更新履歴と周辺雑記

更新履歴を兼ねて、日記付け。完結していない作品については、ここに書いていきます。

2008年3月24日(月)
BSアニメ夜話「伝説巨神イデオン」

湖川友謙氏の談話が抜群に面白かった。以下、「 」内は大意。

−女性キャラを描くコツは?
「何でもかんでも柔らかく描くと、女性でなく男性になってしまう。例えば男性の手はごついが、線そのものは柔らかい。女性の手は、特に指の上面の、骨の側をシャープに描いてやると、女性らしく見える」
これを聞いて連想したのが、「少女セクト」の玄鉄絢の絵。百合マンガを描いてるだけあって女性の絵はとてつもなく巧いのだが、手だけが何だかごつく見えて、不思議に思っていたのだ。つまりそういうことだったのかも。

−アオリという技法を開発した理由は?
「アニメの絵はつまりマンガだから、振り返らなければ演技ができない。人間の首は、斜めに出た脊髄の上に乗っているから、雛人形のように真横には回らず、必ずアオって回転する。だから、アオリが描けなければそもそも芝居がさせられない」
この話、読み返したらアニメスタイルのインタビューにも出ていた。
http://www.style.fm/as/01_talk/kogawa01.shtml

−「イデ」と何か、監督に尋ねたことは?
「訊いたことはない。訊いたら外されてるよ。今まで、何をやってきたのかということ。(中略)確固たる言葉では語れないものだから、流れの中で感じてくれということだと思う」

これぞプロの心意気。


・ところで「実写監督の作ったアニメ」の件だが、河崎「いかレスラー」実を忘れていた。しかしこの人、もともとジャンルの交差点みたいなポジションで活動しているから実写監督と言えるかどうか微妙だな。一応参考に

・引っ越しまでカウントダウン。ネットの接続工事に2週間くらいかかるので、当分お休みします。

2008年3月18日(火)
「ケイブマン」

標題は、ハリウッドの説教番長ことサミュエル・L・ジャクソンが製作総指揮まで務めた主演映画。
スカパー!で放映したので観てみた。

yahooの映画紹介より。
「ジュリアード音楽院で天才ピアニストとしての名声を欲しいままにしてきたロミュラス。愛娘ルルの父として幸せな家庭を築いていた彼だったが、なぜか妄想にとりつかれてしまい、家族とも社会とも関係を絶ち、ひとりマンハッタンの外れの洞穴で暮らすようになる。そんなある日、彼は木の上に男の凍死死体を見る。やがて、ロミュラスは刑事である娘の反対を押し切り、捜査が打ち切られた殺人事件の犯人探しを始める。ロミュラスは、身の危険にさらされながらも、彼にしか見えない不思議な力に導かれるように、犯人の謎を追い求めていく……。 」

これを読んだだけでもどうしようもないダメダメ感が横溢しているが、いや、こんなしょうもない映画も久しぶりに観た。ジャクソンのデンパ演技のありがちぶりは、もはやギャグの域。

なんでこんなもん観る気になったかというと、愛用の手帳の「まだ観てない映画リスト」に載ってたから。いずれどこかのブログの感想を読んだのだと思うが、今となっては、一体どこに惹かれたのかさっぱり判らない。

時々、劇場で見逃した映画をWOWOW放送時に観る。
しかしこれが、観て良かったと思うことが滅多にないのだ。
「パビリオン山椒魚」とか「ディパーテッド」とか「レイヤーケーキ」とか「白バラの祈り」とか「マイアミ・バイス」とか。(もちろん例外もある。「ブラックブック」とか「マッチポイント」とか。)
特に「ディパーテッド」は15分でやめた。考えてみたら私、「タクシードライバー」以来スコセッシの映画を面白いと思ったこと1度もないんだった。

