更新履歴と周辺雑記

更新履歴を兼ねて、日記付け。完結していない作品については、ここに書いていきます。

2010年3月30日(火)
「渇き」

パク・チャヌク監督の新作「渇き」を観てきた。

謹厳な神父が吸血鬼と化し、愛欲におぼれて人を殺し、愛する女を仲間にしてしまう。その後始末をどうするか、が物語の落着点となる。その結末は凄絶にして美しい。

「愛する者が怪物と化す」というシチュエーションを有する吸血鬼ものの類型について、少し考えてみた

2010年3月24日(水)
まぐれとゴミ箱モデル

「数学で犯罪を解決する」関連書シリーズ。

ナシーム・ニコラス・タレブ『まぐれ−投資家はなぜ、運を実力と勘違いするのか』望月衛訳、(ダイヤモンド社、2008年)を読んだ。タイトルはアレだが、著者はベテラン投資家で、副題の「投資家はなぜ運を実力と勘違いし、人間は同じ間違いを繰り返すのか」豊富な実例で解き明かしている。

例によって面白かった部分を一部抜粋。『生存する脳』という本からの孫引きだが、要するに人間は論理よりも感情に頼って判断をしている、という主張である。

『生存する脳』の主張はとても単純だ。外科手術をして誰かの脳の一部(たとえば腫瘍とその周辺)を切除したところ、情緒を感じる能力が失われたが、それ以外には一切何にも(知能指数やその他の能力は)変わらなかったとする。これは、人の知性を情緒から切り離す統制実験だと考えることができる。さて、感情や情緒から解放された、純粋に合理的な人間ができあがったわけだ。
さあ観察してみよう。ダマシオの報告によると、情緒が一切ない人間は、もっとも単純なことさえ決められなかった。朝はベッドから起きてこられず、ああでもないこうでもないとあれこれ悩んで一日を無駄に過ごす。なんてことだ!予想されていたのとまるっきり逆だ。人は情緒がなくては意思決定ができないのである。ちなみに、数学でも同じ答えが出ている。多数の変数を操作して行う最適化の場合、私たちのように巨大な脳を使っても、非常に単純な課題でさえ解決するにはとても長い時間がかかる。だから私たちには近道が必要なのだ。情緒があるおかげで、私たちは煮え切らない態度をとらずにすんでいるのである。ハーバート・サイモンの考えを思い出さないだろうか。仕事をしてくれているのは情緒だったようだ。心理学者たちはそれを「論理に対する潤滑油」と呼んでいる。
 248頁。

これを読んで思い出したのが、「ゴミ箱モデル」という奴。

ゴミ箱モデルとは、社会集団の意思決定モデルの一つで、政策決定過程の説明などに用いられる。社会、国家、企業、軍隊のような組織は、後から考えると到底理解不可能な、非合理的な判断−例えば太平洋戦争の開戦決定−を下すことがよくある。ゴミ箱モデルとは、こうした非合理な意思決定に至る過程をよく説明できるモデルである。

何らかの問題が生じたとき、その問題に関与する人間たちは、その対策判断の場に解決案を次々に投じる。しかし大抵決断が先送りされ、それらの案は実行されない。そして何らかの機会−例えば〆切−が訪れたとき、たまたま一番上にあった案が、合理性や効率と関係なく採用される。これが、ゴミ箱に放り込まれた屑のうち一番上にあるものだけが見える様子によく似ているので、ゴミ箱モデルと称される。
そもそもこのモデルが考案されたのは、組織や人間が常に合理的に判断し行動していると考えると説明できない事例が多すぎるからだった。


だがそれでも、著者はそんな決断に人間の誇りを見るのだ。

私たちがどれだけ賢明な選択をしようとも、オッズがどれだけ有利であろうとも、結末を決めるのは偶然だ。私たちにできるのはただ、尊厳を持つことだけだ。尊厳とは、直接的な状況に影響されずに行動するための手順に従うことである。そうしてとる行動は最適ではないかもしれない。しかし、間違いなく一番快いのはそんな行動だ。たとえば「プレッシャーの下での優雅さ」がそれにあたる。あるいは、得られるものがなんであろうと誰かに媚びたりはしないというのもそうだろう。 
297頁。

