The Avenging Chance の謎 真田啓介 アントニイ・バークリー 「偶然の審判」 『毒入りチョコレート事件』 の内容にふれていますので、 未読の方はご注意ください。
昨年 (2012年) ROM 叢書で出していただいた『英国古典探偵小説の愉しみ』には、アントニイ・バークリーの著作リストも収めたのだが、その原稿を作成していた際に一つ奇妙なことに気がついた。 ロジャー・シェリンガム物の短篇「偶然の審判」(The Avenging Chance)の初出年月が、現在にいたるも確定していないのだ。「偶然の審判」といえば、短篇ミステリのオールタイム・ベスト級の傑作として評価の定まった作品である。その初出が分からない……? 上記の著作リストは、国書刊行会版『第二の銃声』(1994年刊)の解説に掲げていたリストを最新の情報に基づき改訂したものだが、The Avenging Chance の発表年として旧稿では 「(1928)」 と記していたのを、「(1929 ?)」 と改めることになった。これまでのところ、1928年における雑誌発表の事実は確認されておらず、1929年9月発行の Pearson's Magazine に同作が掲載されたことは分かっているが、それ以前の発表がなかったかどうかについて、なお疑義が存するからである。ちなみに、従来、同作を長篇化したものと考えられてきた 『毒入りチョコレート事件』(The Poisoned Chocolates Case) の初刊は、1929年6月なのである。 少々込み入った話になりそうなので、順序立てて説明していくことにしよう。まず、1994年に筆者が著作リストの旧稿をまとめる以前においては、わが国の文献では 「偶然の審判」 の発表年は1925年とされるのが一般的だった。その情報源となっていたのは、創元推理文庫の江戸川乱歩編 『世界短編傑作集3』 (1960年刊) である。同書収録の 「偶然の審判」 の前説に 「一九二五年」 と明記され (注1)、同文庫版 『毒入りチョコレート事件』 (1971年刊) の中島河太郎の解説でもそれを踏襲した説明がなされていた。 この1925年説の典拠は明らかでないが、それを確認するまでもなく、次の諸点を勘案すればその説は成り立たないと考えられる。 (1925年説を否定する理由) I-2 サンドーの1928年説 筆者が前記の著作リスト旧稿をまとめた1994年以前においては、海外の文献でも、「偶然の審判」 の初出について明確に記しているものはほとんどなかった。 一例をあげれば、スタインブラナー&ペンズラーの Encyclopedia of Mystery and Detection (1976年刊) のバークリーの項には、 The Poisoned Chocolates Case (1929) was the expanded version of a short story, “The Avenging Chance,” written earlier that year. という記述が見えるが、「earlier that year」 というのがいつのことかは教えてくれないのである。 他の諸文献においても、『毒入りチョコレート事件』 は先行の 「偶然の審判」 を 「expand」 したものとして説明されている場合が多いが (注2)、後者の初出に関する情報は乏しく、書誌等で同作について記述がある場合でも、書籍形態での初出を示すにとどまっている。書籍での初出が、1930年、Faber 社刊の The Best Detective Stories of the Year 1929 であることについては諸説一致しており、疑問の余地がない。 1993年にエアサム・ジョーンズがまとめた The Anthony Berkeley Cox Files: Notes Towards a Bibliography (Ferret Fantasy) は、その時点における最も詳細なバークリー書誌で (その後も情報量の点でこれを超えるものは出ていない)、筆者が著作リスト旧稿を作成するうえで最も頼りにした文献だが、同書においても 「偶然の審判」 の雑誌初出は明らかにされなかった。「Contributions to Books」 の項において、The Avenging Chance については上記 Faber 社刊のアンソロジーの名が掲げられ、「the basis of“The Poisoned Chocolates Case”」 と説明されているが、「Details of prior periodical publication not available.」 