更新履歴と周辺雑記

更新履歴を兼ねて、日記付け。完結していない作品については、ここに書いていきます。

2011年10月26日(水)
最近観たアニメなど

mixiから転載。

○ 『はがない』
どうでもいいけど、これ近年まれに見る秀逸な略称だな。確かに『僕友』じゃ平凡すぎる。

1話を観ててっきり西田亜沙子女史が参加しているのかと思ったら違ってて驚いた。『電波女と青春男』とそっくりの絵柄なんだもの。ああそうか、原作イラストを同じブリキ氏が手がけているからか。

何に感心しているのかと言いますと、いまや優秀なアニメーターの手にかかれば、他人の絵柄を模倣してアニメートしてしまうなど苦もなく-と言うと語弊があるか、やろうと思えばできてしまうのだなあ、ということである。
小学生のころ、アニメ版『パタリロ!』を観て魔夜峰央の絵が動いてる、と驚愕したものだが。つまりあの頃は、原作者の絵が動いているのはそれだけで驚きの対象だったのだ。

んで、いわゆる作画崩壊騒ぎについて、「昔は毎週絵が違うのが当たり前だった」という言論は、事実ではあっても彼らに対して有効な言論ではあるま いと思っている。作ってた方も、それが望ましい状態と思っていたわけではないでしょう。「許容される」と「望ましい」の間には、結構大きな開きがある。

○ 『ファースト・スクワッド』
もともとロシアのミュージシャンのPVで、やけに「ジャパニメーション」ぽいなあと思ったら4℃制作だった、といういわく付きのもの。ひっそりとOVAになっていた。
これがもう、昔懐かしいOVAそのもの。60分という時間といい、オレ様設定といい、ハンパに高いクオリティといい、決着の付かないラストといい、80年代テイスト全開。メカがCGなのと女の子が日本刀振り回していることを除けば。

○ 『ベン・トー』
バカバカしいことを大真面目にやるコンセプト自体はまあいいのだが、その結果、面白さにも可笑しさにもカッコ良さにも到達していない気がする。
比べるのも酷だが、しりあがり寿の『流星課長』を思い出した。こういう作品なら、あれくらい突き抜けてしまわないとダメなんじゃないの?
私は板垣伸の演出作品を面白いと思ったことがないので、多少偏見が混じってるかも知れないが。

○ 『ペルソナ4』
監督が松本淳じゃない時点であまり期待はしていなかったが。書き文字とか感嘆符とか、予告編では見ていたけれどまさか本編でもやるとは。
岸誠二はなぜだか、深刻であるべき場面に妙なボケを入れたがる。それが笑えるならいいんだけど、ちっともおかしくないんだもん。この書き文字表現も、その種の「夾雑物」の延長にある。

○ 『UN-GO』
安吾と言えば『堕落論』だから、もっと退廃的な話になるのかと思いきややけに健全な探偵ものとして始まった。
しかし坂口安吾の引用は、「戦後」という時代を象徴的に表すための道具立てと思われる。水島精二監督はあまり作家性を語られることがないが、妙に「戦争」にこだわる。旧『ハガレン』のクライマックスの舞台を、強引にナチス台頭期のドイツに持ってきたり。
『ハガレン』『00』『UN-GO』は、それぞれ戦前・戦中・戦後を描く三部作として見るのが正しいかも知れない。

○ ところで、『アニメスタイル』2号をやっと読み終わった(3号はまだ手つかず)のだが、赤根和樹監督インタビューが特に面白かった。あの作品のあのシーンについて監督自身の考えが聞けたのは貴重。

○ 『それ町』DVD版OP
『アニメスタイル』のお奨めにしたがってレンタルで観てみた。なるほど、ホントに初見でも判るくらいオンエア版と違う。

2011年10月18日(火)
ロボットアニメの話2件

『フルメタル・パニック!TSR』が好きだ。1クール13話を使って、主人公にどのような葛藤を与え、いかに乗り越えるかというお手本のような作劇。一見横道にそれているようなエピソードで、本編に連なるストーリーを進行させる巧妙さ。それらを経た最終回の盛り上がりは熱く感動的。正確に分析すれば、宗介がかなめと再開した時点でドラマは終わっていて、ラストバトルは物語を終わらせるための段取りなのだが、アーバレストを一心同体のごとく操り、ラムダドライバを使いこなして5機のヴェノムを撃破していくシチュエーションは鳥肌が立つほどカッコいい。
細かい話だが、私が気に入っているのが次のカット。



宗介が戦っている間に、撃破されたクルーゾー中尉の機体を救出しようとしているマオ機。
つまり、カメラに写っていない間、他のキャラは何をしているのか?ということが十分考えられているのである。こういうところに、キャラクターの存在感とか世界の広がりというものが現れる。

それ以上に評価したいのが、本作のロボットアニメとしての側面である。このラストバトルは、画面の作り込みといい、ドラマとストーリーと感情線の見事なマッチングといい、2000年代のロボットアニメの中でも屈指の出来だと思っているのだが、不思議なのは京アニはどこでこういう「ロボットアニメのツボ」みたいなもの-ロボットと主人公の関係とか、ロボットはいかにあるべきかといった-を習得したのだろう、ということ。もちろん京アニが永年にわたり、各所で下請けを勤めてきたことは知っている。だが、それでロボットものの「スピリット」のようなもの(作画のノウハウなどではなくて)を会得できるのだろうか?