2010年3月18日(木)
科学捜査の現在その3

本書結びの一節。

科学捜査官の教授パトリック・ドイルは、おおぜいの新米捜査官を現場に送り出している。「どう見たって割に合わない仕事ですよ。長時間労働、労働条件は悪い、休日に呼び出されることもしょちゅうでしょう。なにからなにまで法廷に出したあげく、必死で働いた成果から自分の基本常識から良心まで、かたっぱしからケチをつけられる。これじゃあ、そんな仕事を選ぶ人間がいるのが不思議なくらいですよ。

たいていの人間は、自分の能力を『役に立つことに使いたい』と思っている。法執行機関に入らなくても、もっと楽な仕事はいくらでも見つかるはずなんです。たとえば、カール・ケンダーという男がいます。20年以上も不審文書鑑定の仕事を続けて、年収はだいたい3万2000ドル相当ってとこだった。98年に退職してから、自分でビジネスを興した。ワシントンDC周辺で著名人のサインを販売してる業者を相手に、いまはちょっとした仕事をしています。収入は2倍、労働時間は半分ですよ。うちの学生に何度も話をしに来てもらってますが、なんでもっと早く独立しなかったのかと学生たちはかならず質問する。答えはいつも同じで、『ルークのことがあったから』だって言うんですね。

ルークというのは、彼が初めて担当した事件の被害者の名前です。誘拐事件でしたが、ほとんどなんの手がかりもなかった。唯一の手がかりが脅迫状ですよ。男の子は見つかりました。4歳の子供が、冬のさなかに納屋に置き去りにされてたんです。そこの農場は人が住んでなくて、最寄りの人家までは何マイルも離れてて、なにしろ寒かった。その事件を扱った人間はみんな、もう少し遅かったら子供の命はなかったろうと言ってます。こんなに劇的な初仕事はめったにあるもんじゃないが、新米捜査官を駆り立ててるのは、私が思うに『役に立ちたい』っていう情熱ですね。ともかく、金じゃないことだけは確かですよ」
 305-306頁。

世のため人のために役に立てることをこそ、人は幸福と呼ぶ。

2010年3月17日(水)
科学捜査の現在その2

引き続き『犯罪現場は語る』から。

警察犬について。

犬の嗅覚受容器の数は人間の何百万倍にもなるが、上には上がいるものだ。においを嗅ぎ分ける能力では猫もフェレットも犬よりずっとすぐれているし、トリュフ採りに使われる豚は昔から鋭い鼻で知られている。
「警察猫がいないのは、たんに猫に働く気がないからだよ」と訓練士のマイクル・ディアリング。「豚はいやがらずに働くけど、どんな現場でも使えるってわけじゃない。なにせ気が散っちゃうんだよ、食い物とかいろんなものに。フェレットを試してみたら、すごくおもしろいんだけど、あっというまに飽きちゃってね。その点、犬は働くのが好きだし、褒めてもらおうとがんばるから。頭もいいし、自分は人間のパートナーだと思ってる。猫はそうじゃないから、いくら鼻がよくても役に立たないんだよ。捜してるのがたまたま腐りかけの魚で、その猫が腹ぺこだったらべつだけど」
 265-266頁。

警察フェレット!可愛すぎる。


鑑識カメラマンの証言。

どんな写真にせよ“ありのままの写真”などありえない。「部屋のなかに立ったら、まずどのレンズを使うか決めなくちゃならない。これはごく基本的なことなのよ。35ミリカメラに50ミリレンズって組み合わせが、たぶん人の目で見るのにいちばん近いでしょうね。つまり、写る範囲が人の目で見える範囲とおんなじぐらいってこと。顔を左右に動かさないと全体が眺められないような、そういう広々とした眺めは写らないわけね。でもそうすると、50ミリレンズで部屋全体が写らなかったらどうするかってことよ。立ってるところが部屋のすみで、もうそれ以上後ろに下がれないときは?それでも現場全体の写真はぜったいに必要なんだから、広角レンズに切り換えるわけ。たぶん20ミリとか30ミリぐらいかな。ここでもう、どんな写真を撮るか選択しちゃってるわけじゃない。それが画像の改ざんってことになるの?そんなはずないでしょ」
鑑識カメラマンのクロイ・ペアポイント。276-277頁。

