クロアチア、スロベニア、アルバニア、ボスニ
ア、モンテネグロ 10日間の旅

 毎朝のウォーキングで体調も大分回復してきましたので、思い切って、か
ねてから念願の東欧、アドリア海沿岸諸国の旅行に挑戦しました。経路的
にはトルコ経由で入国、アルバニアからモンテネグロ、ボスニア、クロアチア
とアドリア海沿岸をバスで北上、後半、クロアチアとスロベニアの内陸部を
観光して、トルコ経由で帰国したもの。
 アドリア海沿岸の各都市は燦々と輝く太陽、赤い屋根と白い壁の家、紺
碧に輝く海、本当に珠玉のようなリゾート地で、欧州各国だけではなく、世
界中から観光客が押し寄せている状況でした。特にカメラ愛好家には何処
をとっても素晴らしい被写体ばかりで、忙しいツァー旅行では十分なシャッ
ター時間も取れず、欲求不満が溜まり、あとで一人でゆっくりと来たいなあ
とため息ばかりが出てくるような毎日でした。
 ただ、1990年代の旧ユーゴ内戦の影がまだ背負っている所も多く、内
戦のすさまじさを語る弾痕の跡が生々しい建物も数多く残っており、夫々の
国の観光地へはバスで移動するわけですが、国境を超える度毎に税関、
警察の検問があり、パスポートチェックの面倒さも、この地の歴史の複雑さ
を感じさせるものでした。トイレの数も少なく、しかも有料、小用の間隔が短
い高齢者にはなかなか厳しい旅でもありましたが、総じて満足のゆく旅行
でした。
 以下、写真での紹介となりますが、廻った観光地の数も多く、ごく一部に
なってしまいます。それでも、結構な枚数ですね。

 モンテネグロのコトル、城壁に囲まれた要塞都市で、1979年に世界遺
産に登録されています。山の尾根を走る城壁が見えるでしょう。 


 コトルを代表する教会、聖トリプン大聖堂です。


 ローマ・カトリック教ですので、教会内部はイコンで祭られています。


 旧市内はどこをとっても素晴らしい被写体ばかりです。


 コトル港内です。アドリア海沿岸の入り組んだ湾の最奥の港町です。


 ドゥブロブニクへの移動中の光景です。海岸はほとんど岩場なので、コン
クリートで作られた海水浴場となります。


 これも移動中の風景ですが、このような景色がアドリア海沿岸はずーと続
いています。沿岸すべてがリゾート地ですね。


 これが有名なドゥブロヴニクです。アドリア海の真珠と言われる観光地で
すが、あいにくの天候で冴えません。スルジ山から撮影したもの。町が城
壁で囲まれているのが解ります。




 城壁ウォークでの光景です。20年前のユーゴ内戦で破壊された建物が
未だのっこています。






 旧市内の広場の光景です。果物を売っていますね。




 オスマントルコの影響を色濃く残すボスニアのモスタルヘ行く。ネレトヴァ
川傍に宿泊のホテル、右岸にユーゴ内戦の廃墟が見えます。


 モスタルを象徴する橋、スターリ・モスト(石橋)です。内戦で破壊され、戦
後、再建されたもの。




 今日は5日目、クロアチアのトロギール、聖ロヴロ大聖堂の広場の時計
台、ここが観光の中心地です。


 時計台脇の裁判所跡で、アカペラソングのメンバーの一人と2ショットで
す。


 聖ロヴロ大聖堂の鐘楼です。


 アドリア海沿岸最大の都市、スプリットです。海岸通りの長い城壁が見事
です。


 ローマ皇帝ディオクレティアヌスの宮殿跡があります。




 スプリット市内、観光後、観光船で湾内を回る。崖から子供が海に飛び込
んでいました。




 シベニク(クロアチア)へ向かう途中、出会った美しい島、ブラーチ島です。


 シベニクの聖ヤコブ大聖堂が世界遺産に指定された際、決め手になった
という71人の人頭(一部)です。


 城壁の一部が改造されて民家になっています。面白ですね。


 海に突き出た港町、ザダールです。海水浴場がここも岸壁ですね。シーオ
ルガンと呼ばれ、海岸の風が吹くとオルガンのような音を出すところです。


 美しい建物が並ぶナロドゥニ広場、アドリア海沿岸沿岸の旅もここで終わ
りです


 今回の旅もいよいよ後半、バルカン半島の内陸部に入ります。先ずは期
待のプリトヴィツェ湖群国立公園です。湖と湖を結ぶ滝が見どころです。












 観光最終日の8日目、ブレッド湖を観光、渡船でブレッド島に渡る。手漕ぎ
船で、ガソリンを使う船はすべて禁止だそうです。




 最後はヨーロッパ最大の鍾乳洞、ボストイナ鍾乳洞の観光です。最初、ト
ロッコで鍾乳洞に入り、その後、徒歩で鑑賞です。このような規模の大きな
ものは日本では見られませんね。













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