「もう一つの物語」 を読む探偵――谷崎潤一郎 「途上」 の方法

林 清 俊


 江戸川乱歩は 「途上」 を評して 「探偵小説に一つの時代を画するもの」、「これが日本の探偵小説だといって外国人に誇り得るもの」 (「日本の誇り得る探偵小説」) と絶賛したことはよく知られている。そこに描かれているプロバビリティーの犯罪が世界推理小説史上で最初のものだというのがその理由である。しかし谷崎としては偶然を利用するという犯罪方法の評価に少々戸惑いを感じている。というのは作者としては 「自分で自分の不仕合わせを知らずにゐる好人物の細君の運命――見てゐる者だけがハラハラするような、――それを夫と探偵の会話を通して間接に描き出すのが主眼であった」 (「春寒」) からである。好人物の細君とは夫=会社員の先妻に当たる。身体の弱い彼女はチブスで亡くなるまで夫を信じ、夫の親切に感謝していたという。いわば 「夫の愛情に包まれた妻」 という物語空間を生きた女性である。ところが探偵はこの麗しい夫婦愛の物語を逆転させてしまう。つまり夫の妻に対する親切な行為・忠告は一貫して彼女を危険な、命にかかわりかねない状況に追いやるためのものであったことを証明するのである。谷崎としては騙し絵のように物語の図柄を一変させることがこの短編の作意であったので、だからこそ 「殺す殺さないは寧ろ第二の問題であって、必ずしも殺すところまで持って行かないでもよかったかと思う」 (「春寒」) のである。好人物の細君は夫が張り巡らした美しい物語を信じ込んでいた。それを探偵の推理を通して転覆させる時、谷崎はそのような想像の空間を批判しているのである。

 「途上」 の推理の特質、つまり物語批判の特質は次の三点に集約される。

    (1) 行為を外形において見る
  (2) 沈黙・忘却されたものを注視する
  (3) 論理の矛盾撞着を探る

 (2) と (3) は密接に関連しているのだが、以上の点を吟味したい。

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  「外形」 という言葉は 「途上」 のキーワードである。この言葉が最初に出てくるまでの経緯を説明しておくと、まず、ある会社員が妻を亡くし、新しい女性と結婚しようとしている。その会社員が会社の帰りに探偵に話し掛けられる。会社員の前の妻は、自らの過失によって事故死したとされているが、実は事故死に至るよう会社員が裏から操作していたと探偵は主張する。事故の可能性が高い乗合自動車に乗ることを薦めたのはその操作の一つである。会社員は常に、明らかな殺人ではないにしても、危険の確率が高い状況に妻を置き、彼女を亡き者にしようとしていたのではないか。これに対して会社員は、乗合自動車の利用を薦めたのは、その方が感冒にかかる可能性が低いからだと反論し、以下探偵と会社員の間で微細な点をめぐる論理問答が展開されるのだが、その最中に探偵はこう言う。あなたはそう反論するが、しかしあなたの行為はたまたまその 「外形に於いて」 私の推理と一致する、と。

 この言葉によって問題にされているのは、行為と意図の関係である。一般にある行為の意味、あるいは意図は、行為者の意識に求められる。ある人がラジオのスイッチをひねったとして、ではその意味・意図は何かと問う場合、われわれは通常、行為者に向かって「なぜそんなことをしたのか」と尋ねるだろう。ところが、「途上」 の探偵は行為と行為者の意図を分離する。会社員は前妻に向かって、「乗合自動車を利用せよ」、「生水を飲め」、「冷水浴をせよ」 と命令した。そう命令した彼の意図を、彼自身はそれぞれ 「感冒にかかる危険が少ないから」、「米国ではベスト・ドリンクといわれるほど身体によいから」、「風邪に抵抗力をつけるよい習慣だから」 などと説明しているが、探偵はそれを一切無視し、実はそれぞれの行為は  「自動車事故の危険にさらすため」、「チブスにかからせるため」、「心臓を悪くさせるため」 ではないかと問いつめる。「外形に於いて」 行為を見るとは行為者の意図をいったん宙づりにして、行為に別解釈を施すことに他ならない。

  これは探偵としては当然の手続きではないかと思われるかもしれない。容疑者の証言に嘘が混じっていることをあらかじめ想定し、それを見破るのが探偵の役目ではないのか。しかし谷崎の 「外形に於いて」 という言葉が示唆するものは容疑者の 「意識的な」 嘘を見破るということに留まらない。外形としての行為の解釈は、行為者がまったく意識していなかったような内容にもなりうる。いわば、行為者の無意識の欲望を引きずり出すこともありうるのだ。「乗合自動車を利用せよ」 と言ったとき、もしかすると会社員は心から妻の身体のことを考えてそういっていたのかも知れない。しかし探偵は、その心からの意図を行為から切り離し、意識によって隠された、別の隠微な意図を、行為の外形に読み取るのである。探偵は言う。「無論あなたにはそんな意図があったとは云いませんが、あなたにしてもそう云う人間の心理はお分かりになるでしょうな。」 彼がいう 「心理」 とは意識にのぼる意図とは別の意図、無意識の意図のことである。もちろん会社員は、ガス栓に油を差すという悪質きわまりない行為を行っており、妻を事故死させようとしていた意図は恐らく疑うことは出来ないだろう。しかし探偵が示しているのは、事故死させようとする意図はなかったような行為にも、実は事故死させようとする無意識の欲望が付着しているのだと云うことである。「途上」 が世界に誇るユニークな探偵小説だとしたら、それは 「外形」 という概念を用いて精神分析的技法を練り上げた点にこそあるとわたしは考える。