写真に写した時点で、「風景」は「映像」に変わる。

鑑識写真のガイドライン。

写真は、見る者の感情に影響を及ぼすことを意図したものであってはならない。暴力的な場面が人の感情を刺激するのはやむをえないが、感情を操作することを意図した写真を撮影してはならない。犯罪現場に落ちた同じ人形を撮影するのでも、テレビ局のカメラマンが撮影するのと、鑑識カメラマンが撮影するのとではまったく意味がちがう。人形が落ちている場合は、それは現場の一部として撮影されるのであって、現場写真に写るほかの物品がもつ以上の意味を付与するべきではない。 288頁。

逆に言えば、写し方によっていくらでも物品に意味を込めることが可能なわけだ。このあたり、映像表現の本質に迫る考察。


人間の目は、明るい昼間と夜間(つまり光量の少ないとき)とでは、まったく異なる視覚受容器を使っている。ところが黄昏どきには、その両方−網膜にある桿体と錐体−が同時に光を感じようとするのでややこしいことになる。おまけに、明るさが急速に変化する場合が多いので、黄昏どきには色の見えかたが大きくずれやすいことがわかっている。さらにまた、ふつうは役に立ちそうなもの−この事件の場合は街灯−が、実際にはいっそう知覚を混乱させることもある。 279−280頁。

してみるとやっぱり、TVアニメは部屋暗くしてプロジェクタで観るのには向かないのかな、などと思ってしまったり。


警察が麻薬密売の容疑者を逮捕した。ところが弁護側は、容疑者は取引のとき別の場所にいたと主張し、証拠として容疑者の映ったビデオを提出してきた。ビデオには時計も映っていて、これが本物なら容疑者のアリバイが成立することになる。

警察がいくらビデオの映像を調べても、改竄の痕跡は見つからない。ところが、突破口は呆気なく開けた。

「弁護側が提出したデジタルビデオだけど、あのビデオの作成された日が、というか少なくともディスクに最後に上書き保存された日が、ビデオの撮影日だって弁護側が言ってる日より9日もあとだったってこと」 鑑識カメラマンのモニカ・グラフトン。285頁。


ところで本書の日本語は、とても軽妙洒脱で読みやすい。
訳者の安原和見氏の経歴を見たら、「宇宙船レッド・ドワーフ号」のノベライズを手がけた人だった。

2010年3月15日(月)
科学捜査の現在その1

『数学で犯罪を解決する』の関連本を読む週間第2弾。

長谷川聖治『図解雑学科学捜査』(ナツメ社、2004年)
N.E.ゲンジ『犯罪現場は語る 完全科学捜査マニュアル』安原和見訳、(河出書房新社、2003年)

の2冊を読んでみた。
特に後者が圧倒的に面白い。最新の操作技術の数々を豊富な実例、現場の証言をまじえて紹介している。その事例は、「事実を小説より奇なり」を地でいくヘタなミステリ顔負けのユニークさ。

あまりに面白かったので、丸々引用でお届け。以下、斜字体は引用部分。太字は引用者による。また原文は漢数字だが、アラビア数字に直した。

筆跡鑑定について。

このサンプルだが、qgも両方ともqになってる。ほかのサンプルでもそうなってるから、同一人物の筆跡とわかるわけだ。gqと書いてしまうのがどういう性格のあらわれだとか、私にはそういうことはわからないよ。gの書き方を教わる日に学校を休んだだけかもしれないし。だいたいそんなことは知る必要もないんだ。

筆跡鑑定の専門家フランク・ペリー。N.E.ゲンジ『犯罪現場は語る 完全科学捜査マニュアル』安原和見訳、(河出書房新社、2003年)142頁。
こういうプラグマティックな態度、プロらしい。

「リフトっていうのは、書いてる途中で筆記具を持ちあげたところのことを言うんです。まだ数量化するとこまでいってないんだけど、(中略)真実とちがうことを書いてるとリフトが増える傾向があるんです」

「ぼくの考えでは、自分がなにを言いたいかわかってるときには、人は最後までよどみなく書いていけるもんなんです。途中で手が止まったり、次になにを書こうかとか考えたりせず、すらすら書いていく。話をでっちあげてたり、別人のふりをしたり、意図的になにかを隠そうとしてると、どうしても考えなくちゃならないから書いてる手が止まるんですよ」