と付記されているのである。 このような曖昧模糊とした状況の中にあって、筆者の知る限りでは唯一、「偶然の審判」 の発表年を明記している文献があった。カリフォルニア大学のミステリ・ライブラリ版 The Poisoned Chocolates Case (1979年刊) に付された、ジェイムズ・サンドーによる序文と注釈付著作目録 (A Checklist, With Some Notes) がそれである。 同書には「偶然の審判」 と 『毒入りチョコレート事件』 のテキストのほか、クリスチアナ・ブランドによる 「新たな解決」、バークリーによるシェリンガム伝、ジョン・ディクスン・カーの 「コックス頌」、そしてサンドーの Checklist 等々、充実した付録が収められていた。実は、筆者が1992年に 「ROM」 第82号 (アントニイ・バークリー特集第二) を編集した際の種本の一つがこれで、その時サンドーの Checklist も拙訳により掲載していたのだった。該当部分を原文のまま引用してみると、 “The Avenging Chance,” by Anthony Berkeley; first appearance in 1928, first of many reprints in Best Detective Stories of the Year, Faber, 1929, last in this edition. The best of the Sheringham short stories. と、初出が1928年であることを明記している。サンドーによる序文の中にも 「“The Avenging Chance” (1928)」 という記述が見えるから、「1928」 というのは誤植などではないだろう。 この情報に接するに及び、筆者としては単純に 「すると創元推理文庫の1925年というのは間違いだったんだな」 と思い (当時は、先述の 「1925年説を否定する理由」 を考えつくほどバークリー作品を読み込んでいなかった)、その結果として、筆者の著作リストの旧稿には 「偶然の審判」 の初出を1928年と記すことになった。エアサム・ジョーンズの書誌にそれを裏付ける情報がないことにやや戸惑いは覚えながらも、極東の島国の一愛好家に、ミステリ書誌学者サンドーの権威を疑う理由は何もなかったのである。 I-3 1929年説、そしてなお残る疑問 2004年、トニイ・メダウォーとアーサー・ロビンソン共編の The Avenging Chance and Other Mysteries from Roger Sheringham's Casebook (Crippen & Landru) が出版された。当時惰性でこの本を入手はしていたものの、その頃からミステリへの熱が冷めかけていた筆者はすぐに同書をひもとくには至らず、ようやくこれに目を通したのは、昨年になって、バークリーの著作リストを改訂する必要に迫られてからのことだった。 巻末の Checklist には、「偶然の審判」 の初出として 「Pearson's Magazine, September 1929」 と記されていた。雑誌の初出が明示されたのは、公刊された書物においてはこれが初めてであろう(注3)。編者の一人ロビンソンは、ウェブ上により完全な書誌 (Bibliography of Anthony Berkeley Cox) を掲載しており、これは絶えず更新されてきているようなのだが、そこにも同じ情報が載っている(注4)。 ここにおいて初めて筆者はサンドーの1928年説に疑問を抱くことになった。エアサム・ジョーンズの詳細な書誌でもふれられず、ロビンソンの最新の書誌にも採用されていないということは、1928年説には根拠がなく、海外の研究家の間ではとうに否定されていたのではなかったのか。そこで筆者は、改めてサンドーの Checklist を読み直してみた。そして、そこに明白な誤りが含まれていたことに気づいた。 「偶然の審判」 の書籍形態での初出が The Best Detective Stories of the Year 1929 (Faber, 1930) であることは前に述べた。ところが、既に示したように、サンドーはこれを 「Best Detective Stories of the Year, Faber, 1929」 と記している。これ自体が間違いであるが、これがもう一つの間違いを生んだのではないか。