The Record of My Life 


 私はオーディオマニアではない。オーディオにカネをかけるくらいなら、レコードを買う。コレクターの大半はそうだと思う。優先度からすると、当然盤が優先なのだ。オーディオが好きな人は、往年の名器をたくさん持っていて、装置の組み合わせで音の違いを楽しんでいる。私には全く理解できない。やってる人は楽しいのかもしれないが、じゃあ何を聴いてるのかというと、音源は何でもいいように見える。特にこのレコードが好きだから ということはなくて、装置固有の音色と組み合わせの妙を楽しんでいるようなのだ。世の中いろんな人がいるものだ。あちらから見れば、音が出るだけの装置でレコードを買い漁っているほうが、よほど異常に見えてしまうのだろう。まぁ極端なのはどっちもどっち だとは思うが。音源も装置も適度にバランスを保ってるのがいいのだろうが、これを両立している人は本当に少ない。

 コレクター的な視点では、装置でいろいろ音が変わってしまうと困る。自分のリファレンスとなる装置からはいつでも同じ音が出て欲しい。それでこそ、わずかな盤の音の違いを楽しむ(これも相当異常か!)ことができる。リファレンスが確立していて、その上で、カートリッジや装置を換えて音色の違いを楽しむのならよいと思うが、予算が限られたコレクターはまずそんなことはやらない。どちらかなら当然盤を買う。

 しかし、なぜこうなってしまったのか?考えてもよくわからない。思えば、私の人生はレコードとともにあった。生まれた時から(へたすると生まれる前から)ずっと今までレコード漬けだったのだ。コレクターになりたくてなったわけじゃない。でもオーディオマニアにはならなくてよかったな(笑)。

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 私が子供の頃、というか、物心ついたときにはすでに家にステレオがあった。2歳くらいの頃の写真を見ると、自分の背景に大型のフロアスピーカーが写っている。大型といっても10インチのウーファーにコーンツィーターが2個という、ナショナル製のスピーカーだ。アンプは6BM8プッシュのパイオニアのレシーバー、プレーヤーはKS MusicMasterのアイドラ式のターンテーブルにGraceのトーンアーム、カートリッジはF-5Dという初期のMM型だった。どれも当時の最新鋭の機種だったと思う。好きなパーツを組み合わせた、いわゆるモジュラーステレオと呼ばれるものだ。昭和35年(1960年)のことだ。当時このような装置のある家庭は極めて珍しかったと思う。少なくとも小学校を卒業するまでは、よその家で同様の「ステレオ」を見たことがなかった。メーカーから出たフルセットのコンポーネントステレオを持っている家もあったが、どれもうちのステレオと比べるとオモチャに見えた。

 父はクラシックが好きで、手当たり次第(のように思えた)レコードを買い漁っていた。私が小学校へ上がる頃にはLPが少なくとも300枚はあったと思う。レコードの価格は当時1,700円から2,000円くらい(今と大差ないが)だった。当時の月給は2万円ほどだったはずだが、なぜか毎月10枚くらいは増えていたように思う。決して裕福な家庭ではなかったが、母も働いていたので、おそらく自分の給料はほとんどすべてレコードに注ぎ込んでいたようだ。ある時、母は仕事を辞めたいと父に相談したが、それはダメだ と言われたらしい。当然だ(笑)。今でもそのことを母は根に持っている。また、私がレコードを買い続けていることに呆れ果てている。

 3歳になると、父は私用のプレーヤーと盤を用意してくれた。おそらく、こっち(メイン)は触るなよ ということだったのだろう。メインのプレーヤーは大きな木製の蓋付きのキャビネットで、鍵がかかっていた。その鍵は小学校3年になるまで私の自由にはならなかった。私用のプレーヤーはモーターは同じく KS のMusicMasterだったが、鋳物ではなく、鉄板プレスの10インチプラッターだった。カートリッジはRION製のクリスタル、アームもRIONだった。針圧は8gくらいあったと思う。これを大型のラジオの外部入力に入れる。(クリスタルはRIAA-EQは不要)この装置で父が見放した盤を片っ端からかけて聴いていた。カンチレバーが無いので多少乱暴に扱っても壊れることはないし、盤もダメになってもいいようなやつだった。(といっても立派に音が出るのだが)これで片っ端からワルター、トスカニーニ、シューリヒト、フルトヴェングラー、ミュンシュ、クリュイタンスなど、巨匠と言われる名演奏をあたりまえのように聴いていた。声楽は言葉がわからなかったのであまり興味を示さなかった。もっぱら交響曲を繰り返し聴いていた。

 小学校に上がる頃には聴いた交響曲がすべてインプリントされていた。学校では音楽室で聴く「名曲」が苦痛だった。音楽室にはそこそこの装置があったが、音楽の先生が盤を素手で掴むし、傷だらけの盤を聴かせられるのだからたまらない。この頃になると父がレコードを大事に扱っていたので、そのままマネして溝に触らないようにレコードを扱うのが身についていた。音楽室でレコードを聴いた日は、家に帰って同じ曲を聴いてうっとりしていた というヘンな小学生だった。