文書鑑定官デイブ・ゴッツ。147頁。

紙に残った圧痕を見やすくするには横方向から光を当てる。鉛筆で紙をこすったりするのは映画だけ。151頁。


法昆虫学という聞き慣れない学問について。

法昆虫学とは、法の執行に役立てるために昆虫を研究する学問だが、従来は死後経過時間の判定にしか使われていなかった。つまり、死亡した時間や日付を判定するもうひとつの方法だったのだ。だがいまはちがう。死体とはなんの関係もない事件で容疑者の移動経路を調べるのにも使われるし、違法薬物の隠し場所が発見されたとき、その薬物の出どころを突き止めるのに使われることも多い。また、組織的な車両窃盗団が盗難車を売りさばく経路をたどるのにも使われている。 160頁。

盗難車の1953年型フォード・フェアレーンが、13の州を越えて運ばれ、あと6キロでカナダ国境という地点で発見された事件で、法昆虫学が犯人割り出しに応用された

「注文に応じて車を盗む場合はたいていそうだが、車は運転手から運転手へと渡され、あっちこっちのガレージに隠され、人に見られないように密閉したトラックの荷台に積んで輸送されることもある。輸送にかかわった連中はみんな、合法的な仕事だと思って引き受けたと主張するし、最初に車を盗んだ犯人までたどるのはすごくむずかしい」
そのどこに虫がからんでくるんです?
「1953年型フォード・フェアレーンには、みごとなラジエーターグリルがついてるんだ。でっかい金属製のやつ。最近の車にはラジエーターグリルのついたのなんかまずないけど、ああいうやつだとスポンジみたいに虫を吸い込むんだよ。私は6時間ほどもかけて、ラジエーターグリル、ワイパー、タイヤの溝、シートのすきまをあさって虫を探した。しまいには昆虫や昆虫の身体の一部が3000ほども集まったよ。昆虫は地域性が強い。渡り鳥なんかとはちがって、たいていは長距離を移動したりしないんだ。サンプルをずらっと並べて、あんまりみかけない種を見つけちゃ、地図にプロットしていったわけさ。それで、その車がどこを通ってきたかわかる。場合によっちゃ、かなり狭い地域を特定できることもあったよ」
車台とラジエーターグリルから見つかったダニは、とある湿っぽい土間のガレージにすんでいたものだった。同じダニの見つかった盗難車がほかに3台あり、その3台が3台とも、経営者がひとりでやっている小さな運送会社を経由していた。これだけ証拠がそろえば捜索令状がとれる。家宅捜索の結果、輸送されるばかりになっていた盗難車がほかに4台見つかった。
 168-169頁。

まだまだあるけど、続きは次回。

2010年3月14日(日)
非実在青少年

東京都青少年保護条例の改正案の件。

この「非実在青少年」という言葉のあまりにキャッチーな響きにギャグとしか思えなかったが、たけくまメモとか読んでみると、いささかも笑えない状況らしい。
リンク先によると、改正を阻止するためには都議あてに意見を伝えるのが最も有効な方法で、それもメールやFAXよりも封書が最善。

自分の言葉で穏健に伝えるのがよいということなので、私も下の文面で送ることにした。

『はじめまして。

ご多忙中、失礼します。
東京都青少年保護条例の改正案に関して一言申し上げたく、お手紙差し上げることに致しました。
伝え聞く限り、今回の改正は「非実在青少年」なる文言に象徴されるように、マンガ・アニメ・ゲームへの大規模かつ恣意的な表現規制を行うもののようです。
私は改正に反対です。理由は3つあって、
1つは、青少年保護条例や児童ポルノ法が保護すべきは、実在する青少年の人権と福利であって、「非実在青少年」のそれではない、という点。
2つ目は、有害とされる表現が青少年に実際に悪影響を与えるとする学術的な報告は、未だになされていない、という点。
3つ目は、文化とは清濁併せ飲んで発展するもので、低俗な表現にも低俗なりの価値がある、と思うからです。

