飯田線各駅停車【田切駅】 最終更新日:2005/05/14

魅力発見・飯田線

75.田切
   たぎり Tagiri

○長野県 上伊那郡 飯島町 田切
●1918(大正7)年2月11日開設
●豊橋起点:160.1 km
●標高:637 m

田切駅写真

●無人駅

●単線駅

●便所:駅前(線路西側)

●駅売店:なし

飯島▲

たぎり

▼伊那福岡

■駅の概要 〜オメガカーブでの電車撮影で知られた駅〜

 田切駅は伊那電気鉄道時代に開設された駅ですが、開設当初は現在より北側の切通しに駅が設置されました。民有地に設置され、駅舎も民家に待合室を併設した形態を持つ珍しいものでした。長らく業務委託駅として営業していましたが、末期には無人化され人も住まなくなっていました。

  当時は半径140mという急曲線上にホームが設置されていたことにより、ホームと電車との隙間が非常に大きく、また乗務員による前方確認も困難であることから、かねてより危険性が指摘されていました。そこでやや南方の現在地の築堤上にホームを築き、1984(昭和59)年6月1日より新しい位置での営業を開始しました。

 この移転により豊橋からの営業キロも160.3kmから160.2kmへと変更され(2001(平成13)年4月1日の川路〜時又間短縮により、さらに0.1km縮まり160.1kmとなる)、旧駅は使用停止されました。駅舎の跡地には現在では「田切駅舎跡記念碑」が建立されています。

 移転後の新駅は築堤上に設置されたことから、ホームから中央アルプスが一望できる風光明美な駅となりました。移転に際しホーム上に鉄骨造の待合室が新築されましたが、何故か駅移転14年後の1998(平成10)年5月30日に再度、ほぼ同一形状の待合室に新しく建て直されています。

 田切駅近くに「Ω(オメガ)カーブ」と呼ばれる電車の撮影名所があることから、とりわけ1983(昭和58)年頃までは、当時飯田線を走っていた旧型国電の撮影を目的とした鉄道ファンの来訪が絶えませんでした。旧型国電消滅後はファンの数も目立って減りましたが、1993(平成5)年にアニメビデオの舞台として取り上げられたことから、そのファンの来訪で旧型国電以来とも言える田切駅ブームが生じた時期もありました。

【駅写真撮影:2001/07/29】 

■駅の歴史

・1918(大正7)年2月11日、伊那電気鉄道伊那福岡終点〜飯島間開通時に途中駅「田切」として開設
・1925(大正14)年11月6日、田切駅旧駅舎建設
・1984(昭和59)年6月1日、駅をやや南方の現在地に移転、旧駅使用停止
・1997(平成9)年6月1日、「田切駅舎跡記念碑」建立
・1998(平成10)年5月30日、待合室新築

■駅施設概要

 駅全体が築堤上の高い位置に設置されており、乗降には階段の上り下りが必要です。ホームは単線(下り列車より見て右方向)で、駅出入口は辰野方(階段)です。ホームに面して鉄骨造の扉付待合室が設置されています。

 便所は階段を降り線路をくぐった築堤の下にあります。

旧駅時代の田切駅

▲旧駅時代の田切駅
【1983/04/08撮影】

■駅周辺概要

●移転前の田切駅

 田切駅の開設当初は現在より北側の切通しに駅が設置されていましたが、彎曲したホームによる電車との隙間や前方確認の際に危険であるため、南方の現在地に新しいホームを築き、1984(昭和59)年6月1日より新しい位置での営業を開始しました。

 使用されなくなった旧駅のホーム跡は崩され、駅舎の跡地もその後畑になりましたが、1997(平成9)年6月1日になって地主の方により「田切駅舎跡記念碑」が建立されています。

 旧駅時代の写真は[▼田切駅新旧交代]をご覧ください。

解体中の田切駅旧駅舎

▲解体中の田切駅旧駅舎
【1984/04/08撮影】

 

田切駅舎跡記念碑

▲田切駅舎跡記念碑
【1997/06/08撮影】

▲田切駅舎跡記念碑の文
【1997/06撮影】

●Ω(オメガ)カーブ

 伊那谷の天竜川右岸には「田切地形」と呼ばれる扇状河岸段丘が数多く見られる地域でありますが、ここ田切は中田切川によって形成された典型的な田切地形の一つで、電車は深い谷との標高差を縮めるために上流に大きく迂回し、「Ω(オメガ)カーブ」と呼ばれる急カーブで川を越えて行きます。

 この中央アルプスをバックに急曲線を走る線形が電車の撮影適地とされ、旧型国電の時代から鉄道ファンの来訪が絶えず、飯田線でも一二を争う有名撮影地として知られていました。

雪のオメガカーブを走る119系電車

▲雪のオメガカーブを走る119系電車
【1999/03/22撮影】

●幻の孔子廟

 中国(魯)の地で紀元前552年に生誕し、儒教の開祖者となった思想家「孔子」。その孔子を尊び、本尊として祀った「孔子廟(こうしびょう)」は中国国内では多数建設されていますが、これを田切にも建設しようとする動きが大正時代にありました。

 上伊那地区での養蚕の発展のため、1914(大正3)年に組合製糸「龍水社」を創設した山田織太郎(1873〜1930)氏はもともと田切地区の大地主でもありました。伊那電気鉄道の開業時に田切駅設置を誘致する一方で、この地に孔子廟を中心とした一大運動公園の建設を企てました。

 旧田切駅に面する小高い山を切り開き、そこに孔子廟を設置。周囲には陸上競技場や体育館、ホールやテニスコートの設置など、現在からでは考えられない規模の開発が計画されました。

 まずは巨大な孔子像が発注され、この地に設置されました。引き続き周囲の造成工事が始められたのですが、山田氏の死去により計画は中断。あげくには孔子像も盗難に遭い、完全にこの計画は頓挫してしまいました。

 現在ではテニスコートが1面のみ造成されたこの山の中腹に、代わりとなる小振りの孔子像が設置され、山田織太郎氏の記念碑とともにこの山を見つめています。

▲孔子像
【1997/06撮影】

▲山田織太郎氏の碑
【1997/06撮影】

■その他の情報

【当サイト内ページ】

■新旧田切駅の写真:[▼田切駅新旧交代

 

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