いや、今川版じゃなくて、2007年に制作された「GR -GIANT ROBO-」の方。
http://www.gr-anime.com/index2.html
知らない人もいるんじゃないだろうか。放映はネット配信とスカパー!の有料放送だったし、地上波放送は半年遅れだった。
実際、誰に向けて何のために作ってるんだかよくわからない作品ではあった。
でも私は好きなんだよ。とても丁寧に作り込まれた佳作なのだ。
当サイトはこれまで、「再評価」という言葉を使ったことはない。「無名だけど自分だけが知っている良さを教えてやる」というニュアンスが感じられて、偉そうでイヤだからだ。でもこのくらいマイナーな作品なら、私が「再評価」しても罰は当たるまい。
本作の舞台は現代。世界各地に謎の組織GROに操られる巨大ロボットが出現し、古代遺跡を破壊するテロが行われるが、その目的は不明のままだった。沖縄の島でアルバイトをしている青年・草間大作(本作では18才の設定)は、不思議な少女に導かれ、古代遺跡の巨大ロボットの専任操縦者となり、GROと対決する事になる。
10話で大作はGROに拉致され、その指揮官である傭兵ホッジス中佐と対面する。このシーンが実にいいのだ。
ホッジスと向かい合わせで食事をしながら、大作はGROの目的を問いただす。「世界征服でもするつもりですか」と皮肉もあらわに。
これにホッジスはこう答える。
「それはクラウゼヴィッツ流の古典的な考えだ。むしろリデルハートの言う、間接アプローチ戦略に近いのかもしれない」
私も最近知ったのだが、このセリフ、戦略論的に完璧に正しい。
クラウゼヴィッツ(Carl Phillip Gottlieb von Clausewitz, 1780-1831)はプロシアの軍事学者。「戦争論」の著書を持ち、「戦争とは、異なる手段をもってする政治の延長である」との言葉で有名。そして戦争に勝利するには、敵の「重心」−それは軍の主力であったり国の首都だったり様々だが、その最も重要なポイントに最大の戦力を投入し、大きな打撃を与えることが必要だと説いた。
それに対しリデルハート(Sir Basil Henry Liddell-Hart, 1895-1970)の言う「間接アプローチ戦略」とは、「目的達成のために要する人的物的損害を最小化する」には、敵の最大の弱点を狙って、敵の組織的戦闘力の麻痺を誘うべきとするものである。
こういうセリフを言わせられるのはスタッフの勉強のたまものだが、私が感心したのはそういうことではない。このセリフによって、ホッジスの人となり−知的で有能な軍人であると同時に、子供の皮肉に対して大まじめに正論で反応してしまう謹厳な性格をも、見事に表現しているからだ。このシーンにはもうひとつ、ホッジスの人間性を示すあるエピソードが描かれるのだが、それはぜひ実際に観てほしい。
カッコいいシーンをもう一つ紹介しておく。
GRを操縦することになった大作は、国連の一機関UNISOMに保護される。UNISOMは大作を安全な場所に移送しようとするが、その前に大作は母に別れを言いに自宅へ帰る。その間、ボディーガードのアレックスは車で待つのだが、運転手の裏切りによって車が爆破され、アレックスは危うく車外へ逃れる。
カッコいいのは、アレックスが運転手の企みに気づく経緯、である。運転手は、自分だけ車外へ出るため、後席のアレックスにコーヒーを買ってくる、と告げる。聞き流していたアレックスだが、ふと運転席にまだ熱いコーヒーカップが残されていることに気づく。「不可解な理由で車外へ逃げた」→「車内は危ない」と、アレックスは(ドアがロックされているので)とっさに窓を破って脱出するのだが、セリフでは一切説明されない。ここでもまたアレックスの機転と行動力が、映像で的確に描写されている。
こういうのを「リアル」というのだ。
んで、話は例のパンツアニメに移る。
あの作品の軍事考証が緻密?
何をもって軍事考証と言ってるのだか知らないが、どうでもいいんだよそんなこたあ。
あの作品の欠点は、「殺しあいをしているのに緊迫感のかけらもない」その一事に尽きる。あの作品のユーザー−観客とは言いたくない−はそんなことを気にしていないというのはわかる。だったら、「けいおん!」みたいにクラブ活動でもやってればいいのだ。戦争ごっこやってるだけのくせにドラマっぽく装うのは勘弁してくれ。
読み返してみると、これ凡百の萌えアニメ批判と一緒だなあ。まあいいか。
|