私は東京都民ではありませんが、映像・出版事業の大部が集中する東京都の条例は、マンガ・アニメ・ゲームといった日本独特の文化に大きな打撃を与えるでしょう。これら文化の振興は国策でもあるはずで、都条例改正は国の政策にも逆行すると考えます。

○○都議のお力で本改正を阻止されたく、重ねてお願い申し上げます』



下のブログに、この問題に関心の深い議員さんが紹介されているので、興味のある方はご一読を。

弁護士山口貴士大いに語る

2010年3月10日(水)
モラル・ハザード

最近の読書から。
『数学で犯罪を解決する』の関連書を読みあさっているところ。

梶井厚志『戦略的思考の技術−ゲーム理論を実践する−』(中公新書、2002年)を読んだ。

中で面白かったモラル・ハザード問題について抜粋。
企業の不祥事なんかに伴ってよく使われるようになったモラル・ハザードは、「モラル(moral)」という単語がつくことから道徳や倫理の低下を表している言葉のように考えられがちだが、本書によるとそうではない。

モラル・ハザードの問題の本質は、人々の持つ道徳や倫理にあるのではない。ある行動にコミット(ある行動を間違いなく実行する宣言と保証)してもらうことが利益にかなうならば、コミットするに十分なインセンティブを与える取り決めをあらかじめ結んでおけばよい。ところが、本当にコミットしたとおりの行動をしたかどうかがわからないときには、見えない行動に対して支払いをするようなインセンティブ契約は機能しない。ある行動にコミットさせることができれば双方に利益のある取引が可能なときに、その行動の検証がむずかしいために双方の利益が実現しなくなる、あるいは非能率的な行動をとらざるを得なくなってしまう状況が、モラル・ハザード問題なのである。

例として2つのシナリオを考える。

シナリオ1
朝出勤する際に生ゴミを捨てていくつもりで、うっかり袋を玄関脇に置いてきてしまったことに、駅に着いてから気がついた。隣室に住む学生に電話して捨ててもらおうかとも考えたが、頼んでも捨ててくれるかどうか疑わしいので、20分かけて家まで戻り、会社に遅刻した。

シナリオ2
夜パーティーに出席したいが、飼い犬の散歩もしたい。隣室の学生にかわって散歩を頼もうかと思ったが、10キロもある散歩コースを本当に歩いてくれるかわからないから、パーティーは諦める。

いずれも、ただで頼むのでなく例えば夕食をおごる、というようなお礼をすれば引き受けてくれるかもしれない。シナリオ1で言えば家に戻るのがコスト、夕食をおごるのがインセンティブである。このコストとインセンティブの調和を図り最適解を導くのが「戦略」というものである。

しかしこの2つのシナリオには、本質的な違いが1つある。
ゴミ袋を捨ててくれたかどうかは見れば明らかに解るが、犬を本当に散歩させてくれたかどうかは後からの検証がむずかしい、という点である。
学生が悪知恵の働く人間なら、ほんの一回りしただけで夕食にありついてしまうかもしれない。もっと悪質な場合、全然散歩をさせずに散歩したと主張するかもしれない。従って、散歩させれば夕食をおごると提案しにくく、パーティーに行くのはむずかしい。

戦略的に考慮すればこそ、対価の支払いを約束して相手に仕事をしてもらうという、双方にとって利益のある機会が失われてしまう。これがモラル・ハザード問題である。学生に「モラル」がないことが問題なのではない。

注目すべきなのは、学生が本当に「モラル」の高い人間で約束通り犬を散歩させる意思があっても、問題は必ずしも解決されない、という点である。そのことが当事者間で信頼できるコミットメントにならないからだ。

つまりモラル・ハザードは文字通りのモラルの問題なのではなく、観測できないことに対してインセンティブを与えることがむずかしいというインセンティブの問題と、観測できない行動へのコミットメントは相手に信頼されないというコミットメントの問題が複合しているのである。

簡単に言うと、本当は人に任せた方が双方のためになるのに、その人が自分の指示どおりに動いてくれたかどうかが後になってもわからないため、仕方なく自分でその仕事をこなしてしまったり、確認のために余計な労力を費やすのが、モラル・ハザードの代表例である。
モラル・ハザードを解決するには、双方に観測可能な「目に見える成果」に対してインセンティブを与えればよい。先の散歩の例なら、犬の首輪に歩数計をつけるというような方法があるだろう。

