更新履歴と周辺雑記

更新履歴を兼ねて、日記付け。完結していない作品については、ここに書いていきます。

2010年12月28日(火)
『白熱』('49)など

タイトルは、ジェームズ・キャグニー主演のギャング映画。例によってWOWOWで鑑賞。

キャグニーは、強盗団のボス、コーディ役で、頭が切れて冷酷非情、にもかかわらず重度のマザコンという幼児的狂気に満ちた人物を演じている。

ウィキペディアによると、「キャグニーはコーディの「凶暴な幼児性」に満ちたキャラクター作りに打ち込み、エネルギッシュさが身上な彼の演技の中でも屈指の熱演ぶりを見せた。刑務所の大食堂で食事中、母親が殺害されたことを耳打ちされたコーディが、悲嘆と怒りの余り凄絶な雄叫びを上げながら食堂じゅうを滅茶苦茶に暴れ回るシーンは特に有名な(まさに「白熱」の)演技である。このシーンに囚人役として出演していたエキストラたちには、キャグニーがどのような演技をするかまでは伝えられていなかったため、撮影中にいきなりコーディが錯乱して暴れ回り絶叫する狂態に直面したことで本当のパニック状態に陥った」とのこと。

なのだが、今の目で観るとこの映画は、潜入捜査官(アンダーカバー)ものとして観た方が面白い。
映画の冒頭でコーディは列車強盗を行うが、捜査の手が身近に迫ると、別件のホテル強盗で自首する。アリバイとして、わざわざ同じ日に部下に強盗させておいたのだ。

捜査当局はコーディの余罪をつかむため、秘密捜査官ファロン(エドモンド・オブライエン)を同房に潜入させる。この潜入捜査のディテールが、'49年の映画とは思えないほど緻密なのだ。
まず、刑務所の囚人を全員チェックして、ファロンの顔を知っている者がいないか確認し、いたら別の刑務所へ移送する。
1人、顔を知る囚人がいるがファロンが入所する前に出所予定だからと放置していたら、その囚人は病気で出所が延期されており、危うく鉢合わせしそうになる。さあどうする!
用心深いコーディは、同房になってもファロンを容易に信用しない。ファロンの郵便物も勝手に開封して調べる。中身は妻(実は連絡員)の写真だったが。さらにコーディは、読唇術のできる部下を使って周囲の人間を調べさせている。ファロンは面会日に、妻を装って連絡に来た仲間に状況を知らせなければならないが、近くから見張られている。どうやってごまかす!?
暗殺されそうになったコーディを助けたことがきっかけで、ファロンはコーディの信頼を得るが、脱獄につきあわされる羽目になる。
仲間と合流したコーディは、新たな犯罪計画を立てる。どうやって通報する?

と、ことほどさように、次から次へと襲い来る難題を、ファロンは機転を利かせて解決していく。ファロンが電気工作が得意という設定が、クライマックスの伏線になっているのもうまい。
冷静沈着なプロフェッショナルの仕事を堪能できる、フィルム・ノワールの傑作。DVDも出ているようなので、機会があればぜひ。

なお最近劇場で観たのは、『白いリボン』『マクナイーマ』『キック・アス』『レバノン』。

ミヒャエル・ハネケのカンヌ映画祭パルムドール受賞作『白いリボン』で爆睡。
'69年のブラジルのカルト映画『マクナイーマ』で轟沈。
『レバノン』でもうとうと。

『マクナイーマ』はブラジルのヌーヴェルバーグといわれるシネマ・ノーヴォという運動の代表作、なんだそうだ。考えてみたら私、ヌーヴェルバーグの作品とはとことん相性悪いんだった。
『レバノン』も、前評判どおり本当に戦車の中から一歩も出ない映画。よくできてはいるけれど、意外に単調。それ以前に、本当に戦車の中でタバコ吸ったりするのか?

『キック・アス』はまあ面白かったけど。『スパイダーマン』に曰く、「大いなる力には大いなる責任が伴う」。しかし、『ダークナイト』でその責任の正当性を保証するのは何か?という問いを発してしまっているからね。もっと気軽に観ればいい映画とはいえ。
本作の場合、「望めば手に入る力を引き受けなければ、責任も引き受けなくてよいのか?」という形の問いになっているのが面白かった。しかし、等身大の高校生ヒーローがそう簡単に人殺していいもんか?とは思ってしまう。

2010年12月28日(火)
ミルグラムの服従実験

「ミルグラムの心理実験」というのを、聞いたことがあるだろうか。
人間は、強制されるといくらでも残酷になって拷問に手を貸してしまうというアレだ。

しかし、最近某所でこの実験の話題が出たのだが、どうもだいぶ誇張されて伝わっているように思う。ミルグラムの原著に則って、さわりだけだが正確なところを紹介したい。ここでは、岸田秀訳、1980年の河出書房新社版による。

