『コードギアス』ラストシーンの画面構成(だけ)から見た解釈


ことの発端は、『ストレンヂア』のラストの解釈をめぐって、だった。死闘を終えた名無しは、果たして死んだのか?

この件についてさる筋からご教示頂いたのが、「あのラストでは、走り去る馬を見送った後、カメラが天を向いている。これは昇天を意味する」という解釈。
なるほど、と思ったのだが問題はその次で、「逆に『コードギアス』では、カメラ(というかC.C.の視線)が地上を向いている」という指摘があったのだ。

そうだったっけ?

というわけで、改めて観返してみた。


1 昇天するカメラ

まず確認するが、「カメラが天を向く」というのは、例えば『カウボーイビバップ』のラストシーンが典型である。

  

倒れたスパイクを俯瞰で捉え、カメラが引き始める。画面を鳥が横切る。

 

鳥を追って、カメラが上にPAN。ヤマトタケルの昔から、鳥は死者の魂の象徴である。

 

カメラは上へ上へと登り続け、雲を越えてやがて宇宙へ達してようやく止まる。そして消えていく星の瞬き。
言うまでもないが、これが「ジュピター・ジャズ」のブルのセリフ「流れる星は戦士の魂」に対応している。シリーズの転換点にあのエピソードが置かれたのは、偶然ではない。


では『コードギアス』ではどうなっていたか。

  

ゼロに刺され、倒れるルルーシュ。



カメラが俯瞰に変わり、引いていく。



エピローグを挟んで、田舎道をやってくる馬車。



画面を右から左へ移動する。



御者を画面左になめて、カメラは上へ。



荷台のわらをなめて・・・・・・



ここまで上昇(@)。



カメラが俯瞰に切り替わり、荷台のC.C.(A)。



セリフ「ギアスという名の王の力は、人を孤独にする。少しだけ違っていたか。なあ、ルルーシュ」。



呼びかけに合わせて、少しだけあごをしゃくる(B)。これが問題。

これ、天(=死者)に向けて呼びかけてるんじゃないの?と思っていたのだが、ここで効いてくるのが@の図である。



カット尻で、折り鶴が映っているという点だ。そこでAの図に切り替わると、



カメラが右下へ移動しているので、馬車は左上へ移動していると察しは付くのだが、あらかじめ鶴を映していることで、左上に御者がいる、ということが万が一にも誤解されないよう念を押しているのである。



だから、BにおけるC.C.のこの動作は御者に向けたものだ、ということになるのだ。


私は、本放送で観たときにはこれにまったく気がつかなかった。負け惜しみめくが、映画のラストシーンで、主人公が死んだからといって必ずしもいつもカメラが天に向かうわけではない。そこで、いくつかラストシーンのパターンを集めてみた。私のコレクションから選んだので、趣味が偏っているのはご容赦願いたい。

まず最初は、『カウボーイビバップ』のパターン。

2 昇天型

『グラディエーター』より。



主人公が死に瀕したとき幻視した扉。



1度目は開けずに引き返すが、ラストではその扉を開ける。



扉の向こうは懐かしい我が家で、死んだ妻子と再会する。





さらにコロセウムを俯瞰で捉え、そこから上へPANして夕焼け空でフェードアウト。さすがオスカー受賞作というか、絶対に誤解しないわかりやすさだ。

ポール・ニューマンの代表作『暴力脱獄』。ニューマン演ずるクール・ハンド・ルークの思い出話に興じる囚人たちの作業風景から、







カメラが空撮で十字路を捉え、





そこでルークの写真がオーバーラップしてジ・エンド。


3 ブツ切り型

カメラが天に向かわない場合もある。



『ヒート』のラストシーン。これですぐ暗転。本当はもっと暗い画面だが、見えないので補正している。



スティーブン・キング原作映画の最高傑作とも謳われる『デッドゾーン』。これもすぐに暗転する。


4 海を見る型

少し独特なのが、例えば『ロード・トゥ・パーディション』である。



復讐行の果てに、ようやく安息の場所にたどり着いたかに見えた父子。



しかし、待ち伏せていた殺し屋に撃たれる(ガラスに、窓の外の息子の姿が映っているのに注意!)。



このまるで現実感のない真っ白な部屋は、すでにあの世である。



ラストカットは、水平線を見つめる主人公の背。正確には五大湖だが。


これとよく似たパターンが、北野武『ソナチネ』。



主人公は車の中で、海を見ながら自身の命を絶つ。
この映画は沖縄が舞台であり、それ自体が異界という扱いだ。その沖縄にはニライカナイ信仰があり、海の果てに死者の国があるという信仰は世界的に共通する。


5 再臨型

これらとまったく違うのが、テリー・ギリアム『12モンキーズ』。



空港の駐車場を俯瞰で捉えるが、どんどん地上にズームして少年と両親に寄っていく。





ラストカットは少年の目元のアップに、ジェット機の爆音が重なる。
これ以上は書かないが、今回観返してみて初めてこのカット割りの意味が解った。




5 で、結局どうなの?

御者の正体は誰かって?

どうでもいいよそんなこと。

私の考えは、『コードギアス』完結直後に書いたこれから変わっていない。ルルーシュは、ゼロと入れ替わった時点で物語上の役割を終えている(ゼロ=空虚とはよく言ったもので、中身は誰でもかまわない)。と言うよりも、だからこそ物語は完結を迎えたわけで、ルルーシュの生物としての生死はどうでもいいことである。私としては死んでた方がすっきりすると思うが。