本日かなりの長文。引用多め。
私が愛読しているある書評サイトで、高橋哲哉『戦後責任論』(講談社学術文庫、2005年)を絶賛していた。
そこで紹介される内容に非常に違和感を感じたので、私も読んでみた。政治的な問題はめんどくさくなるからこれまで言及せずにきたが、今回はちょっと書いてみる。ただ、具体的な事例の検証は私の手に余るので、あくまで著者が本書で主張している論理についてのみ述べることにする。
予めお断りしておくが、私は社会科学系の大学院に籍を置く身ではあるが、専攻は歴史研究で、法学や政治学の専門家ではない。また職業柄、右よりのバイアスがかかっていることは否定できない。本書についても、最初から批判的なスタンスで読んでいる。以下はそのつもりで読んで頂きたい。
まず最初の問題として、タイトルにもある「戦後責任」とは一体何か、が明確に定義されていない。「戦争責任」に比べると「戦後責任」とは耳慣れない言葉だ。その「戦争責任」ですら、立場によってかなり多義的な用語で、ちょっと考えただけでも、捕虜虐待や非戦闘員の殺害など「通例の戦争犯罪」の責任、開戦判断の是非に関する「開戦責任」、終戦時期の判断などに関する「終戦責任」、行政上の過失や怠慢などにより敗戦を招いた「敗戦責任」などがある*1。
著者の主張する「戦後責任」とは、誰が、何の責任を、誰に対して、どんな規範(法や規則)に基づいて負うのかが解らない。
本書からそれを説明した部分を探せば、
「戦争責任は、日本がアジア諸国を侵略し、植民地や占領地にし、さまざまな国際法違反や戦争犯罪、迫害行為を行ったことの責任ですから、これはそれ自体、ギルトに当たり(中略)単なる応答責任ではありえません」*2
と言っているので、
「戦争中に大日本帝国が犯した犯罪行為に対する賠償責任」
という意味なのであろう。以下はこの定義で考えていく。
そして著者によると、責任(responsibility)とは「応答可能性」であり、犯罪(crime)を前提とする罪責(guilt)としての責任とか、宗教的な罪を意味するsinとは違う*3。
そして、
「戦後生まれの日本人にとって戦後責任は、直接には罪責としての責任ではありません。日本の戦後責任は、日本の罪責としての戦争責任から出てくると申し上げましたが、しかし戦後生まれの日本人にとってそれは、直接には罪責としての責任ではない。戦後生まれの日本人自身が、大日本帝国の加害行為に罪を負っているわけではないからです。日本の戦争に「身に覚えのない」世代、戦争当事者とはいえない世代にとっての戦後責任は、基本的にはまさにこの応答可能性、レスポンシビリティとしての責任と考えられるのではないでしょうか」*4
と主張する。
国家と私それぞれの責任を考えると、その立場はまず国家がguiltyであるかないかに分けられ、国家がguiltyであれば、次の2つになる。
A 国家はguiltyである。よって私もguiltyである。
B 国家はguiltyである。しかし私はguiltyでない。
どちらが正しいかといえば、明白にBだ。責任とは、風が吹けば桶屋が儲かる式にいくらでも遡及が可能なものである。このような無限背進には実質的な意味がない*5。だから、法的責任は普通、その当事者と教唆した者、監督責任を有した者までしか適用されない。山本弘氏の主張などはこのBの立場だろう。
Bの立場はさらに2つに分かれる。
B−1 国家はguiltyである。私はguiltyでない。しかし、Xの理由で、現政府は責任を果たすべきである。
B−2 国家はguiltyである。私はguiltyでない。Yの理由で、現政府は責任を果たす必要はない。
著者の立場はB−1ということになる。
これに対する反論B−2の立証は容易である。全文引用になってしまうが、
「責任には、道徳的責任と法的責任とがある。相手国に対する戦争責任を日本に問うと言っても、日本にはもはや法的責任はない。なぜなら、国家としては相手国と講和条約を結び、個人レベルとしてもいわゆる戦犯の受刑はすでに終了しているからである。これ以上、いかなる根拠・法律によって裁判所を構成し、法的責任を追及することができるのか。
一方、道徳は良心の問題であるから、もし道徳的責任を感じる者は、相手国に対して、個人的に自主的に金銭提供も含めて自己が満足するまで具体的にその責任をとることである。ただし、それを自国の他者に同様にせよと要求し強制することはできない。
つまり、相手国は現在の日本国に対して、戦争責任を問うことはできないのである。
ところが、道徳的責任と法的責任とに共通する「責任」という語だけを使って、「日本は責任(道徳的)があるので責任(法的)をとれ」と、混乱しつつトリック的に主張する人が多い」*6。
以上。これで終わりにしてもいいくらいなのだが、もうすこし考えてみよう。
そもそも著者がなぜresponsibilityなどという概念を持ち出したのか邪推してみると、法的責任を問うことができず、道徳的責任は強制できないから、新しい責任観念を提示するしかなかったのではなかろうか。私には、これは一種の「事後法による断罪」のように思える。