すなわち、1929年刊の 『年間傑作探偵小説集』 であれば、その収録対象は1928年雑誌発表の作品ということになる。そこで、現物は確認せぬままに、推定で 「first appearance in 1928」 とやってしまったのではないか。――そういう目で見直すと、この部分の書き方もおかしいのである。他の短篇については、初出の雑誌ないし単行本の名前と掲載ページまで明記されているのに、The Avenging Chance だけがこの漠然とした表現で済まされているのだ。 と、いう具合に筆者の疑惑は一気に高まったのだが、一方で、しかしサンドーが Best Detective Stories ―― の書名を読み違えるなどということがあり得るだろうか、という疑問も強く感じないではいられなかった。 そこで、自分の目で確かめるために問題の本をアメリカの古書店から取り寄せてみたのだが (注5)、届いた本を一目見るや、筆者は事情を了解した気分になった。同書の表題がどのように書かれているか、その文字の配列を示してみよう。
ご覧のとおり、非常に誤解を招きやすい書き方なのである。背表紙の方は 「YEAR」 と 「1929」 の間に空白があり、一見して 「1929」 が書名の一部であるとは考えにくい。タイトルページの方ではさらに星印 (実際はもっと小さいが) がはさまったりしているのだから、なおさらである。しかし、「THE YEAR = 1929」 であって 「1929年刊」 の意味ではないことは、この本自体の刊行年は別にローマ数字で 「MCMXXX」 (=1930) と明記されているのだから、間違いない。 してみると、1928年説はサンドーの書名の誤読に基づく根拠のない説であろうという筆者の疑惑は、あながち邪推とも思えないのである。 ともあれ、筆者としては1928年説を維持することは困難と考えざるを得なくなったので、著作リストの改訂にあたっては、確実な裏づけのある1929年説に拠ることにして、「(1928)」 を 「(1929 ?)」 と改めた。ここでなお 「?」 を付したのは、こういうわけである。 一つには、書誌作成者ロビンソン自身が得心していないのだ。ロビンソンのウェブ書誌の Supplement の中に、次の記述が見える。 “The Avenging Chance” (this story is copyright 1928; if anyone knows of a publication before Sept. 1929, please contact me) 筆者はイギリスの著作権制度についてはほとんど知識がないのだが、作品発表年の登録簿のようなものがあって、それに1928年と明記されているのだとすれば、その事実は重視されねばならぬわけである(注6)。ただし、公簿にも間違いがないとは言えぬから、絶対的な証拠となりうるものではないと考えられるが。 「?」 を付したもう一つの理由は、「偶然の審判」 の初出が1929年9月に確定してしまうと、同年6月刊の 『毒入りチョコレート事件』 よりも後に発表されたことになり、後者は前者を expand したものという定説 (以下 「expand 説」 という。) と齟齬を来たすからである。この expand 説は、前記メダウォー&ロビンソン編のシェリンガム作品集においても踏襲されているのだ。 「偶然の審判」 の初出が 『毒入りチョコレート事件』 の前であることが確定されない中で、長年にわたり expand 説が何ら疑問を持たれることなく通用してきたというのは、考えてみれば不思議な話である。 書誌情報はひとまず考慮の外に置いて、純粋に作品の内容を見比べた場合、まず短篇が書かれ、その後これを材料ないし部分とする長篇が書かれた、と考えるのはごく自然な見方であろう (注7)。しかし、まず長篇が書かれ、その一部が短篇として切り出された、というのもありえない話ではない。expand 説は、単にそう考える方が自然だから、というだけの理由で行われてきたのだろうか。 今となっては、この説がいかにして成立し、支持されてきたかを検証するのは困難だが、筆者が遡りえた範囲では、この説を最初に公にしたのはドロシイ・L・セイヤーズである。1936年に編んだアンソロジー Tales of Detection に 「偶然の審判」 を採用したセイヤーズは、その序文に次のように書いている。 