最近読んだ野球本から、面白かった部分。
まず、長谷川滋利「素晴らしき日本野球」。マイミクさんに勧められて読んだのだが、さすが球界きっての知性派。選手の書いた本には珍しく、球団経営論にまで踏み込んでいる。日米両球界を知る者ならではの視点が興味深いが、とりわけ目を引いたのが、このくだり。
「球団経営がむずかしいのは利益を求めていればそれでいいかというと、そうはいかないところにある。
(中略)
とどのつまり、スポーツとは他の経済活動と比べると、効率的には儲からない業界なのである。
そういう意味で、日本のプロ野球界のように球団を宣伝媒体のひとつとして考えるのも、ひょっとしたら悪くないのかも知れない。なぜなら最近はそういう例がアメリカでも目立つからだ。
(中略)
それは現在のマリナーズの成り立ちにも言えることで、球団売却のメドが立たず、マリナーズがフロリダに移転することが避けられそうにもなかったとき、任天堂の山内社長(当時)が任天堂アメリカの本拠地があるシアトルに社会貢献する意味で、マリナーズを買った。そこに積極的に利益を生もうという姿勢はなかった。
球団経営にはより幅の広い視野が必要だと思う。」
ダイエーホークスが身売りしたとき、ソフトバンクが新球団名に悩んでいるという報道を聞いて、潔く「福岡ホークス」にしてしまえばいいものを、と失望した覚えがある。東北楽天の一年目は、成績は目も当てられないのに経営は黒字、という珍現象が起こったものだが、今や球界改革は「地域密着」「企業色排除」が錦の御旗である。
しかし、いくらかけ声をかけても、現実に先立つものも儲けが出る見込みもない、ではどうしようもないわけで、こんなご時世に、長谷川のように冷静で現実的な意見は貴重である。
もう一冊は、田端到「ワニとライオンの野球理論」。週刊現代連載のコラムを一冊にまとめたもので、近年のプロ野球を、データスタジアム提供のデータを駆使して読み解いている。ちなみにタイトルは、「初球から打って出るタイプの打者をワニ型、狙い球をじっくり待つタイプの打者をライオン型」と分類したことから。
特に印象に残ったのが、'05年のロッテ−阪神の日本シリーズのくだり。
「阪神を4タテしたロッテの戦いぶりでもっとも印象に残ったのは、2ストライクに追い込まれた後、ボールになるきわどい球をことごとく見極めて手を出さなかった選球眼だ。阪神最強の砦、藤川球児もあのロッテ打線の見逃し能力の前に沈んだ。
あれはデータ分析のたまものと言われたが、もっと根っこの野球観の部分に『見逃すという選択は恥ずかしいことではない。打者が振るはずと思って投じた球を、堂々と見送られてボールにされたときの投手のダメージはきわめて大きい』という意思統一があったように思えてならない。
2ストライクからきわどい球を見送るという選択は、見逃し三振のリスクと紙一重だ。しかし、腹を決めて見逃すことは立派な攻めの手段になる。ロッテはそれを証明した。
高校野球の甲子園大会で、必ず『見逃し三振は良くない』というスピーチをする高野連の偉い人がいる。見逃し三振否定派の言い分はいつも決まっている。
『バットを振れば何かが起こる。でも、バットを振らないと何も起こらないんだ。』
現実は違う。バットを振らなくても、ちゃんと何かは起こるのである。」
確かに、あの日本シリーズで、2ストライク後に投じられたフォークを、バットを微動だにさせずに見送ってフォアボールをゲットしていくロッテの打者陣に感嘆したことを、よく覚えている。
私は、「マネー・ボール」に代表される、「従来の野球観を覆してくれる感覚」が大好きなのだが、「見逃しも攻めのうち」という言葉に、それに似たものを感じた。
ここのとこ、引用ばっかりですみません。
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