8 1/2章で書かれた国書刊行会の歴史


 

第一章 創世記
1970年代初め、とある印刷会社が考えた。下請け仕事ばかりではつまらない、オレたちもひとつ出版をやってみようじゃないか。編集のノウハウはないが、復刻本なら需要さえ外さなければいい。第一弾は『玉葉』と『明月記』。明治時代に古典籍の翻刻・頒布を行なった会員制の出版団体「国書刊行会」が刊行した平安・鎌倉時代の貴族の日記である。どうせなら、というので社名も一緒に拝借してしまったのがそもそもの始まり(後にこれが様々な誤解を生むことになる)。

第二章 複製技術時代の国書
海外文学やオカルト本でしかこの会社を知らない読者は、国書刊行会という社名に違和感をおぼえるかもしれない。だが、創業当初の『万葉集難訓考』『蝦夷語集録』『近世風俗見聞集』『日本天台史』『浦上切支丹史』『益軒全集』……といったラインナップはまさに「国書」のイメージそのもの。日本史・東洋史・言語学・民俗学・仏教・郷土誌と、社員は復刻原本探しに奔走した。とくに残存部数の少ない戦前学術書・史料の復刻は、学校・図書館や専門家の需要が確実に見込める、手堅いビジネスだった。出版点数は忽ち増大し、国書は最初の繁栄期を迎える。

第三章 寺(テラ)・・・
やがて復刻企画を通じて縁のできた著者を起用して、新組本の出版も始まる。この時期のベストセラーが釈慶厳編『法名・戒名大字典』。故人に授ける戒名(「〜居士」「〜大姉」というやつね)用の語彙8万語以上を経典等から収集した寺院向け実用書だ。28,800円もした高い本だが、これが売れに売れた。お坊さんだって、そう簡単に新しい戒名を思いつくわけではないのだ。この参考書は大歓迎され、仏教実用書は国書を支える大きな柱となる。ちなみにこのジャンルの本はほとんどが直販。寺院向けDM発送作業は月に何度も実施された。社長の陣頭指揮の下、社員総動員でパンフのセット組み、宛名貼り、封詰め、封閉じにあたる現場は、まるで戦場のようだったという。

第四章 けものたちは故郷をめざす
70年代に生まれたもうひとつのヒット企画が、全国各地の市や町の古い写真をあつめた《明治大正昭和 ふるさとの想い出写真集》シリーズ。郷土史家らに編纂を依頼、地元書店と組んで、その地域限定で数千部を売り切る営業戦略を展開。78年の『川越』から96年の『吹上』まで総点数328巻にも達した。このシリーズをはじめ、郷土本の編集者は営業を兼ねることも多く、ときにはトラックに出来上がった本を積んで、直接現地へ配本に向かうこともあった。

第五章 奇跡なす者たち
そういう復刻・仏教書・郷土本の出版社に、紀田順一郎氏が数社に断られて断念寸前だった《世界幻想文学大系》の企画を持ちこみ、即決を得たのが74年のこと。翌75年にボルヘス『創造者』を第一回配本としてシリーズ刊行開始。国書ファンにはよく知られたエピソードだが、これを皮切りに《ドラキュラ叢書》《ゴシック叢書》《ラテンアメリカ文学叢書》《セリーヌの作品》《ヘンリー・ジェイムズ作品集》《メルヴィル全集》《ドイツ・ロマン派全集》《フランス世紀末文学叢書》《バベルの図書館》などの海外文学シリーズが陸続と生まれることになる。まさに運命の出会いであった。

国書刊行会に関する噂
国から公的資金の注入を受けている(ウソ。「だから本が売れなくても大丈夫なんだ」などと言う知ったかぶりには永遠の呪いあれ)。明治時代から続いている(ウソ。但し前述のように誤解もやむなしの部分も)。お坊さんの剃髪用シェイバーや中国語ワープロソフトを販売していたことがある(ホント)。日本語学校を経営している(ホント)。かつて魔法講座を開いていた(ホント)。かつて競走馬を所有していたことがある(ホント。正確には関連の印刷会社名義)。地下倉庫の奥深くに禁断の魔道書『ネクロノミコン』原本が秘蔵されている(ウソ。国書クラスタの皆さんには残念なお知らせだが、そもそも国書刊行会に地下室はない)。