Anthony Berkeley's Avenging Chance is the‘short story with a twist in the tail’; he is a master of this method, and subsequently elaborated this same plot to novel-length, giving it an extra twist in the process (Poisoned Chocolates Case). 「expand」 という言葉こそ用いていないが、同じ趣旨のことをより詳しく述べている。他の多くの論者の説が、おそらくは二次資料と推定に基づいていると思われるのに対して、セイヤーズの場合は、より確実な何か (自ら見聞した記憶を含めて) に基づいていたであろうことを考えると、この序文の記述はかなりの重みを持ってくるのである。 だが、そのことを認識したうえでなお、筆者は従来の expand 説は誤りであると考えている。 両作品、そしてこれから取り上げるもう一つの作品のテキストを仔細に研究してみた結果、筆者は次のように考えるにいたった。―― 『毒入りチョコレート事件』 は The Avenging Chance を長篇化したものではあるが、その元となった作品は従来流布してきた 「偶然の審判」 ではなく、別ヴァージョンの未発表原稿だったのだ。 以下、その辺の事情を明らかにしていきたい。 II-1 中篇版 The Avenging Chance の存在 今ではよく知られていると思われるが、「偶然の審判」 には、作者の生前発表されないままに終わった別ヴァージョンの原稿が存在していた。 この原稿は、1990年代初め、バークリーの旧蔵にかかる書物や文書類が遺族により売却された際に発見されたもので、エアサム・ジョーンズの書誌に初めて記録されるとともに、ジョーンズの序を付して1994年に刊行された The Roger Sheringham Stories (Thomas Carnacki) に収録された。この本は百部に満たない限定出版だったので、限られた人の目にしかふれなかったが、その後、前記メダウォー&ロビンソン編の作品集にも収められたので、今ではふつうに読めるようになっている。 同書の解説では 「A slightly longer version」 とされているが、従来流布してきた短篇の方が約6,700語であるのに対して、こちらは1万語に近いから、約1.5倍の分量の中篇である。混乱を避けるため、以下、短篇版は 「偶然の審判」 (又は略して 「偶然」) と、中篇版は The Avenging Chance (又は略して TAC) と表記する。 筆者の結論を先に述べてしまうと、 ――という経過をたどったものと考えられる。すなわち、「偶然」 と 『毒入り』 の関係は直接的なものではなく、The Avenging Chance を介しての間接的なものだったのだ。 以下のいささか七面倒な議論におつきあいくださるならば、筆者はこれを論証してお目にかけるであろう。 II-2 「偶然の審判」 と The Avenging Chance 初めに、The Avenging Chance は 「偶然の審判」 とどこがどのように違っているのかを見ておきたい。 そこでまず、「偶然の審判」 の内容を思い起こしていただくため、そのシノプシスを次に掲げる。
上記は The Avenging Chance のシノプシスとしても通用するから、基本的なプロットに異同はないわけだが、内容的に相違する部分が4点ある。 (「偶然」 と TAC の相違点) TAC は 「偶然」 と比べて描写やセリフがより細密・詳細になっているほか、上記 ②・③ のような相違があるために、5割方多い分量となっているわけである。 さて、「偶然」 と TAC の関係であるが、前者は先に書かれていた後者を縮小して成ったものと考えられる。その根拠としては、まず、TAC が未発表原稿として残されていたという事実がある。すなわち、中篇の未発表原稿を改稿してできた短篇を完成品として発表する、という流れは自然なものとして了解できるが、その逆、完成した短篇として発表した作品に肉付けして (長篇化するというならともかく) 中篇作品の原稿を作成する (そのような原稿はふつう発表のしようがあるまい) という流れは想定しにくいからである。 また、テキストの全体を通じて 「偶然」 は TAC より改行やコンマが多くなっているが、これは TAC を改稿するにあたって読みやすくする工夫が施された結果と見られるのである。 それらは状況証拠的なものにすぎないが、より具体的な論拠として、上記の相違点①がある。これは一見瑣末で無意味な問題のように受け取られるかもしれないが、両テキストの先後を決定するうえで重要なポイントである。 