正解の出る疑問でもないけれど、関係ありそうな話を紹介しておく。
最近、『STARDRIVER 輝きのタクト』をようやく最後まで観た。この作品、BDを買って観ていたのだが、その最終巻ブックレットに収録された五十嵐卓哉、榎戸洋司、大藪芳広(プロデューサー)のトークがやたら面白かったので一部引用。以下は榎戸氏の発言。

 サイバディの設定について考えていたときに、大藪君から「サイバディってどうやって動くんですか?」って質問があったんです。大藪くんが聞きたかったのはもちろん、ロボットの駆動系-例えば水圧とか油圧、あるいは超伝導タイプのものなのか-といったようなことだったんですけど、そのとき五十嵐監督がすごく不思議そうな顔で「もちろん、アニメーターが作画で動かすんですよ」と。その問答がぼくのなかで、すごくカルチャーショックで(笑)。どういうことかというと、ボンズは『機動戦士ガンダム』のサンライズから独立した-いわばサンライズ系の文化の制作スタジオなんですね。で、ぼくや五十嵐監督は、わりと東映アニメーションで仕事をしてきていて、そこの文化で育ったといえる。まさにサンライズの文化と東映アニメーションの文化が、火花を散らした瞬間なわけですけど(笑)、


2011年10月13日(木)
『ジュラシック・パーク』の笑いどころ

先日、氷川竜介先生の講座で聞いた話。

『ジュラシック・パーク』の中盤で、ジープがティラノサウルスに追いかけられるシーンがありますね。
ジープのバックミラーにティラノサウルスが映るカットがあるのだが、アメリカの観客はここで大笑いするのだそうだ。

その理由を教わった後、たまたまWOWOWで『ジュラシック・パーク』の放送があったので確かめてみてなるほど!と。



粗い画像で申し訳ないが、よく見ると、ミラーの下の方に文字が書いてある。下はその拡大。



OBJECTS IN MIRROR ARE CLOSER THAN THEY APPEAR. (ミラーに映っている物体は、見かけより近い場合があります。)

これ、製造物責任法の施行に伴って書かれるようになった注意書きなんですって。
そこで運転手が振り向いてみると、ティラノサウルスがすぐそこに!というギャグ、というわけ。確かに、初見のときも妙な間合いのあるシーンだなあとは思った。


2011年10月12日(水)
『薔薇の名前』ブルーレイ版

オールタイムベストの一本に入れたいくらい好きな映画なので、さっそく観てみた。
DVDは英語・スペイン語・ポルトガル語・日本語・中国語、タイ語・ハングル語、インドネシア語に加えてコメンタリー字幕も入るというお笑い仕様だったのだが、BDは普通に英語・日本語字幕のみ。画質はさすがなのだが、ただ字幕がね・・・・・・。

この映画には、クリスチャン・スレイターとデキちゃう野性的な村娘(バレンティーナ・バルガス)が登場する。彼女にはセリフらしいセリフがなくて、叫んだりうめいたりするだけである。それがまた、精悍で奔放で、かつ神秘的なイメージを醸し出しているのだが、このDVD・BD版は、それにいちいち字幕を付けちゃってるのだ。台無しだよ、それじゃ。
この点は断然LD版の方がよかった。字幕を付ければいいってもんじゃないんだねえ。
まあ原語で理解できればいいだけの話なのだが。
なお、念のため英語字幕も確かめてみたら、娘にセリフを付けたりはしていなかった(もっとも、14世紀イタリアの話なのに全員現代英語でしゃべっているのがすでにアレなのだが)。

ちょっと調べてみたら、LDとDVD・BDとは版元が違っていて、LD版の字幕を流用できないという理由らしい。同じ理由で、編集も少し違う。LD版は日本公開時の特別編集版で、DVD・BD版がオリジナルに近いのだとか。

2011年10月10日(月)
IGのチャンバラ表現

前回書き忘れたこと。

『BLODD-C』最終回は、チャンバラアクション作画も見応えがあった。

IG作品でチャンバラというと思い出されるのが、『精霊の守り人』。特に3話のアクションシーンである。私は、この場面は『ストレンヂア』を除けばアニメ史上屈指の剣戟シーンだと思っている。(『ストレンヂア』はチャンバラ映画ジャンルの最高峰なので別格)