 小学校の高学年になると、加山雄三とランチャーズとか、寺内タケシとブルージーンズのようなエレキブームが到来して、ほどなくVenturesを聴くようになった。一連のGSはテレビで見るもので、レコードを買って聴く気にはなれなかった。Beatlesは長髪の不良の音楽で、中学校に行くまで敬遠して聴かなかった。
ラジオでポップスを聴くようになって、小遣いでシングルレコードを買ってはいたが、クラシックのレコードとは別の次元ものと考えていた。ほどなくBeatlesが好きになり、ZeppelinやYesなども聴くようになった。そこから先、70年〜80年のロックはパンクが来るまでリアルタイムで聴いた。

 1970年頃には6BM8のアンプがノイズを出すようになり、TRIOのトランジスタのアンプに交換した。(まだOCLではないので、電源を入れると盛大にポップが出た)カートリッジもF-8Lに合わせてテクニカのアームを新調した。スピーカーはコーラルのFLAT-8に交換して、旧システムから引き継いだのはKSのターンテーブルだけになった。今思えばこのモーターは強力なトルクがあって、ゴロはあったが、芯の座ったいい音をしていたと思う。

 ほどなく4chブームが来て、初歩のラジオに掲載された福田式のスピーカーマトリクスに凝った。デコーダーは高くて買えなかった。従って、CD-4のレコードはほとんど買わなかった。

 高校になってからは、アマチュア無線に熱中した。無線と実験を読むようになって、金田アンプの存在を知った。自作すれば名器の1/10以下の予算で同等以上の音が出るのも魅力的だったが、強烈にアジる金田さんの文章もすごかった。で、どうしてもその音を聴いてみたくなって、まずEQを作った。これを初めて聴いた時の衝撃は今でも忘れない。針をレコードに落とした瞬間の音がまず違う。針先が溝に食い付く時の音がボッコン ではなく、 ポ なのだ。そのあと曲が始まるまでの針音のきれい(?)なこと! イントロの爆発力というか、瞬発力が全く異次元の体験だった。レコードの音が凄いと思ったのはこの時が初めてだった。

 それからしばらくは金田アンプを作ることにかなりの時間を割いた。東京の学校へ行くようになって、一応プリとパワーが完成した。4畳の下宿でこのアンプを聴いていた。この頃、学校の仲間からいろんな音楽を聴かされて、どれも好きになった。私はどちらかと言えばブリティッシュ一辺倒だったが、USのロックや日本もの、当時珍しかったユーロロック、クラシックはもちろん、アルヒーフやハルモニア・ムンディの古典など どれも好きになった。この頃、ジャズはほとんど聴かなかったのが災いして、今でもあまり聴く気になれない。

 学校を卒業する頃、父が亡くなった。父のレコードはざっと3千枚くらいはあった。葬式の時にカラヤン・ベルリンのお気に入りのセットを棺に入れた。その盤は灰になったが、残りは私が引き継いだ。そのほとんどは今では価値のないものだが、中には英Deccaメタルのキング/ロンドン盤とか、今でも聴けるものもかなりある。会社へ就職して社会人になると、設備用の大型の音響装置を公共ホールなどに設置してまわった。この時にALTECの素晴らしさを知った。今でも515や288-16Gは最高のユニットだと思っている。変換効率(能率)の悪いスピーカーは音楽の出力効率もよくない。これは金田さんの持論だが、本当にその通りだということを身をもって体験した。能率が110dBを超える WEの血を引く291なんかは1Wも入れると恐ろしいことになる。設備用の装置は音質よりも信頼性が求められるので、決してオーディオマニア受けする音ではない。しかし、大型のシステムを大パワーでドライブする快感が別の次元にあることもわかった。この時期プロ用の音響システムや室内音響の基本を体で学べたのは大変有意義だった。

 レコードは相変わらず買い続けていた。スピーカーは父の形見のYAMAHAのNS-1000Mになっていて、プレーヤーも同じくYP-D10を使っていた。この頃に80cmのスーパーウーファーを2個追加した。会社に出入りしていたFostexの営業から、デモ用のFW-800を箱付きで処分するけど、いらないか とオファーしてきたので迷わず飛びついた。カートリッジはこれまた会社へ出入りしていた日本コロムビアの営業からDL-103シリーズをほとんど順に買っていった。3シリーズを経て最後はDL-1000Aまで行ってやめた。システム相応のものでやめておけばよかったのだ。部分的に突出したものを組み合わせてもダメだということがわかった。

 しばらくしてCDが出始め、LPで持っていたものをCDに買い代えていった。CDはノイズがなく、取扱いも楽で、なによりキズ音が出ないというのが魅力的だった。その頃にはアナログは音的には興味を示さなくなっていた。CDを5年くらいは買い続けた。

