更新履歴と周辺雑記

更新履歴を兼ねて、日記付け。完結していない作品については、ここに書いていきます。

2012年3月30日(金)
実写オタ映画2本

『エンジェル・ウォーズ』と『スコット・ピルグリムVS邪悪な元カレ軍団』。2本とも、劇場で観るほどの作品ではないと思ってスルーしていて、WOWOWで。

エドガー・ライト監督は、前作『ホット・ファズ』は大当たりだったのだが、『スコット・ピルグリム』はまるで話題にならなかったような印象がある。観たらその理由が、少なくともオタに受けない理由が解った。本作はタイトルのとおり、スコット君がヒロインとつきあおうとしたら、その元カレ軍団と戦う羽目になるという話だが、実はスコット君には彼女がいる。それも17歳の女子高生でスコットにベタぼれ。

どこの世界に、7人も元カレがいる腐れXXXXと17歳女子高生を天秤にかけてビッチの方を取るオタクがいるよ

これでも解るように、実はスコット自身はオタでもギークでもない(大体バンド組んでるような奴らをオタとは言わないだろう)。格闘ゲームといういかにもオタなガジェットを散りばめておきながら、主人公自身はアメリカン。被差別民を自認するオタは、そこに搾取の気配をかぎ取ったというか、裏切られたような気分になったのでは。
今考えてみれば『ホット・ファズ』も、映画愛に満ちあふれてはいたが、決してバカ映画を愛するボンクラを愛していたわけではない(それどころか主人公はスーパーエリートだ)。
以前スカパー!で『ビッグバンセオリー ギークなボクらの恋愛法則』を観たときも思ったが、このテの作品は、コミュニケーション能力に問題のあるオタが女を口説こうとして失敗する、のを笑いどころにしている。そもそも恋愛に大して重きを置かない人種がいるということは、連中には想像の埒外なんだろうな。


一方、『エンジェル・ウォーズ』の方は、日本刀少女からパワードスーツまで、まさにオタクの妄想爆裂なビジュアルなんだけど、意外なほどシビアな結末でちょっと驚いた。『300』のザック・スナイダーはバカだと思っていたけれど見直した。
主役のベイビードールを演じたエミリー・ブラウニングって、『レモニー・スニケットの世にも不幸せな物語』で姉役だったあの超絶美少女か!はっきり言ってエマ・ワトソンの30倍は可愛かったんだが・・・・・・こんなになっちゃったのか。

 

なお本編中ではもう少し痩せてます、念のため。

ちなみにショートカットの相棒を演じたジェナ・マローンは『ドニー・ダーコ』のヒロイン。
だが真の見所は、ヒロインを陰ひなたに助ける助力者ワイズマンを演じたスコット・グレンだろう。『羊たちの沈黙』のスターリングの上司ジャック・クロフォードである。

最後にもうひとつ。ロボトミー手術というのは、目頭から五寸釘みたいなのを突き刺して前頭葉を破壊するという大変男らしい手術である。そのことは知っていたのだが、あれトンカチで打ち込むのか!
先端恐怖症の人はくれぐれも観ないように。



2012年3月21日(水)
近況とかトリビアとか

○ 『特攻大作戦』『飛べ!フェニックス』などで知られる反骨の映画作家ロバート・アルドリッチは、かのロックフェラー一族の係累。
フォード政権下で副大統領を務めたネルソン・ロックフェラー上院議員は従兄弟に当たる。

○ ニホンミツバチは、天敵のスズメバチに巣を襲われると、集団で取り囲み一斉に羽をふるわせて発熱し、蒸し殺すという習性を持つ。セイヨウミツバチにはこの習性は見られない。この行動が正式に論文として報告されたのは95年で意外と新しいのだが、この蜂のダマのことを熱殺蜂球という。なんかの必殺技のようでカッコいい。

○ スペースコロニーのことを、中国語では「大空植民地」という。
確かに、ガンダム世界では地球連邦政府の棄民・搾取・弾圧が問題になっていることが一目で伝わる。漢字のイメージ喚起力って偉大だ。

○ 「現代表象文化論(2)「かわいい」は正義:『パワーパフ・ガールズ』のリメイクに見る少女のセクシュアリティ表象」という学術論文を見つけた。
おお、面白そうと思ったら、参考文献が東浩紀、斉藤環、スーザン・ネイピア、森川嘉一郎だと。まーそろいもそろって。一発で読む気なくした。「論文の命は参考文献」とはこういうことか!