第六章 這い寄る混沌
どちらかといえば高踏派の幻想文学が主流だった国書海外部門に、Cthulhu神話やウィアード系ホラー、オカルト書を導入したのが、怪奇小説ファンダム〈黒魔団〉出身で後に作家となる朝松健氏。《真ク・リトル・リトル神話大系》《世界魔法大全》の成功は、《定本ラヴクラフト全集》《アレイスター・クロウリー著作集》へとつながった。ページに封印を施し、「封印開封後に災害・大戦争が生じても小社は責を負わない」という断り書きを付したクロウリーの奇書『法の書』は、現在も版を重ねるロングセラー(「封を切ってしまいましたが、どうしたらいいでしょう」という読者の相談もあとを絶たない。そこは自己責任で)。

第七章 花咲く乙女たち
海外文学部門が次第に存在感を増していく一方、国書伝統の復刻企画も健在で、80年代最大のセールスを記録したのが中原淳一主宰の少女雑誌『ひまわり』復刻版。新聞広告で刊行を発表するや、昭和20年代に思春期をすごした元「少女」からの問い合わせで社の電話は鳴りっぱなしとなった。またこの頃、同じく復刻版を出していた吉屋信子の少女小説『あの道この道』が、《乳姉妹》としてTVドラマ化されている(制作はあの大映テレビ)。『ひまわり』ヒットの余勢をかって《淳一文庫》《熱血少年文学館》等のシリーズ、『ジュニアそれいゆ』『新青年』『スタア』『野球少年』等の雑誌復刻企画も実現した。

第八章 果しなき流れの果に
その後も、世界文学の最前線を紹介して90年代海外文学ブームをリードした《文学の冒険シリーズ》、クラシック・ミステリ復権の口火を切った《世界探偵小説全集》、SF出版の空白地帯に果敢に挑戦した《未来の文学》など、ユニークなシリーズを次々に刊行。《叢書江戸文庫》や《日本幻想文学集成》《定本久生十蘭全集》など、日本文学部門でもその独自性は異彩を放ち、鳥山石燕『画図百鬼夜行』は妖怪画ブームの先駆けともなった。ときに出版界の辺境、番外地、特殊版元などと呼ばれ、また自ら「前衛出版社」と名乗ったりもしているようだが、流行りすたりに関係なく、自分が面白いと思うもの、本にしたいものを頑固に追い求める姿勢は、むしろ出版の正道といっていいのではないか。出版なんてそもそもが野蛮な商売だ。「前例がない」「部数が読めない」といった声に屈しているようでは、面白いものが出てくるわけがない。創立四十周年、不惑の年を迎えた国書刊行会だが、『わが人生 わが日活ロマンポルノ』『創世記 若き日の芸術家たち』『幻想文学講義』といった新刊ラインナップをみるかぎり、野蛮な遺伝子は現在も受け継がれているようだ。

(2012.10)  

note】

《本の雑誌》 2012年10月号、「特集=国書刊行会の謎と真実!」 に寄稿したもの。タイトルはもちろんジュリアン・バーンズ 『10 1/2章で書かれた世界の歴史』 のもじりだが、「8 1/2」 という数字からフェリーニを想起した人もいたようだ。最後が駆け足で、2章少ないのは紙幅の都合だが、当編集室が在籍していたのは前世紀の話なので、残り2章分に相当する歴史についてはいずれ現れるであろう新たな語り手に委ねたい。章題はおおむね本のタイトルを下敷きにしている(説明は不要かと思うが、元ネタは順に、旧約聖書、ベンヤミン、竹宮恵子、安部公房、ジャック・ヴァンス、筒井康隆、ラヴクラフト、プルースト、小松左京)。再録にあたって、少しだけ情報を追加した。