国際演劇協会(ITI/UNESCO)日本センターでは、2003年より隔年でアジアダンス会議を主催してきました。第1回目は、バングラデシュ、韓国、マレーシア、フィリピンのダンス関係者が来日し、東京、名古屋、京都の3都市で開催し、第2回目は、インド、インドネシア、イスラエル、韓国、トルコから来日した振付家や研究者・批評家が京都で濃密な時間を共有しました。第3回目となる今回は、場所を京都から東京・森下スタジオへと移し、第 2回の成果と方法論を踏まえ、学術的な「国際会議」という形式ではなく、ダンスの現場に携わる人間にとって具体的な議論の機会になることを目指しています。
今回は、インドネシア、シンガポール、タイ、マレーシアから振付家/ダンサーと批評家/研究者/プレゼンターを招き、作品のプレゼンテーション、ワークショップ、研究発表などを通じて、「今ここにあるダンス」を観察し、分析していくことになっています。最終日には、ファイナルセッションで議論の経過を報告し、さらに別の分野の専門家であるゲストによって、その議論に違った方向から光を当ててもらい、議論を広く共有していきます。
コンテンポラリーダンスの問題のひとつに、振付家/ダンサーが作品を作り続けていくモチベーションを維持していくために刺激を受ける時間的な余裕がないという現状がありますが、本会議は7日間の全プログラムを通じて、参加者、見学者にとって知的な刺激になることを願っています。
第3回アジアダンス会議の出発点 ? ありきたりのことばを疑ってみる
アジアのコンテンポラリーダンスが日本に紹介されるようになってすでに10年以上が経ち、以前に比べると、日本でもかなり頻繁にアジアのダンスの作品を見ることが出来るようになりました。また、アジアのダンスをテーマとした会議やシンポジウムなども昨今では多く実施されています。にもかかわらず、依然アジアはなにか漠としていて、一部のアジアに関心がある人にしか情報が行渡っていないという感があります。今、アジアを切り口に新たな会議の企画を立てようとするとき、その過去の交流の経緯を踏まえ、もっと現実的な次の一歩を踏みだせないかと考えました。
そこで、まず始めに企画チームが合意したことは、「ありきたりのことばを疑ってみる」ということでした。アジアをテーマとした会議などでは、しばしば「アイデンティティ」「伝統と現代」「グローバリゼーション」といったことばが使われてきました。けれども、このようなことばを無反省に使うことによって、予めことばにまとわりついたイメージや議論にからめとられてしまう危険がある。ですから、今回は最初から抽象的なことばで考えを共有するのでなく、出来る限り別のことばで考えを説明するということを準備段階から重ねてきました。結果的に、準備におそろしく膨大な時間を費やすことになりましたが、会議の基礎になる部分から、主催する側が共通認識を丁寧に積み上げ、会期中6日間の議論を単なる情報交換に終わらせないために必要な作業であったと考えます。
新機 イは、「р フダンス」
本事業は、コンテンポラリーダンスの振付家/ダンサー、また批評家/研究者/プレゼンターを対象としており、短期間のアーティスト・イン・レジデンスというイメージのもと、ダンスに関わる異なる立場のメンバー間でことばによるコミュニケーションを成立させ、多角的にダンスを「再発見」していくことを目的としています。
今回の企画の新機軸になるのは、「私のダンス」というセッションです。まず、セッションのテーマとして、抽象的なことばを掲げるのではなく、具体的な作品を紹介し、それに対しての素朴な感想や質問をまず拾い上げ、背景を説明していく、という帰納法的な方法をとっています。その場では、振付家と批評家/研究者/プレゼンターが一緒に一つの作品について、議論をすることになります。
議論の趣旨は、作品批評ではなく、作品の中にその振付家の個的な部分がどのように現れているか、あるいは潜んでいるかを、複数の角度から見ながらあぶり出し、全員で丁寧に分析をしていくことによって、今まで見えていた姿とは違う「私のダンス」を浮かび上がらせるということです。同時に、質問する側にも今まで自分があまりにも当然だと思い、それについて改めて考えたこともなかったようなことを改めて考える機会を与えることにもなります。ひとつの作品を材料にして、質問する側、される側の気がつかなかった部分を指摘しあうという相互に対等な関係を築いていきます。
ダンスの現場は、ダンスそのものの中にしかなく、結果的に立場は違っても「当事者」である人たちが、ダンスを理解するための共通の土壌をつくることを目的としています。このセッションを、身体を動かすワークショップに対し、「ことばのワークショップ」と位置づけています。