いずれ書こうと思いつつ機会がなかったのだが、『精霊の守り人』に関する神山監督のインタビューを見た記憶がある。BSアニメ夜話の番外編かアニメギガだったと思うのだが、このシーンについて述べていた。それによると、「本当の超一流同士の戦いはどんなものになるのか、想像しながら作った」とのことだった。

実際、このシーンはよく考えられている。

4人組の刺客の1人がチャグムを追うのを見て、バルサは手裏剣で牽制。
刺客側はバルサを包囲し、フェイントをかけて死角から襲う。
バルサは水しぶきを上げることで目をそらし、包囲を脱出。
田からあぜ道に上がって足場を確保。
槍で刺突と見せかけて急所を膝打ち、利き腕の肩を突いて戦闘力を奪う。
さらに追う刺客を、横薙ぎに斬撃で目つぶし。
戦闘中に槍の穂先が折れるが、そのまま敵の懐に踏み込んで腹を斬られながらも打ち倒し、逃げ延びる。

中でも凄いのが、刺客たちのリーダーの二刀流と斬り合うこのシーン。バルサは打ち込みを槍の柄で受けているのだが、

   

監督の談話によるとこれは、「槍を握るバルサの指を狙って剣を滑らせている」のだそうな。バルサは、とっさに指を離してかわしているというわけ。

解るか!


ちょっと追記。ごめん、また書き忘れた。本当に凄いのは、この『BLODD-C』にも『精霊の守り人』にも、上で述べたアクションシーンには沖浦、西尾、黄瀬といったIGの看板アニメーターが(クレジットを見る限り)参加していない、という点である。それでこの出来映え。IGって懐の深い会社だねえ。

2011年10月6日(木)
最近のアニメとか

○ 『BLOOD-C』よかった探し
1 水島努のダークサイドが見られる
一方で『イカ娘』作ってる人とは思えん。
もっとも、『ハレグゥ』とか見ても「日常を浸食する異物」というモチーフをよく使う人という印象はあるが。

2 地上波の限界に挑戦
なんかOVA爛熟時代末期を思い出した。個人的に一番トラウマなのは『ジェノサイバー』。より直接に連想したのは筒井康隆の短編にある「人体パイ投げ」って奴だけど。
スプラッタ描写はギャグになってしまうという指摘が散見されるが、それはどうかな。笑っちゃうのは恐怖の反応のひとつでもあるそうだし、私の経験でも、女の子2人連れが『ターミネーター』観ながら、最初から最後まで笑ってた。

それより、昨年の『ヨスガノソラ』もそうだが、肝心なところ隠しちゃえばいいんだろとばかりに、やってること自体はエログロ度がアップしている点を評価したい。規制が厳しくなりつつあるこの節、商魂と言ってすませるには惜しいたくましさを感じる。
そのデンで行けば、『あの花』も結構チャレンジングだったな。子どものあだ名だからしょうがないじゃんという理屈で、とんでもない単語を公共の電波で連呼してたし。

3 難読名字にオチ
いかにもラノベっぽいと言うか同人くさいと言うか、チューボーな難姓奇姓を、全員偽名だからという理由でクリア。
これは笑った。CLAMPが嫌いな理由のひとつがこれなのよ。

それにしても、つくづくIGって打率が低いよね(『うさぎドロップ』は面白かったが)。 三振か場外ホームラン(神山)か特大ファウル(押井)か、という。

そういえば神山監督は、てっきり『攻殻』の続編作るのかとばかり思ってた。


○ 『ちはやふる』1話が素晴らしかった。
何がいいって、主人公の「思ったことをずけずけ口に出してしまう」性格には、「正しいことを言い当てる」面と、「無神経に人を傷つける」面との両面性がある、ということがきちんと描かれている点。単に人の気持ちが慮れない無神経さを、天真爛漫として描写してしまう作劇というのがよくある。あえて作品名は出さないが。私はこれが大嫌いだ。アホの子を愛でる余裕なんてないのでね。
監督の浅香守生は、私の中では『ガンスリンガー・ガール』の人。普通『CCさくら』だろうというツッコミはなしの方向で。
ED担当が川尻善昭というのも見所。


○ 『たまゆら』
実は、舞台がうちから車で10分くらいのところなのだ。

 

べ、べつにわざわざ探しに行ったわけじゃないんだからね!


なおこれは市立図書館に上がる道で、写真からはそうは見えないがうんざりするくらいの急坂である。



○ 国書刊行会の新刊
の、案内を何となく見ていて見つけたもの。




ヤン・シュヴァンクマイエルが挿画を描いているラフカディオ・ハーンの『怪談』。これは恐い。

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