気を漂わせる。
どこかで見た顔だと思ったら、『ダークナイト』で、ジョーカーに心酔するあまり警察署長を狙撃する人だった。史上初の模倣犯専門役者として大成してほしい。


○ 『ホドロフスキーのDUNE』
伝説的なカルト映画作家アレハンドロ・ホドロフスキーの、未完に終わった超大作『DUNE』制作にまつわるドキュメンタリー。
ホドロフスキー自身が天才・変人・怪物であることは誰でも知っていることで、驚くにはあたらない。本作でむしろ興味深いのは、息子のブロンティス・ホドロフスキーである。
1962年生まれだというから、1970年の『エル・トポ』において、炎天下の砂漠でちんちん丸出しにしていたときは8才児。この『DUNE』ではいずれ救世主になる主人公を演じるため、毎日6時間空手の訓練を積んだという。本作撮影時は50才頃だったはずだが、至ってまともな人間に見えた。俳優としてそこそこのキャリアを積んでもいる。この強烈な父親の元でいかに自我を保って生きてこれたのか、それこそ最大の驚きである。
なお今調べて初めて知ったが、娘のアルマ(つまりアレハンドロ・ホドロフスキーの孫)も女優で、『アデル、ブルーは熱い色』に出演している。

本作で炸裂するホドロフスキーの名言集の中でも、とりわけ強烈だったのがこれ。

映画を作るときは原作から自由になるべきだ。結婚と同じようなものだ。花嫁は純白のドレスを着ている。純白のドレスのままでは子供は作れない。脱がさなきゃダメだ。花嫁を犯すためにね。
そうすれば自分の映画を作れる。私はハーバートの原作をこうやって犯したんだ。大きな愛をもってね。


原語では本当にrapeって言ってた。アニオタ全員に正座させて聞かせたいセリフである。


○  『ゴジラ デジタルリマスター版』
大画面で観たのはたぶん初めて。
核エネルギーをもてあそぶ人類に対し、怒れる自然の使者として現れるゴジラ。生き延びるために、さらに危険な化学兵器に頼らざるを得ない人類。その業の深さ。
大変によくわかる構図である。
しかしだ。小学生の頃からの疑問なのだが、「水中の酸素を一瞬で破壊しつくし、凡ゆる生物を窒息死させ、液化してしまうオキシジェン・デストロイヤー」の軍事的価値っていかなるものなんだろうか。魚にしか効果ないんじゃねえの?
戦後間もない時期の、海産物、とりわけ鯨が重要なタンパク源だった時代の発想なのかな、と思わないでもない。


2014年6月17日(火)
『死刑執行人もまた死す』

フリッツ・ラング(わからない人は『劇場版鋼の錬金術師 シャンバラを往く者』を観ること)が亡命先のアメリカで撮影した1943年作品。20年以上も昔の高校時代に1度だけ観たのだが、今でも強烈に覚えている。WOWOWで久方ぶりに観てみた。
「死刑執行人」とは、ナチ占領下のチェコで総督を務めたラインハルト・ハイドリヒの、苛烈な統治に由来するあだ名。ナチに抵抗を続けるレジスタンスの闘士が、1942年5月27日、ハイドリヒを襲撃する。負傷が元でハイドリヒは6月4日に死亡。ナチスは、暗殺犯をかくまう市民たちから人質を取り、犯人が出頭するまで無差別に処刑を開始する・・・・・・。

結局、レジスタンスを密告していたナチスのスパイが暗殺犯に仕立て上げられ、処刑される。全員が口裏を合わせてスパイのアリバイを否定していくくだりは、カフカ的不条理感を覚える。そしてその結末すらも、速く事態を収拾したいナチス側の思惑に合致しただけだった、というやるせなさ。

作中ではレジスタンスによる暗殺となっているが、史実は、英国に支援された亡命チェコ政府が送り込んだ暗殺部隊による犯行とされている(→エンスラポイド作戦)。暗殺部隊は、かくれ場所を密告され、銃撃戦の末に全滅した。

以前は気付かなかったのだが、本作最大の衝撃はエンドタイトルにある。往年の映画らしく黒バックに白抜き文字で大きく「the END」と出るのだが、その前のカットで「Not」と表示されるのだ。

Not the END. まだ終わってはいない。

この映画の撮影時は第二次世界大戦がまだ続行中だったからだが、今観るとなおさらに感慨深い。
何となれば、自由を求める戦いは今も世界の各地で続いているのだから。

2014年6月10日(火)
最近の勉強から

太平洋戦争で敗北したのは米国の物量に破れたからだ、米国はすでにモータリゼーションを達成していたから、自動車産業を航空機生産に転用して大量生産したのだ、という見方が戦後支配的だが、事実はそう単純なものでもない。

動員計画の中軸におかれていた自動車工業からの転換もこの時期(開戦直後)には進展しなかった。動員計画は自動車工業の巨大な予備能力を利用することを基礎としており、流れ作業による量産体制をとっている自動車工業の能力を利用すれば短期間に大量の航空機の生産が可能であると考えられていた。しかし実際にはそれは必ずしも容易ではなく、事実普通の自動車工場で生産された航空機はごく僅かで、転換には一般に考えられていたよりはるかに時間と努力が必要であった。
(中略)
特に機体の生産の転換には問題があった。自動車工業は航空機の大量生産を行うことができるという確信をもっており、ドイツの電撃作戦の行われた1940年5月、ヘンリー・フォードは彼の会社は日産1000機の標準型の航空機の生産に転換できると述べた。これは自動車製造業者の考えをおそらく極端な形で示したものであり、このような生産を行うために必要な完全な標準化と型の固定化は、航空機製造業が行っていた生産を制限し生産の過程においてたえず型を変更するというものとはいちじるしく異なっており、軍事目的には全く非実際的であった。

