黄金時代のブレイク

塚田よしと


 「ミステリマガジン」 1991年10月号の 〈読者が選ぶ海外ミステリ・ベスト100〉 で、ニコラス・ブレイクの 『野獣死すべし』 は、総合の第38位になりました。候補作リスト作成の段階で、ブレイクの作品が 「黄金時代」 の項目でなしに 「ディテクティヴ・ノヴェルV」 (警察官以外の探偵役が主人公) にまわされるというミスがあり、結果として、それが競争率の点で、ラッキーに作用したようです。

 しかしアンケート結果を軸にした、文庫の 『ミステリ・ハンドブック』 を刊行する時点になっても、誰も、1938年発表の 『野獣死すべし』 が、黄金時代の作品だと、気づかなかったのでしょうか。倒叙から本格へと一変する、時代を20年くらい先取りした感のある斬新な構成が、よほどポスト・黄金期のイメージをうえつけてしまったとおぼしいですね。そういえば、昔、早川書房が出した 〈世界ミステリ全集〉 でも、『野獣死すべし』 は堂々アンドリュウ・ガーヴの 『ヒルダよ眠れ』 や、アイラ・レヴィンの 『死の接吻』 と同じ巻に収録されておりました。

 ですが、いくら、型を崩した傑作を残しているとはいえ、ブレイクが基本的に、クラシカルな黄金時代の血統の作家であることは、デビュー以降の作品を読んでくれば歴然とします。

 第二次世界大戦による執筆活動の中断があるので、『証拠の問題』 から 『雪だるまの殺人』 までの7本の長篇が、ニコラス・ブレイクの前期作ということになりますが、この初心の時代の作品には、さいわい、すべて目を通していますから、ここで個別に筆者の感想めいたものを記してみます。

@ A Question of Proof 1935 (『証拠の問題』 小山内徹訳 別冊宝石53号、小倉多加志訳 ハヤカワ・ミステリ)
 学校内の殺人をあつかって、重苦しくなってもおかしくないストーリーを、コミカルに物語った佳篇。ナイジェル・ストレンジウェイズの奇人ぶりが、生き生きと描かれた、おそらく唯一の作でしょう。犯人像 (一種の狂人) は、妙にリアルで、大胆不敵な犯行手段の選択を、その心理にからめて納得させてしまう、作者の手際は見事。晩年の名作 『秘められた傷』 の萌芽が見られる点でも、ブレイク・ファンには興味深いものがあります。

A Thou Shell of Death (or, Shell of Death)1936 (『死の殻』 長谷川修二訳 別冊宝石73号)
 一転して、クリスマス・シーズンの田舎屋敷ミステリ。愛する者の命を奪った相手に対する復讐、というブレイクの十八番が、この作から打ち出されます。真犯人の設定は、記憶に残るインパクトをもっているのですが、果たして結果の不確実な復讐計画を、実行に移すものだろうか、という部分で、根本的な疑問があります。また、犯人以外の人物も、それぞれの思惑にもとづいた行動をとるため、筋が必要以上にゴタついている嫌いあり。前作より手のこんだものを、という作者の意欲が、裏目に出た感じですね。雪の密室の構成は、作品の印象を強めていますが。
 なお、本作は、ナイジェルと未来の妻ジョージアのなれそめの記であり、やはりレギュラー・キャラクターとなる、叔父のジョン卿やロンドン警視庁のブラント警部も、ここではじめて登場します。

B There’s Trouble Brewing 1937 (『ビール工場殺人事件』 永井淳訳 別冊宝石102号)
 古典的な “意外な犯人” の定石に、ブレイクなりのヒネリをきかせていますが、出来栄えは芳しくありません。殺人のあとの、犯人の心の動きに納得性がないのが、最大の欠点です。ただ悪い奴、嫌な奴としか感じられない犯人像も、この作者にしては平凡。
 冒頭で、すでにナイジェルとジョージアが結婚していることが判明しますが、奥さまは今回、探険旅行に出かけてしまい、本篇の事件にはノータッチです。あまり意味のない結婚だったのでは?

