更新履歴と周辺雑記

更新履歴を兼ねて、日記付け。完結していない作品については、ここに書いていきます。

2020年7月5日(日)
2度目で気づいたこと
最近BDで観直して気づいたこと。
その1
『天気の子』で、陽菜が天から地上に帰ってきたとき、チョーカーが外れている



このチョーカーは母の形見であり、



ずっと肌身離さず身に着けていたものだが、それはいわば陽菜を縛る枷でもあった。だから、旧世代から受け継いだ責任なんか負わなくてもいいんだ、という結論に至ると外れているのである。
確認したら、絵コンテの段階でそうなっていた。



相変わらず新海監督は理詰めの人だ。


その2
『空の青さを知る人よ』のラスト近く。
あかねを無事救い出した後、しんのと慎之介の3人で車で帰るといい、と言うあおいに対して、しんのが「ありがとな。目玉スター」と声をかける。

それに対してあおいが顔を上げると、肝心の眼のほくろが画面から切れてしまうのである。

 

あおいにとって、このほくろはベースを弾き続ける理由、しんのを慕い続ける理由、大げさに言えば彼女の拠って立つ土台、生きるよすがだった。



だが曲折を経てあかねと慎之介の思いを知り、少しだけ-あまりこの言葉使いたくないが-成長したあおいは、もうほくろに頼らなくてもやっていける。
それがこのカットの意味するものである。

なお、あかねはしばしば何かに周囲を取り囲まれた構図で描かれる。下図は車のドアだが、ご丁寧なことに、このドアはあおいが開けっ放しにしたものである。



音楽堂の裏手で慎之介と語るシーンもまたがんじがらめという感じなのだが、



よく見ると後方にドアがあることに気づく。



気の持ちよう、視点の置き方によって道は開けるという暗示であろう。

こうしてみると、昨年公開されたこの2本はいずれも、若者は己を縛る地縁血縁とどう向き合うか、という話だったとまとめられそうだ。それぞれが出した答えの差異に思いを巡らすのも一興だろう。

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