フィルポッツ問答 (抄)
(『テンプラー家の惨劇』 解説)

真田啓介


「あなたはフィルポッツもお好きなようだから、ひとつお話をうかがわせてください」

「まあ、好きとはいっても僕など漫然と読んでいるだけだから、参考になる話ができるかどうか」

「フィルポッツに関しては、江戸川乱歩の有名な 『赤毛のレドメイン家』 讃ほかの紹介批評、それと新しいところで石上三登志氏の 「誰が 「駒鳥」 を忘れたか?」 (「創元推理21」 2002年夏号掲載) くらいを読めばまず十分ですから、あなたには適当に何かしゃべってもらえばいいんですよ」

「……そうかね」

「ご自分の立場はわきまえていただきませんと」

§フィルポッツ盛衰史

「ところで、初めに一つ聞いておきたいんだが、ハリントン・ヘクストがイーデン・フィルポッツの別名義であるということは、君は前から知ってたかな」

「私だってミステリ・ファンのはしくれです。そのくらい常識じゃないですか」

「いや、失敬。たしかに昔は常識といってもよかったんだが、最近はどうなのかなと思って。若い人たちの間ではフィルポッツの作品自体あまり読まれていないような気がするので、ヘクストの名前も以前ほどの通用力を持っていないんじゃないかと思ったんだ」

「『赤毛のレドメイン家』 や 『闇からの声』 は立派な現役で、それなりに読まれていると思いますよ。ただ、他の本は手に入りにくいんで、それ以上に進んで読んでいる人は少ないでしょうけどね。ヘクスト名義の 『怪物』 や『誰が駒鳥を殺したか?』 あたりまで読んでいれば、けっこうマニアの部類でしょう」

「思うに、このフィルポッツほど我が国の翻訳ミステリの世界で評価に変動のあった作家も珍しいのじゃなかろうか。最近のフィルポッツの読まれ方というのはよく分からないけれども、非常な人気を博しているなんてことはもちろんないはずだし、あまり高く評価されているとも思えないんだが」

「近年の人気投票の結果を見てみますと、1991年の 「ミステリマガジン」 の読者アンケートで 『赤毛のレドメイン家』 がオールタイム・ベストの44位、99年の 「EQ」 のアンケートでは37位、というところです。こうしたリストに名前すら出てこない黄金時代の実力派作家たちに比べれば、そう評価が低いともいえないように思いますけど」

「その限りではそうだろう。ただ、かつての栄光というものを考えるとね。何しろ江戸川乱歩が選んだ黄金時代ベストテンの第1位に据えられていたのが 『赤毛のレドメイン家』 だったわけだからね。黄金時代のベストワンといったら、全時代を通じて最高の探偵小説と評価されたに等しい。ヴァン・ダイン選の英国九傑作中に 『赤毛』 と 『誰が駒鳥を殺したか?』 の二作が入っていたというのも大きかったと思う。ある時期までは、『赤毛』 と、場合によっては 『闇からの声』 あたりもベストテンの定番だったんだ」

「その圧倒的な評価が低下してきたのはどんな理由からでしょう」

「うん、いろんな要素があると思うんだが、一番大きいのは、江戸川乱歩の影響力が弱まってきたことかな。戦後の翻訳ミステリ・シーンにおける乱歩の影響力たるや絶大なものがあって、そこには乱歩の好みが色濃く反映されていた。カーが一時にわっと訳されたのはもちろん乱歩があんなにも入れあげていたせいだし、逆に彼が興味を示さなかった作家――バークリーやセイヤーズといったあたりにはなかなか手がつけられなかった。僕の大好きなノックスなんかも冷遇された組だな。その乱歩の最大のお気に入りだったわけだから、フィルポッツが良いポジションを占められたのも不思議はない。しかし、昭和40年の乱歩の死後、徐々にその影響力が弱まるにつれて、作品評価も揺らいできたのだろう」

「かつてのフィルポッツの高評価は乱歩の七光りだったというわけですか」

「そこまで言っては身もフタもないが、そういう面もあったことは否定できないと思う。一方ではミステリそのものが多様化して特定のジャンルや作品が突出した評価を受けることがなくなってきたし、時代が変わり、読者も世代交代してフィルポッツの悠々たる作品世界が受け入れられにくくなったというような事情もあって、現在のような状況になっているのじゃないかな」