C The Beast Must Die 1938 (『野獣死すべし』 永井淳訳 ハヤカワ・ミステリ文庫)
 いわずと知れた、初期最高傑作。あまねく読まれているでしょうから、ちょっとばかり真相にふれても、大丈夫ですよね。だまって殺人をおこなえば、誰にも疑いをもたれないですむ犯人が、わざわざ被害者に自分を怪しませ、ひいては警察にまで、容疑者視されることになる、あぶない計画を敢行する。本来、不自然となるべきプロットを、事前の犯人の心理の変化、躊躇からくる計画の変更ということでカヴァーし、かえって現実的な印象をあたえることに成功しています。ブレイクは、いつも怪しい人物をゴロゴロだすわりに、レッド・ヘリング操作はうまくない (そのへんで、たとえばアガサ・クリスティあたりと差がつく) のですが、本書の擬似犯人は、例外中の例外。

D The Smiler with the Knife 1939
 本号にreview (⇒別稿T) したような出来ですが、好意的に考えれば、ファン・サービスの一篇。敵役の悪党には、大いに力を入れているものの、むしろ推理小説における犯人像のほうが、ブレイクは、伝統にのっとりながら新しさを感じさせるように、筆者には思えます。

E Malice in Wonderland (or, The Summer Camp Mystery, or, Malice with Murder) 1940
 ナイジェル単独の事件。くわしい内容や評価は、やはりreview (⇒別稿U) を御参照ください。これまでブレイクは、謎解きもので、比較的単純なプロットの作 (『証拠の問題』 や 『ビール工場殺人事件』) と手のこんだ作 (『死の殻』、『野獣死すべし』) を、交互に書いてきていますが、本書は前者に属し、そのぶん、同様、舞台には特色をもたせています。

F The Case of the Abominable Snowman (or, The Corpse in the Snowman) 1941 (『雪だるまの殺人』 斎藤数衛訳 ハヤカワ・ミステリ)
 手のこんだ田舎屋敷ものの秀作。『死の殻』 同様、犯人以外の人物も不審な行動をとりますが、こちらは二人の男の駆けひきが飲みこみやすく、スッキリしています。犯人の当初の計画をスムーズに進行させない、というブレイクならではの推理小説作法が、効果をあげた例。伏線を張りながら、読者の注意をまったく別なところに集中させてしまう、第一章の書きかたは、ズルくてウマいですね。幕切れは 『野獣死すべし』 に次いで鮮やか。ナイジェルとジョージアの、探偵夫妻のやりとりも、The Smiler with the Knife のオシマイを別とすれば、前期の諸作中では、一番、味を出していると思います。ひとつ引っかかるのは、若い女性が、よりによって××で××する気持が、よくわからないこと。彼女を愛する者が、それをそのまま放置するというのも……。最終章の 「手紙」 を使えば、なにか言い訳できたはずで、それがちょっと残念です。あと、タイトル (原題自体) は、確かに印象深いものではありますが、内容にそぐわない気がします。


 文学作品の引用といった、インテリむけの味つけで、黄金時代の推理小説に新風を吹きこんだことが特筆されるブレイク作品ですが、キョーヨーのない筆者には、そのへんの意義はピンときません。大いに買いたいのは、推理小説の枠内で、変化する血のかよった犯人を描きだそうとした努力です。

 殺人者であっても、おおむね彼らは、彼らなりの人生の幕引きを、作者から許されています。悪人が警察に逮捕されて、メデタシ、メデタシというエンディングをとっているのは、前期作のなかでは、わずかに 『ビール工場殺人事件』 と The Smiler with the Knife だけですし、これらは成功作ではありません。謎解きプラス、悲劇の主人公たる犯人のドラマの収束という、ダブル・クライマックスが、決まったとき (『野獣死すべし』 しかり、『雪だるまの殺人』 しかり) こそ、真の意味で、ニコラス・ブレイクの推理小説が、当時としてまれな文芸味を獲得したのだ、といっていいのではないでしょうか。