TAC は、10時半に B (ご記憶であろうが、この事件の犯人である) がまずクラブにやってきて手紙を受け取り、ラウンジに行く。数分後、A が来て手紙と小包を受け取り、ラウンジに行って B の近くに席を占める。と、いう流れなのだが、ここは、ミステリとしての構成の論理を考えた場合、「偶然」 におけるように、A、B の順に到着したことにすべきである。この場面で B は、偶然をよそおって A から (自分が送った) チョコレートの小包をもらい受ける計画を胸に抱いているわけである。とすれば、先に自分がラウンジに行き、後から A が来てうまく自分のそばに座るのを待つというのは、甚だまずいやり方である。A の日頃の習慣から A がどこに座るか予測できたのだとしても、その日のラウンジの状況 (他のメンバーの存在など) によっては、予測どおりに運ばないこともあり得る。確実に A のそばに席を占められるようにするには、どうしても A の後から (それもあまり間をおかずに) ラウンジに入る必要があるのである。 すべてに周到な考えをめぐらしていた B が、その辺のことを意識していなかったはずはないから、彼はクラブの外の物かげから A がクラブに入ったのを見届けた後、何食わぬ顔でクラブに 「到着」 したはずだ。このように考えると、この場面は、TAC より 「偶然」 の方がすぐれている。それはすなわち、TAC を改稿する過程で上記の問題に気づいた作者が、両人の到着順を変更した結果であったと思われるのである。 II-3 『毒入りチョコレート事件』 と The Avenging Chance 「偶然の審判」 と The Avenging Chance の関係が上述のとおりであるとして、それらと 『毒入りチョコレート事件』 の関係はどのように考えたらよいであろうか。 「偶然」 と TAC は1.5倍の分量の差があるにしても、まだ一文ずつを突き合わせての比較が可能だったが、中・短篇と長篇となると、同じ手法はとりにくい。が、事件の概要説明の部分に限ってみれば、三者のテキストは共通する部分が多いので、その部分で比較してみると、「偶然」 にはなく TAC にのみある文章が 『毒入り』 にも多く見えるのだ。 また、前記 「偶然」 と TAC の相違点としてあげた4点のうち、①・③・④ の点で 『毒入り』 は TAC と共通している。② についても、実在事件を引き合いに出しての議論が、『毒入り』 では解決篇の全体に拡大しているものと考えれば、やはり 『毒入り』 のテキストは 「偶然」 よりも TAC のそれに近いのである。 この段階でまず一つの結論として言えるのは、『毒入り』 は 「偶然」 より先に書かれていたはずだということである。前記相違点 ① (A、B のクラブ到着順) についても、『毒入り』 は TAC と同じなのだから (つまり、『毒入り』 が 「偶然」 の後に書かれたのであれば、当然 A、B の到着順は 「偶然」 にならって改めたであろうから)。 そこで、問題は 『毒入り』 と TAC の関係如何にしぼられてくるわけだが、先述のとおり筆者は、『毒入り』 は TAC を expand して成ったものと考える。この場合、TAC が未発表であった事実自体は、「偶然」 と TAC の関係を考えた際とは違って、TAC が 『毒入り』 に先行したという推定の論拠とはならないだろう。長篇の成立後、その一部を切り取って短篇化するということは、十分あり得る話であり、『毒入り』 からまず TAC を作り、それを元に 「偶然」 を作ったという流れは不自然なものではないからである。しかし、テキストの細部にまで目を及ぼすと、やはり TAC が 『毒入り』 の前にあったものと考えられるのだ。具体的な論拠を4点あげる。 (TAC が 『毒入り』 に先行したと考える理由その①) (理由その②) Sir Eustace (=A) is chosen because he’s known to get there (=クラブ) so punctually at half-past ten every morning ……… So Bendix (=B) arrives at ten thirty-five, and there things are. と述べられている。到着順序が逆になり、それとともに時間も改変されているのだ。 (理由その③) “You see, Joan (=B 夫人) and I were such very close friends. Quite intimate.