誰かが「モラル」に反する行為をしたとすれば、それはそうするインセンティブがあったからだと考えるべきである。つまり問題の本質は、そのような行為を採用するようなインセンティブがなぜ与えられていたか、ということにある。そしてそのインセンティブの構造を変えないかぎりは、問題は繰り返し発生する。

倫理ではなく構造に問題の本質がある、というのはいろいろと応用のききそうな考え方だと思う。

2010年3月7日(日)
「数学で犯罪を解決する」

最近の読書から。
キース・デブリン、ゲーリー・ローデン『数学で犯罪を解決する』山形浩生、守岡桜訳、(ダイヤモンド社、2008年)を読んだ。

アメリカの犯罪捜査TVドラマ「NUMBERS」は、天才数学者が数学理論を駆使して難事件を解決するという筋である。ドラマ自体はフィクションだが、作中で扱われている数学理論と犯罪事例は、ほぼ現実に沿っているという。本書は、実際に捜査の現場で用いられている数学理論を解りやすく紹介した本である。犯罪現場の分布から犯人の住所を推定したり、膨大な目撃情報から信頼性の高いものを抽出したりと内容は多岐にわたるが、ちょっと面白かったところを紹介。


指紋について。
指紋というものが発見される以前の個人の同定には、ベルティヨン法という方法が使われていた。ベルティヨン法とは、頭部の縦横、左中指の長さ、左肘から左中指までの長さなど、解剖学的に計測された11コの数値に基づく方法である。19世紀後半に考案されて以来、偽名を使い分けて判決が厳しくなるのを逃れようとする常習犯の企みを阻止するのに大きな成功を収め、指紋鑑定に取って代わられるまで数10年も使用された。

言うまでもなく、指紋による個人同定は、同じ指紋の人間はいないことが大前提になっている。
ここで、同じ指紋の人間は「絶対にいない」のか「確率的にいない」のかどっちだろう?というのが以前からの疑問だったのだが、本書に答えがあった。
正確に言うと、「判らない」。なぜなら、全人類の指紋をすべて調べたことは未だかつてないからだ。
指紋の固有性とは、一卵性双生児においてさえ同じ指紋を持つ2人の人間は見つかっていないという経験則に基づく。

しかし、指紋自体は個別のものであっても、その鑑定に誤りが生じる可能性はある。
指紋鑑定は、「特徴点」という指紋の髏の端点、あるいは2つに分かれる分岐点を調べることで行われる。しかし、この特徴点をいくつ調べれば信頼性のある鑑定を行えるかの基準が、いまだに確立されていない。アメリカでは州によっても警察によってもその数が異なる。

つまり、「指紋自体は固有のものと思われるが、鑑定の過程で誤りが生じる可能性はある」のである。


ニューラルネットワークについて。
ニューラルネットを使って、迷彩された戦車を検出する実験が行われたことがある。
迷彩された戦車が隠れている写真と、戦車がいない写真とをニューラルネットに学習させ、パターンを見つけ出したところで実物で実験してみたが、さっぱり発見できない。
原因を調べたところ、戦車のいる写真は晴れの日に、いない写真は曇りの日に撮影されたものだったことが判明した。つまりニューラルネットが学習したのは戦車の有無ではなく、晴れと曇りの違いだったのである。


笑っちゃったのは、ハリウッド俳優のベーコン数分布が載ってたこと。ベーコン数というのは、ケヴィン・ベーコンに辿り着くまで何人の共演者を介しているかという数字。ケヴィン・ベーコンと共演した俳優はベーコン数1、本人と共演していなくとも、ベーコン数1の俳優と共演していればベーコン数は2となる。

http://garth.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-adea.html

ハリウッドの全俳優について調査した数字が下の表。左がベーコン数、右が俳優の人数である。

0 1
1 1,673
2 130,851
3 349,031
4 84,615
5 6,718
6 788
7 107
8 11


全俳優について、ケヴィン・ベーコンからの平均距離は2.94だった。つまり、任意の俳優2人の距離を多めに見積もると、平均で約6になる。

俗に、6人を介すると世界中の人間と知り合えるという。ここでもそれが裏付けられた!(か?)

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