 Minute for Murder 以降の戦後作では、ブレイクはどんな歩みを見せたのか? 最終作 『秘められた傷』 の円熟を知るだけに、気になるところですが、こちらは今のところ、未読、未入手の本が多くて。いずれまた、別な機会にでもまとめられたら、と思います。



(別稿T) Nicholas Blake’s  The Smiler with the Knife (1939)

@

 Twentieth Century Crime and Mystery Writers 所収のニコラス・ブレイク著作リストあたりを見ると、本書は1938年の作らしく思われますが、筆者が読んだコリンズ社の第3刷本には、初版第1刷の刊行が39年と記載されています。ヒュービンのBibliographyでは、どうなっているのでしょう?(※)
     ※1939年で間違いありません (以下、※は再録にあたっての注)。

 ともあれ、『野獣死すべし』 に次いで出版された、この第5長篇は、謎解き小説の後継者としてスタートしたブレイクの前記作中、例外といえる純スリラーです。

 タイトルは、チョーサーの The Knight’s Tale からとられており、外面は優しいが内面は氷のような、ある人物を象徴しています。


 さて、発端は、ナイジェルとジョージアのストレンジウェイズ夫妻が、デボン州に借りたコテージの生け垣から、1個のロケットを見つけたこと。その中には、古い女性の銀版写真と一緒に、E. B. という文字がしるされた英国国旗がおさめられていました。

 後日、夫妻のコテージを訪れた、近隣のキーストン少佐は、たまたまそのロケットを目にし、それは、以前カササギに持ちさられた自分のものであると言い出します。

 少佐の態度に、なにやら不審なものを感じた2人が、こっそり彼の身辺を調べてみると、いや、怪しいの怪しくないの。夜には、まわりを幽霊がさまようと噂のある少佐の屋敷には、得体のしれない浮浪者が集合し、深夜、トラックで何かが運びこまれているのです。

 ナイジェルの叔父、ロンドン警視庁副総監のジョン卿は、2人に、「英国旗 (イングリッシュ・バナー)」 という秘密結社の存在を教えます。リーダーの正体は今のところつかめていませんが (それを知るのは、同じ組織のなかでも、ほんのひとにぎり)、彼らの狙いが、イギリスに革命をおこし、ファシスト政権を打ちたてることにあるのは、わかっています。

 例のロケットは、組織の最高位の人間の持ちものらしく、武器集積所となっているキーストン少佐のところを視察に来たさい、多分、少佐の話にあったように、カササギにでもとられてしまったのでしょう。とすれば、中にあった女性の写真は、持主をさぐり出すうえで、このうえない手掛りとなります。それを目にしたこちらサイドの人間は、ナイジェル、ジョージアの2人のみ。しかし、さぐりを入れるにしても、ナイジェルでは、警察とのつながりが知られていて駄目です。

 かくて、ジョン卿の依頼を受けたジョージアは、「英国旗」 へ潜入していくことになります。世間に、ストレンジウェイズ夫妻の不仲説が流されるなか、敵の目をあざむくため、2人は別居。「英国旗」 の息がかかっているクラブに出入りしたり、メンバーに近付き、ファッショ的な傾向の発言をしたりするジョージアですが、この捜査は、決して安全なものではありません。

 ミスをとがめられ逃げ出した、くだんのクラブの女主人は、ジョージアの面前で夫に連れ戻され、まもなく “病死” をとげます。裏には、培養した病原菌を使って、組織に不要な人間を処分していく科学者の姿が!

