飯田線各駅停車【下川合駅】 最終更新日:2007/05/06

魅力発見・飯田線

31.下川合
   しもかわい Shimo-kawai

○静岡県 浜松市 天竜区 佐久間町 川合
●1934(昭和9)年11月11日開設
●豊橋起点:59.9 km
●標高:137 m

飯田線下川合駅写真

●無人駅

●単線駅

●便所:駅前

●駅売店:なし

早瀬▲

しもかわい

▼中部天竜

■駅の概要 〜北遠七福神めぐり「川合院」下車駅〜

 大千瀬川の下流に近く、間もなく天竜川と合流するところにこの下川合駅はあります。川合とは一般に川と川が合流するところの意であることから、近隣の駅である「三河川合」とは、水系が異なるだけに関連はなさそうです。

 一般に飯田線の下り列車というのは川をさかのぼる方向に走りますが、池場の分水嶺から佐久間付近の天竜川までは、川の流れと同じ方向に下り列車が走ります。駅付近は浦川や早瀬同様、鮎釣りの名所として知られ、シーズンには釣人で賑わいます。春には大千瀬川を横断する形でこいのぼりが渡され壮観で、飯田線列車の撮影名所にもなっています。

 また駅付近(大千瀬川対岸)の「川合院(せんごういん)」には境内遊歩道に七福神像が点在して置かれ、「北遠七福神巡り」として親しまれています。

※2005(平成17)年6月30日まで駅所在地は「静岡県 磐田郡 佐久間町」でしたが、2005(平成17)年7月1日の静岡県西部12市町村の広域合併により浜松市、さらに2007(平成19)年4月1日の政令指定都市移行により浜松市 天竜区 佐久間町となりました。

【駅写真撮影:2003/03/02】

■駅の歴史

・1934(昭和9)年11月11日、三信鉄道三信三輪〜佐久間(現東栄〜中部天竜)間開通時に「下川合」駅として開設
・1995(平成7)年11月、旧木造駅舎解体
・1998(平成10)年、ホーム上待合室建て替え

■駅施設概要

 ホームは単線(下り列車より見て左方向)の無人駅ではありますが、1995(平成7)年11月に解体されるまでは木造駅舎が存在していました。しかしかなり以前(少なくとも昭和58年以前)から出札口付近の仕切り壁が撤去され、自転車置場として使われていました。

 駅舎跡地には入り口の石積が残っており、現在では駅舎に隣接していた木造の便所のみ残されています。

 かつては島式ホームを持ち、また駅の裏にある製材所が荷扱いを行っていた名残りのホーム跡が構内に残っていましたが、10年ほど前に取り壊され更地となりました。現在でも構内の一部にレールの跡が見られます。

 駅舎解体時からも存在していた木造切妻屋根・密閉式のホーム上待合室は、1998(平成10)年に開放式のものに建て替えられています。新待合室は両側面にガラス窓に代わりアクリル板が使用されています。

下川合旧駅舎

▲下川合旧駅舎
【1987/02撮影】

駅名標と製材所

▲駅名標と製材所
【1997/04/08撮影】

■駅周辺概要

●川合院(せんごういん)

 駅前より大千瀬川を渡って国道473号線に出た後、佐久間側へと分岐する旧道沿いに歩くと、「北遠七福神巡り」で知られる「佛法山・川合院」に到着します。ここには境内に「七福神とぼけ地蔵」が各所に置かれており、石像を巡りながら敷地内の約1kmの遊歩道を一周します。

佛法山川合院七福神とぼけ地蔵

▲佛法山川合院七福神とぼけ地蔵
【2003/03/02撮影】

●飯田線代行国鉄バス転落事故供養碑

 1951(昭和26)年7月15日、飯田線下川合〜中部天竜間で起きた土砂崩壊による鉄道線不通を受け、同区間の代行輸送にあたっていた国鉄バスが、道路上から天竜川へと転落するという痛ましい事故がありました。

 死者26名、重軽傷者4名を出す大惨事となり、現場となった国道沿い(下川合から原田橋へと向かう途中)には「供養之碑」が建立されています。

国鉄バス転落犠牲者供養之碑

▲国鉄バス転落犠牲者供養之碑
【2003/03/02撮影】

■その他の情報

【リンクページ】

■周辺地形図(国土地理院地図閲覧サービス「ウォッちず」)
▼1/25000地形図「中部」

 

下川合駅旧駅舎跡

▲下川合駅旧駅舎跡
【1997/04/08撮影】

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