宮部みゆきの迷走

「理由」「模倣犯」ときて、宮部みゆきをフォローするのが難しくなってきた。 この人の描くキャラクターの瑞々しさ、存在感、人間に対する観察の細かさといったものは比類のない才能だと思っていた。ただ一つ、幼稚な人間把握が心配だった。具体的には、子供の純粋無垢さと、薄っぺらい悪人の描写である。この人は、自分の創造したキャラクターを善悪明確に色分けして、おまけに好悪を隠さないのである。
最初の注目作「魔術はささやく」で、既にその兆候は現れていた。作中に登場するアル中のルポライターの扱いがそれである。この人物は、ハードボイルド小説ならそのまま主人公であってもおかしくない魅力あるキャラなのだが、犯人にとって、またストーリー上も、役目が終わった、というだけの理由であっさり殺してしまう。そのことは、「罪と罰」という本作のテーマとまるきり矛盾しているのだが、これに触れた評はついぞ見かけない。本人もおそらく気付いてはいまい。ついでだが、私はこの作品の結末にもひどく不満である。
 私は、宮部の最高傑作は「火車」であると思っているが、これは犯人の内面を一切描写しなかったことによるところが大きい。逆にこの作品に対する批判も、この点に集中していたと記憶する。宮部は「火車」か、遅くとも「蒲生邸事件」で直木賞を受賞するべきであった。ノーベル賞を取り損ねた川端康成の故事に倣ったわけでもあるまいが、宮部はこれ以後迷走を始める。物語をまとめ損ねた「クロスファイア」、構成を試行錯誤した過程が丸出しの「理由」ときて、「模倣犯」である。力作であることは、枕にもできないこの分厚さを見れば、読まなくてもわかる。この量を一気に読ませてしまう筆力は、まさに驚嘆に値する。だが、その内容はまことに空疎である。騙されたあげくに自殺する被害者の妹に、宮部は嫌悪と軽蔑を隠そうとしない。犯人像には何らの新味も魅力も、説得力もない。被害者の遺族の心情を延々と描写するに及んでは、何をか言わんやである。いかに悲痛でリアルであろうが、それはフィクションである。書けば書くほど、露わになるのはその虚構性だ。大切なものは、言葉では伝わらない。それに挑戦するのが文学であるにせよ、これはあまりに芸がない。これ以後の宮部は小品の「RPG」(これは佳作)、時代物の「ぼんくら」、ついにはファンタジーの「ドリームバスター」とさらに手を広げ、迷走を続けている。稀代の才能は、一体どこにたどり着くのだろうか。


佐々木譲のミスリード

「ベルリン飛行指令」の頃は面白かったが、3部作完結「ストックホルムの密使」あたりから、なんだかおかしくなってきた。「ベルリン飛行指令」の後書きに、史実かどうかの判断は読者に任せるし、またそうあるべきだという趣旨のことが書いてあった。それはまあそのとおりだろう。だが疑問なのは、「ストックホルムの密使」に登場する大西瀧次郎中将の描写である。佐々木は、神風特攻隊の生みの親である大西中将を、作中人物の口から部下の命など何とも思っていない冷血漢として語らせている。
だがこれは、史実に相違する。大西は、大艦巨砲主義の時代に早くから航空機の可能性に着目していた、進歩的で視野の広い合理主義者であり、また部下への温情溢れる指揮官であった。何より、終戦と同時に、部下たちの後を追って割腹自殺を遂げている。作中、この事実には一切触れられていない。これは小説なのだから、作者が史実を脚色するのは、自由である。だが、故意に特定の事実を書かないのは、アンフェアではあるまいか。これは、立派なプロバガンダに思えるのである。