文字通り伊那谷最大の都市である飯田市の玄関口となる駅です。飯田は古く戦国時代より城下町として栄えた地で、天竜川をはるかに望む断崖絶壁の要害に城が築かれたことから、段丘上の高台に市街が展開していきました。この際に京の街を模した造りであったことから、戦前までは「信州の小京都」と呼ばれる美しい街並みを持つ都市として知られていました。1923(大正12)年の伊那電気鉄道建設時もこの中心市街を外すことは考えられず、線形をΩ状に大きく曲げてでも段丘上へと登る形で建設され、その段丘上に飯田駅が設置されました。
しかし木造住宅の密集したその街並みが仇となり、戦後の1947(昭和22)年4月20日に発生した大火により、中心市街地の大半が焼失してしまいました。当時の占領軍司令部の指図のもと防災都市として復興がなされ、十分な幅を持った防火道路の建設を軸とした都市計画が実施されました。その防火道路の中央分離帯部分に、中学生の提案で「リンゴ並木」が整備された事は大きな話題となり、現在でも飯田市の観光名所となっています。
大火より復興後の飯田駅周辺は、市街を東西に貫く「中央通り」や南北方向の「銀座通り」を中心にアーケード付の商店街が築かれ、長らく伊那谷を代表する都市にふさわしい賑わいを見せていました。しかし商業施設の郊外移転という全国的な流れの中、さらに中心市街から離れた場所に設置された中央道飯田インターと国道153号線を直結する新バイパス(アップルロード)が建設されたことから、「丘の上」と呼ばれる飯田の旧市街を通らずに伊那谷を縦貫できるようになってしまいました。その結果、商業施設のアップルロード沿いへの移行が加速し、とりわけ中央通りでは商店の数も激減したことから、アーケードも取り払われてしまいました。
歴史ある旧市街地の衰退は市にとっても悩みどころで、近年では再開発商業ビルや集合住宅の建設を積極的に行なうなど、市街地の再生に向けた施策も進められています。一方で商業の中心こそ郊外に転移したとはいえ、市街にある観光資源の見直しや整備も進められており、観光面での魅力という意味では旧市街はまだまだ主役の座にあります。また絶滅寸前の感すらあった市街地内のバス路線網も、近年になり急速に整備されつつあります。
駅は大火でも類焼を免れ、開設時の古い駅舎がそのまま使用されていましたが、駅のシンボルにもなっていた開業時からの駅前の大柳が倒壊寸前になって伐採され、また駅舎も1992(平成4)年2月8日にリンゴをモチーフとした現在の姿に改築され、イメージを一新しました。その後何度かの駅前広場の拡張工事で、バス停留所を含むロータリーの拡大が行われています。
飯田駅構内にはJR東海飯田支店が置かれ、またCTCセンターが設置されているなど、飯田線を営業、運行管理の両面から統括しています。待合には「伊那谷駅弁」による駅弁/駅そば店および軽食店「赤いぼうし」がありましたが、2006(平成18)年秋に営業を中止しています。
【駅写真撮影:1999/05/05】