In fact we were at school together. ―― Did you say anything, Mr. Sheringham?” ここでロジャーは何事かをつぶやき、ちょっと不審をこめたうなり声をのどから漏らしたわけだが、それはなぜなのか。『毒入り』 をふつうに (頭から順を追って)
読んできてこの場面にさしかかった読者には、その意味が分からないはずだ。 (理由その④) 以上に述べ来たったことを論拠として、筆者は、問題のテキスト三者は The Avenging Chance、『毒入りチョコレート事件』、「偶然の審判」 の順に成立したものと考える。推測も交えつつその経過をたどってみると―― 『絹靴下殺人事件』 の刊行後、1928年の夏から1929年の初めくらいまでの時期に、まず中篇 The Avenging Chance が書かれた。これが雑誌からの注文を受けてのものだったのかどうかは不明だが、仮にそうであったとすれば、雑誌発表は当面見合わされることになった。 原稿を書き終えてまもなく、作者がこれを長篇化する意図を抱いたからだ。この中篇自体のうちに長篇化の芽が含まれていて、ロジャーがモーズビーから事件の概要を知らされた後、二人が意見交換する場面で、ロジャーが類似点を持ついくつかの実在事件を引き合いに出しながら事件を論じている部分がそれだ。ここで言及した事件のそれぞれに対応する形の解決を考案すれば、そしてそれらを別々の探偵役に語らせることにすれば、新基軸の長篇を生み出せるではないか (注10)。かくしてこの中篇原稿を元に解決篇を expand して、作者自ら 「circularly」 と称する (『第二の銃声』 序文参照) スタイルをもつ 『毒入りチョコレート事件』 が書かれ、1929年6月に出版された。 完成した長篇の中では、元の中篇の解決は真相にあらざるものとして処理されたが、中篇の冒頭に 「Certainly he (=Roger) plumed himself more on its solution than on that
of any other」 という一文が見えることからもうかがわれるように、作者はこの解決をすぐれたものと自負し、大いに気に入っていたのだろう (実際、『毒入りチョコレート事件』
における複数の解決の中でも、筆者にはロジャーのそれが最も brilliant なものとして印象に残っている)。そこで、長篇とは別に、この解決自体を独立した一つの作品として残したいという気持にかられたものと思われる。用済みとなった中篇原稿が再度取り上げられ、上記の長篇化の芽の部分などを削り、説明的な記述・セリフで省略可能な部分をかなり刈り込んで、より完成度の高い短篇に仕立てられたのである(注11)。そうして発表されたのが、1929年9月 Pearson's Magazine 掲載の 「偶然の審判」 であったのだろう。……… 上述の筆者の推測が正しいものとすれば、『毒入りチョコレート事件』 は 「偶然の審判」 の長篇化だとする従来の expand 説は否定されることになる(注12)。 すると、「偶然の審判」 の1929年9月初出説に疑問を投げかけるものは、同作が 「copyright 1928」 であるという問題だけになるが、この点の究明は、英米の研究家の今後の調査に待つほかないと思われる。――が、個人的には、筆者は Ⓒ 1928 というのは何かの間違いであろうという気がしている。筆者の 「論証」 の結果と矛盾するという点はひとまず置くとしても、次のような疑問があるからだ。 1928年初出説が正しいとすれば、「偶然の審判」 は (『絹靴下殺人事件』 刊行後の) 同年6月~12月にどこかの雑誌に発表されたことになるが、それから1年ほどの後に再度 Pearson's Magazine に掲載されたなどということがあり得るだろうか。同誌はべつに再録専門の雑誌というわけでもないし、アンコールとしても早すぎるだろう。 また、モノは無名作家の小品ではないのだ。当時もはや人気作家の列に加わりつつあったバークリーの、短篇として十分な長さを備えた作品である。1928年 (昭和3年) は昔だが、霞のかなたの大昔ではない。その年に発表されたバークリーの代表的傑作が、今日にいたるも熱心な研究家たちの探索の目を逃れ続けているとは到底思えないのである。それはあたかも、江戸川乱歩の 「押絵と旅する男」 (昭和4年) の初出が突き止められずにいるというのと同じようなことなのだから。 そのような不思議な事態を受け容れるよりは、筆者は自らの 「論証」 の成果を信じることにしたい。所詮それもロジャー・シェリンガム流の妄説に過ぎぬのではないかという、一抹の不安は抱きながらも。 初出:「ROM」 No.139 (2012年11月発行) ◇ (2013.5.25掲載) ◇ |