一歩譲って著者が言うようにresponseしなければならないとしても、誰が何をしたら、responseしたことになるのだろう。国家間賠償が終了したとしても、個人の請求権を否定したわけではないという考え方はある。その場合、告発を受けた政府は、請求を門前払いすることもあるだろうが、とりあえず事実関係の調査を行う場合もあるだろう。「責任」を果たすことが「応答」することであるならば、それだって立派な「応答」である。そして調査の結果、政府に賠償責任が認められない、ということも理論的にはあり得る。しかし著者は、そんな可能性をまるで考慮していないようだ。
著者は、戦後責任に関して、日本人には「日本人としての責任」があると言う。
「「日本人」とは、「血の同一性」とかそういった非科学的なイデオロギーにもとづいて実体化されたものではありえません。また、日本語やいわゆる「日本文化」など、そういうものの共有によって定義可能だと考えられているような文化的な「日本人」でもありません。私が考えているのは、あくまで日本国家という法的に定義された「政治的」共同体に属する一員という意味での「日本人」です。具体的にいえば、国籍法によって日本国民の一員であり、日本国憲法によって日本国家の政治的主権者である人がここで私の考える「日本人」なのです」*7
「日本人は日本国家の主権者として、日本国家の政治的なあり方に責任を負っています。政府が他国の被害者に対して、また自国の被害者に対しても、当然果たすべき法的責任を果たそうとしないときには、それを果たさせる政治的な責任がある、というべきではないでしょうか。日本政府に法的責任を履行させる「日本人としての」政治的責任です」*8
先のB−1からさらに発展して、
B−1−a 国家はguiltyである。私はguiltyでない。しかし、Xの理由で、現政府は責任を果たすべきである。国民(私)は現政府に責任を果たさせる責任がある。
という主張である。
これらの指摘は間違ってはいないのだが、まず根本的な問題は「日本政府が当然果たすべき責任を果たしていない」という認識である。著者はこれを大前提としているが、先述したようにこれは自明のことではない。著者はまずこの前提を論証し、理由Xを明らかにするべきであろう。
次に、その国籍について、著者はすぐ後で
「たとえば戦後に日本に「帰化」した在日朝鮮人や中国人の人たちは、何世代も前からいわゆる「日本民族」に属している人たちと、現在の日本国家が負っている戦後責任に関して、あらゆる意味で同じ責任を負うことになるのでしょうか。私はそうは思いません。(中略)そもそも日本社会において、在日朝鮮人や外国人の日本への「帰化」を認める権限、つまり日本国民としての政治的権利をだれに認め、だれに認めないかの権限を握っているのは、圧倒的多数派であるこの「日本民族」系日本人なのですから、この人たちの責任は実質的にははるかに大きいといわざるをえないと思うのです。私はこのことを、とりあえず、「日本人」としての政治的責任を共有する人々の中での歴史的責任の相違と呼んでおこうと思います」*9
と言っている。
なるほど。しかし、日本国籍を取得した外国出身者は、なにも上記の人たちだけではない。例えば元横綱の曙はハワイ系日本人だし、ラモス瑠偉はブラジル系日本人である。彼らはどんな責任を負うのだろう。逆の場合もある。すなわち、戦時中に大日本帝国の国民であったが、戦後外国人になった場合だ。彼らは当事者であり、もしかしたら加害者であった可能性すらある。彼らは自動的に責任を免除されるのか(この指摘に対する著者の反論は容易に予想できるが)?
つまり、日本人とは日本国籍を有する者だと言いながら、著者の主張はすぐに腰砕けてしまい、同じ日本国籍を有する者の中にも差があるとしている。それでは著者の言う日本人とは、結局「血の同一性と文化的同一性を持つ日本民族」に過ぎないのではないか?こういうのをダブルスタンダードと言わないだろうか。
さらに、帰化制度に問題があるとしても、それは日本国民の総意−と言って悪ければ、少なくとも大多数が認めた日本政府によって、決定され運営されているものだ。帰化制度の問題点は、それこそ個別に論証すべきものである。
「私のいう「日本人としての責任」は、法的に日本国民の一人であることから生じる責任であるとはいえ、国家の法に服従する責任などではありません。自分の属する国家のあり方に政治的責任を負うことと、国家の法に服従することとは違います。前者には、国家の法や行為に問題がある場合、それを批判したり、拒否したり、改善すべく努力する責任が当然のこととして含まれます」*10
やや文脈から離れてしまうのを承知で一応突っ込んでおくと、法が正当な民主的手続きに則って制定されたものである限り、日本国民には日本国の法を遵守する義務がある。
民主国家において、国民は政府が国民の意に沿わない行為を行っていないか監視しコントロールする権利と義務を持つ。それと同時に、ある国の国籍を有する者は、憲法の掲げる国のあり方に共感し、その自由と独立が侵されるときは命がけで抵抗する覚悟をも要求される。国籍によって与えられる保護は、その覚悟と引き換えられるものである。著者にはその覚悟がおありだろうか。
最後に、戦後賠償に関する基本的な事実を述べておく。本書にはこうした事実は一切述べられていない。
日本は、1941年12月8日、アメリカ・イギリスに対して宣戦布告を行った。
そして1945年8月15日ポツダム宣言を受諾したときには、実に45カ国と戦争状態にあった*11。
