年頃の男女が一つ屋根の下、というあり得ないシチュエーションを作るには、保護者の存在が障害となる。
そこで多くのフィクションが採用する方法は、2つある。
ひとつは、そもそも保護者が不在という安直なやり方(なぜか親父が考古学者で発掘に行っているという設定が多いという指摘をどこかで読んだ)。
もうひとつは、保護者がすげえバカ、というやり方だ。と言って悪ければ浮世離れしている、と言うか。代表が『Fate』の藤村大河である。私は、己の役割を自覚している大人のキャラが好きなので、こういう作劇には非常にムカつくのだが、『あの夏』2話でお姉ちゃんさんが「不在のうえバカ」というダブルコンボで怒り心頭。
この高く苦しいハードルを越えてさえしまえば、いつもの長井節。ラスト間際、わずかなカットの積み重ねで人間関係を表す手際などはほれぼれするのだが。
などと考えていて、過去作品について思いついたこと。
○『Kanon』の秋子さんは、意外と常識人(Keyにしては)。真琴が転がり込んできたとき、警察と病院に問い合わせているという描写がある(京アニ版だけだったかも知れない)。
○居候美少女の元祖(注)『うる星』のラムちゃんは、開巻いきなり全世界に向けて正体がオープンになっているという点で、実は非常に独特。しかも嫁宣言しちゃってるんだから、そりゃ同居くらい今さらどうってことあるまいよ。
この、「存在が公になっている」というのはもしかしたら唯一の事例なのではないか?私は気力も時間もないので、誰かぜひ調べて頂きたい。
注:「史上初」に関する議論は、調べればいくらでもさかのぼれるのが常。ここでは、パターンを確立したメジャー作品という程度の意味。
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