更新履歴と周辺雑記

更新履歴を兼ねて、日記付け。完結していない作品については、ここに書いていきます。

2007年8月14日(火)
ラザロ

こういう映画である。→http://moviessearch.yahoo.co.jp/detail/tydt/id327943/

各所で絶賛してるので期待して観た。どうも、この映画を褒めるのが
今の日本映画界における良心の表明みたいなんだが、私にはどうにも不愉快な映画だった。
商売柄、私が体制側の人間であることを割り引いても、この不快感はただごとではない。
分厚いパンフを通読しても、一体それがどこから来るのかどうも判らなかったのだが、全然別の本にぴったりの文章があった。

『本件犯罪の動機および目的は、各本人等の主張するところによれば、近時わが国の情勢は、政治、外交、経済、教育、思想および軍事等あらゆる方面に行きづまりを生じ、国民精神また頽廃を来したるを以て、現状を打破するにあらざれば、帝国を滅亡に導くの恐れあり。しかしてこの行きづまりの根元は、政党、財閥および特権階級たがいに結託し、ただ私利私欲にのみ没頭し、国防を軽視し、国利民福を思わず、腐敗堕落したるによるものなりとなし、その根元を剪除して、以て国家の革新を遂げ、真の日本を建設せざるべからずというにあり。』
(「軍国日本の興亡」猪木正道から孫引き)

これは五・一五事件の一年後に公表された、司法・海軍・陸軍三省の共同声明の一部である。陸海軍の将校が、武器を勝手に持ちだして自国の首相を暗殺するという前代未聞のこの不祥事の後、大日本帝国は急速に右傾化して破滅へ突き進んでいく。

社会が行きづまり、頽廃していると言う。
定量的な考察も、因果関係の分析もなしに、世の中がヘンだと言う。
金持ちが悪い、政府が悪いと言う。具体的な政策論もなしに、革新を唱える。
気味が悪いほどマユミの思考回路とそっくりではないか。

貧富の差。「昔は格差社会じゃなかった。」
シャッター街。「昔は活気があった。」
結局のところ、この映画が訴えているのは、「昔は良かった」ということでしかないのだ。
それは、年寄りの言うことだろ。

偶然、「第三の男」('49)を高校時代以来20年ぶりに観返した。映画史上に残る傑作と比べるのも酷だが、マユミの言葉は、ハリー・ライムが語る悪の論理に到底及ばない。
考えてみれば、「第三の男」が撮られたのは、第2次世界大戦でヨーロッパがこの世の地獄を見て、わずか4年後だ。
平和で、自由で、豊かで、安全で、平等な現代日本が生んだ怒りが、こんな陳腐で幼稚なアナーキズムでしかないのも当然だろう。

余談だが、「愛に時間を」の主人公ラザルス・ロングってのは、やはりこのラザロから取った名前なんだろうか。

2007年8月6日(月)
最近の野球本から

最近読んだ野球本から、面白かった部分。
まず、長谷川滋利「素晴らしき日本野球」。マイミクさんに勧められて読んだのだが、さすが球界きっての知性派。選手の書いた本には珍しく、球団経営論にまで踏み込んでいる。日米両球界を知る者ならではの視点が興味深いが、とりわけ目を引いたのが、このくだり。
「球団経営がむずかしいのは利益を求めていればそれでいいかというと、そうはいかないところにある。
(中略)
とどのつまり、スポーツとは他の経済活動と比べると、効率的には儲からない業界なのである。
そういう意味で、日本のプロ野球界のように球団を宣伝媒体のひとつとして考えるのも、ひょっとしたら悪くないのかも知れない。なぜなら最近はそういう例がアメリカでも目立つからだ。
(中略)
それは現在のマリナーズの成り立ちにも言えることで、球団売却のメドが立たず、マリナーズがフロリダに移転することが避けられそうにもなかったとき、任天堂の山内社長(当時)が任天堂アメリカの本拠地があるシアトルに社会貢献する意味で、マリナーズを買った。そこに積極的に利益を生もうという姿勢はなかった。
球団経営にはより幅の広い視野が必要だと思う。」

ダイエーホークスが身売りしたとき、ソフトバンクが新球団名に悩んでいるという報道を聞いて、潔く「福岡ホークス」にしてしまえばいいものを、と失望した覚えがある。東北楽天の一年目は、成績は目も当てられないのに経営は黒字、という珍現象が起こったものだが、今や球界改革は「地域密着」「企業色排除」が錦の御旗である。
しかし、いくらかけ声をかけても、現実に先立つものも儲けが出る見込みもない、ではどうしようもないわけで、こんなご時世に、長谷川のように冷静で現実的な意見は貴重である。

もう一冊は、田端到「ワニとライオンの野球理論」。週刊現代連載のコラムを一冊にまとめたもので、近年のプロ野球を、データスタジアム提供のデータを駆使して読み解いている。ちなみにタイトルは、「初球から打って出るタイプの打者をワニ型、狙い球をじっくり待つタイプの打者をライオン型」と分類したことから。

