ボルヘス&ビオイ=カサーレス編 『傑作探偵小説集』


 『伝奇集』 (岩波文庫)、『不死の人』 『ブロディーの報告書』 (白水社) などで知られるアルゼンチンの作家、ホルへ・ルイス・ボルヘスは20世紀文学を代表する重要な作家だが、彼が文学的活動を始めたのは1920年代、まさに探偵小説黄金期の真只中であった。純粋な論理が作品世界を支配する探偵小説のモダニズムは、ボルヘスを魅了し、自身、「八岐の園」 「死とコンパス」 (『伝奇集』収録) のような、知的スリルにあふれたメタ探偵小説を創作している。

 現代文学へのボルヘスの影響は多大なものがあるが、彼の文学理論、あるいは作品の多重的で知的な構造は、探偵小説の書き手たちの一部にも強烈な衝撃をもたらした。80年代以降に多数出現した 〈メタ〉 または 〈反〉 探偵小説の底流には、たしかにボルヘスの存在がある。わが国でも、たとえば山口雅也の 〈キッド・ピストルズ〉シリーズや 『続・日本殺人事件』 などに、その一端をみることができる。

 ボルヘスは生涯にわたって探偵小説の愛好家であった。H・ブストス=ドメックの筆名で、盟友アドルフォ・ビオイ=カサーレスと合作した、チェスタトン風の逆説に満ちた連作集 『ドン・イシドロ・パロディ 6つの難事件』 (岩波書店) (1942) がある。ビオイ=カサーレスとは、共編で2冊の 『傑作探偵小説集』(1943/1952) も編んでいる。以下に掲載したのが、その収録作品リストである。

 ポーやコリンズの古典から、ドイル、チェスタトン、クイーン、クリスティー、バークリー、カー、さらにはケネディ、ケメルマンまで、まさに探偵小説の王道を往く堂々たるコレクションである。フォークナーやグレアム・グリーンあたりが入っているのは、さすがに一味違うところ。なお、第2集の最後に収められた未訳の3篇は、アルゼンチンの作家の作品である。

 ボルヘスの探偵小説をめぐる発言としては、講演集 『ボルヘス、オラル』(水声社)に 「探偵小説」 の章があるほか、現在刊行中の〈ボルヘス・コレクション〉(国書刊行会) 『ボルヘスのイギリス文学講義』、『ボルヘスの北アメリカ文学講義』、『序文つき序文集』 にも、随所に探偵小説への言及がある。また、すぐれて探偵小説的な知的興奮をかきたてるエッセイ集として 『続審問』 (岩波文庫) も、ぜひ一読をおすすめしておきたい (私家版ではあるが、『ボルへス推理小説書評集』 もまとめられている)。なお、ボルヘス編集のアンソロジー、および著作リストは、『ボルヘスの世界』 (国書刊行会) の巻末付録が参考になる。

 なお、共編者のビオイ=カサーレスも、ボルヘスに劣らず熱心な探偵小説ファンで、二人は 《第七圏》 という150冊におよぶ探偵小説叢書の共同監修もしている。作品としては、無人島で永遠の時間を繰り返す幻の恋人たちを描いた〈独身者の機械〉文学の傑作 『モレルの発明』 (水声社) をはじめ、『脱獄計画』 (現代企画室)、『豚の戦記』 (集英社文庫) などが紹介されている。

 余談ながら、ボルヘス作品を初めてアメリカで翻訳紹介したのは、数ヶ国語に堪能だったアントニイ・バウチャーだったともいう。


【第1集】 1943年刊

ウィルキー・コリンズ 「人を呪わば」
  
 (『世界短編傑作集1』、創元推理文庫、所収)

G・K・チェスタトン 「三人の騎士」
  
 (『ポンド氏の逆説』、創元推理文庫、所収)

ヒルトン・クリーヴァー “Copy of the Original” (未訳)

アガサ・クリスティー 「空に描かれたしるし」(『クィン氏の事件簿』、創元推理文庫、所収)
   /「大空に現われた兆」(『謎のクィン氏』、ハヤカワ・ミステリ文庫、所収)

ウィリアム・アイリッシュ 「目覚めずして死なば」
   
(『アイリッシュ短編集6/ニューヨーク・ブルース』、創元推理文庫、所収)

エラリー・クイーン 「暗黒の家の冒険」
   (『エラリー・クイーンの新冒険』、創元推理文庫、所収)

イーデン・フィルポッツ 「三死人」
   
(『世界短編傑作集4』、創元推理文庫、所収)

グレアム・グリーン 「エッジウェア通りの横町のちいさな劇場」
   (『グレアム・グリーン全集13/21の短篇』、早川書房、所収)

ジョン・ディクスン・カー 「目に見えぬ凶器」
   
(『カー短編全集1/不可能犯罪捜査課』、創元推理文庫、所収)

マイクル・イネス 「ハンカチーフの悲劇」
   
(『アプルビイの事件簿』、創元推理文庫、所収)

H・ブストス=ドメック(ボルヘス&ビオイ=カサーレス) 「世界を支える十二宮」
   
(『ドン・イシドロ・パロディ 6つの難事件』、岩波書店、所収)

ハリイ・ケメルマン 「九マイルは遠すぎる」
   
(『九マイルは遠すぎる』、ハヤカワ・ミステリ文庫、所収)

ウィリアム・フォークナー 「紫煙」
   
(『フォークナー全集18』、冨山房、所収)

マヌエル・ペイロウ 「ジュリエットと奇術師」
   
(『魔術ミステリ傑作選』、創元推理文庫、所収)

※      ※     ※ 

【第2集】 1952年刊

ナサニエル・ホーソーン 「ヒギンボタム氏の災難」
   (『バベルの図書館3/ホーソーン』、国書刊行会、他、所収)  

エドガー・アラン・ポー 「盗まれた手紙」
   (『ポオ小説全集4』、創元推理文庫、所収)

ロバート・ルイス・スティーヴンスン 『バラントレーの若殿』
   第9章の一挿話。(岩波文庫)

アーサー・コナン・ドイル 「赤毛連盟」
   
(『シャーロック・ホームズの冒険』、新潮文庫/創元推理文庫/ハヤカワ・ミステリ文庫/他、所収)

ジャック・ロンドン 「死の同心円」
   
(『バベルの図書館5/ジャック・ロンドン』、国書刊行会、所収)

G・K・チェスタトン 「イズレイル・ガウの誉れ」
   
(『ブラウン神父の童心』、創元推理文庫、所収)

イーデン・フィルポッツ 「鉄のパイナップル」
   
(『探偵小説の世紀/上』、創元推理文庫、所収)

芥川龍之介 「藪の中」

アントニイ・バークリー 「偶然の審判」
   (『世界短編傑作集3』、創元推理文庫、所収)

ミルワード・ケネディ “End of a Judge” (未訳)

エラリー・クイーン 「一ペニイ黒切手の冒険」
   
(『エラリー・クイーンの冒険』、創元推理文庫、所収)

ホルヘ・ルイス・ボルヘス 「死のコンパス」
   (『伝奇集』、岩波文庫、所収)

マヌエル・ペイロウ “La espada dormida” (未訳)

シルビナ・オカンポ “El vastago” (未訳)

アドルフォ・ルイス・ペレス・ゼラシュ “Las senales” (未訳)