○ PVが目当てで『ラブライブ!』のCDを買っている。
確かに回を重ねるごとに見応えが増しているのだが、私の見るところこれは、CGや作画の技術進歩のためではない。

本作は全身像はCG、アップは手描きという実に潔く割り切った使い分けをしている。そのため、同一画面で前列は手描き、後列はCGという混在があったりする。相変わらず手描きとCGの違和感はありまくりで、一目で分かってしまうのだがそれは大した問題ではない。ちなみに最新作では、ステージ後方の大画面に映るのは手描き、手前の全身像はCG(当然同じ動きをしている)という挑戦的な画面がある。

完成度が次第に上がっているのは、「PVの作り方」がこなれてきたからだ。すなわち音楽(リズム、メロディ、歌詞)とのシンクロのさせ方、カット割り、アングル、カメラワークといった映像設計が進歩しているのだ。余計な寸劇が入らなくなったのもそのひとつだろう。

アニメ化と聞いて「『アイマス(ゼノグラでない方の)』の二の舞だからやめときゃいいのに」と思ったが、すぐ思い直した。『アイマス』が駄目なのは、キャラに「属性」ばかりで「人物描写」というものが存在しないからだ。だからドラマらしいことをやろうとしてもどうしようもなく薄っぺらなものでしかない。むしろ『アイマス』のように余計な属性やカップリングが確定しないうちの方が、いいかも知れない。

○ 『ベルセルク』観てきた。
アクションシーンはほとんどCGと聞いたので少し心配していたのだが、想像よりずっと良かった。
が、一番印象に残るのは開巻すぐのガッツが空を見上げるシーンだ。
ガッツの視点で青い空が映る。カットバックでガッツの目元のアップ。再び空。そこを、攻城砲の弾丸が炎の尾を引きながら横切っていく。不運にも弾丸に衝突した鳥が、落下してくる。
憧れと、失墜。
『ベルセルク』第1部で描かれるべきテーマが、ほんのわずかな時間で無言のうちに表現される。このシーンゆえに、『ベルセルク』は映画になり得た。

○ 『わすれなぐも』スカパー!で。
アニメミライの1本の、幼女妖怪もの。出だしを見ていて、ああこういう路線なのねと思ってたら、ラストで思いもよらぬ展開に。
ジョン・ソールかマキャモンか、というれっきとしたモダンホラーだった。

2012年3月15日(木)
キルギスの誘拐婚に関する一考察

例によってだいぶ前の話だが、ありむー氏のこの記事を読んだ。

  「誘拐婚」の記事で異文化理解の難しさを知る

20世紀初頭、アメリカの日系移民社会には「写真花嫁」という制度があった。本国から移民のところに嫁候補の写真が送られてきて、それを見て結婚を決めるのである。
この制度、「会ったこともない人と写真を見ただけで結婚するなんて」と米国社会ではずいぶんと気味悪がられたという。
ことほどさように異文化とは理解しがたいものだし、よそから批判されれば感情的に反発したくなる。
しかし、今は21世紀だ。人類は「自由と人権」を普遍の価値として歩んできた。私は日経オンラインの元記事は未読だし、その筆者のこともどうでもいい。現地にいる人間にしか解らない感覚も苦労もあるだろうし、私ら学者の間でも、地域研究をやっている人間がその地域の価値観や習俗にどっぷりはまってしまうことはよくあるものだ。

ここでは、「クソ相対主義」の罠に陥らないための観点を3つほど挙げておく。

1 アムネスティ・インターナショナルの見解
まず第一に、アムネスティを筆頭とした国際人権団体は誘拐婚を問題視しているか?
図書館で『アムネスティ・リポート世界の人権2011』(現代人文社)のキルギス共和国の項を読んでみたが、誘拐婚の件は見当たらなかった。この国は2010年まで民族紛争をやっていたので、それどころではないらしい。ちなみに、本書の中で、日本について最大の人権問題とされているのは代用監獄制度。
では次。