 やがて、「英国旗」 の一員となったジョージアの前に、1人の百万長者の存在が浮かんできます。彼、チルトン・キャンテロー卿こそ、E. B.のリーダーであり、ロケットの真の持主ではないかとにらんだ彼女は、確信をえるため、ある罠をしかけるのですが……。

A

 結婚させたら、役どころに意味のなくなってしまったジョージアを “再生” するとしたら、やはり、彼女の冒険家という設定がいかせる、こうしたストーリーになるのでしょう。逆に、今度はナイジェルのほうが邪魔になって、引っこめてしまっています。

 導入部に偶然を重ねているのと、ナイジェルが素直に叔父に協力して、妻を危険な任務につかせるのが、いささか安直。ジョン卿のプランに、ナイジェルは強く難色をしめすが、ジョージアは、自分のうちなる冒険家の血に突き動かされ、夫を説きふせ行動を選択する、といった場面を工夫したほうが、ヒロイン像が鮮明になって効果的ではないかと思いました。平穏な家庭の主婦でいることに、若干の物足りなさをおぼえるジョージアを、最初に描いているのですから、話が転がり出す前に、彼女の内面をダメ押ししておいたら、より説得力が増したでしょう。

 物語内の時間枠を一年近くとって、じっくり書き進んでいく姿勢には好感がもてますが、全体を律する問題や謎 (阻止すべき具体的な陰謀や、敵の首領の正体など) がないので、ストーリーが、エピソードの連なりという印象をあたえてしまっています。これは必ずしも、各章題が、「――のエピソード」 で統一されているためばかりではありません。たとえば中盤で、ジョージアと協力して捜査をすすめていたジョン卿の部下が、単身、敵の基地に乗りこみ爆死をとげるくだりは、まったくの勇み足で、無駄死にもいいところ。本筋に全然、影響してこないのです。

 ただ、伏線というのではありませんが、途中、警官のなかにもE. B.の一員がいるらしいというエピソードがあり、これは最後のほうでいきてきます。逃避行を続けるジョージアが、新聞でジョン叔父の奇禍 (轢き逃げにあい重態) を知ったあと、警察を信用して助けをもとめられず、自分の才覚だけで危機をきりぬけていかなければならない、という展開に。

 その、終盤のE. B. とジョージアの追っかけっこが、本書の最大の眼目でしょう。サスペンスフルな進行にともない、女流冒険家の華麗なる七変化が楽しめますから、映像化したら、なかなか面白かろうと思わせます。

 が、肝心のクライマックスで、外部からの救援を導入して話をつぼめてしまうのは、興ざめ。闘うヒロインといえど、最終的に、やはり男性に守られる存在でなければ、当時の読者には、受け入れられなかったのでしょうかねえ。

 面白く読めるがプロットの構成はお手軽、ということで、この作者本来の謎解き小説路線よりは、買えません。印象点は、60点くらい。『野獣死すべし』 のような異色作なら、大歓迎ですが、このテのお話は、まあ、これ一作で充分という気がします。



(別稿U) Nicholas Blake’s  Malice in Wonderland (1940)

@

 戦後、江戸川乱歩が、英国の “新本格派” として我国に紹介した一連の作家のなかで、そののち、順調に翻訳がなされていった唯一の存在が、ニコラス・ブレイクでしょう。

 ポケミス696番 『証拠の問題』 のあとがきを見ると、創元推理文庫がF・W・クロフツの完全収録を目指していたように、昔のハヤカワ・ミステリでは、ブレイクの長篇をすべて、別冊宝石に訳が載った作品までふくめて、刊行する計画があったようです。

 『野獣死すべし』 が、圧倒的に好評だったからでしょうか。あるいは、同期のマイクル・イネス、ナイオ・マーシュといった “新本格派” のなかでは、ブレイクが一番、日本人にとっつきやすいと判断されたからでしょうか。

 しかし、結局、予定は未定で、新作はあらかた収録されていったものの、別宝に訳載されたうち、『死の殻』 や 『ビール工場殺人事件』 は見送られ、初期・中期の若干の訳しもれは、そのままになってしまいました。

 筆者は、学生時代は、不可能犯罪やトリックの面白さに夢中で、地味なニコラス・ブレイクは、『野獣死すべし』 くらいしか読んでいなかった (それはそれで、充分、面白かったものの、これだけのプロットの創意は、他のブレイク作品には見られないだろうと、ひとりぎめしてしまった) のですが、その後、たまたま手にした最終作 『秘められた傷』 に、心底、酔わされ、この境地に達するまでの作者の歩みを追ってみたいと、強く思うようになりました。

 今回、未訳作特集ということで、ほとんど言及されることのない、長編6作目のMalice in Wonderland を読んでみたのですが、果たして邦訳の価値のない、駄作、凡作のたぐいであったや否や?