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 フロイトは 「否定」 の中で 「抑圧された表象の内容や思考の内容は、それが否定されるという条件のもとでのみ、意識にまで到達することができるのである」 (中山元訳) と言っている。妻を殺害する物語も、それが否定されるという条件の下でのみ、妻を慈しむ物語に到達すると云えるだろう。つまり後者の物語は前者の物語を隠蔽する形式となる。しかしそれは黒を白と言いくるめるようなもので、一見したところどんなに一貫性のある物語であっても、必ずそこに破綻が生じているのだ。「途上」 の探偵は実にねちっこい議論を展開するが、それは隠蔽の形式に破綻を見出そうとする作業である。言い換えれば、妻を慈しむ物語が、ある特定の事実を沈黙・忘却し、論理矛盾を冒すことで成立していることを暴くのである。行為を外形に於いてみるときは、会社員の意図は一時的に保留される。しかし

  (2) 沈黙・忘却されたものを注視する
  (3) 論理の矛盾撞着を探る

場合は、会社員の意図を徹底的に分析することになる。

 妻を電車に乗せるか、乗合自動車に乗せるか思案した時のことを会社員は二段構えでこう説明している。まず第一に、電車内での感冒伝染の危険と自動車事故の危険性と、どちらがプロバビリティーが大きいか。感冒が絶頂期であったあの時期、電車の中には確実に感冒の黴菌が存在すると考えねばならなかった。妻は感冒に罹りやすい体質であったから、彼女が電車に乗れば、彼女は危険を受けるべく択ばれた一人とならざるを得ない。自動車の場合は乗客の感じる危険は平等である。第二に、仮に危険のプロバビリティーが同じだとしてどちらの方がより生命に危険か。妻が再び感冒に罹ったとしたら病後間もない彼女は必ず肺炎を起こすだろう。しかし自動車事故は起きたとしても必ずしも生命を失うとは決まっていない。以上の判断を持って会社員は自動車を選択したのである。

 これは探偵の言う通り、「唯それだけ伺って居れば理屈が通って」 いる。「何処にも切り込む隙がないように聞こえ」 る。探偵はどのようにして、そこに破綻を見出すのか。彼が着目するのは奇妙な沈黙、忘却、見落としである。彼は続けて言っている。「が、あなたが只今仰らなかった部分のうちに、実は見逃してはならないことがあるのです」 会社員が言わなかったこととは乗合自動車に乗るときは一番前の方に座れ、それが最も安全だと言ったことである。会社員がそのことを説明しようとすると探偵がさえぎって 「いや、お待ちなさい、あなたの安全という意味は斯うだったでしょう、――自動車の中にだって矢張いくらか感冒の黴菌が居る。で、それを吸わないようにするには、成るべく風上の方に居るがいいと云う理屈でしょう。すると乗合自動車だって、電車ほど人がこんでは居ないにしても、感冒伝染の危険が絶無ではない訳ですな。あなたは先この事実を忘れておいでのようでしたな。」

 確かに会社員は電車より乗合自動車に乗れと言う時、乗合自動車の中に感冒の黴菌がいることを失念している。しかし乗合自動車の前方に乗れと言う時は、それを理由にする。会社員は首尾一貫して妻がより安全であることを考えているようだが、その思考の筋道は決して一貫していないのである。

 我らが探偵はさらに言う。「よござんすかね、あなたは乗合自動車の場合における感冒伝染の危険と云うものを、最初は勘定に入れていらっしゃらなかった。いらっしゃらなかったにも拘わらず、それを口実にして前のほうへお乗せになった、――ここに一つの矛盾があります。そうしてもう一つの矛盾は、最初勘定に入れて置いた衝突の危険の方は、その時になって全く閑却されてしまったことです。乗合自動車の一番前の方へ乗る、――衝突の場合を考えたら、此のくらい危険なことはないでしょう、其処に席を占めた人は、その危険に対して結局択ばれた一人になる訳です。」

 長々と、会社員と探偵の 「論理的遊戯」 を紹介したが、「途上」 で注目すべきなのは、まさしく、言説の論理的構成を徹底的に追求する、この努力である。それによって探偵は、一つの論理が、ある時には注意を払われるが、ある時には忘却される事実を突き止め、それゆえ論理全体に矛盾をきたすことを証明する。そしてその矛盾の仕方の中に、会社員の物語の見かけとは裏腹の、バイアスが存在していることを明らかにするのである。

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  「途上」 は 「外形」 と論理的構成の観点から物語を批評し、隠された 「もう一つの物語」 を読み取る方法を明快に提示している。ここで最後に注意しておきたいのは、「物語」 というと小説の中だけの特殊なもののように思われるが、考えてみれば、会社員が犯している論理的な不首尾は、我々や政治家などが日常的に犯し、また他人が犯しているのを見逃しているような非論理性だということだ。つまり 「途上」 の方法は実践的な価値を持っている。我々の日常的な言動に潜む歪み (なんならイデオロギーといってもいい)に着目したという点でも、「途上」は大きな意味を持っている。

(2006.9.29掲載)


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