「海外での評価はどうなんでしょう」

「ヴァン・ダインの推奨というのはあったけれど、それは例外的で、概してあまり評価はされてこなかったのじゃないだろうか。そのヴァン・ダインにしても、かつての権威を失っているしね。海外との評価の差という意味でもフィルポッツは珍しい作家だね。一般的には無視されているに近いかっこうだから、ボルヘスが世界文学百選のうちに 『赤毛のレドメイン家』 を採っていたりするのを見ると、ちょっとびっくりさせられるところがある」

「森英俊さんの事典で紹介されてますけど、ジュリアン・シモンズは 「1920年代当時のもっともばかばかしい産物」 と酷評しているらしいですね。フィルポッツの歴史的意義は、デビュー前のアガサ・クリスティを励ましたことに尽きるとまで言っている人もいるとか」

「それはスタインブラナー&ペンズラーの 『ミステリ百科事典』 の記事のことかな。評者はそれで何か気の利いたことを言ったつもりなのかもしれないが、それは単に自らのミステリ観の浅薄さを露呈しているにすぎないと思うがね。フィルポッツのミステリはパズル的要素よりは人物、背景の描写や雰囲気の作り方が読みどころで、ある意味、その後のミステリの発展方向を先取りしていた面もある。シモンズの犯罪小説論の立場からしても注目してよい作家だったはずなのに、これをバッサリ切り捨てているのは解せないな」

「フィルポッツが嫌いな人は、本筋に関係のない議論なんかが延々と続いて、冗長で退屈だというようなことを言いますね。リーダビリティがないというか」

「フィルポッツの文体はヴィクトリア朝小説のテンポを引きずっているから、それをまだるっこしいと感じる人もいるかもしれない。文体が合わない小説というのは、いくら面白いことが書かれていたって読む気になれないからな。でも僕などからすれば、そのおっとりした味わいがまた魅力なんだがね。思想や社会問題の議論にも、それ自体興味があるし」

「万人向きではありませんね」

「それはそうさ。でも、万人向きの小説なんてどこに魅力があるんだい」

§世界大戦の衝撃とクリスティの刺激

「それではだんだん解説らしくしてまいりましょう。まずは作者について、ということになりますが、その辺は私の方で事典類を調べておきました。要点を整理してみると次のようなことになります。

○イギリスの小説家・詩人・劇作家

○1962年、インドで軍人の父のもとに生まれ、イギリスのプリマスで教育を受ける。初め舞台俳優を志したが断念し、保険会社の事務員として勤務しながら創作を始める。雑誌の編集部員を経て、30代前半から文筆専業に。その後、最晩年に至るまで筆を執り続け、英国文壇の老大家として1960年に98歳の高齢で亡くなった。

○ダートムア・ノヴェルズと称される、デヴォンシャーのダートムア地方を舞台にした田園小説が有名だが、他にも古代や中世に材を採った歴史小説や、戯曲、詩など多方面にわたる業績を残し、著作の数は250にも及ぶ。……

 そのうち50冊以上もの作品がミステリなんですね。ところで、乱歩の時代には 『灰色の部屋』 (1921) がフィルポッツのミステリ処女作と信じられていたようですが、これはどういうわけなんでしょう」

「当時は今のように書誌情報も完備してなくて、集めた本に付いている目録なんかを手がかりに研究していたようだから、そういう間違いもあったんだね。ヘイクラフトの 『娯楽としての殺人』 でも同じ誤りを犯しているから、それを踏襲してしまったんだろうか」

「いずれ、還暦を迎える老大家が突如ミステリに筆を染めたというわけではなかったんですね」

「20代半ばで出した初めての著書、『特急フライングスコッツマン号』 (1888) にしてからがミステリだったわけだからね。この中篇は、加瀬義雄さんが発行している雑誌 「ROM」 にむかし載った翻訳で読んだのだけれど、とても面白かった記憶がある。探偵小説的にどうこういうものではないんだが、ヴィクトリア朝英国のロマンの一翼を担った鉄道を題材にした物語でね、古風な味わいがとても良かった」