  宇野博二「アメリカにおける航空機工業の発達(その2)」『學習院大學經濟論集』第10巻第3号、1973年12月、6ページ。


工場の新増設に伴う労働力の調達は容易でなかった。航空機の生産増加とともに雇用数は増加し、最も多かった1943年には134万5600人に達し、それは39年の6万3200人の20倍以上で、製造業雇用者総数の7.6%に相当し、製造業中第1位を占めていた。とはいえこのような雇用者数のいちじるしい増加の相当部分は不熟練な婦人および16-17歳の若年者であった。航空機工業は労働集約的で、1939年には熟練および半熟練労働者が全労働者の9割を占め、熟練および半熟練労働者の割合は製造業中最高であっただけに熟練労働者の不足による労働の質の低下は航空機工業にとって重要であった。
(中略)

航空機製造業者は自動車工業のいろいろの製造方法を採用しているときでも、それが必ずしも本当に航空機の製造に適しているとは信じていなかった。平均的な自動車の部品は5000であるのに、例えばB-25爆撃機はエンジン、装置、プロペラ、15万個の鋲を含まないで約16万5000個の部品からなっており、部品の数がいちじるしく異なり、組立方法が一様でない。(中略)必要な熟練労働者が調達できたならば、このような方法も製造技術に大した変更を加えることなく行われたであろう。生産過程を機械化し、作業を極力単純なものに細分化し、作業の習熟時間を最小限にしなければならなかったのは、主として不熟練な訓練を受けていない労働者によって短期間に大量の航空機を生産することを要求されたためであった。

同上、10-12ページ。


日本の戦争遂行の非効率を指弾するのに、熟練工員を一兵卒として徴兵してしまい、工場は学徒動員の女生徒ばかりの状況だった、という言説がよくなされるが、相対的には未熟な工員がほとんどだったという意味では米国も同じだった。
違うのは、米国は未熟な工員でも品質を確保できる工法や、未熟な工員を早期に戦力化できる訓練体制を速やかに作り上げた点である。
日米には、そういう意味で大差があった。



ドイツとソ連の間で困難な外交に取り組んだ駐ソ・フィンランド大使パーシキヴィの回想。フィンランド領ペッツァモのニッケル鉱床に関する独ソの要求対処にあたって。

法律的な観点からするならば事は簡単であった。フィンランドはすでにニッケル鉱床の利権をイギリスの会社に与えており、その契約に不満は持っていなかったから、問題はまったくなかったのだ。もし事を法律的ビジネス的にだけ考えればよいのであれば簡単であって、ロシア人にもドイツ人にも駄目だ、と言えばよかったろう。……しかし、このように簡単明瞭なやり方では通用しなかったのだ。われわれは事を法律や権利に基づいて自由に考えることはできなかったのであって、政治的な観点に基づいて解決をはからねばならなかったのである。

百瀬宏「フィンランドの対ソ関係1940-1941年 ‐「継続戦争」前史に関する覚書‐」『スラブ研究』第16号、1972年、235ページから。

正しさだけでことが解決できるなら、誰も苦労はしない。


2014年6月4日(水)
海外のぬり絵事情

海外のアニメが3DCGにシフトしていく中、日本だけが手描きアニメにこだわり続ける。その要因の一つに、輪郭線の有無がある。つまり輪郭線のない物体を動かすCGに対し、日本では明確な輪郭線の中を単色で塗りつぶした「絵」が好まれるのだ、という。

・・・・・・という話の流れで、「海外にはぬり絵という文化があるのだろうか?」という話題が出た。つまり日本では大概誰でも、幼少の頃にぬり絵というものに親しんでいるため、長じてからもぬり絵の延長上にある表現を好むのではないか。しからば海外ではどうなのか-というわけだ。

さっそく、米amazonで調べてみた。
英語でぬり絵のことをColoring Bookという。検索してみたらありました

面白いのが、amazon自体がfor kids, for age 8~12, for grownups, for boys, for girls, for adultsなどなど、非常に細かくカテゴリー分けしているところ。

for boysにはもちろんこんなのがある。


セサミストリートにきかんしゃトーマス。

   

金儲けのにおいがするところにディズニーあり。

   

こんなのもある。『メリダとおそろしの森』。



あの髪をどうやって塗るのだろうか。

動物の赤ちゃん。たしかにそうだが、これ可愛いんだろか?



アダルト向けではアーティスティックなものが多い。



ふと思いついて検索したらやっぱりあった。なにこのパチモンくささ。



というわけで、少なくともアメリカにはぬり絵文化がある、ということはわかった。考えてみれば、立体を「面の集合」でとらえるという訓練は美術の基礎だ。となると、日米でなぜこうアニメの好みが違うのかはさらに謎が深まった感がある。

おまけ。アダルトと言ったらこんなのも!



SEX IS FUN! COLORING IS FUN! NOW, COLORING SEX IS FUN!!!
うすうす気付いてはいたが、アメ公ってやっぱりアホだ!

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