A

 アリスならぬ、マリス・イン・ワンダーランドというタイトルは、いかにも英語圏の推理作家なら考えつきそうなモジリで、アメリカのルーファス・キングも、1958年の第2短篇集 (※) の表題作に使っています。
     ※『不思議の国の悪意』 として、99年に創元推理文庫より訳出されました。

 本作の場合、舞台となる 〈ワンダーランド〉 は、400人もの宿泊が可能な、各種娯楽施設をそなえた、海辺の一大リゾート地です。当時、イギリスでは、この種の事業がさかんだったのでしょうか。ワンダーランドも、独立経営ではなく、いくつか同種のリゾート戦略を展開している会社の、一環となっています。

 ここで、悪質な悪戯 (プラクティカル・ジョーク) が続発し、滞在客は恐慌状態におちいる羽目に。遊泳者が、足を引っぱり水中に引きこまれるかと思えば、テニス・ボールには、べっとり糖蜜がぬられ、コンサート用のピアノには、音が出ないような細工がされる。ペットの犬が毒殺までされては、話はおだやかではありません。みずから 〈マッド・ハッター〉 を名のる犯人は、拡声器や掲示板を利用して、おのが犯行をアピールします。

 いったい彼 (彼女? 彼ら?) の目的は何でしょう。ただ悪戯をするのが楽しいのか、それとも、ワンダーランドに対する嫌がらせか?

 広がる不安感。屋外の宝さがしゲームに出かけた女性が、腕に水ぶくれをつくって帰ってきても、マッド・ハッターの仕業ではないかという、おびえが走ります。「毒ガスにやられた痕みたいだ」 とは、若き科学者ポール・ペリーの弁。この犯人は、毒ガスまで使う!?

 現場責任者のモーティマー・ワイズ主任は、早急な対策をせまられますが、リゾート地に警察を介入させるような事態は、なんとか避けたい。そこで、なじみ客のデストレスウェイトのすすめで、私立探偵をやとうことになり、ナイジェル・ストレンジウェイズの出番となります。

 ワンダーランドそのものへの嫌がらせが、マッド・ハッターの狙いとすれば、不満をもつ従業員、ライバル会社のまわし者、といったセンもありえますが、一番怪しいのは、なんといっても、近くの森に住む隠遁者、通称イシマエル老人。昔から、この付近の自然のなかで生活しており、ワンダーランド建設のさいには、環境破壊にいきどおり、反対派の先頭に立ったほどですから、ウラミツラミは想像にかたくありません。ポール・ペリーと、デストレスウェイトの娘サリーは、宝さがしゲームのさい、この怪しい老人の小屋を、こっそり調べたりしているのですが、そこには、ワンダーランドを取りあげた新聞記事の切り抜きや、空からワンダーランドを撮った写真などが、隠されていたのです。

 ところが、ナイジェルが到着したその晩、滞在客のベッドに動物の死骸が置かれるという、新たな悪戯が発生し、それまで、マッド・ハッターの熱心な追及者と見られていたポールに、疑惑がもたれます。彼のところから、腐臭のただよう針金が発見されたのです。科学者のゆがんだ心理が、パニック状態の人間を観察することに、喜びを見いだすようになったのか?