この実験、またの名を「アイヒマン実験」という。
アイヒマンとは、アドルフ・アイヒマン。ナチス・ドイツの役人で絶滅収容所にユダヤ人を移送する作業の責任者だった人物である。アイヒマンは戦後アルゼンチンに逃れて隠れ住んでいたが、イスラエルの情報機関モサドは執念でその所在を突き止め、1960年、国際法を無視して誘拐。エルサレムへ拉致して裁判にかけた。その裁判においてアイヒマンは、無数のユダヤ人の殺害に手を貸しておきながら「自分は命令に従っただけだ」という弁明に終始した。その姿は残忍な大量殺人鬼でも狂気の差別主義者でもない、平凡でそれなりに有能な官吏に過ぎなかった。その経緯はハンナ・アーレントの『イェルサレムのアイヒマン』に詳しいが、このことから「自由意思と良識を持つ普通の人間が、命令されたからといってそこまで残酷になれるものか?」という問いが心理学上の重大問題になったのである。

実験は次のように行われる。
参加者は「監督」「教師」「生徒」の3人。
教師は、生徒に問題を出す。答えを間違うと、電気ショックを与える。間違うたびに、電気ショックの強度はだんだん上がっていく。電気ショックは15ボルトから15ボルトずつ段階的に上がっていき、最大450ボルトまで30個のスイッチで操作する。スイッチには「軽いショック」から「危険―すごいショック」まで言語表示もついている。

教師は、この実験は罰を与えられることで学習効果がどう変わるかを調べる実験だと教えられているが、実は生徒はサクラで、電気も実際には流れていない。ショックで苦しむのは芝居である。
実験の真の目的は、強制を受けた教師(つまり被験者)が、自分の良心に反してショックを与え続けるかを調べることだ。

事前の予想では、「ほとんどの人間は途中でやめてしまうだろう」というものだった。しかしそれに反して、逆に多くの被験者が「命に関わる」レベルまで電圧を上げてしまったのである。
ここまではよく知られているとおりだ。

が、世間で流布している(と、私が思っている)イメージと実情とはちょっと異なる。
イメージでは、良心ある人間が理性を失って嬉々として拷問を楽しむようになる―という感じがあるが、そんなことはない。

被験者はみな、生徒の苦しみが表れると、スイッチを押すのをためらい、監督に文句を言い、苦悩しながら最終的には電圧を上げてしまうのである。
監督は監督で、被験者がスイッチを押すのをためらうと、4段階の「勧告」を行う。
勧告1 おつづけください。
勧告2 実験のために、あなたが続けることが必要です。
勧告3 あなたがつづけることが絶対に不可欠です。
勧告4 迷うことはありません。続けるべきです。

勧告1でダメなら、勧告2に移る。勧告4まで行っても被験者が監督に従わなければ、そこで実験は打ち切りになる。40人の被験者のうち、26人が最強の450ボルトまで電圧を上げた。

また、この実験は条件を様々に変えて行われた。その1つが、生徒と教師の距離である。
実験1(遠隔)では、教師と生徒は別室におり、姿は見えず声も聞こえない(質問への回答は、操作盤の点灯で解るようになっている)。ただ電圧が300ボルトを超えると、壁をたたいて抗議する。315ボルトを超えると、その音もやむ。
実験2(発声)では、生徒は隣の部屋にいるが、声が壁を通して聞こえてくる。
実験3(近接)では、生徒が同じ室内にいる。
実験4(接触)では、電圧が上がると生徒がいやがって電極を外してしまうという設定がなされた。つまり実験を続けるには、教師が生徒の体に触れて電極を装着しなければならない。

その結果は容易に想像がつくように、教師と生徒の物理的な距離には明らかな影響があった。
実験1の場合は65%(40人中26人)が電圧を最大まで上げたが、実験4ではその率は30%(同12人)にとどまった。「実験を打ち切った電圧の平均」は405ボルトから270ボルトへ低下した。405ボルトは「危険・すごいショック」、270ボルトは「はげしいショック」である。

「多くの人間が命令に服従する」というのは、権威者から強い強制があり、かつ被害者の苦痛を見聞きせずにすむため心理的抵抗が低い場合の話、なのである。加えて本書は、実験を依頼したのが「エール大学の偉い教授」という高い権威の持ち主であり、「科学の発展のため」なる大義名分が存在することを重視している。

こんなパターンもある。被験者は二人一組になるが、一人はサクラである。実験の途中で、監督が実験を続けるよう言い残して部屋を出る。この状況で、サクラが「もう実験をやめよう」とそそのかしたらどうなるか。
結果は直接確かめてほしい。本書は2008年に山形浩生の新訳版が刊行されており、容易に入手できる。