ディスカッションはより集中した環境で、成果は広く共有
本事業は、文化庁から事後の報告書の作成を目的とした助成を頂いています。そのため、会議は、上記の趣旨に沿うようその場に多くの観客を集めることより、より率直で深い議論が出来る環境づくりを優先しますが、その成果についてはディスカッションの過程などを採録した報告書を作成し、広く共有することになっています。特に、ダンスについて考える上で、解答ではなく、問題意識が詰まったような、読む人を知的に刺激するような報告書を目指しています。
テーマ「流れる 切る つながる 重なる」
「アジア」を語ることの難しさは、何といってもそれが「アジア」の人々によって確立された枠組ではない、という点に由来する。そもそもかつてのヨーロッパ人たちが、自ら「ヨーロッパ」というアイデンティティを得ようとした、その副産物として生み出されたのが「アジア」なのである。もちろん、無数の異なった宗教、思想、文化、言語がひしめき合うこの地域を一括りにするなどナンセンスだと切り捨てるのは簡単かも知れない。しかしそれでも「アジア」は、そう呼ばれてしまった以上、既にこの世界に存在してしまってもいる。そんなものはない、と言うだけでは決して逃れられない奇妙な実体なのだ。
確かにいえるのは、アジアはなく、かつアジアはある、つまり「アイデンティティは不可避的に生成される」ということである。現在あるどのアイデンティティも、過去のある時点で、具体的な歴史的プロセスの中で生まれた。そしてその前には別のアイデンティティが、別の力学の中で配分されていただろう。ということは、今あるどのアイデンティティも、潜在的には無限の変化に向けて開かれていることになる。つまりアイデンティティ(同一性)とは、実は固定されたものではなく流動的なものであり、常に変化と再構成を繰り返している運動体なのだ。
加速し続ける文化・経済のグローバル化とともに、世界中の文化が急激に画一的なものになりつつある。これに抵抗しようとする人々は当然、文化の多様性を強調することになる。しかしこうして擁護される「文化の多様性」が、皮肉にも、単なる保守反動的なナショナリズムの養分になってしまうという事態が至るところで起きている。国民や民族の「伝統」やアイデンティティが探し求められ、生きた文化が「保護」の名のもとに博物館に収蔵され、他方、マイナーで弱い文化は顧みられることなく衰退していく。こうして「多様性」の擁護は、自らを裏切ってしまうことになる。
いま必要なのは、本当に「多様なアイデンティティ」なのだろうか。むしろアイデンティティ(いつも同一であること)という観念そのものが、問い直されるべきなのではないか。ことは国際政治や経済の枠組だけに留まらない。言語、宗教、階級、セクシュアリティ、ジェンダー、こうしたいくつもの枠組の一つ一つが折り重なり、複雑な網の目状の線となって、一人一人の身体を横断し、貫き、多方向に同時に引き裂きながら、不安定な多重構造をなしている。逆にいえば、身体において、本来なら次元の違う複数の線が重なり合い、互いに干渉し合って歪めてしまうというようなことが絶えず生じているはずなのだ。文化はそのようにしていつも動いているのではないか。
ダンスがこの身体に向き合い、目を凝らすならば、その等身大のまなざしは、特定の民族やジェンダー、宗教や階級などといった抽象的な観念には必ずしも回収し切れない、さらに微細で曖昧な「線」とその動きをも感受することができるだろう。互いに同じだと思っていた人々の中に新しい差異を、異質だと思っていた人々の間に新しい類似が見つかるだろう。言葉でつかまえることもできない、暗黙の内でとりかわされる身体の表情、身振りの肌理、あるいは時間や空間の感覚の中に、人々を分け隔て、同時につなぎもする(「ボーダー」であると同時に「ネットワーク」でもあるような)錯綜した「線」が走っているのを、そしてそれらが互いに絡まり合いながら予想もしない方向にズレていくのを、ダンサーも観客も、肌で、あるいは内臓で、感じ取るはずだ。
そのことを改めて強く意識化するために、全くバラバラな地域で生まれた様々なダンスを持ち寄ってみる。しかも、伝統や様式、技術などの知識から理解しようとするのではなく、まずは個々人の視点から素朴な疑問や感想を互いに交換することから出発してみたい。「文化の多様性」を抽象的に語ることはいくらでもできる。しかし、異なる文化を背負った身体と身体が互いに演じる、すれ違い、食い違い、誤解、摩擦を、身をもって経験するなら、すでに自明のものと思われている「現実」が決してすべてではないことがわかるのではないだろうか。これまで思ってもみなかったところに新たな「線」を見出し、現実に揺さぶりをかけていくこと、そこにダンスの政治的ポテンシャルがあるに違いないのだ。