 勿論、ナイジェルは、おあつらえむきの結論に、簡単には飛びつきません。さまざまな人物に、マッド・ハッターの可能性はあるのです。たとえば、モーティマー・ワイズ主任の腹ちがいの弟、テディ。彼はワンダーランドのNo.2ですが、兄の能力に、ひそかに嫉妬しているのかも。モーティマーを失脚させるのが、犯人の狙いかもしれないのです。実際、マッド・ハッターが新聞社に電話して、一連の騒動を記事にさせたりしたため、滞在予定客のキャンセルが相次ぎ、主任は親会社に対し、苦しい立場に追いこまれます。

 彼の秘書、つねに冷静な才媛、エスメラルダ・ジョーンズにしても、疑えば疑えます。彼女の父親は、昔、事業上のトラブルが原因で、自殺をとげているのですが、もしワンダーランド関係者のなかに、父のカタキを、エスメラルダが発見していたとしたら……。

 犯罪推理が趣味のデストレスウェイトには、また別な仮説があります。今回の騒ぎは、殺人のカモフラージュではないか、という。つまり、すべては、目的の殺人を、“行きすぎた悪戯がもたらした死” に偽装するための、準備工作だとする考えです。誰かの命が、風前のともしびなのか?

 森の隠者イシマエル老人が、ドイツのスパイと接触しているのではないか、という疑いがおこったり、深夜の花火騒ぎという、マッド・ハッターの新しい悪戯に人々がとまどったりするうちにも、ナイジェルはひとり、犯人の心理を読むことで真相にせまるのですが、誰をも納得させるだけの証拠が、えられません。

 やがて、間一髪のところで難を免れるも、バルコニーのモーティマー主任が狙撃され、射撃練習場からライフルを持ち出した、ポール・ペリーが姿を消します。

B

 設定のうえでは “意外な犯人” ですが、推理小説になれた読者であれば、見当をつけるのは、難しくないでしょう。

 しかし、それは本書の欠点ではありません。作者は、無理に犯人を隠そうとはしていないのです。事実、ナイジェル・ストレンジウェイズが謎解きをする以前に、ある作中人物は真犯人のアタリをつけ、その推測を口にします。

 あてずっぽうでなく、筋道をたてて説明するのが、真打ちたるストレンジウェイズの役割なわけで、読者も “正解” を誇るためには、ミスディレクションにまどわされず、随所に張られた心理的な伏線を、見抜かなければなりません。

 事件の流れの背後にある、犯人の心の動きを読んだストレンジウェイズの推理は、なかなかに見事です。最近読んだクラシックで、たとえばアントニイ・バークリーが、1928年の The Silk Stocking Murders (※) で、心理的な探偵法を心がけながら、具現化できなかったことを想起すると、さすがに推理小説は前進したんだな、と感じさせられます。
     ※ROM82号のバークリー特集で、小生がレビューを担当しました。言わずと知れた 『絹靴下殺人事件』。
       のち2004年に晶文社から完訳が刊行されました。

 ただし、物証のなさを、犯人にしかける “罠” でカヴァーしようとする話のつぼめかたは、いかにも、楽に終わらせようとしているようで、抵抗があります。引き合いに出したThe Silk Stocking Murders 同様、犯人の失言を導くタイプのものゆえ、もし相手が気づいて、踏みこたえてしまったら、それまでです。ワンダーランドにおける、マッド・ハッターがらみの事件ということで、〈はちゃめちゃお茶会 (マッド・ティー・パーティ)〉 をやりたかった作者の気持もわかるのですが (ストレンジウェイズは、終盤、お茶の席をもうけ、そこに関係者を集める)、せめて、犯人の具体的な悪戯の現場を押さえる、といった “罠” でないと、説得力に欠けるのです。

 あと、不満をいえば、時局がら、スパイが登場する傍筋。別に、スパイを出そうがギャングを出そうが、殺し屋を出そうが、かまわないのです。本筋に関係し、効果をあげるのであれば。それが、ただ引き伸ばしのためのストーリーに終わっている点に、問題があります。怪しげな人物をウロチョロさせるだけでは、レッド・ヘリング操作とはいえないでしょう。横溝正史の 『獄門島』 における、“海賊” の効果的な使いかたが、思い出されました。

 宝さがしのゲームに出かけた女性が、有毒植物にやられて腕をはらす挿話があり、これは、マッド・ハッターとは関連のない “事故” なのですが、意外にも、のちの事件の展開に、大きな影響をあたえることになる。こうした芸を見せることのできる作者だけに、スパイをめぐる部分は、見劣りします。