2010年12月21日(火)
史上最大の作戦

調べ物をしていて見つけた写真。

http://www.darkroastedblend.com/2006/11/biggest-and-hungriest-machines.html

これはバケットホイール・エクスカベータと言って、炭坑の露天掘りに使う採掘機械である。




ドイツのクルップ社製で、全長240m、全高96m、総重量1万3500トン。人類史上最大の自走機械とされる。
電源は外部から取るのだが、分速10メートルで移動できる。
担当していた炭坑を掘り尽くして、22キロ離れた別の炭坑に移動する際には3週間かかったという。上の写真はそのときのものらしい。

どのくらいデカいかというと、普通にブルドーザーを巻きこんでしまうくらい。

 

しかし驚くのはまだ早い。これが建造されたのは冷戦まっただ中の1978年。ところはドイツ。
したがってこれはただの土木機械ではない。東側の侵略に際しては、バトルモードに変形して国土防衛の一翼を担うのだ。

見よ、ゲルマンの魂が結晶したかのようなこの勇姿!
右手のバケットホイールは正義の鉄拳と化し、露助どもをなぎ倒すのだ!




すみません、嘘です。
リンク元を見れば解るとおり、これはフォトショップで加工した写真。

でもやってみたくなる気持ちはとてもよくわかる。男のやることは―もとい、中坊の魂を宿した男のやることは、洋の東西を問わないというお話でした。

2010年12月20日(月)
冬コミのボツ原稿 その2

『UC』1話を観た当初から考えていたのだが、論旨がそれてしまうのでボツにしたネタ。

「原作者の福井晴敏について少し触れておきたい。福井の小説は映像的と評されることが多い。『亡国のイージス』や『終戦のローレライ』を、脳内でアニメ化しながら読んだ人は多いはずだ。不幸なことに、福井作品はこれまで映像化に恵まれていたとは言い難い。『UC』は、福井小説からの映像化として突出した出来映えになっている。
また、『UC』は福井の過去の作品とも共通する点が多い。福井作品によく見られるテーマが父と子の相克と和解である。

「『機動戦士ガンダム』って、父親の要素が大事なものとして設定されていながら、ごそっと抜き取られてしまっているんですよね。父親を乗り越える前に、父親が存在感ごと消滅しちゃうみたいな。『UC』も、主人公の父親は会うなり消滅してしまうんですが、以後、その存在感は強烈に残り、息子が父親の影を追ってゆくという構造になっています」
                        「BDアニメ最前線 『ガンダムUC』を墨劇で見る」『HiVi』(2010年4月)86頁。



処女作である『Twelve Y.O.』は特によく似ている。この作品には「BB文書」というアイテムが登場するが、これは日米安保体制を覆しかねない危険な文書であり、主人公「12(トゥウェルブ)」の死んだ父から託されたもの、という設定。ラプラスの箱そのままだ。
父と子のテーマは、『亡国のイージス』でも通奏低音となっている。
なお、マリーダが敵モビルスーツを撃破したとき、死者の今際の声が聞こえるという描写は、『終戦のローレライ』を思わせる」

2010年12月13日(月)
冬コミのボツ原稿

冬コミで、幻視球さんの同人誌に寄稿します。→http://幻視球.net/2010/12/c79info.php

私は『機動戦士ガンダムUC』を担当。『ガンダムUC』はなぜファーストガンダムっぽいのか?をテーマに書かせてもらいました。以下はそのボツ原稿。

「『ガンダム』といえば「腹芸」。それぞれのキャラクターに思惑があり、一筋縄ではいかない、そのことを密やかにフィルムの中に埋め込んでいる。
『UC』でのわかりやすい腹芸として、前述のオードリーとダグザの持つマイクを挙げよう。このときオードリーは、中佐の手のマイクが生きていることを確認している。つまり、彼女の言動はフル・フロンタルが聞いていることを意識して行われているのである。オードリーが後でリディに言うように、フル・フロンタルはあくまでオードリーがミネバであることを認めていない。そこであえて、彼女は自分がミネバであると名乗った。通信が他にも傍受されている以上、ミネバを見殺しにすればネオ・ジオンの求心力もフル・フロンタルの立場も悪化するだろう。それで窮地を脱せるならよし。それでも攻撃を続行するなら、たとえラプラスの鍵を入手してもフル・フロンタルは失脚する。ならばオードリーの所期の目的は達成される。こういうしたたかな計算が透けて見える。
一方で、フル・フロンタルからネェル・アーガマへの通信が音声のみで、映像が送られていないことにも注意が必要だろう。尋問のテクニックの一つに、尋問者が被尋問者に姿を見せないというものがあるのだそうだ。正体を見せないことが相手を威圧する。現に、ネェル・アーガマのオペレーターは「シャアの声だ」と怖じ気づく。ダグザの側は、オードリーの姿を見せるために映像を送らざるを得ない状況にあった点で、最初から不利な交渉を強いられたと言える」

というところまで書いたら、『機動戦士ガンダムUC ビジュアルガイド episode2 赤い彗星』で当該シーンを、古橋監督自身が絵コンテつきで解説しているのに気がついて削除。

当日は売り子をしておりますので、どうぞよろしく。

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