(2006年10月1日 武藤大祐)
全体の流れ
本企画では、参加振付家の作品を出発点として話しを進め、そこから見えてくる人や地域、文化や歴史などダンスを取り巻く背景を6つのプログラムで解明していく。
◆オープニングセッション
インドからパドミニ・チェターさんを迎え、伝統が色濃く残る環
境の中で、自分自身の表現に至ったプロセスを聞く。このセッ
ションは、次の日から始まる各振付家の「私のダンス」の先取り
ともいう位置づけで、会議全体の方向性を示すとともに、観
客に向けても次の日からのディスカッションの「予告編」となる
ものである。
ゲスト:パドミニ・チェター(振付家・ダンサー)
‘70年、南インド・チェンナイ(旧マドラス)生まれ。幼少時より
古典舞踊のバラタナティヤムを学ぶ。‘91年から8年間チャンド
レーカ舞踊団に所属。古典舞踊のスタイルとは違う感情を廃
した動きに目覚める。‘99年から振付をはじめ、‘01年からは
パリ市立劇場などヨーロッパの劇場にて作品を製作、ツアーを
行う。‘06年10月にはソウルアートセンターで委嘱作品を上演
した。主な作品に『3solo』『Paper Doll』など。
パドミニ・チェターワークショップ、レクチャー&プレゼンテーションの
ご案内はこちら
◆オーバービュー「日本のダンスのこれまで、そして今」
参加者の個別の話しに入る前に、日本のダンスの歴史や
現在に至る状況を知る時間をもつ。
講師:國吉和子 (早稲田大学演劇博物館客員教授)
◆振付家による作品のプレゼンテーションと
ディスカッション「私のダンス」
参加振付家8名がそれぞれのことばで話す自己紹介セッ
ション。個々の振付家の具体的な作品を議論の出発点とし、
ダンスやその背景を掘り下げていく。
◆エクスチェンジ・ワークショップ
アジア各国から参加する振付家が順番に講師となり、互いの
表現方法や身体論、世界観を交換し合うワークショップ。
◆批評家/研究者/プレゼンターによる個別セッション
「アジアのダンス」
アジアのダンスやその背景をより理解するために、振付家の
周辺でダンスを支える人々がそれぞれの視線で見つめる
「ダンスの今」を報告する。
◆ファイナルセッション
2部構成とし、第1部では6日間のディスカッションを振り返り、
第2部ではダンスとは別の分野の専門家をゲストに招き、6日
間の成果について別の角度から光を当てる。
ゲスト:森山直人(京都造形芸術大学 舞台研究センター)
前田比呂也(沖縄県立美術館キュレーター)
第三回 アジアダンス会議 2007
日時:2005年2月6日(火)〜2月12日(月・祝)
会場:森下スタジオ
(東京都江東区森下3-5-6)
地下鉄都営新宿線、都営大江戸線
「森下駅」 A6出口 徒歩5分
主催:社団法人国際演劇協会(ITI/UNESCO)日本センター
助成:平成18年度文化庁芸術団体人材育成支援事業
財団法人セゾン文化財団
後援:各国大使館など(予定)
参加料:
◆通しパス
(ワークショップ含む全てのプログラムにご参加いただけます)
一般5,000円、学生&ユース(25歳以下)4,000円
◆各回パス
「オープニングセッション」「ファイナルセッション」
各回1,500円(1drink)
「ワークショップ」各回1,000円
「私のダンス」「アジアのダンス」各回500円
※各セッションには、オブザーバーとしてご参加いただけます。
※ワークショップのみ、ダンサー・振付家を対象としてご参加いただけます。
申し込み方法:
adc_2007@hotmail.co.jp まで、お名前、フリガナ、ご所属、電話番号、E-mailアドレスと参加希望プログラム、人数をお知らせ下さい。
※要事前予約、定員になり次第締め切り。
※未就学児童の入場はお断りさせていただきます。
※学生&ユースは学生証か年齢の確認できる身分証明証を
受付時にご提示下さい。
【問い合わせ先】
社団法人国際演劇協会日本センター(ITI/UNESCO)内
アジアダンス会議制作:後藤美紀子、清水幸代
E-mail:adc_2007@hotmail.co.jp
〒151-0051 渋谷区千駄ヶ谷4-18-1 国立能楽堂内
Tel 03-3478-2189 Fax 03-3478-7218
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