以前、どんなつまらない映画でも劇場で観るとそれなりに印象に残ると書いたことがあるが、おそらく金を払って観るかどうかというシビアな判断は、非常に正しいのである。

教訓。何が何でも観たいという映画以外は、観るな。

2008年3月12日(水)
「CLANNAD」18話から

たまには流行りモノから。と言ってももう1ヶ月も前ですが。

ここしばらくの「CLANNAD」の、杏の芝居が素晴らしすぎるので、繰り返し観ているのだが、18話の号泣シーンの、妙なカット割りが気になった。

まず、朋也と渚を見送る椋と、それさえできない杏。そして、椋が杏に声をかける。


次は杏の視点で椋のアップ。


カメラが切り返して、椋視点の杏のアップ。


ここまではセオリー通り。問題はこの次である。


上のように、ちょっとだけカメラが引くのだ。センターがずれていることで判るとおり、トラックバックではなくわざわざカットを割っている。むしろジャンプカットに近く、初見の時から強烈な違和感があった。
この後、杏は泣き崩れてしまう。


全くの想像だが、この不自然なカットつなぎの意図は、2つあると思われる。

一般的に言って、カメラは寄れば寄るほど登場人物の心情に寄り添い、逆に引けば引くほど風景に埋没してクールな印象になる。

この半端なカメラのひき方は、「ヒロインになりきれない」杏の「物語からの距離感・疎外感」を絶妙に表現している。
もう1つは、椋を同じ画面におさめること。杏の想いは、常に椋への配慮があった。その当然の帰結が、この涙である。

絵コンテ・演出 高雄統子。今後、要注目。 



ついでだが、衝撃的なシーンほどカメラを引いてしまうのは、黒沢清監督の得意技である。
「カリスマ」('99)より。
人質を射殺する立てこもり犯。


ハンマーで撲殺される男。

2008年3月10日(月)
「江分利満氏の優雅な生活」

標題は、岡本喜八監督の’63年作品。
平凡なサラリーマンが、ふとしたことから書いた小説が大ヒットして・・・というコメディ映画だが、中盤にアニメパートがある。
デザイン・柳原良平、動画・亀井武彦。



メタモルフォーゼする文字や記号。



文字通りのアニメパート。



夫婦の会話をする靴と草履。モデルアニメかと思ったが、これはただの光学合成かもしれない。

絵柄で解るが、柳原良平はサントリーのCMで有名なイラストレーター。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%B3%E5%8E%9F%E8%89%AF%E5%B9%B3

亀井武彦はこういう方。
http://www.sukiwa.net/artworks/news/2004/102205/index.html


別段、後のガッチャマンと関係あるわけではないのだが、岡本監督はこの頃から実験的な表現に抵抗のない作家だったとは言えるかもしれない。


実写監督が手がけたアニメ作品
とりあえずまとめた。

2008年3月4日(火)
近況その他

・先日来ちょっと気をつけている「実写監督が手がけたアニメ」だが、こんなのが。シンクロニシティって奴か。

http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_d485.html#more

竹熊健太郎氏がブログで紹介していた、
三池崇史監督「平和への誓約(うけい)」。
東京では、靖国神社でしか手に入らない」という代物。マジか。
どうでもいいが、「うけい」を「右傾」と変換してしまい、妙に納得。

試しにググってみたら、豪日交流基金・オーストラリア図書館にも収蔵されていた。
http://www.ajf.australia.or.jp/arc/services/newbooks/

・引っ越し準備中。横須賀に新居を確保しました。例によって条件は、80インチスクリーンが入ること。

・mixiではカミングアウトしていたけど、思うところあって先月から「Fate/stay night」をプレイ中。
ゲームには手を出さない主義を通してきたが、コミケに3回も顔出していながら本編を知らずに二次創作に走るのは、人倫にもとるのではないかと・・・。
とりあえず3大ルートを制覇して、未読テキストを落ち穂拾い中。
終わった直後の虚脱感を、初めて「劇エヴァ」を観た時に似ていると感じたのだが、ネット内の評判など見ていたら、理由があることのように思えてきた。まとまったら、そのうち書くかも。

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