更新履歴と周辺雑記

更新履歴を兼ねて、日記付け。完結していない作品については、ここに書いていきます。

2009年4月22日(水)
再び「とらドラ!」

DVDで観返し中。
もう一度観て初めて気づくディテールの細やかさにはもうため息しか出てこないのだが、とりあえず11話「大橋高校文化祭(前編)」から。



竜児の針箱。蓋に、「6−3 高須」の名札が。
つまり、小学生の頃から大事に使い続けているわけ。



竜児の口をふさぐ大河の手。見づらいかもしれないが手首に注目。
竜児に強く握られていたため、アザが残っている。

2009年4月20日(月)
お遊び

「マクロスF」22話「ノーザン・クロス」を観返していたら、こんなカットを発見。



ミサイルの腹に描かれたモンスターランカ。初見では気づかなかったけれど、私の動体視力もまだ捨てたもんじゃない。
こういうのはマクロスシリーズのお家芸みたいなもので、例えば伝説の「愛は流れる」にはこんなカットがある。



ファランクスの胸にイラストが。
ただ爆撃機のノーズアートをはじめ、ミサイルや爆弾にイタズラ書きをするのは現実にも結構あることなので、これがお遊びなのか作中でもそういうものなのか、判別しがたい。

いささか年寄りの繰り言めくが、昔のアニメはおおらかというか、一見してアニメーターのお遊びと判る絵がよくあった。
「メガゾーン23」(笑)にもこんなのが。



これ、モニターが破壊されてブラックアウトする瞬間に1コマだけ映るのである。
私の記憶によると、ファーストガンダムでさえ、GMの集団の中にライディーンが紛れているという絵があったはずだ。
いつの頃からか、こういうお遊びを見かけなくなった。
おおっぴらにパロディができるようになったからかもしれないが、昨今の、キャラ表からの逸脱を許さない(あまり良い意味でない)生真面目さとも一脈通ずるような気がする。

2009年4月11日(土)
「ウォッチメン」

観てきた。本編については特に言うことはない。
まあ好き嫌いで言えば、私は「ダークナイト」の方が好きだ。

監督のザック・スナイダーは「300」なんて恥知らずな映画を撮ってるから不安だったのだが、雇われ監督として職人仕事に徹している限りは悪くない。
以下雑感をいくつか。

・作中に登場する「Who watches the WATCHMEN」というフレーズ。政軍関係論で使う言葉なのだが、私の業界には「Who guards the Guardians」という言葉がある。「Guardians」つまり軍隊は、社会を守るために存在する。しかしその力が社会そのものに向けられたときどうするか?平たく言えば、いかにクーデターを防ぐか?という意味だ。冒頭の言葉はこれがモトネタなのではないか、と思ったのだが、アマゾンで軽く調べてみたら、このタイトルの著書はみんな「ウォッチメン」より後の出版だ。
大学の先生方は「ウォッチメン」を読んでいたのか?

'09.4.12追記 → これでした。ハンパな知識で物言うモンじゃないね。

・ナイトオウルがふくろう型飛行機「アーチー」に燃料補給をするシーンがあるのだが、このとき使う燃料ホースは、実際にジェット燃料の補給に使うものである。世界中どこの空港に下りても給油できるように、アダプターの規格が統一してあるのだ。こういう細かさがリアルを生む。ついでながらあのホースはすごく重くて、燃料車から機体まで引きずっていくのは2〜3人の人手が必要。一発で結合するには慣れが必要です。

・パンフ読んでて、作品そのものより面白かったのが、脚本のデイヴィッド・ヘイターの経歴。
『「X−メン」「X−MEN2」「スコーピオン・キング」などの脚本を共同執筆』まではまあいいとして、『一方、声優としても活躍し、「メタルギア・ソリッド」の主人公ソリッド・スネークの英語吹き替えが有名。ほかに、「カリオストロの城」のルパン、「機動戦士ガンダム0080」のバーニィ役など』
・・・・・・まああちらの声優さんは層が薄いって言うし、山寺宏一みたいな芸達者なのかも知らんけど。しかし山田康雄と辻谷耕史ですよ?普通ありえないだろう。大雑把にも程がある。
で、とどめがこれ。
『俳優としては、「ガイバー/ダークヒーロー」(94/監督:スティーブ・ワン)の主演をつとめた』
ああっ、あの坊やか!

と思ったら、まだ甘かった。英語版のウィキがすごいことに。ちなみに、いまはこんなお顔


なお、「ウォッチメン」を観た次の日に「ダウト」を観た。偶然だが、これも「正義を実現するために悪を為すことの是非」を問う映画だった。メリル・ストリープとフィリップ・シーモア・ホフマンの演技合戦が見どころだが、個人的には性的虐待を受けた少年の母親を演じたヴィオラ・デイヴィスの演技が圧巻。

2009年4月6日(月)
アクターズ・スタジオ・インタビュー ジョン・キューザック

以前にも何度か紹介したこの番組。
先日はジョン・キューザックが登場した。
その中で、会場から「演技していて壁に当たったことがないか、どう克服するのか」と質問されたキューザックの答え。

壁に当たることは役者なら必ずある。楽に演じられたら演技の意味はないとした上で、キューザックはこんなことを言っている。

「ユングの唱えた『影(シャドウ)』という概念が役に立つ。
役の興味深い部分、例えば情熱や性や怒りなどは自分の中にあっても隠したり否定したくなる部分だ。演技とはそういう自分の影を具現化し人前にさらすことだ。
自分の影をさらけ出す場所、それが演技だと心得ろ。
役者は自ら傷つく仕事だ。
普通の人は心の闇の部分に触れないようにする。役者は逆だ。
意識下の自分を解放することで、頭でなく心で演じられる。
自分がもっとも否定したい部分こそが、いい演技を生むのだ」

因果な商売、という言葉がもっともぴったりくる。
観客の側も、生半可な覚悟で見てはならないのでありましょう。

2009年4月5日(日)
「とらドラ!」完結

前にも書いたが、この作品て何がそんなに良いのかどうにも言葉にしにくい。
とにかく素晴らしいとしか言いようがないのだ。

あえて言うならば、普通の人間の心情を丁寧に追っていくだけで良質なドラマができる。ドラマ作りに「奇跡」だの「世界の危機」だのは必要ない、ということだろうか。そんな簡単なことを、またその簡単なことを実現するのがいかに難しいかを、再確認させてくれた。

感動の最終回から、1箇所気に入ったシーン。



座布団を外して座っているやっちゃん

10数年ぶりに実家の門をくぐって両親と再会した気まずさと後ろめたさを、たったこのワンカットで表現しきっている。お見事。

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