特に印象に残ったのが、'05年のロッテ−阪神の日本シリーズのくだり。
「阪神を4タテしたロッテの戦いぶりでもっとも印象に残ったのは、2ストライクに追い込まれた後、ボールになるきわどい球をことごとく見極めて手を出さなかった選球眼だ。阪神最強の砦、藤川球児もあのロッテ打線の見逃し能力の前に沈んだ。
あれはデータ分析のたまものと言われたが、もっと根っこの野球観の部分に『見逃すという選択は恥ずかしいことではない。打者が振るはずと思って投じた球を、堂々と見送られてボールにされたときの投手のダメージはきわめて大きい』という意思統一があったように思えてならない。
2ストライクからきわどい球を見送るという選択は、見逃し三振のリスクと紙一重だ。しかし、腹を決めて見逃すことは立派な攻めの手段になる。ロッテはそれを証明した。
高校野球の甲子園大会で、必ず『見逃し三振は良くない』というスピーチをする高野連の偉い人がいる。見逃し三振否定派の言い分はいつも決まっている。
『バットを振れば何かが起こる。でも、バットを振らないと何も起こらないんだ。』
現実は違う。バットを振らなくても、ちゃんと何かは起こるのである。」

確かに、あの日本シリーズで、2ストライク後に投じられたフォークを、バットを微動だにさせずに見送ってフォアボールをゲットしていくロッテの打者陣に感嘆したことを、よく覚えている。
私は、「マネー・ボール」に代表される、「従来の野球観を覆してくれる感覚」が大好きなのだが、「見逃しも攻めのうち」という言葉に、それに似たものを感じた。

ここのとこ、引用ばっかりですみません。

2007年8月5日(日)
原作アニメ化

オトナアニメVOL.5「おおきく振りかぶって」特集の、黒田洋介インタビューより。

−ストーリーラインや設定を改変しない脚色は、改変可能なケース以上に難しいと思いますが、その辺については?
黒田『というか、アニメ化に際して「原作を改変しなくても面白くなる作品」を選んで参加させてもらっているというのが事実です。改変するなら、原作者や出版社とじっくり話し合う必要がありますし、「改編することに意義がある作品」でなければ、わざわざアニメ化の際に無理に改変する必要はないのではないでしょうか?』
(中略)
−以前のインタビュー(02年『カラフルコミックピュアガール』誌)では、『結局、その商品がどこに最終目標値を置いているかによって、方法論は全く変わってくる、という感じです。でも、実際は時間との勝負だったりすることもあるので、「さすがにそこまではできない」という取捨選択をやって、やれると言ったら最後までやりきるだけですね。』と発言されていましたが、今回のケースではどのように、最終目標値に対する黒田さん自身の理想値を設定されていますか?
黒田『私の中の目標値は、まず「ハチミツとクローバー」でやりきれた原作へのアプローチが、「おお振り」でもできるか、ということでした。順番で言うと、この面白い原作をちゃんとアニメ・フィルムにすること。お客様に嫌われるような無理矢理な改変はしないこと。アニメならではの「動き」を追求して描くこと。このアニメによって、より多くの方々に「おお振り」という偉大な原作作品があることを知ってもらうこと。原作本を買ってもらうこと。視聴率を取ること。DVDを買ってもらうこと・・・という感じでしょうか。』
−『おお振り』はアニメ化される前から既に多くのファンに支持を受けていた作品ですが、ファンの気持ちを裏切らないように、というプレッシャーはありましたか?
黒田『ファンの方々の期待を裏切らないような作品にしようというのが、私の前提条件でした。その上で、漫画ファン、アニメファン、野球ファンの方々の鑑賞に堪えうるような作品にしようと。当たり前のことではありますが・・・。』

時節柄、原作ファンに袋だたきにあってる某作品のことを意識しているとしか思えない発言の数々。「ハチクロ」と同じアプローチをしているというくだりには、なるほど納得。
戦略的、商売人的という批判もあろうが、売れないことにはそもそも作品を作り続けられないんだし、第一、作家性と商業性は、何も対立概念ではない。
「某作品」のことについては、またいずれ。

それにしても、「おお振り」の新EDを手がけている方には驚いた。しかも、私より年下だということを初めて知って、さらにびっくり。
・・・あ、今週の録画失敗。

2007年8月1日(水)
セルとレイヤー

AV雑誌「HiVi」の誌上で、この3ヶ月にわたって「アニメ新世紀」という連載があった。ハイビジョン技術がアニメをどう変えるか、というのが話題の中心で、8月号ではブルーレイ版「オネアミスの翼」「機動警察パトレイバー」のレビューが掲載されている。

雑誌目次→http://www.stereosound.co.jp/hivi/hivi-bn/bn/

記事そのものはともかく、面白いと思ったのが、「往年のセルアニメには、セルを重ねることによって生じる、自然な空間の奥行き感がある」という趣旨の記述があったこと。
セルは完全な透明ではないから、重ねるほどに彩度が落ちて、重ねられる枚数に限界がある。これはセルの欠点と思っていたので、こういう前向きな評価が新鮮に感じた。

そういえば、雑誌版「アニメスタイル」2号には、「BLOOD」の画面設計・エフェクト作画監督の江面久氏のインタビューが載っているが、空気感を出すために多数のレイヤーを重ねていく手法が紹介されている。場合によっては100枚以上のレイヤーを重ねることもあるとか。以前読んだときは、単純にすごいなあ、くらいしか思っていなかったのだが、逆に言うとフルデジタルの画面では、そのくらいやらないと空気感の表現ができない、ということだったのか。

などと思っていたら、今日のWEBアニメスタイル「色彩設計おぼえがき」にも似た話が出ていた。

なお、上記「HiVi」の特集には、「アニメスタジオバリュー 映像クォリティは“制作”会社で見極めろ!」という記事がある。
「HiVi」はアニメファン向けの雑誌ではないので、さほど突っ込んだ内容ではないが、バランスの取れた良い記事だなあと思ったら、ライターが藤津亮太氏だった。ガイナックスやGONZOに混じって、マッドハウスとJ.C.STAFFが紹介されているのがさすが。

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