5月12日に兵2万5千をもつて駿府を出発、翌13日に遠江の掛川に着陣。その後、引馬、吉田、岡崎、知立を通り、18日に沓掛に本陣を設置した。19日今川勢は一斉攻撃に入るが、義元本隊は、沓掛を出て大高城(松平元康在陣、兵2千5百 )へ進軍、途中桶狭間(田楽狭間)付近で休息。その間隙をぬって信長は、2千足らずの軍勢で「奇襲」、今川冶部大輔義元の首級をあげる。1番槍は服部小平太忠次、首級を挙げたのは毛利新介良勝であったという。いわゆる「桶狭間の戦」である
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