「著作リストを見るとたしかに、1920年以前にすでに短篇集を含めて十数冊のミステリを書いているようなんですが、量産が始まるのはやはり20年代に入ってからですね。黄金時代の開幕と符節を合わせているようです」

「他の作家の場合にもそれはあるのかもしれないが、第一次世界大戦の影響というのが大きかったのじゃないかな。その作風を考えてみると、フィルポッツの場合、特にね」

「それはどういうことですか」

「これは東都書房版の全集のフィルポッツの巻の解説で荒正人氏が指摘していたことなんだが、第一次大戦の結果、従来の価値体系、善悪の基準といったものが動揺し、崩壊した。その価値の真空状態を支配したのがニヒリズムの気分だったろう。そういう混沌の中から、罪の意識の脱落した、新しいタイプの犯罪者が出現してくる。フィルポッツはそういう犯罪者の性格や心理、思想に大きな関心を寄せていたらしく思われる。その関心が、彼を探偵小説に向かわせた最も大きな力だったんじゃないだろうか」

「なるほど。大戦とミステリの関係については別の考え方をしている人もいるようですが、フィルポッツに関しては、その荒氏の説が当たっていそうですね」

「それからもう一つ、20年代に入ってから探偵小説への意欲が高まった理由としては、アガサ・クリスティの活躍というのがあると思う」

「クリスティには、その習作時代にフィルポッツが親切なアドヴァイスをしたんでしたね。『エンド・ハウスの怪事件』 (1932) は、「その昔、友情とはげましとを与えてくれた」 フィルポッツに捧げられています」

「クリスティの自伝にフィルポッツからの手紙が引用されているが、本当に、思いやりと的確な助言に満ちた良い手紙だね。内気な少女だったクリスティはどんなにか勇気づけられたことだろうと思う。この時期に気がくじけてしまい、もし後の 「ミステリの女王」 がデビューを果たしていなかったらと思うと、ミステリ界が失うことになったものの大きさに慄然とさせられるね。ミステリに対するフィルポッツの貢献たるや、この一事だけでも絶大なものがある。そんな経緯をたどって卵から孵ったヒナが大活躍を始めたのだから、先生の方も大いに刺激を受けたことだろう。作風はまったく違うけれど、この老大家と新進女流小説家は相互に影響し合った部分があると思う」

§人間性格の研究家

「ほかに何か作者について語るべきことはありますか」

「データ的なことでは特に材料も持ち合わせていないが、作品から読み取れる作者像といったものを付け加えておこうか。若干推測も混じるが――まず、この作者が広く深い教養の持ち主であることは間違いない。非常な多読家で、古今東西の哲学、歴史、文学の書を読み漁っている。さまざまな思想や考え方に理解があるが、自らは基本的に保守の立場にあると思われる。国の内外を問わず旅行の経験も豊富で、いろいろな土地の自然と人間、文物に接しているだろう。外国では特にイタリアに惹かれ、それから水辺が好きだったようだ。あと、僕が大きな誤りを犯しているのでなければ、この作者は痛風かリューマチに悩まされていたはずだ」

「……何です、そりゃ。シャーロック・ホームズの真似ですか。まあ、作品を読めば自ずから作者の教養とか見聞の広さというのはうかがわれますけどね。思想的に保守だというのはどうですかねえ。その反対の印象を与えられる作品もありますけど。水辺っていうのは、たぶん、海岸や湖がよく舞台にとられているからでしょうが、逆に、水辺が嫌いだったから惨劇の舞台に選んだとも考えられるんじゃありませんか」

「作者が青少年期を過ごしたプリマスというのは港町なのでね、水には親しい気持を持っていたのじゃないかと思うんだ」

「根拠薄弱ですな。通風かリューマチっていうのは……」

「作中によくそれにかかっている人物が出てくるものだからね、きっと作者も同じ病気に悩まされているに違いないと思ったんだ。何しろ 『ラベンダー・ドラゴン』 の主人公のドラゴンも痛風にやられていたくらいだからね。……実は、この推測は裏づけが取れていて、クリスティの自伝の中にちゃんと作者が痛風にかかっていたことが書いてあるんだ」