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 金田さんが電池式のアンプを発表したのはその頃だった。そろそろ、耳が劣化しても大丈夫なように、リファレンスとなる再生環境がほしくなった。いつかはマルチをやってみたいと思っていたので電池式でフルシステムを作ってみようと思った。マルチならパワーはいらないし、電解コンデンサが無いのも魅力だった。NS-1000Mを3wayにして、FW-800を足した4wayとした。デバイダはCRで6dBスロープ、MC直結の2段EQを全部まとめて、最初に作った鈴蘭堂のEQのシャーシに組み付けた。10Wのパワーアンプが4台、35Wが4台とNWとEQだ。電池は単一をEQ用に40個、ドライブ段用に60個、10Wに20個×4、35Wに40個×4 全部で340個になった。パワー段が電源で干渉する(電池のインピーダンスがあるので)のがいやで、各アンプの電源は全て独立にした。カップリングコンデンサは途中に1個だけ。ここには最初に作ったEQの0.47のSEコンを移植した。初段はすべてソリトロンの2N3954の選別品、2SA726Gや2SC960、2SA607、進のプレート抵抗、SEコンデンサなど今では絶版になったパーツばかりだ。アンプはどこか故障するまではこのまま使い続けるつもりだ。故障してもほとんどの部品が絶版なので直しようがない。互換品に交換しても同じ音にはならないのだ。手持ちの部品が切れたらおしまいだ。



 これで最初にLPを聴いたときは驚いた。こんな音がレコードから出るとは!釣ったばかりの魚が目の前でビチビチ跳ねている。しぶきとウロコが飛んできそうな音だ。前に使っていたAB級140WのアンプもDCアンプらしいリアルな音だったが、電池のこれに比べるとビチビチ跳ねない。ノイズの質感も全く違う。アンプの構成もあるのだろうが、電源でこんなに違いが出るとは思わなかった。この音に慣れてしまうと、AC電源のアンプはどれを聴いても電灯線の音がする気がする。このアンプでCDを聴いてもしぶきとウロコは飛んで来ない。聴感上のS/Nはバツグンなのだが、音そのものが平面的になる。こうなるとあとは坂を転げ落ちるようにオリジナル盤収集に走る。もう後へは引けない。CDは音的には全く興味が持てなくなってしまった。

 しばらくはこれで5年くらい聴いていた。しかし、仕事の関係で引越しする度に80センチ2発がどうにも重荷になってきた。2回目の引越しでやむなく1台を処分した。現在はFW-800が1台になって3Dにしている。
電池もちょうど300本になった。この構成に落ち着いて10年目だ。音質は変化した気がしない。このアンプは電解コンデンサが無く、AC電源の影響を受けないので精神衛生上良いことこの上ない。もちろん、スピーカーとかカートリッジの経年変化はある。しかし、電気増幅の部分で変化がないというのは良いことだ。線材が酸化したり、ということはあるが、電解コンデンサの変化に比べれば音に対する影響は少ないと思う。量産の設計でアンプの寿命予測をする場合は、ほとんどの場合、電解コンデンサの寿命だけで設計されているのが現実なのである。



 年間で200本ほど単一乾電池を交換する。現在は水銀ゼロのNEOでは馬力がないので、ハイトップのアルカリを使っている。これまで延べ2000本以上交換したことになるが、AC電源が気になることを考えれば安いものだ。整流管やファーストリカバリーのダイオード、ホスピタルグレードのコンセント、電源ケーブル、プラグの極性、AC200V、はたまた100万以上する電源トランスなど、電源の影響を挙げればキリがない。そのどれも技術的な根拠がある。 ご苦労様です。(笑) これらは電池を使ってる限り、無縁の世界だ。

 プレーヤーYP-D10とスピーカーNS-1000Mはずっとそのままだ。カートリッジはDL-305をリファレンスとして使っていたが、現在はAudioTechnicaのAT33-PTGを使っている。Denonのようなどっしりとした低域は出ないが、中高域の鮮度はバツグンだ。もっと洗練されたものがあれば試してみようと思っている。






6/22追記
 プレーヤーを長年使ったYP-D10からエアフロート式の糸ドライブに代えた。アームはAudiocraftのAC-4000MCだ。エア漏れしたり、いろいろ苦労したが、やっと安定して動作するようになった。金田信者には糸ドライブは人気がないが、このプラッターでは他の駆動方式は困難だ。その後ヘルツ工業の空気バネを導入した。総重量は100kgを超える。乗っている安物のオーディオラックの方が心配だ(笑。空気バネを入れたことで外部の振動が遮断されてS/Nが圧倒的に良くなった。もちろんハウリングマージンも大きく取れる。一番大きな違いは低音がたっぷり出るようになったことだ。ローエンドの限界が伸びたような感じ。なので、レンジバランスからするとAT-33PTGよりも元々使っていたDL-305の方がいい感じだ。というか、プラッターがしっかりしてきたので、DL-305本来の性能が発揮されるようになったのかもしれない。ここしばらくはこのプレーヤーとおつきあいすることになりそうだ。
  
        




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最終更新日: 2008年7月15日 2時00