飯田線各駅停車【駄科駅】 最終更新日:2005/09/01

魅力発見・飯田線

54.駄科
   だしな Dashina

○長野県 飯田市 駄科
●1927(昭和2)年4月8日開設
●豊橋起点:121.1 km
●標高:411 m

駄科駅写真

●無人駅

●単線駅

●便所:駅前

●駅売店:なし

時又▲

だしな

▼毛賀

■駅の概要 〜鵞流峡と「旭松食品」の駅〜

 飯田線では北から数えて2番目のトンネルになる「長野原トンネル」を抜けた北側が駄科駅です。もともとは駅員配置のある交換駅でしたが、1984(昭和59)年2月24日の南部CTC化により無人化、のちの1989(平成元)年9月に交換設備が撤去され、単線駅となりました。現在でも使用中のホームの向かい側に、使われなくなった旧ホームが残存しています。

 全国的に単線ローカル線では、経営合理化の一環としてとして列車交換(行き違い)設備の撤去が積極的に進められていますが、それに伴い待ち時間の増加や列車本数の制約など、列車ダイヤに与える影響が増加しているのもまた事実です。飯田線は単線鉄道の中でももともと交換駅の多さが特徴とされ、柔軟なダイヤ編成が可能な路線ではありましたが、1984(昭和59)年のCTC導入後の飯田線ではこの駄科駅が唯一、交換設備撤去の対象となりました。その結果として、特急列車運行時に隣接駅での長時間の待ち時間が必要になるなど、運転面でも弊害が生じているのは事実です。

 無人化以降もしばらくは開設時の木造駅舎が使われており、交換設備撤去時には待合室内も含めてホームと同等の高さにまで床面を嵩上げする大規模な工事が行われましたが、1998(平成10)年5月に放火により全焼してしまいました。しばらくは仮設の待合室が使われたのち、1999(平成11)年2月に現在使われている待合室が完成しました。

 駅の裏には、凍豆腐(こうや豆腐)の生産高が全国一の食品メーカー「旭松食品」の本店(工場・研究所)の敷地が広がっています。凍豆腐のほか即席味噌汁「生みそずい」やパック入り納豆「なっとういち」などで知られています。

 また駅付近に立地する輝山会(きざんかい)記念病院では、2003(平成15)年11月24日に8階建ての新館が完成し、施設が大幅に拡張しています。

【駅写真撮影:1999/04/04】 

■駅の歴史

・1927(昭和2)年4月8日、伊那電気鉄道毛賀〜駄科間開業時に終着駅「駄科」として開設
・1927(昭和2)年12月26日、伊那電気鉄道駄科〜天竜峡間開業
・1984(昭和59)年2月24日、豊橋〜飯田間CTC導入にともない駅無人化・発条転轍機設置
・1989(平成元)年9月19日、交換設備撤去ならびにホーム扛上・曲線緩和工事開始
・1989(平成元)年11月22日、工事終了
・1998(平成10)年5月23日、木造駅舎が待合室での放火により全焼
・1999(平成11)年2月13日、新待合室使用開始

駄科駅単線化工事中

▲駄科駅単線化工事中
【1989/11撮影】

■駅施設概要

 ホームは単線(下り列車より見て左方向)で、駅出入口はほぼ中央です。ホームに面して開放式の待合室が設置されています。便所のみ古いものが取り残された形でしたが、近年になって新築されています。

●単線化とホーム嵩上げ工事

 1984(昭和59)年2月の飯田以南CTC化に際して駅無人化されて以降も、1989(平成元)年9月18日までは2面2線の相対式ホームを持つ交換駅として使われてきましたが、単線駅へと改修すると同時にホームの嵩上げを行うこととなり、まずは一時的に駅舎側の旧1番ホームが閉鎖されました。

 現在は使用されずに残されている旧2番線ホームのみを使用しつつ、旧1番ホーム側のポイントと線路の一部を撤去し、もともとの分岐部分のSカーブを緩和した線形で新しいホームが造られました。

 新しく造られたホームに合わせて駅構内全体が嵩上げされることになり、駅舎待合室内もコンクリートを盛って改修されました。

 こうして1989(平成元)年11月22日に改修は終了し、再度1番線側に本線が切り替えられ、暫定的にフル活用されてきた旧2番線ホームの使用は停止されました。旧2番線側の線路は撤去されましたが、ホーム跡は現在も残存しています(以下下欄へ続く)。

駄科駅旧駅舎(扛上工事前)

▲駄科駅旧駅舎(扛上工事前)
【1984/07/29撮影】

 

駄科駅旧駅舎(扛上工事後)

▲駄科駅旧駅舎(扛上工事後)
【1995/09/03撮影】

●駅舎火災と待合室再建

 (上欄より続く)しかし1998(平成10)年5月23日夜、当時の木造駅舎待合室内への放火事件が発生、駅舎は全焼し、近隣の民家にも窓ガラスが割れるなどの被害が生じました。焼失した駅舎はすぐに片付けられましたが、1989(平成元)年の工事で盛られたコンクリートの頑丈なかさ上げ部分はそのまま残されていました。

 焼失した駅舎の代わりとして、旧駅舎のやや南側(天竜峡方)の駅名標付近に、鉄パイプとベニヤ板を使って仮待合室が設置されました。しかし放火焼失という突然の事態ゆえに、新待合室の設置工事までには、半年という期間を待たざるを得ませんでした。

 1998(平成10)年12月より、ようやく現在の待合室建設は開始されます。表から見ると一見箱型の密閉型に近い造りながら、実は線路側は開放式の造りになっているという比較的簡素なもので、どちらかというと上屋と呼んだ方が近いかも知れません。ただ近年の施設のバリアフリー化に伴い、入口にはスロープが設置されました。

 新築工事は1999(平成11)年2月に完成し、仮設待合室も役目を終え解体されました。後に便所も新築されています。

駄科駅旧駅舎消失後

▲旧駅舎焼失後
【1998/09/10撮影】

駄科駅新待合室建設中

▲新待合室建設中
【1999/01/19撮影】

駄科駅新待合室

▲新待合室完成後
【1999/04/04撮影】

駅舎再建までの仮設待合室

▲駅舎再建までの仮設待合室
【1998/09/10撮影】

■駅周辺概要

●旭松食品

 駅の裏手には「旭松(あさひまつ)食品」の飯田本店が広がっています。同社は信州各地で昔から造られていた「凍豆腐(しみどうふ・こおりどうふ)」の生産組合が合併を重ねた上で1950(昭和25)年に誕生した大豆食品メーカーで、凍豆腐の生産高ではでは全国シェアトップを誇っています。

 全国ブランドの即席味噌汁として有名な「生みそずい」も同社の製品の一つで、また最近は「なっとういち」で納豆部門の売上を急増させています。なお本社機能は1990(平成2)年に大阪へ移されています。

旭松食品

▲旭松食品
【1999/04/04撮影】

■その他の情報

【当サイト内ページ】

■駄科旧駅舎外観:
▼飯田線駅舎図鑑・駄科旧駅舎

 

駄科駅駅名標

▲駄科駅駅名標
【2005/08/28撮影】

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●次は 毛賀駅 です●

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