 また、この傍筋で、他にちょっと残念なのは、射ち合い的な状況で一件、過去において一件、殺人が発生してしまっていることです。本筋のほうは、あくまで悪戯が中心ですから、余計な入れ事をしなければ、当時としても珍しい、“殺人のない長篇ミステリ” を達成できたものを。あるいは作者に、最後まで殺人をおこさないことに、ためらいがあったのかな、とも思います。

 点数で見てみましょう。

(1)レギュラー探偵制度                                     30
(2)捜査サイド物語                                      30
(3)登場人物
    滞在客、従業員あわせて400人以上もいるわりには、“主要登場人物”を
    しぼりこみすぎかな、という気はします。個々の書きわけは、まずまずで、   5
(4)プロット
    『証拠の問題』 や 『死の殻』 に見られた、こまかい作中トリックは、『ビー
    ル工場殺人事件』、『野獣死すべし』 と見てくると、徐々にブレイクの長篇
    からなくなっているようで、本書も例外ではありません。けれど、犯行動
    機に企業間闘争をからめた着想は新鮮で、読後のプロットの印象度は、
    強いといえます。犯人の裁きかたも、面白い。引き伸ばしのための傍筋と、
    確実性に乏しい“罠”を減点して、                          5
(5)フェアプレー
    心理的な伏線は、充分。                              10
(6)その他
    殺人のない長篇ミステリに徹していれば……と思います。            0
                                               計 80

 ちょっと高い感じになりましたが、印象点は、70点台。既訳の初期作に比べて、そんなに見劣りする出来ではありません。今さら邦訳を希望するほどではないにせよ、ニコラス・ブレイクに関心があるという向きは、一読して損はないでしょう。バークリーやヴァン・ダインほど強調はしていませんが、心理的な謎解きをあつかって、この面では、さりげなく、先輩たちをこえてしまっているのですから。


(付記)

 未訳の本格ものを中心に原書レビューを敢行、近年は非英語圏の作家研究にまでそのスコープを広げる、クラシック・ミステリ・ファンジンROM。これはその、83号 (1992・4) に発表した旧稿に一部手を入れたものです。同号はニコラス・ブレイク特集ということで、主宰者の加瀬義雄氏による Minute for MurderThe Morning After Death 評などとともに掲載されました。Malice in Wonderland のレビューに付した採点は、印象批評を避け、作品評を客観的なファクターでおこなうべしとする、加瀬氏のROM式採点法 (100点満点で、レギュラー探偵システムに30点、捜査側から描く探偵小説本来のストーリー構成に30点をあたえる。あとの要素は10点ずつ) を踏襲したものです。いま読み返してみると、“ファルス・ミステリ” をパズラーとして生真面目に解剖しているあたりが、小生らしいというかなんというか……。

 このあと 「ポスト黄金時代のブレイク」 という文章をまとめて、区切りをつけるつもりでいましたが、結局、予定は未定で、生来の怠け者ゆえ10年以上を無為に過ごしてしまいました。そのかん、翻訳ミステリ・シーンではクラシックの復権がなり、なんと Minute for Murder が訳出 (98年に 『殺しにいたるメモ』 と題して原書房から刊行) され、『死の殻』 まで改訳 (こちらは2001年に創元推理文庫に編入) されるという、信じがたい事態が出来。また昨今の論創社の快(怪?)進撃を見ていると、残るブレイクの未訳作が紹介されるのも、あながち夢ではないような気がします。ただ、クラシック・ミステリの刊行ペースがこうまで加速すると、書評家はもちろんマニアまで、消費サイクルに繰みこまれるというか、次から次へと消化する作業に追われ、好きな作家・作品をじっくり読みこみ考えを深めることが、おろそかになりがちです。もちろんこれは、自戒の意味をこめて。今回の 「本棚の中の骸骨」 への再録を機に、あらためて、ブレイクの後期作を読みなおし、その全体像をまとめておきたいという意欲が再燃してきました。将来、新稿をお目にかける機会があるかもしれません。

(2005.10.17掲載)


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