ケビン・スペイシーの顔芸
 今、世界で一番うまい役者は誰かと問われたら、私は迷わずケビン・スペイシーの名を挙げる。
彼の名を初めて知ったのは「ユージュアル・サスペクツ」だ。それまでは知る人ぞ知る存在だったのだが、これでオスカーを受賞し一気にスターダムへのし上がる。演技という意味で言うと、この作品は身体障害者の役で判りやすかったのだが、この人の本領は、表情筋の一本一本全てをコントロールできるかのような顔の芸にある。

その技を存分に見せたのが、「LAコンフィデンシャル」だ。ラッセル・クロウの出世作として有名だが、真の主人公はスペイシーである。スペイシーの役回りは、腐敗した警察組織の中でとっくにやる気を失ったベテラン刑事である。ゴシップ誌に情報を流し、スキャンダル記事を書かせてやることで小銭を稼いでいる。自慢は、TVの刑事ドラマの顧問をしていること。そしてそんな自分に、うんざりしている。ある日、出世頭のエリート刑事が彼のもとにやってくる。自分が解決した事件は冤罪だった、真犯人を捕まえるのに協力して欲しい、と。エリートは、内部告発も辞さない出世の亡者である。わざわざ自分の評価を下げる真意を質したスペイシーに、自分は父を殺した犯人を捕まえるために警官になった、とエリートは語る。そしてふと、問い返す。あんたは何故、警官になった?
 スペイシーは虚をつかれたようにしばし沈黙し、やがて答える。
「I don't remember.」
この場面こそがこの映画のクライマックスであり、以後の男達の行動全てに説得力を持たせている。この時のスペイシーの視線の移ろい、苦い笑いが、このいい加減な男にもかつて理想があり正義があり、夢があったことを、百万言を費やすよりも明白に物語ってくれるのだ。

あるいは「真夜中のサバナ」を見よう。スペイシーは、殺人容疑のかかった大富豪の役。自首しようと決めた彼は、主人公のルポライターに、真相を語る。ところが弁護士に自首を切り出そうとした矢先に、弁護士は彼に有利な証拠が出たことを伝える。それを聞いたスペイシーは、自首する決意を翻してしまう。で、話って何だ、と問い返す弁護士にスペイシーは答える。
「いや、何でもないよ。」
この時のスペイシーの表情の卑しさは、ちょっと比類がない。よくこんな演技が出来るものである。

とどめに「アメリカン・ビューティ」だ。倦怠期の中流家庭の主という、これ以上ないくらいのはまり役だ。彼は娘の同級生(コケティッシュなミーナ・スバーリ。これも適役だった)に横恋慕して一念発起。マッチョが好みだと聞けば、ジョギング筋トレに励むようになる。念願かなってベッドインの瞬間、彼女が実は初めてだ、と告白して彼は目を覚ましてしまう。ようやく年相応の少女らしい表情を見せる彼女は、あなたは幸せか、と尋ねる。スペイシーは少し笑って、答える。
「そんなことを聞かれたのは何年ぶりかな。・・・ああ、幸せだよ。」
もはや絶妙という以外に言葉がない。演技というものの威力を思い知らせてくれる役者である。それにしても、芸域の広さに驚くばかりだ。天才犯罪者、落ちこぼれ刑事、謎の大富豪、ただの中年オヤジ。何をやらせてもそのものであり、同時にスペイシーでもある。こういう役者を、プロと呼ぶのである。