私も今回ちゃんと調べるまで知らなかったのだが、その中にはニカラグアだのイラクだのリベリアだのが含まれる。かつて日本はボリヴィアと戦争したのだと言われても、普通はピンとくるまい。とりわけギリシャなぞは1945年6月20日に宣戦している。昭和20年6月と言ったら、沖縄が陥落して、日本の敗北は時間の問題となった時期だ。すべりこみで戦勝国の立場を得たわけである。
そして米軍の占領を経た1951年9月8日、日本はソ連、ポーランド、チェコを除く48カ国とサンフランシスコ講和条約を調印した*12。この条約を受けて、日本は29カ国と国家間賠償・個別補償の協定を結び、誠実に履行してきた。条約・取極の件数にして54件、無償供与と円借款も合わせ、支払い総額は1兆495億6240万円(当時の為替レートによる単純合算)にのぼる*13。中には「オーストリアとの請求権解決に関する取極(1966.11.29、601万2,000円)」なんてのもあって、素朴に日本がオーストリアに一体何をしたんだろうと思わないではない(まあ海外資産の接収か何かだろうが)。
フィリピンへの支払いを終えて戦後賠償を完了したのは、なんと1976年である*14。
一方、ドイツは国家間賠償を一切していない。冷戦下で東西に分裂してしまい連合国と講和条約を締結できなかったためであり、ドイツの戦後補償が個人賠償に終始しているのはこれが理由である*15。
また、当事者の責任追及にしても、
「1958年から95年までにそのような(ドイツの裁判所によるナチ犯罪の訴追)裁判において、ホロコーストへの関与の罪で有罪判決を受けた者は、全体でも500人に達していない。その他、本来訴追されてもいいはずの1万人以上の人には、何らお咎めもなかったのである」*16。
ところで、戦後賠償というと常に日独だけが問題になるが、三国同盟の一角でありファシズム発祥の地であるヘタ・・・・・・もといイタリアはどんな戦後処理をしたのだろう。昔から気になっていたのだが、いい機会なのでちょっと調べてみた。
日本語文献ではまとまった研究が乏しいが、
「(イタリアは)戦争賠償金の支払いについては、何とか問題を先送りすることに成功した。そのため、賠償金支払いについては、ほんの数年前まで繰り返し議論されてきた。イタリアが賠償を支払ったのは、ソ連に対してだけで、エチオピアやリビアなどには経済協力という形で解決した」*17
ということだそうだ。さすが、負けそうになったらさっさと寝返った、政治的に正しい国らしい身の処し方だ。それで戦後問題になったという話も聞かないし、むしろ日本が見習うべきはこちらではないか。
以下脚注
*1 鬼頭誠「Q&A・戦争責任とは何か」『中央公論』(2005年9月)80頁。
*2 高橋哲哉『戦後責任論』(講談社学術文庫、2005年)37頁。
*3 同上、30頁。
*4 同上、40頁。
*5 責任主体に関する議論は、以前も紹介した小坂井敏晶『責任という虚構』(東京大学出版会、2008年)に詳しい。
*6 加地伸行「道徳的責任と法的責任」「論客17人の主張−迷路の出口を探る」『中央公論』2005年9月号73頁。
*7 高橋『戦後責任論』、53頁。
*8 同上、55頁。
*9 同上、58-59頁。
*10 同上、60頁。
*11 鹿島平和研究所編・太田一郎監修『日本外交史24 大東亜戦争戦時外交』(鹿島平和研究所出版会、1971年)32頁。
*12 鹿島平和研究所編・西村熊雄『日本外交史27 サンフランシスコ講和条約』(鹿島平和研究所出版会、1971年)410-412頁。
*13 竹前栄治「今、日本人は何をなすべきか−戦後改革と戦後補償」色川大吉編『敗戦から何を学んだか−日本・ドイツ・イタリア−』(小学館、1995年)148-151頁の表から計算。大元の出典は朝日新聞戦後補償問題取材班編『戦後補償とは何か』(朝日新聞社、1994年)。
*14 永野信利『日本外交のすべて』(行政問題研究所、1986年)232頁。Yolanda Alfaro TSUDA「日比国交回復と戦後賠償協定(1956-1986)についての一考察」『論集』53号2巻(2006年12月)では、フィリピン上院が12年も条約を批准しなかったため支払いが遅れたとの記述があるが、『日本外交のすべて』では、最初から1956年から20年払いだったとしている。TSUDA「日比国交回復と戦後賠償協定」は以下で全文が読める(英語)。
http://nels.nii.ac.jp/els/110006426985.pdf?id=ART0008435393&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1260169707&cp=
*15 鬼頭「Q&A・戦争責任とは何か」、84頁。
*16 ヘルベルト・ヴォルム(Herbert Worm)「ドイツの戦争責任問題 地域史の視点から」色川『敗戦から何を学んだか』、84頁。
*17 ジュリオ・サペッリ(Giulio Sapelli)「1945年以後のイタリア 経済再建と憲法問題」色川『敗戦から何を学んだか』、197-198頁。
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