「証拠を隠されては困りますな。ところで、いま話に出た 『ラベンダー・ドラゴン』 というのは、フィルポッツのミステリ以外の作品としては唯一邦訳があるものですね。早川のファンタジイ文庫に入っている作品ですが、どんな話なんですか」

「ファンタジイというよりは、ユートピア小説であり、教訓物語なんだがね。舞台は中世の暗黒時代、諸国遍歴の旅を続けていた騎士が、ある村でラベンダー・ドラゴンに遭遇する。村人の期待を背にして騎士はドラゴン退治に挑むんだが、相手は勝負を避けて、騎士を山の中の隠れ里に連れ去る。そこはドラゴンが築いた理想郷で、住人は彼を崇拝している。このドラゴンは教養高く、善意に満ち、利他主義の理想を信奉しているんだ。……実は、この作品は1923年、『テンプラー家の惨劇』 と同年に発表されているんだが、この両作品の間には、ある重要な共通点があってね」

「そういうことなら、あとで 『テンプラー家』 の話をするときまで取っておきましょう」

「さっき作者が保守思想の持ち主だという話をしたとき、君が反対の印象を与えられる作品もあると言ったのは 『テンプラー家』 あたりのことじゃないかと思うが、それについては僕はやや違う見方をしている。ただ、本当のところ作者の思想的立場がどんなものだったかは、作品を読んだだけでは分からないというほかない。というのも、作者がクリスティに与えた助言の中にこういうのがあるんだ―― 「直接のお説教はいっさい避けること」 ってね。してみれば、作者は自分自身の意見や立場が作品の表面に現れることは注意深く避けていたはずで、特定の人物が作者の思想を代弁しているというようなことは簡単には言えないことになる。それでもあえて保守派だと言ったのは、自動車の普及やら開発に伴う自然破壊に対して何人かの作中人物が示す嫌悪感や、物質的進歩が道徳的退廃をもたらして現代の社会に害毒を流しているといった慨嘆が僕には妙に目について、これは作者の本音に違いないと思ったからなんだ」

「あなたがテキストからご自分を読み取ったということかもしれませんがね」

「そうかもしれない。僕が保守派であることは認めるよ。クラシック・ミステリが好きなのも、たぶんそのせいだろうし」

「それじゃあ、この辺で作品の方に目を向けていくことにしましょうか」

「その前に、作者についてもう一つだけ。作品の分析にもつながるかと思って最後まで取っておいたんだが、それは、この作者は人間性格の研究家であったに違いないということだ。まあ小説家たるものそうでなければつとまらないとも言えるんだが、探偵小説という特殊なジャンルの作者を見渡した場合、それが前面に出てくる作家というのは必ずしも多くはないだろう。フィルポッツの場合は、もともと普通文学の作家なだけあって、それを第一に挙げてもいいくらいに特徴として際立っている。どの作品を取り上げてもいいが、そこには必ず 「人間性の探求者」 とか 「性格の研究者」 とか形容される人物が出てくる。多くは探偵役だけれど、逆に犯罪者の場合もある。彼らはそろって自分には人の性格や心理を見抜く能力があると自負しているんだが、これは作者自身の自負であったと見て間違いないと思うね。作者は人間性、特に犯罪者の特異な性格や心理を強い興味をもって研究していたはずだ。その研究記録こそが、フィルポッツのミステリの本質じゃないかと思うんだ」

「そこで先ほどの世界大戦の影響とリンクするわけですね」

「そう。大戦後の社会と精神風土の混沌を観察する目が、人間研究家としてのそれであったのだね」

(このあと 『灰色の部屋』 から 『狼男卿の秘密』、短篇作品まで、フィルポッツ/ヘクストの代表作を発表順に取り上げたあと、いよいよ 「『赤毛』や 『僧正』 と同列、あるいはそれ以上にランクされてしかるべき傑作」 という 『テンプラー家の惨劇』 吟味に移ります。この続きは 『テンプラー家の惨劇』 でどうぞ)