2 世界人権宣言
キルギス共和国は、世界人権宣言を採択しているか?
世界人権宣言第16条は、「1 成年の男女は、人種、国籍又は宗教によるいかなる制限もなしに、婚姻をし、かつ家族を形成する権利を有する。成年の男女は、婚姻中及び婚姻の解消の際に、婚姻に関し平等の権利を有する。
 2 婚姻は、両当事者の自由かつ完全な合意のみによって成立する。」と規定している。
キルギスは独立直後の1992年に国連に加盟しているので、自動的に世界人権宣言にも同意していると見なしていいだろう。世界人権宣言は総会決議なので拘束力はないが、世界の大多数の国が参加しているので法的にはすでに国際的な規範(norm)として確立している。
したがって、キルギス共和国政府はその精神の実現に向けて努力する義務がある。諸外国から人権侵害を非難されても、内政干渉とか、文化や伝統を理由に突っぱねることはできない。いやしてもいいけど、それは国際社会での立場を著しく悪化させることになる。
もう少し調べてみたら、女子差別撤廃条約を批准していた。
また1962年には、「婚姻の同意、婚姻の最低年齢及び婚姻の登録に関する条約」が締結されている。キルギスがこの条約を批准しているかどうかは調べが付かなかったが、もし批准していれば、外国からでも異教徒からでも堂々と誘拐婚を批判できる。

3 キルギスの政府見解
最後に、当のキルギスの政府や公的機関は、誘拐婚をどう考えているのか?偶然なのかどうか、有村氏の記事の翌日、こんな報道があった。

『│キルギス│花嫁誘拐禁止法、一夫多妻主義者の妨害で否決

残念ながら否決されてしまったとのことだが、誘拐自体は現在でも犯罪だし、少なくとも近代化を指向する勢力は誘拐婚を禁止しようとしていることは解る。努力が一日も早く実るよう祈るばかりだ。


作家の阿刀田高が、著書の中で『鬼のふんどし』という昔話を紹介していた。
昔、女が鬼にさらわれた。女の許嫁の男は長年かけて、ついに女の居場所を捜しあてた。男が鬼の不在を狙って女を助けに行くと、女はちょうど鬼のふんどしを洗濯しているところだった。
男がはやく逃げようというと、女は「でも洗濯が途中だし、料理の支度があるし・・・・・・」といつまでもぐずぐず言って、いっこうに逃げだそうとしないのだった。

誘拐されたって、そりゃ30年も暮らせば情が移ることもあるだろうが、2012年の世界でそれが非人道的な行いであることには何ら変わりない。人権侵害に憤ることを、ためらう理由など何もない。

2012年3月8日(木)
『Another』のフェアネス精神

なにもこの作品で水着回をやらなくても、と思ったらやっぱりあんなだった8話。
しかしこのカットを見たとき、何となく予感がしたという人は多いはず。



いわゆる『セルに描いた岩は崩れる』理論だ。こういう具合に、動く部分は必ず制作者の意図が加わっており観客の目を引いてしまうことが、アニメでミステリが作りにくい理由のひとつだという。

しかしこの作品の場合、それだけではないように思う。
実は衝撃の傘回・3話にも、こんなカットがある。会話する主人公たちの手前を、傘を持った生徒が通り過ぎる。



ときどきいるよね、本当にこうやって傘を持つ奴。私これ大嫌いでさ。特に駅の階段なんかこうやって歩いている奴を見ると、脚引っかけてこかしてやりたくなる。「後ろに子どもがいるかも」とか思わないのかね。危ないったらありゃしない。というわけでこのカット、すごく気になったのだ。よもやあんな展開になるとは想像しなかったけど。

で、だ。この「後の展開を暗示する小道具をあらかじめ示しておく」というやり方、ミステリの-と言うよりも「本格推理の」という方が適切だろうか-約束事、「謎を解明するヒントを読者に提示しておく」というフェア精神に則ったものではないか、と思うのだ。

以前、『あの花』はミステリの文脈で評価すべき作品ではないかと書いたことがある。
春からは、『氷菓』が控えている。
これがいわゆる、「機が熟した」ということなのかも知れない。


おまけ。本稿の趣旨とはそれるが9話より、中央やや左の標識に注目。



作中での運命の分岐点。身も蓋もない言い方をすれば、細田守作品でよく見られる技法だ。夜見山を出ることにした綾野はああいうことになり、ここで立ち話をしたせいで帰宅が遅れた小椋は助かった。





ところで、ひとつ反省をば。
先日、長井龍雪はいっそ木村真一郎みたいにラブコメ専門監督を目指したらどうかと書いたんだけど、『HAND MAID メイ』とかで、本当に木村の下で働いてたのね。ごめん、マジで知らなかった。

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