飯田線各駅停車【高遠原駅】 最終更新日:2005/06/15

魅力発見・飯田線

71.高遠原
   たかとおばら Takatobara

○長野県 上伊那郡 飯島町 七久保
●1946(昭和21)年9月1日開設
●豊橋起点:150.7 km
●標高:665 m

高遠原駅写真

●無人駅

●単線駅

●便所:構内

●駅売店:なし

伊那田島▲

たかとおばら

▼七久保

■駅の概要 〜繁栄の面影も今は昔、の駅〜

 伊那電気鉄道はさまざまなドラマを生みました。弱小財政な事もあって、少しずつ小刻みに路線を伸ばし続け、難工事区間があるとそこで足踏みをするかのように駅前の集落が育ち、また先に伸びるとそちらに繁栄が移り、といった具合に常に運送会社や旅館、赤提灯などと共に育ってゆきました。

 ここ高遠原はこの先の前沢川の深い谷を越えるために難工事となり、1918(大正7)年12月14日に終着駅として開業後二年足らずの間は物資の積み替え・旅客の乗り換え駅として多数の馬車が乗り入れるなど大変賑わいました。

 しかし1920(大正9)年11月22日、高遠原〜上片桐間が開通すると運送会社や旅館も次々と移転してしまい、たちまち高遠原は元の静けさに戻ってしまったと言われています。

 その後1943(昭和18)年8月1日の国有化の際には一旦駅が廃止となり、戦後の1946(昭和21)年9月に復活しています。その際に現在の待合室が建てられており、内部を仕切って業務委託で乗車券を販売していましたが、1971(昭和46)年12月1日に無人化されています。

 現在高遠原の駅前には往時の繁栄を偲ぶものは何一つなく、その一方で車窓左手には、飯田線に代わって完全に伊那谷の大動脈となった中央自動車道が高台を突き進んで行きます。 

【駅写真撮影:2004/05/03】 

■駅の歴史

・1918(大正7)年12月14日、伊那電気鉄道七久保〜高遠原間開通時に終着駅「高遠原」として開設
・1920(大正9)年11月22日、伊那電気鉄道高遠原〜上片桐間開通
・1943(昭和18)年8月1日、飯田線国有化を契機に駅廃止
・1946(昭和21)年9月1日、駅営業再開
・1971(昭和46)年12月1日、駅業務委託を廃し無人化

■駅施設概要

 ホームは単線(下り列車より見て左方向)で、駅出入口は中央やや辰野方(階段)と豊橋方(階段)の双方にあります。ホームに面して木造の扉付待合室および便所が設置されています。20年以上も前から、ホームの片隅に流し台を使った水道が代を重ねて設置されています。

 数年前までは構内のホーム向かい側に短い引込線跡がありましたが、 現在では撤去されています。

1982年の高遠原駅

▲1982年の高遠原駅
【1982/05/30撮影】

霧に霞む高遠原駅

▲霧に霞む高遠原駅
【2004/05/03撮影】

119系停車中

▲119系停車中
【2004/05/03撮影】

■駅周辺概要

●大沢(おおさわ)信号場

○長野県 下伊那郡 松川町 上片桐
●1966(昭和41)年3月25日開設
●豊橋起点:149.7 km
●標高:656 m

●無人信号場
●交換可能

 伊那田島と高遠原の駅間に、線路が複線になっている部分があります。ここは大沢信号場と称し、列車交換を目的とした信号場としては飯田線唯一の存在で、周囲には民家も少なくありませんが旅客の乗降扱いは行ないません。

 1966(昭和41)年3月25日のダイヤ改正にあわせ、飯田線北部での輸送力増強を目的に設置されたもので、本信号場設置と同時に、これまで交換設備のなかった伊那本郷・伊那新町の両駅も交換可能に改修されています。

 新築された信号場の建物は伊那新町駅の駅舎とよく似た鉄筋コンクリートの平屋建てで、増築を前提にしたと思われる建物の構造を見ると、駅としての昇格計画でも存在したのかと考えさせられます。建設時はタブレット閉塞であったため掛員が配置されていましたが、1983(昭和58)年2月24日の飯田〜辰野間CTC導入により無人化されました。 

大沢信号場写真

▲大沢信号場の建物
【2002/03/31撮影】

大沢信号場全景

▲大沢信号場全景(トロッコ列車車内より撮影)
【2003/10/05撮影】

■その他の情報

●準備中

 

▲高遠原駅前
【2001/10/18撮影】

▲最上段へ


●次は 七久保駅 です●

▲出口

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